ヒーメロス通信


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長期連載エセー『自己への配慮と詩人像』(十六)その二

2013年04月05日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

 

長期連載エセー『自己への配慮と詩人像』(十六)その二

小林稔

 

二つの道という形象の歴史

 長く理論的な教育を省いた徳への近道という考え方は、西欧の哲学的思考と霊性のなかで頻繁に見られる形象であり、二つの道という形象の歴史があると指摘し、フーコーはまずパルメニデスの〈詩〉にある二つの道の区別を挙げる。一つの道は、〈存在〉はあるという確実さの道。なぜならその途は真理に付き従う道であるからだ。もう一つの道は、〈存在〉はないとする道。人が何も学ぶことのできない細道であるとパルメニデスはいう。この二つの道は意味は異なるが、クセノポンの『ソクラテスの思い出』第二巻、プロディコスの神話的物語のなかにあるとフーコーはいう。ヘラクレスは二つの道の岐路に立っていた。一方は困難な道、最終的には幸福に導く険しい道。他方は容易な道、快楽の道でこの道を行くことでは真の幸福には達するこ

とができないという道。初期キリスト教の『ディダケー』というテクストでは、生の道と死の道であることとフーコーはいう。キュニコス派の二つの道は、それらとは違うという。一つは努力を必要としない安易な

道で、ロゴスを通じて、言説とその習得を通じて徳へ至る道である。もう一つは困難な道、おおくの障害と引き替えに頂上に直接伸びる骨の折れる道で無言の道といえる。この道は訓練の道、アスケースの道、簡素化と忍耐の実践の道であるとフーコーはいう。プルタルコスの『恋愛をめぐる対話』というテクストの中で、クラテスの擬似書簡があり、二つの道の区別が記述されている。クラテスはディオゲネスの第一の弟子であるが、典拠の怪しいテクストである。ローマ帝国初期に価値を与えられ受け入れられたキュニコス主義の特徴が見いだされるとフーコーはいう。長い道と近道の区分だ。前者は言説によって幸福へ導く道。後者は日々の訓練を経由する道である。長い道は言説の道、短い近道は訓練の道であり、キュニコス主義的生の伝達は、言論なしのその短い道、訓練と習得の道を通ってなされたとフーコーは指摘する。つまりここでフーコーが主張したいのは、キュニコス主義が特殊な伝統性の様式を持ったということである。理論や教義ではなく、モデル、物語、逸話、実例を利用するということ、始祖とされるクラテスやディオゲネスのように歴史的現実が虚構の物語に覆い隠されたため、学説の核が見いだしにくいこと、さらにヘラクレスのような神話的人物に帰せられたりしているということである。しかしフーコーは、キュニコス主義的教育は実例や逸話によって伝達されるというやり方の中に、伝統性の一様式があったといえるし、それは学説の伝統性と非常に異なるものであったと主張する。プラトン主義やアリストテレス主義にとって哲学的学説の伝達は重要であったが、エピクロス主義では重要性を失っていたし、キュニコス主義ではほとんど重要ではなかったとフーコーはいう。

 

 生存の伝統性

 学説の重要性に対して生存の重要性をキュニコス主義は実践したとフーコーはいうが、それは次のような事柄に要約できる。エピソードを思い出させること、模倣すべきもの、再び存在させなければならないものとされるということが生存の伝統性が目指すところであるとフーコーはいう。

 学説の伝統性は、忘却を超えて、一つの意味を保持したり留め置いたりできるが、生存の伝統性は道徳的衰弱を超えて、一つの行いの力を復元することができるとフーコーは要約する。プラトン主義やアリストテ

