ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

長期連載エセー『自己への配慮と詩人像』(十六)その三

2013年04月06日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『自己への配慮と詩人像』(十六)その三

小林稔

 

「真理の勇気」の三つの形態

 フーコーは「真理の勇気」という問題を三つのカテゴリーに分け考察する。一つ目は、政治的大胆さと呼びえるものである。民会や君主に対して、民衆派や廷臣が異議を申し立てる。真理に与することで自分の生を危険に晒す勇敢さであるとフーコーはいう。二つ目は、ソクラテス的イロニーと呼びうるものである。人々に対し知っていると思い込んでいるものは、実は知らないのだと語るように仕向け、其れを認めさせることである。それは人々を怒らせ、苛立たせ、訴訟を起こされたりする危険を冒すものであるが、人々を自分自身、自分自身の魂、真理への配慮へと導いていく。つまり、「自分が知らないということを知っているという一つの知の内部に、ある種の形態の真理を滑り込ませ、それによって人間たちを自分自身の配慮へと導くことが問題になっている」とフーコーは解いている。三つ目の第三の形態はキュニコス主義のそれである。原則のレベルで認められていることを表明しながら、その表明を人々に非難させたり、拒絶させたり、侮辱させたりすることである。つまり人々が頭の中では認めていたり価値づけているのに、自らの生では拒絶し軽蔑していることを人々の目に見えるかたちで提示し,彼らの怒りに立ち向かうことであるとフーコーはいう。

 最初の二つの形態では、真理を語るために自らの生を危険に晒すのだが、キュニコス主義の真理の勇気では、スキャンダルを登場させ、自分の生きるやり方によって、自らの生を危険に晒すことだとフーコーはいう。言説によらず、自らの生をそのものによって危険に晒す点がたの真理の形態とはまったく異なるのである。フーコーはここに関心を寄せた理由があるが、他の理由として、キュニコス主義のスキャンダルな実践において、古代の提起し、キリスト教や近代世界にも提起し続けた、恒久的で困難な問題とは、ビオス・ピロソピコス(哲学的生)の問題であるとフーコーは告白する。フーコーのいおうとすることは明白である。哲学全体が、パレーシア(真なることを語ること)の歴史から見れば、真なるものを認める条件として一つの言表を提起する傾向を次第に強めていくのに対して、キュニコス主義はパレーシアを実践するものとしての生の形式はどのようなものでありえるかを絶えず提起し続ける哲学形態であるといえる、ということである。西欧哲学では起源以来、哲学は哲学的生存と切り離すことができないということ、哲学の実践は多少なりとも一種の訓練でなければならないと認められてきたし、科学と区別されるところであるとフーコーはいう。しかしそのような原則を定めながらも、哲学的生の問題を哲学的実践から切り離し、本質から周縁へと追いやってしまった。真の生のテーマとその実践が次第に宗教のなかに吸収されてしまったことがあるとフーコーはいう。あるいはまた、〈真なることを語ること〉の実践が、一つの科学という形で制度化されたことも、哲学的問題としての真の生というテーマが消え去ってしまったことの理由であろうとフーコーは指摘する。もし科学的コンセンサス、科学的実践が真理への接近を保証するのであれば、〈真理を語ること〉の実践に必要な真の生の問題が消え去るのは当然である。宗教制度、科学的制度の中で、真の生の問題が無効にされるということが理解できるとフーコーはいう。

 キュニコス主義と哲学の外在化

 〈存在〉の問題が西洋哲学によって忘却され、その忘却によって形而上学が可能になったのであるとすれば、哲学的生の問題もなおざりにされてきたのだとフーコーはいう。「哲学的生の問題は、哲学、哲学的実践、哲学的言説に対し、それらが科学的モデルに準拠するようになるにつれて絶えず余分な物として現れた」といい、そうなることによって「真理との関係が、今ではもはや科学的知の形式においてしか有効と認められず表明されえないという事態が可能になった」とフーコーは指摘する。このような見地から、キュニコス主義は西欧の歴史に繰り返し現れるキュニコス主義は、スキャンダルという形態のもとで有無を言わさず哲学的生の問題を喚起するとフーコーはいう。つまり科学によって退去させられた真の生のテーマが、キュニコス主義のスキャンダルという形態によって哲学的生の問題が絶えず浮上すであろうということである。キュニコス主義によって哲学的生がスキャンダルとして構成されるということは、哲学的生の問題が、哲学、哲学的実践、哲学的実践、哲学的言説の実践に対して大規模なやり方で外在化されたことの、最初の表明であり、そのことがキュニコス主義に興味をもつ理由であるとフーコーはいう。

 真の生の問題が、哲学的反省および哲学的実践から後退していったが、まったく除去されたのではなく、フーコーによれば、モンテーニュから啓蒙に至るまでの哲学的生の問題があり、十六世紀から十八世紀に至るまで、一定の強度と一定の力を伴って提起されたという。例えば、スピノザの『知性改善論』があり、真の生の問題を哲学的実践においていて、最後の大いなる人物であるとフーコーはいう。

