恋愛好き

2018年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム
 時節柄、~熱愛発覚!のような報道が減っている気がします。
 恋愛の衰退は経済にも悪影響ですから、何とかこの空気を払拭したい(主語は誰?)とおもっています。
 「恋愛」は漢語ではなく、明治の半ばになってから、AMOURの日本語訳として考案された?新しい言葉です。「東京」よりもずっと新しい。
 日本人は異性への恋愛感情には「恋」を使い、これはいい意味の言葉です。逆に「愛」は執着という意味が強かった。
 大河ドラマにもなった直江兼続の兜の前立は「愛」の文字ですが、これは愛染明王を表していて、愛欲を離れ大義に向かう決意表明で、BOYS LOVE ではありません。
 ところが、明治以降LOVEに「愛」をあててしまったために、LOVEのいい面も引き継いでしまい、「愛は地球を救う」みたいな使い方もされるようになってしまった。愛を断った戦国時代とは真逆ですね。皇太子家のご長女が「愛子」さまと名付けられたとき、私は驚きました。雅子妃のレジスタンスだった、と今でもおもっています。
 恋は子孫繁栄、お家の繁盛、につながるいい感情、それは自分の意思とは関係なく本能的に沸き起こってくるもの、日本人はこの感情を大切にしてきました。源氏物語が読み継がれてきたのはそのためです。
 今日では、愛が幸せに向かう良い感情、恋は心を乱す良くない感情のような意味合いをもってしまい、恋愛という言葉は、恋の良くない面を、愛で補ってる形になってしまいました。
 それでも面白いのは、恋人はみんなに紹介できますが、愛人はみつからないようにこっそり。愛人は一年中サンタクロースです。ここは昔の恋と愛の違いが残ってますね。でも愛人は新しいことばで、昔は妾、間夫です。
 恋する対象は異性に限られ、スイーツに恋する、みたいな使い方は比喩的な表現です。
 愛する対象は何でもよい。平和も、ラーメンも、ビートルズでも、内視鏡でも愛することができます。
 好きも何でも使えますね。
 「恋してる」と言うと浮ついた感じがしますが、「愛してます」だと責任をとる覚悟がありそうです。
 「好きです」だとそこまでいかないかな、って感じ、好きは感情ではなく自分勝手な判断なんですね。好きの反対に、嫌いがありますが、恋や愛の反対語はないですから。だから好評とか好感という表現ができる。
 愛子さん、好子さんはいるけど(名前も少「子」化でずい分減りましたが)、恋子さんにはなかなかお目にかかりません。
 「恋」「愛」「好き」をうまく使い分ける、そして自分のこころの動きは「恋」なのか、「愛」なのか、「好き」なのかに敏感になることで、人生は楽しくなるし、経済も活性化するのではないでしょうか?