レス主義では、学説の伝統性が本質的な部分を占め、生の実例の伝達は限られた役割しか持たなかった。ストア主義やエピクロス主義は両者(学説の伝統と生存の伝統性)の重要性は均衡の取れたものであった。キュニコス主義においては学説の伝統性は消去したり不要としたりしたとフーコーはいう。さらにそういったところに哲学的英雄という形象が現れるのが、ソロンやヘラクレイトスのような賢者ではないとフーコーは指摘する。哲学的英雄は生の様式を体現していて、哲学的態度にとっての一種の実践的母型を示しているとフーコーはいう。理論的貧しさにもかかわらず、生の諸形式の歴史においてのみならず思考の諸形式の歴史においても一つの重要な出来事になる。英雄的生としての哲学的生が、キュニコス主義の伝統によって組み入れられ伝達されたのだとフーコーは主張する。

 この哲学的英雄のイメージに形を与え、価値を肯定したことから、キュニコス主義はキリスト教的修徳主義に甚大な影響を与えたとフーコーは指摘する。哲学的英雄性は哲学的伝説といいるようなものを創設し、現在に至るまで西欧において哲学的生が構想され実践されたやり方を形成してきたとフーコーは主張する。このような考察は、今までの諸学説の歴史で伝えられてきた哲学史とは違う、生の形式、生の様式、生のスタイルの、哲学的生の歴史、倫理の形式であると共に英雄性の形式としての歴史を書くことができるであろうとフーコーはいう。もちろん哲学が教師の仕事となってから、つまり十九席の初め以来、倫理および英雄性の哲学の歴史は終わるといえるかもしれないが、哲学的英雄性が存在理由をもたなくなった時期というのは、哲学的生の伝説がその最高かつ最後の文学的表明を受け取る時期であるとフーコーはいう。フーコーはゲーテの『ファウスト』を念頭に置いている。それは哲学的伝説の最後の表明である。哲学が教師の仕事となるとき哲学的生は消え去る。あるいは同時期に、哲学的生の歴史、哲学的英雄性の歴史再開させることが、別の形態のもとで望まれるかもしれない。別の哲学的形態とは何か。フーコーは政治的領野、つまり革命的生のなかに自らの場所を見いだすであろうという。

 

 真の愛と真の生

 キュニコス主義はパレーシア、〈真なることを語ること〉のある種の形態であるというのが、以前からのフーコーの解読であった。特徴的なのは、パレーシアを行使する者の生そのもののなかに、生存の一つの表明が見出せることである。キュニコス主義が特権的なやり方で真理の証言としての生のかたちをとるのはなぜ、どのようにしてなのか、そしてその諸要素をこれまでの講義で述べてきたとフーコーはいう。つまり真理表明術の実践方法が、生の形式そのものにおける真理の産出として現れるとフーコーは指摘する。それは古代哲学やキリスト教的霊性において重要であったテーマであり、現代哲学では重要性を失ったが、十九世紀以来の政治倫理の中で重要であったテーマがある。それは真の生というテーマだとフーコーはいう。キュニコス主義以前に、あるいはキュニコス主義の他に、「真の生」という表現はギリシア哲学ではどのような意味に用いられていたのかとフーコーは問う。その前に真理の概念そのものを考える。真理はアレーテイア、真理であるはアレーテースとギリシア語では呼ばれている。フーコーは四つの意味ないし形式を取り上げる。第一に、「隠されざるもの」、そこから第二に、「自分自身とは別のものとのいかなる混合も被らないもの」、第三に、「直線的なもの」、最後に「変化も堕落もなく同一性のなかに存在し、あらゆる変化の彼方に自らを維持するもの」、これらが「真理」の本質的な価値であり、そしてそれらはロゴスに対して適用されているという。ロゴス・アレーテースは語り方のことである、つまり何一つ隠蔽されていないような語り方のことであり、偽なる外見や臆見が真なるものに混ざり合わないことのないような語り方であり、諸規則や法に真っすぐ言説であるということであり、同一にとどまり、変化せず、堕落も変質もなく、打ち負かされることも覆されることも反駁されることもないような言説であるとフーコーはいう。アレーテースという形容詞が西欧文化のなかで重要な概念であるもの、それはアレーテース・エロース(真実の愛)であるとフーコーは指摘する。第一に二つの意味において隠蔽しない愛である。真実の愛には隠蔽すべきもの、恥ずべきものはないという意味と、目的を隠蔽しない愛、相手に対する術策も曲解もない愛である。証人に対しても相手に対しても隠蔽のない愛、第二は、真実の愛は快と不快の混合のない愛、また官能的快楽と魂同士の友愛が混ざり合うことのない愛である。第三は、正しいものに合致したまっすぐな愛、規則、慣習に逆らうものを何も持たない愛である。最後は、変化、生成に委ねることのない愛である。同一にとどまる堕落せざる愛であるとフーコーは説く。真の愛と真の生は、プラトン主義以来、伝統的に、互いに帰属し合っている二つのもので