 フーコーは、キュニコス主義が哲学的生の問題がどのように提起し、どのように実践したのかを整理して四つの基本原則を取り上げている。

第一は、キュニコス主義にとって哲学は生への準備であるということ。生のためにロゴスもしくはプロコスを準備しなければならない。理性(ロゴス)よって生を組織するか、もしくは縄(プロコス)によって首を吊るか。哲学は生への準備である。第二に、生への準備は自己自身への専念を合意しているということ。自己への配慮の重要性を説く。哲学における凡庸なテーマである。第三に、自分自身に専念するには生存のなかで生存のために本当に有用なことのみを研究しなければならない。第四に、自らの生を自分が述べている方針に合致させなければならないということ。自己への真の配慮があるのは、述べられている原則が生きるやり方によって保証され、真正なものとして示されているという条件においてであるとフーコーはいう。

 これら四つの伝統的な原則に加え、キュニコス派は第五の原則を付け加えたとフーコーは指摘する。

第五の原則とは、貨幣の価値を変質させ、変化させるが必要であるという原則である。「貨幣を変化させる」という意味が、貨幣の不正な変質でもありうるし、貨幣に刻まれた肖像の変更でもあり、真の価値を取り戻すための変更でもありえるということである。「貨幣の価値を変える」ということが生の原則と見なされていたことにフーコーは注意を促す。ユリアヌスは、キュニコス主義の特徴は他の哲学にも見られるというだけでなく、ヘラクレスより前、人間尾は始まりまで遡ると考え、「汝自身を知れ」と「汝の貨幣の価値を変えよ」の二つの原則がデルポイのアポロンより古いものであると指摘しているとフーコーはいう。「汝自身を知れ」はソクラテスに差し向けられたものでもあるが、「バラカラクソン・ト・ノミスマ」(汝の貨幣を再評価せよ、汝の貨幣を変質させよ、その価値を変えよ)は、ディオゲネスだけに差し向けられた原則である。なぜこの二つの原則が結び付けられたのかについて、ユリアヌスは、「汝の貨幣を再評価せよ」を可能にするには、「汝自身を知れ」という経路が必要なのだ、この経路によって自分について自分や他人が持つ臆見という贋金が、自己認識という真の貨幣によって置き換えられるといっているとフーコーは解く。「自分自身の生存を操作すること、現実の事物に配慮するように自己に配慮すること、自分の真実の生存の真の貨幣を手中にすること。これは自分自身を知るという条件において可能になるのだ」とフーコーは読み解いている。ユリアヌスの記述における、ディオゲネスとアレクサンドロスの逸話をフーコーは挙げている。

アレクサンドロスはいう、「もし私がアレクサンドロスでなかったとしたら、ディオゲネスでありたいと思ったであろう」と。自分自身を知ったために、ディオゲネスは、アレクサンドロス大王その人よりも優れたものとして自分を認めることができ、そのような者として他の人々に認められることもできたとユリアヌスはいう。この原則にはいくつもの解釈があるとフーコーは指摘する。ノミスマが貨幣であると同時に、慣習、法(ノモス)であるという解釈があるという。ノミスマを変質させるとは、慣習を断ち切る、法を打ち破るという意味も込められているという解釈である。

  ビオス・キュニコス(犬の生)

 ディオゲネスが「犬」と呼ばれた理由に、住まいとして選んだ場所による解釈と、彼は実際、犬の溶暗生活をおくったとする解釈があるが、フーコーによると、語源はさほど重要ではなく、問題は、紀元一世紀のキュニコス主義の伝統の中で、それがいかなる価値を受け取り、どのようにして機能させられるのかであるという。アリストテレスの注釈者、エリアスによると、キュニコス主義的生が犬の生であるといわれるのは、慎みも羞恥心も人間的敬意もないという点にあるという。つまり、万人の前で、犬や動物だけしかしない好意をする人であるということ。さらに、起こりうることに無関心な生を犬の生と見立てたということ。次に、吠え立てる生であるということ。敵と闘い、敵に対して吠え立てることのできる生。主人を敵から区別する術を知る生。最後に、他の人々を救うために身を捧げ、主人の生を守る術を知る生。エリアスのよるこれらの解釈が基準にされているようだとフーコーはいう。そしてこのような基準は、先述した真の生を定義するために伝統的に用いられてきた特徴と類似関係にあるとフーコーは指摘する。すなわち、隠蔽されざる生、非依存的な生、まっすぐな生、主権的な生という真の生の特徴の反響、継続、延長であると同時に、極端化、反転であるとフーコーはいう。隠蔽されざる生は、慎みを欠いた生であり、反転してスキャンダルな生になり、羞恥心を覚えない生になり、恥知らずな生になる。無関心な生は、何も欲求しない生、投げ与えられたもので満足する生、これらは混合のない生や非依存的な生をスキャンダラスなやり方で反転させたものであるとフーコーはいう。

 キュニコス主義に結び付けられる貨幣の変質に、生存や習慣を哲学が伝統的に認めている原則によって置き換えることを意味し、たんにロゴスの領界に維持するだけではなく、生そのものに適用することによって、貨幣に肖像が刻まれるように諸原則が生にかたちを与えることで、その他の人生がたんなる贋金、価値のない貨幣として示されるとフーコーは説く。つまり真の生の諸原則を本当に適用しているその生が、人間一般、特に哲学者たちが送っている生とは別のものであるということがキュニコス主義のゲームによって表明されるとフーコーは主張する。「哲学の肖像が現実に、実際に、本当に刻まれるやいなや、生がただちに別のものになるという動きこそがキュニコス主義である」ことを認めるならば、「真の生」はラディカルに、逆説的に「別の生」となるしかないだろう、そして、その生はありきたりの哲学的実践のなかで最も一般的に認められた原則を実行に移すことしかしないないだろうからであるとフーコーはいう。

 他界と別の生の境界

 ギリシア哲学は、ソクラテス以来、プラトン主義という名において他界に対する問いを提出してきたといえるが、しかしキュニコス主義が参照してきたソクラテス的モデル以来、もう一つの別の問いを提起したとフーコーはいう。つまり、他界と別の生というテーマ、二つの大きな形式の境界の間で西欧哲学はたえず自らを展開してきたとフーコーは結論づけようとする。そして、賢者の厳かな孤立した生を拒絶し、職人たちのもとへ行ったヘラクレイトスの実践的哲学を提示する。しかし、ソクラテス的な自己への配慮(エピメレイア・ヘアウトゥー)という大きな発達の道筋が姿を現して、西洋哲学が展開されることになったとフーコーはいう。自己への配慮は、『アルキビアデス』が出発点であることは新プラトン主義が認めていることであるが、配慮すべきものは何かという問いに導かれる。配慮すべき「自己」とは何かという問いから、専念すべきは魂であるということに至る。そこで発見されたのは真理の純粋な世界である別の世界であった。また他方では、『ラケス』を出世地点して始まる自己への配慮は、自己に配慮するという生はどのようなものかという問いへ導く。ここでは他界の動きが問題なのではなく、生の形式、自己に配慮する生の形式であるとフーコーはいう。この流れで出会うのはキュニコス主義の別の生というテーマであるとフーコーは指摘する。さらにフーコーがいうには、哲学的実践との関係では中心的であると同時に周縁的でもあるような問いとして、なぜ、真の生は別の生でなければならないのかと問い直すことになるという。

 互いに遠ざかりながら断ち切れない関係にあるこれら二つの道筋。フーコーはいう、プラトン主義もやはり、別の生の形式における真の生についての問いを提出したのであり、そこにキュニコス主義が素朴で未発達な哲学的思弁に完璧に接続され、組み合わされ、そうした思弁を身につけることができた、と。大局的に俯瞰すれば、西欧の哲学、道徳、霊性の歴史においてきわめて重要な事実であるが、「キリスト教が、そしてキリスト教を中心としたグノーシス主義的潮流のすべてが、まさしく、他界と別の生とのあいだの関係を体系的で一貫したやり方で思考しようとする運動であった」とフーコーは要約する。

 グノーシス主義とキリスト教では、通常の生存と共通の尺度を持たない、断絶した生を他界に接するための条件として思考しようとする試みであったといえるし、プロテスタントの倫理においては、ルターが問題化した、他界へと導くのは別の生であるというキリスト教修徳主義の核心にしるしづけられた関係であるとフーコーはいう。つまり、「他界への接近が、この世における生存そのものに合致した生の形式によって定義されることが可能となる」と指摘し、「他界へ至るために同じ生を送ること」がプロテスタンティズムの標語であり、その時以来、キリスト教は近代的なものとなったとフーコーはいうのである。

 非-隠蔽をスキャンダルに変容させる 

古代ギリシアに流布していた真理の概念とキュニコス主義的生を比較し、いかに合致したものであるかをフーコーは前述したが、それらを反転させてスキャンダルを引き起こすのはなぜかを、ここで検証する。第一の、隠蔽せざる生とは人を赤面させることのない生であるとフーコーはいい、『パイドロス』や『饗宴』で語られている、次のような言葉を引用する。「真実の愛とは、いかなる恥ずべき行動を隠してはおらず、自分の欲望を果すために決して物陰を探し求めることのないような愛のことである。」つまり、他の人々の支持と保証があるということである。セネカにおいても、「真の生とは、常に他の人々の一般の視線に晒されているかのように生きるべき生のことである」という記述が見られるとフーコーはいう。セネカにおいては、文通に実践そのものが他者の視線に晒されているということを意味する。フーコーによれば、「文通する二人の生存をそれぞれ相手の視線のもとに置き、一人をもう一人の視線のもとに置くという役割を持っていた」ということになる。有名なルキリウスへの書簡は、「隠蔽されざる生としての、つまり他者の現実的かつ潜在的な視線のもとにある生としての、真の生の実践である」とフーコーはいう。エピクテトスでは、非-隠蔽とは、内的視線のもとで生きることであり、自分がそのようにして生きていることを知ることであるとフーコーは指摘する。「ゼウスは各人のもとに守護霊を置いた、だから決して一人ではない。君は神の一片である。君は自分自身のうちにその神の一部を持っている。君が食べるとき、自らに食べ物を与えている君とは何者なのか。君の性生活において、それに耽っている君はいったい何者なのか。君は神を自分自身のうちに持っており、君は君の不純な思考と汚れた行動によってその神を汚していることに気がついていないのだ。」(フーコーによるエピクテトス『人生談義』からの引用の要約。)隠蔽されざる生は、真の生の特徴づけでは哲学の伝統的なテーマであって、キュニコス主義でもそれは同様であったが、一種の変質、価値転換を通して取り上げ、スキャンダルが生まれるのであり、非‐隠蔽という原則の誇大化、生そのもののなかでの生そのものによるその原則の誇大化というやり方で価値転換がなされるとフーコーは指摘する。先に挙げたセネカやエピクテトスとは大きく異なる。「キュニコス派の生は、その生が現実に、物質的に、身体的に公にされているという意味において、隠蔽されざる生なのだ」とフーコーは解く。このような特徴は、ディオゲネスに関する伝説的な物語になって表われている。家(他者の視線から守られた場所)もなく、衣服もほとんどなく、コリントス(公に開かれた場所)に出没し、(眠っている物乞いのように)マントに包まれて死を迎えたと伝えられている。同じキュニコス派のペレグリノスは、キュニコス主義的生の絶対的可視性というフーコーの言葉通り、ペレグリノスが焼身自殺を決意したときに選んだのはオリュンピア祭のあいだであった。