あり、キリスト教的プラトン主義はこのテーマを取り上げ直すことになると述べ、フーコーはアレーテース・ビオスについて説明を始める。

 アレーテース・ビオスは、キュニコス主義的語義の(逆説的で奇妙な形式の)外で標定したいとし、古典期の哲学的テクストに現れるような真の生を、またプラトンにおいて究極てきに練り上げられたかたちにおいてではなく、プラトンのテクストの自明でありふれた意味において取り上げようとフーコーはいう。

 一番目に挙げた隠蔽されざる生。意図と目的を何も隠していない行動の仕方である。フーコーは『ヒッピアス(小)』(364e-365a)に、このような考え方が見られるという。『イーリアス』第九歌をソクラテスは引用する場面で、オデュセウスとアキレスの対立が描き出される。アキレスはオデュセウスに次のように呼びかける。「策略に富むオデュセウス、君に私の意図を単刀直入に語らねばならぬ、私がそれを実行するとおりに、そしてそれがかく果されるだろうと私が知るとおりに。一事を心に秘めて他を口にする輩を、私はハーデースの門と同じく忌み嫌う。」ソクラテスはこのアキレスの呼びかけに注釈を加える、オデュセウスは幾多の曲折を用いる人であると。つまり話し相手に対して、考えていること、したいと思っていることを隠す者であるということだ。アキレスは彼に対し、自分の意図を曲折なく語る人だという。ソクラテスはアキレスに対して、ハプルースタトス・カイ・アレーテスタトス(最も単純で、最も直接的で、最も真なる人)であると語る。ハプルースとアレーテースの結合は、生の一つの形式を示すとき頻繁に見られるとーフーコーはいう。例えば、『国家』(第二巻)のなかで真理として、真実の生として、真なる存在様式として特徴づけられたのは神の実在である。神は単純であり真であるような何かと語られているとフーコーは指摘する。

 二番目に挙げた混合のない生。雑多の要素からなる人間や、自らの欲望や自らの欲求や自らの魂の動き多様性にとらわれている人間が真理にふさわしくない人間であるということが、『国家』(第八巻)で語られているとフーコーはいう。様々な快楽に同等性を打ちたて、最初に姿を見せる快楽の指揮に身を委ね、あくまで堪能し、次は別の快楽に身を任せるように対等に扱う。あるときは無為、あるときは哲学に耽っている様

子を見せ、しばしば思いついたことを演壇上で語る。民主的人間の生は、このようにあるときは無為、あるときは多忙、あるときは快楽の数々に、あるときは政治に身を委ねる、統一性のない生は真理なき生であり、ロゴス・アレーテース(真なる言説)に場を与えることができないのだとプラトンは描写している。

 三番目に挙げたまっすぐな生。ノモスに合致した生のことである。『ゴルギアス』の神話では、魂は死後裁判官、ラダマンチェスのもとに大王がやってくるが、ラダマンチェスが大王たちの魂に心を動かされることはない。そうした魂には健全な部分がまったくないため、すべてが歪んで、まっすぐでなないためである。つまり真理なしで生きたからである。

 

 さて人々が死んで、裁判官のところへやってきたなら、つまり、アジア出身の者なら、ラダマンチェスのところへやって

くると、ラマダンチェスは彼らを停止させ、そのひとりひとりの魂を観察するのであるが、その際、それが誰の魂である

か知らないのである。いな、しばしば、ペルシャの大王でも、あるいは他のどんな王や権力者でも、それと知らず取り押

さえてみと、その魂には、何一つ健全なところはなく、むしろ偽誓や不正のために、その魂のいたるところ鞭で引っぱた

かれていて、その傷跡というのは、その人の生前における行為の一つ一つが、彼の魂の上に刻印したところなのである。

また、その魂は、嘘や法螺のためにすっかりひん曲がっており、そして真実を無視して育てられたがために、真直ぐなと

ころは一つもいのを見てとるのだ。さらには、何でも思いのままにできる自由と、贅沢と、傲慢さと、そして行為に抑制

がなかったこととによって、その魂はつりあいを失い、醜くなっているのを見るのだ。ところで、そういったありさまを

見てとると、ダマンチェスは、その魂を見下げるようにして、真直ぐに牢獄の方へ送るのであるそしてその魂の方は、そ

こへ着いたなら、その魂にふさわしい責苦を耐え忍ばねばならないことになっているのである。(『ゴルギアス』524E-525)

 

複数の要素から、雑多な要素からなる魂はふさわしい罰を受けに行かせられるとある。ソクラテスとは別の魂を発見することもあるという。哲学者の魂であり、普通の市民の魂であったりするという。健全なりとともに、真理とともに生きた魂について、ラダマンチェスはその美しさに驚嘆し、それを「幸福の島」へとおくると書かれている。魂の相反する二つの運命への言及の後、真理の探究によって「生においても死においても」自分を完璧にするように努力したいとソクラテスは決意するとフーコーは説明する。

真直ぐな生、それは諸原則、諸規則に合致した生、ノモスに合致した生である。プラトン第七書簡で、デ

ィオンの招請をためらったが、ディオンが自分の諸規則を受け入れ、それによってディオンがその生を形づくったことに思い至ったとき説き伏せられた、つまりディオンが哲学を受け入れ教育を受け入れたことによ

って、シケリア全体が、そうした法を受け入れるのではないかと希望したのだとフーコーはいう。プラトンの哲学が人々に提案できる諸規則に従う生、それこそプラトンが希望していた真実の生であったし、フーコーによれば、ディオンに対する個人的な生だけでなく、社会的な生や政治的な生において諸規則を提案しようとしていたのは、法であり、政治的秩序であった。

四番目に挙げた自らの存在の同一性のなかで変容なしに維持する生。一方で、生の支配や統御に服従させるすべてに対して非依存、非隷属として理解された自由が、他方では自己の自己に対する統御および自己の自己による享受として理解された幸福が、生の生自身に対する同一性によって保証されるということであるとフーコーは指摘する。完璧に統御された生、完全に幸福な生としての真の生。フーコーはプラトンの『クリティオス』に描かれたアトレンティスの住民たちの生存や『テアイテトス』(174C-176A)を挙げている。引用は割愛するが、フーコーの解説を要約すれば、実践的な生存にかかわることには習熟してその問題を上手く切り抜けることはできるが、多忙で騒々しく時間的余裕のない生と対比して、日常生活には不器用で滑稽な人々の生、しかし「諸言説の調和に自らを適合させ、神々および至幸の人間たちが送る真の生を堂々と称える」ことのできる人々の生、それこそが真の生であると描かれているとフーコーは指摘する。

 

貨幣の価値を代えよ

 キュニコス主義が真の生という概念にどのように作用を及ぼしたのかをフーコーは考えようとする。ディオゲネス・ラエルティオスによって語られたディオゲネスの生を挙げているので、手短に紹介しよう。ディオゲネスが両替商の息子であり、ディオゲネスもしくは父が、公金横領で出身地であるシノーぺから追放されたらしいということ、シノーぺを追われたディオゲネスはデルポイに赴きアポロンに助言を求めたところ、「貨幣を変えよ」という助言を受けたということが記述されている。フーコーによると、キュニコス主義の伝統において「貨幣の価値を変えよ」という原則には二つの意味があるという。第一の目的は、ソクラテス