隠蔽されざる生とは、悪ではないものについては何も隠さない生、何も隠していないから悪を行なうことの不可能な生である。ところがキュニコス派はいう、自然が我々のうちに置いたもののなかに、悪などありうるのかと。我々が悪を行なうのは、人間がその習慣、その臆見、そのしきたりによって、自然に何かを付け加えたからではないか。したがって隠蔽されざる生とは、自然に属するもの、つまり善に属するものを隠蔽せず明るみに出し、慎みにもとづく習慣的で伝統的な限界、不可欠であると想像しているその限界を受け入れてはならないのだとキュニコス派は主張している。つまりこの伝統的な慎みによって制限された生存の非=隠蔽をスキャンダルへと変容させ、行動様式なかで表明しているとフーコーは指摘する。

 貧しさと真の生

真の生は、外的な要素や不確かな出来事に束縛なく依存もない混合なき生であると前述した。プラトン主義のなかに見出せる純粋さの美学、「魂にとって意図せざる無秩序、動揺、混乱の諸要素を構成する可能性のあるもののすべてから解放すること」と、エピクロス派とストア派に見られる、「非依存、自己充足、自給自足のスタイル論」に共通の道筋のなかに、キュニコス主義は無関心なる生を組み入れているとフーコーはいう。しかし、ここでも変質させる形式のもとで展開される。つまり貨幣を再評価し、貨幣の価値を変えて、哲学的生を別の生であるものとして、物質的、身体的、肉体的な誇大化によって、そうあるべきものとして明るみに出すが、キュニコス主義はそれを貧しさというかたちで具体化するとフーコーは指摘する。

「真の生は貧しさの生であるべきだ」というテーマは大きな文化的な広がりをもつとして、フーコーは、ギリシア・ローマの文化においては、優れた人々と大衆のあいだの対立を考察する。この対立は、古代社会、ギリシア社会、ローマ社会を組織化し、哲学的思考に影響を与えてきたとフーコーはいう。

「真の生は裕福な生ではありえないという原則と、真の生は優れた人々の生であるという原則を両立させることの困難さ」が古代には見出されるが、重要なのは金持ちかそうでないかではなく、財産への気配りに没頭したり、財産を失うことに気を取られたりすることのない一つの立場、一つの態度を保つことであり、哲学者が語る真の生では、「財産と無産に対する態度、財産の無産への変化に対する態度」の方がはるかに重要であるとフーコーは解いて、大金持ちであったセネカが、真の生とは富から潜在的に切り離された生のことであるという考えを述べていることを指摘し、キュニコス主義的貧しさとは何かを考察する。

一、キュニコス主義的貧しさは現実的な貧しさである。生存の簡素化としての貧しさ。フーコーによれば、「生存が伝統的に結び付けられている物質的諸要素、生存が依存していると習慣的に信じられている物質的諸要素なしで済ますものであるという。ルキリウスに宛てたセネカの手紙を読めば、その違いの大きさが理

解される。セネカはルキリウスにいう、「数日、君は粗末な衣服を身につけ、食べる量をできるだけ減らすべきだろう。それによって君は快楽を味わう能力を再び得るだけでなく、もしたまたまそれを君が失うことが

あっても、それによって苦しむことはないだろう」と。これは「貧しさの研修」であり、起こりうる出来事に対する防備であり、現実の実践ではない。これに対してキュニコス主義的貧しさは簡素化を実行する現実の貧しさである。

二、キュニコス主義的貧しさは能動的な貧しさである。財産に対する無関心や与えられた情況の甘受ではなく、自分自身に対して行なわれる勇気、抵抗、忍耐の作業でなければならない。富を気にかけないという無関心とは大きく異なり、「目に見える貧しさのかたちでの自己自身の練り上げ」であり、貧しさを受け入れることではなく、「貧しさを実際に行動に移すこと」なのだとフーコーはいう。

三、キュニコス主義の貧しさは終わりなき貧しさである。さらなる簡素化を求めて、満たされることのない貧しさであり、ソクラテスが受け入れていた身分相応の平均的な貧しさではなく、自己自身に際限なく働きかける際限のない簡素化であるとフーコーは説く。ディオゲネスの逸話をフーコーは紹介している。

「泉で小さな男の子が両手をコップのかたちにして水を飲んでいるのを目にしたとき、お椀でいつも水を飲んでいたディオゲネスはそのお椀を投げ捨てました。彼は、それもやはり無益な富だと考えたのでした。」

 こうしたキュニコス派の現実的な貧しさは逆説的な効果をもたらすとフーコーはいう。混合なき生の可視的形態としての能動的貧しさは、醜い生、依存する生、屈辱の生に導かれ、原則を反転させてしまうことになり、逆説的な価値付与となるが、社会には受け入れ難いものになったのだとフーコーは指摘する。ソクラテスは、身体の美しさより魂の美しさを強調する考えがあり、一つの美を別の美よりも好み大きな特権を与えることがある。フーコーによると、「ソクラテスにおいては常に、身体的な美と身体的な価値からの相対的価値剥奪の原則」が見られるが、キュニコス主義的貧しさは、身体的な醜さ、汚さ、惨めさに内在するそれに固有の価値を肯定することにある。哲学への醜さの価値導入である。さらに重要なことは、絶対的貧しさのおなかで、個人が依存の状況のなかに自らを見出すという、混合なき生、従属なき生の原則の反転であり、絶対的貧しさが到達するのは奴隷状態であり、平然と耐え忍ばれる運命を除いてはギリシア人やローマ人には受け入れがたいものであったとフーコーはいう。キュニコス主義的貧しさは必然的に物乞いの境遇に人を追いやるが、それよりさらに重大なもの、アドクシア(悪評)に立ち向かったとフーコーはいう。他の人々によって侮辱され、軽蔑され、服従させられたときに、自分について残すイメージのことであり、栄誉やよい評判を望まれていた社会では、アドクシアはネガティヴな価値を与えるものであったとフーコーは指摘し、ここでもソクラテスと対比する。ソクラテスは不正な死刑の宣告を受けたのであり、死刑の宣告という不名誉を受け入れた。しかしキュニコス派のアドクシアの実践とはまったく異なる。なぜなら実際に物の価値を知る者にとっては正しいのはソクラテスであり、彼の生はいかなる不名誉によっても傷つけられることはなかったからであるとフーコーは解く。

 ポジティヴな価値を付与されるアドクシア(悪評)

 キュニコス主義には、一般に不名誉とされる行為に積極的な意味と価値を与えようとする実践が伴われることがある。それはフーコーがいうように「古代道徳全体において極めて特異な何か」である。インガルスという人の「不名誉の追求」(一九六二年『ハーバード古典文献学研究』誌に掲載)という論文によると、キュニコス主義が完全にギリシア的風景の一部をなしているという事実に著者は関心を寄せていることがわかるとフーオーはいう。キュニコス派はギリシア的道徳に関するいくつかのテーマを、いわば濃縮されたかたちで鮮明に表現するものに他ならなかったが、ただ一点、アドクシアだけは例外とせざるをえないと著者は主張する。彼は、「不名誉および不名誉の追求にポジティヴな価値を付与するある種のヒンズー教徒のグループに見いだされるような、ある種の実践の影響を介入させているとフーコーは紹介している。

 非依存的な生が誇大化され絶対的な貧しさに達したとき、反転して依存と不名誉に出会うが、その屈辱的状況が価値を持つのは、臆見や信仰やしきたりの現象に抵抗するための訓練を与えてくれるからであり、屈辱の内部で状況を反転させ、そうした状況を支配できるようになるという事実があるからであるとフーコーはいう。さらにフーコーは、キュニコス主義の屈従(ユミリアシオン)からキリスト教の謙遜(ユミリテ)に至るまでには、慎み深さの歴史、汚辱の歴史、恥辱および恥辱によるスキャンダルの歴史の全体があり、

ギリシア人とローマ人にとって一般的であった道徳とは無縁のものであると主張する。しかし、キリスト教の謙遜とキュニコス主義の不名誉とは区別する必要があるともいう。キリスト教の謙遜は、屈従を被ったと

きに表明され感じられる精神の一つの状態、態度であるのに対して、キュニコス主義の不名誉は、名誉と不名誉にかかわるしきたりをめぐって行なわれるゲームであるということ、つまり、最も不名誉な役割を演じるときに、自らの傲慢と優越を価値づけ、自らの主権、統御を確立することである。キリスト教の屈従というよりは謙遜は、自己自身の放棄であるとフーコーは指摘する。非依存的な生が、貧しさ、不名誉などによって誇大化することにより、古典的な哲学的なテーマの反転がなされ、スキャンダラスに別の生として真の生が出現するということであるとフーコーは解釈する。

 

 動物性のスキャンダルと生の訓練

 真の生の特徴の一つは、ある種のロゴスに合致したまっすぐな生であることはすでに前述した。その伝統的な概念には、自然に合致した生であると同時に、法、規則、慣習に合致した生でもあるという両義性があった。キュニコス主義がまっすぐな生を示すとき、その一方、自然の法に合致した生だけを受け取る。キュニコス派は結婚を拒絶し、家庭を拒絶し、同棲を実践し、食に対するタブーとしきたりを拒絶するとフーコーはいい、ディオン・クリュソストモスのうちに見出される一節を紹介している。