とディオゲネスの間にシンメトリーを打ち立てることである。デルポイの神から、彼こそ最高の知者であるという預言を授かったと同様に、ディオゲネスはデルポイに行き、「貨幣の価値を変えよ」という返答を受けた。つまり両者はそれぞれ一つの使命を授かったということである。ユリアヌスのよって、四世紀にこのシンメトリーは打ち立てられ維持される。

 「貨幣の価値を変えよ」という意味には貨幣という語が意味するノミスマ、と法という語が意味するノモスの接近にフーコーは注意を喚起する。つまり法に対する態度を変えよということである。貨幣の価値を変えるとは、貨幣の価値を下げることではなく、貨幣にその価値を失わせるために貨幣を「変質させる」という意味でもあるとフーコーはいう。「変質させる」とは、肖像が刻まれた貨幣の肖像を消し去り、別の肖像に置き換えること、つまり貨幣に優れた別の肖像を刻むことによってその貨幣にその価値返還することであるとフーコーは指摘する。真の生(アレーテース・ビオス)の貨幣を取り上げ、その伝統的な意味に最も近いところで手直しを加えることである。キュニコス主義者は、断絶ではなく、極端化によって、伝統的に認められてきた真の生と正反対の一つの生を明らかにしようとしたとフーコーはいう。キュニコス主義のうちに断絶を指摘するのではなく極端化を見る、つまり外在性というより、一種の拡大適用を見ることが必要であるということ、フーコーによれば、「真の生というテーマの一種のカーニバル的連続性」を見ることが重要であると主張する。それは真の生としてのビオス・キュニコスを考察することである。

 

 キュニコス主義の逆説

 一方では当時の哲学との共通の特徴を持ちながら、つまり凡庸さ見せながら、他方ではスキャンダルとそれを取り巻く非難,嘲笑、嫌悪、懸念の混合が見られるとフーコーはいう。ヘレニズム時代からキリスト教黎明期までキュニコス主義が存在してきた間、非常に馴染み深いものであると同時に異様なものであったということ、凡庸であるのに受け入れがたいものであったとフーコーは指摘する。前述したが、セネカが重要な哲学者と認めたキュニコス派のデメトリオス、エピクテトスが述べる理想的なキュニコス派の肖像がある。ユリアヌスにおいては、キュニコス主義を批判するまさにそのとき、キュニコス主義を哲学の起源そのもの以来のあらゆる哲学者の普遍的態度として示しているし、ルキアノスもペレグリノスのようなキュニコス派に激しい批判をしているが、デモナクスにはポジティヴな肖像を描いているとフーコーは指摘する。なぜこ

のようなことが起こるのだろうか。フーコーは、古代哲学にとってキュニコス主義は、「壊れた鏡」のような役割を果しているという。あらゆる哲学者たちはそこに自分の姿を認める。つまり哲学がそうであるところのものと哲学がそうであるべきものの反映、自分がそうであるところのものと自分がそうありたいと望むものの反映を認めることが必要になっているとフーコーはいう。哲学者はこの鏡の中に、暴力的で醜く不格好な変形のようなものを知覚し、そこに自分の姿を認めることもなければ哲学を認めることもないとフーコーは解く。さらにフーコーは、転倒した一種の折衷主義であるように思われるという。折衷主義というものを、一つの時代の様々に異なる哲学において最も伝統的で最もありふれた特徴の数々を組み合わせる哲学的な思考と定義するなら、そのような組み合わせを行なうのは、それらの特徴を万人にとって受け入れられるものし、それらを知的かつ道徳的なコンセンサスを組織する原則とするためであるとフーコーはいう。同時代の哲学に見出される根本的な特徴を取り上げ直しそれをけしからぬ実践とすることで異様さや外在性を生じさせ、敵意や戦いを引き起こしたのだとフーコーは指摘する。キュニコス主義が、誰もが語っていることを語ると同時に、それを語る事実を容認しがたいものにすることができたのはなぜか。キュニコス主義は真政治的かつ哲学的な問題を新たな光を出現させ、それに対して新たな形態を与えるものであるように思われるとフーコーはいう。

 

 

次回その三につづく。

(十六)は、その三で終了します。

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