オイディプスの父、ライオスはデルポイの神託を誤解していた。神託は子をもうけるな、あるいは子を遺棄せよと告げていた。それについて、ディオゲネスは、神託の意味するところは、子をもうけてはならないし子を遺棄してもならないといったということであったといった。しかし、ライオスは子をもうけ遺棄した。ライオスは愚かな過ちを犯したのであり、オイディプスはその継承者である。スフィンクスの謎を解いたからといってそれほど利口であったわけではない。どんな人間でもできるだろう。しかし、オイディプスは近親相姦に対して愚かさと素朴さを示す。オイディプスがすべきことは何だったのか。「汝自身を知れ」というデルポイの原則を本当の意味で実践すべきだった。そうすればテイレスアスの助言は必要がなかったし、クレオンをデルポイに送ることなく自分自身でそこに行き、父親を殺し母親と結婚したことを理解したであろう。そしてそこですべてを知ったときオイディプスは利口であったならどうしたか。そういうことは動物たちの世界では実際よくあることである。オイディプスはこうした自然のモデルを認めることができなかった。つまり自分自身を知ることがなかったからであり、自分自身のうちに自分の自然性の核のうちの一つを見出すことができなかったからである、とディオゲネスは述べたと記されている。

 キュニコス派にとって、まっすぐな生の到達地点は、動物性に対するポジティヴな価値付与であるとフーコーは指摘する。古代思考においては、動物性は人間との絶対的な差異化の役割を果していたのであり、人間存在は、自分自身を動物性から区別することで自らの人間性を肯定し表明していた。しかしキュニコス派は、動物性に価値を担わせ、行動様式のモデルとした。つまり「動物がなしで済ますことのできるものを人間存在が欲求してはならないという考えにもとづく物質的モデルとなるということ」であるとフーコーは解く。カタツムリが自分の家を背負っているのを見て、同じような生き方をしようとしたディオゲネスの逸話をフーコーは紹介し、「動物の欲求以外の欲求、つまり自然そのものによって満たされた欲求以外の欲求を持ってはならない」というディオゲネスの考えを表明しているという。動物よりも劣らないようにするため、動物性を「生の縮減」された形式と見なし引き受けることは、動物性を所与と見なすことではなく義務と見なすことであり、自己自身に対する一つの存在の仕方、絶え間ない試練のかたちをとることである。それは任務であり訓練であるが、他の人々にとってはスキャンダルであるとフーコーは指摘する。

 主権的な生

 真の生の実践が限界まで誇大化されて、隠蔽せれざる生が裸の生に、依存のない生は貧しさという形態のもとで、物乞いする生に、まっすぐなノモスに合致した生が獣的な生に反転し、別の生の要請を引き起こす。前述した四つの真の生の最後の四番目は、主権的な生である。ここでも反転が見られる。この伝統的な主権的生のテーマには二つの特徴があるとフーコーはいう。一つは、享受の次元に属する自己との関係の創設を目指す生である。所有であると同時に快楽であるものとしての享受がある。主権的な生とは自分自身を所有する生のことであり、いかなるものもその生の自分自身に対する権力と主権から逃れられないものとして自分自身に帰属するものである。主権的な生では、真の逸楽と快楽の原理と基礎が自己のうちに見出せるとフーコーはいう。セネカの記述にはこれらに関する多くの表現が見られる。「自分自身を喜ぶ、自分自身のうちに喜びを得る」(書簡二三)、「自己の内側に自らの喜びの全体を探し求めること」(『ヘルウィアに寄せる慰めの書』)。したがって享受の生とも呼ばれているとフーコはいう。二つ目は、主権的な生は他の人々にとって有益な生ということである。指導、援助、支えという個人的タイプの関係であり教師と生徒との関係であるとフーコーはいう。主権的生は、人類全体に対して普遍的な射程を持つ教えが実例やテクストによって与えられる場合、他の人々にとって有益なものになるが、このような他者との関係が賢者には義務になるということがわかる。しかし、他者に有用であることは過剰の活動としてであり裏面に過ぎない。自己による自己の獲得によって、一方では私自身の享受が与えられ、他方では苦境ないし不幸に陥っている他の人々に私が有用になるということであるとフーコーはいう。

 王としての哲学者

 プラトンにおいて哲学と君主制との関係は二つのやり方で姿を現わすとフーコーは分析する。一つは、アナロジーの形態として現われる。哲学者とは、一つのタイプのヒエラルキーを打ち立てられる者のことであり、その権力は君主によって行使される権力と同じ形態、同じ構造を持つとフーコーは指摘する。もちろん君主がその名に値する者であり、その統治が君主制の本質に一致している必要があるが、政治的君主制と自己の自己に対する主権とに共通の、一つの本質、一つの形態、一つの構造があるとフーコーはいう。一方では都市国家全体の幸福と安定を保証し、他方では各自の魂に対して自己の自己対する主権を保証することが理想として求められるということであるとフーコーは説明する。ストア派においては哲学者は王以上の者、王より優れた者であり、自分自身の魂だけでなく、人類一般の魂を統治することができるとされる。キュニコス派においてはまったく別の形態を取る。キュニコス派自身が王であるという考えである。戴冠した君主たちは、真の君主制の影であり、戴冠した王、つまり地上の王に対していかに虚しく錯覚に満ちて儚いものであるかを示すのだとフーコーはいう。

 キュニコス派を、王に敵対する王、君主制の真理によって政治的王制の錯覚を告発し明るみ出す真の王として措定することは非常に重要であるとフーコーは指摘する。アレクサンドロス大王とディオゲネスの新座的な出会いは母型的な場面を構成しているとして、アレクサンドロス大王とディオゲネスの神話的な出会いを挙げる。それがキュニコス派にとって母型的な場面であるゆえにフーコーが歴史的出会いといってよいとする。ディオン・クリュソストモスの第四弁論前半部分に記されている。両者の出会いは非対称的のもと行なわれる。栄光の輝きの満ちた全能の王、アレクサンドロス大王と、樽の中の惨めなディオゲネス。「もし、私がアレクサンドロスでなかったとしたら、私はディオゲネスでありたいと望んだであろうに」という大王の有名な言葉にあるように、二人きりで逢うことを決意する。フーコーはこの出会いを四つの要素に分析する。一、アレクサンドロスは地上の王、人間たちの王、政治的な王である。その君主制を保証し行使するためには依存を余儀なくされる。軍隊が必要であり、衛兵が必要であり支持者が必要である。つまり、極めて脆く儚い君主制である。一方ディオゲネスは何も必要としない。ディオゲネスノ君主制は転覆されない君主制である。二、教育もしくは世襲によって、親や自分を選んだ人から王という責務を授けられた者がほんとうの王であろうか。アレクサンドロスはそういう王である。ディオゲネスのような王は直接的にゼウスから生まれる。君主制の家系からではない。賢者の魂は完全かつ完璧な主権性を持つものとして形作られたということ。生まれながらにして王にふさわしい者であり、いかなる教育も必要がない。このように王にふさわしい者はこのような人をいうのだ。勇気であると同時に男らしさであるもの(アンドレイア)、魂の高貴さ(メガロプロシュネー)を備えている人をいうのである。三、君主は敵を打ち負かすことができる者と一般に考えられている。それが主権の保証になる。アレクサンドロス王はギリシャ人の王であるが、やがてメディア人やペルシャ人を打ち負かし、彼らの王になるであろう。そのとき「私は完全無欠の王であることになりはすまいか」というアレクサンドロス王に対してディオゲネスはいう、何をいうか! ほんとうの敵とは内側の敵のこと、つまりお前の欠点と悪徳のことだ。賢者にはそれらはない」といい返す。四、人間たちの王と、王としての哲学者、つまりキュニコス派の王の対立が見られる。人間たちの王は王国を失うことがあるが、王としての哲学者は決して王であることをやめない。このような哲学者と君主制のあいだの関係は、プラトンやストア派の考えとは異質のものであるとフーコーはいう。さらに、キュニコス派の王は、認められざる王、知られざる王、自分が身を晒す簡素化と禁欲によって、惨めな王、嘲笑の王である。この簡素化は意図的な忍耐、限界をさらに押し進めようとする絶え間のない作業である。そして献身の君主制であるということができる。自然は彼(ディオゲネス)をキュニコス主義的王としたが、他の人々に専念すべく犠牲的な使命を課されていることも特徴の一つである。哲学者は自己自身をそのように犠牲にすることのなかに自らの喜びと自らの生存の充足を実際に見出すのだとキュニコス派は語っているとフーコーは指摘する。しかし、この使命は立法者の使命や統治者の使命ではなく、医術的関係であるという。治癒行為のおかげで人々は自分自身の治癒と幸福を確保することができる。フーコーは、助言や書きものによってのみ人々を助けるストア派と比べて、家から家へと赴き、必要とする者に治癒を与えるキュニコス派の使命は、一種の医術的介入であると述べている。

また、キュニコス派の使命が論争的な闘いの形態を取ることもある。街角や祝宴の最中に立ち上がり攻撃する。つまり人間に及ぼす悪徳を攻撃しようとすることも、キュニコス派の特徴である。このような攻撃的な性格はソクラテスの伝統以来、同様の喩えが見出されるが、キュニコス主義にはある種の変更があるとフーコーはいう。しかし、ソクラテスやストア派の戦いは、自分自身の欲求、自分自身の情念に敵対するものであり、理性の勝利を保証するものである、魂の勝利を保証するものであり、霊的闘いといえるものであった。それは、人間たちのうちに見出される習慣、振る舞い方、法、政治組織、社会のしきたりにおける悪徳でもあるのでありしたがってキュニコス主義的闘いは、現実の生に対する意図的、恒常的な攻撃であり、人間を変えること、人間の道徳的態度を変えることであり、人間を習慣、しきたり、生き方において変えることであったという。

 ヘラクレスという形象

キュニコス主義的王のモデルはヘラクレスであるとフーコーは指摘する。彼はゼウスの息子であり、安易な生より訓練と忍耐の生を選ぶ。ヘラクレスはエウリュテウスから一つの使命を授かる。世界の苦難と人間たちの苦難に対する闘いである。やはりディオン・クリュソストモスの「第八弁論」の末尾でヘラクレスをキュニコス主義の英雄として描いている。しかし、ヘラクレスはアルゴ船の乗組員の一人ゼテスのような者ではなく、万人に認められたその偉業によって幸福を得た英雄たちの一人でもない。人間のうちで最も哀れな者なのだと、クリュソストモスは描いているという。死後に認められ、栄誉を与えられ,神の列に置かれる。ヘラクレスはライオンのように敏捷で猛暑にも極寒似も超然としている。寝台で眠らず、毛布を必要としない。物乞いと同じである、この隠れた王、惨めな王、物乞いの王とし、様々な偉業を象徴的な意味をクリュソストモスは与える。ヘラクレスが棍棒で打ち砕いたトラキア王ディオメデスは不正で横暴な君主で自分の領土を通る外国人を皆殺しにした。人間の普遍性を認めることのできない君主。また、ゲリュオン、それは富であり、彼から雌牛を奪う。アマゾーン、それは淫らさ、身体的逸楽である。ヘラクレスによって解放されるプロメテウスはソフィストとして描かれている。人間をその原始の動物性から遠ざけ、最初は人間のものであった自然本性から遠ざけてしまい、人間を苦難へと運命づけた者としてキュニコス主義では否定的な形象であったが、ヘラクレスがプロメテウスを自由にしたのは、プロメテウスが持っていた自分に対する傲慢な臆見から彼を自由にしたという解釈を、クリュソストモスはディオゲネスが述べたものとして記述しているという。ディオゲネスがこの弁論を終えたとき、熱狂に包まれた聴衆が目にしたのはディオゲネスの下品な行為であり、それを見た聴衆はディオゲネスに怒り始めたと書かれている。君主制の新の形態としての本来の動物性への反転があり、そして王は身を隠す。嘲弄に値する惨めな王の、嘲弄の君主制における主権の誇大化はキュニコス派に特徴的なものであるとフーコーは指摘する。

まず、隠蔽されざる生という考えを、裸姿と慎みの欠如の実践の中で誇大化することによって、それを反転させたということ、さらに、非依存的な生というテーマを貧しさの形態の中で誇大化することによって反転させたこと、さらに、まっすぐな生というテーマを動物性の形態の中で誇大化することによって、それを反転させたことが見られるとフーコーはいう。

 西欧における倫理的経験の母型

 倫理の歴史において、戦闘的な態度や戦闘性という用語は重要な核が見出されるとフーコーは指摘する。敵に近づいて噛みつく番犬。キュニコス派は自分自身を「犬」と考えた。世界の苦難と戦う兵士。万人の幸

福のために自分自身の惨めさを耐える闘士。哲学的戦闘性という考えは、古代哲学にもしばしば見出されるが、キュニコス主義のそれは特異なものがあるとフーコーはいう。古代哲学の戦闘性が閉鎖的なものであった。勧誘、宣伝活動の力によって信奉者を獲得するとこがあったが、常に学派のもとで、特権化された少人数制のかたちで実行されたのに対して、キュニコス派は万人に向けられた戦闘性教育によるものではなく人々を激しく動揺させ、考えを一気に変えさせようとするものであった。しきたり、法、制度における悪徳や臆見に対する戦闘である。「開かれた普遍的で攻撃的な一つの戦闘性、世界の中で世界に対抗する一つの戦闘性を認めることも必要である」とフーコーはいう。特に、「嘲弄に値する戦闘的な君主制としてのキュニコス主義的主権という考え方」には二つの事柄の重要な起源を見ることができるという。一、嘲弄の王という形象には、「王と道化」というテーマがある。道化は王に敵対しながらいつも王の傍らにいる者、王よりも真理を知る者、王の真理をする者であり、嘲弄の君主制というテーマのある種の変形であるとフーコーは指摘する。また、「隠れた王、認められざる王は、じつは徳の最も高度な形態と真の権力とを保持する王である」というテーマが見出され、キリスト教においては、「隠れた王としてのキリスト」というテーマは、惨めな王というテーマからいくつかの要素を取り上げ直したものであろうとフーコーは分析する。また、「追放された王」という形象は、その英雄的な行為が大いに有益な価値がいかなる人間によっても認められない、仮面をつけた人物である。これらが合流する地点に見出されるのが「リア王」の形象であるとフーコーはいう。リア王は、真理をそれがある場所において認めることのできなかった者であると解く。「キュニコス主義は、キリスト教的修徳主義のなかにみいだ見出されうる歴史的諸形象の長い系列の発祥地にあったもの」とフーコーは指摘する。「自分自身の罪に対する、自分自身の誘惑に対する霊的な闘いであると同時に、世界全体のための闘いである」。それは中世の托鉢修道会や宗教改革の前後に起こった動きであることにフーコーは注意を喚起し、十九世紀の革命的な戦闘的態度も同様であるという。「見かけの惨めさの下に、個人による禁欲と簡素化のなかで、世界全体の変化へと導くべき闘いを進める」ものであり、キュニコス主義は「真の生」というテーマを別の生へというテーマへ転倒させるだけでなく、「別の生のその他性を、至幸で主権的な一つの異なる生の選択として措定しつつ、別の世界をもたらす闘争の実践としても措定したのだ」とフーコーは主張する。つまり、キュニコス派真の生をめぐる古代哲学の伝統的なテーマを取り上げながら、反転させ、別の生の必要性の主張、および肯定へと導いたのである。真の生が別の生の原則となり、もう一つの別の世界の熱望となる動きは、西欧における倫理的経験の母型を、その萌芽を構成しているとフーコーはいう。

copyright 2013 以心社

無断転載禁じます。

 



コメントを投稿