ヒーメロス通信


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詩と霊性、連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』個人季刊誌「ヒーメロス」20号2012年3月25日

2012年09月10日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
〔長期連載エセー〕
自己への配慮と詩人像(十二)その1
小林 稔


39 詩と霊性
 
 ミシェル・フーコーの、一九八二年のコレージュ・ド・フランスの講義で哲学と霊性について述べた箇所があり次のように述べられている。真と偽があり、「ありうるものにしているものについて問う思考の形式」、「主体が真理に至ることができるようにするものを問う思考の形式」を哲学と呼ぶとすれば、「主体が真理に到達するために必要な変形を自身に加えられるような探求、実践、経験は霊性と呼ぶことができるように思われる」と。これらは認識ではなく「真理への道を開くために支払うべき代価」であり、「主体は自らを修正し、変形を加え、自分自身とは別のものにならなければならない」、つまり「主体の立ち返り(コンヴェルシオン)なしに真理はありえない」と主張する。それは主体の上昇運動であり、エロース(愛)の運動であるという。さらに「自己の自己自身に対する働きかけ(アスケーシス)」が要求される。西洋の霊性は、エロースと修練(アスケーシス)という形式によって、真理を受け入れられるために主体はいかに変形されるべきかが考えられてきたのだという。フーコーは「真理に対する反作用」と呼んでいるが、霊性は主体に天啓を与え至福を与えるもの、魂の平穏を与えるものであると述べる。「真理とそれへの到達には、主体自身を完成させ、それを変容させるも
の」であり、「認識行為に霊的な行為のあらゆる条件、あらゆる構造が担わされた」というグノーシス派の運動
を例外とするが、ピュタゴラス派やプラトン、ストア派犬儒派、エピクロス派、新プラトン主義者を通じて哲学と霊性は切り離されていなかった。ここにもアリストテレスという例外者はいるが、「自己への配慮」はその際の必要条件であったとフーコーはいうのである。
 数世紀を越え、真理への道を主体が到達できるのは、霊性ではなく認識だけであることを認めた日を真理の歴史の近代が始まった日であるとフーコーはいい、象徴的な意味で「デカルト的契機」と呼ぶが、デカルトひとりが問題なのではなく、真理と霊性を分離させたのは科学ではなく、デカルト以前のトマス・アクィナスとスコラ学、つまりアリストテレスに基盤を持つ神学によって進行した、とフーコーは指摘する。それは、「キリスト教から出発して普遍的な射程を持つ信仰を基礎づける合理的な思索として自らを規定することで、同時に一般的な認識する主体を基礎づけた」のであるが、「認識する主体は、神のうちに自らのモデルと、絶対的到達点、もっとも高い完成の水準を、つまり同時に自らの創造者とモデルとを見いだしていた」のだという。「知るという能力をあまねく賦与されている主体の照応」を要因として、哲学的思考は従来随伴していた霊性という条件から乖離し、そこから自由になり、分離した」のであろうとフーコーは推測している。つまり分離は「神学的思考と霊性の要請のあいだ」にあったのである。デカルトの十七世紀には、逆に霊性の探求が提起されてもいたとフーコーはいう。スピノザの『知性改造論』があり、「認識の哲学と、主体が自ら行なうその存在の変容の霊性とのあいだに」霊的な問題が残っていることをフーコーは指摘する。さらに十九世紀の哲学、ヘーゲル、シェリング、ショーペンハウアー、ニーチェ、フッサール、ハイデガーたちが「認識の行為が霊性のさまざまな要請とどれほど結びついたままであったかということが分かる」とフーコーはいう。十九世紀の哲学がいかに霊性という問題を再提起し、「自己への配慮」を問題にしていたのかを、倫理の低迷した現代のわれわれの問題として考える必要があるとフーコーは主張するのである。
 
『知への意志』(「性の歴史」第一巻を刊行したまま八年間の沈黙していることに関する「ルモンド」紙のインタビュー「生存の美学」で、フーコーは次のように答えた。準備された計画によってたんに展開すればよい時が来たと思ったが、書き始めたら退屈で死にそうになったのだと。本を書くことは終りにたどりつかない危険をおかすという経験を欠落させるべきではないと思い、そこで計画を変更したという。このインタビュー以前の一九八〇年の「インコトリブート」誌の「ミシェル・フーコーとの対話」では「書物を書くのは、私が自分がこれほどまで考えたがっているしかじかの事柄について、正確にはどう考えてよいかまだわからないからなのです」という。つまり書くことは充実した経験であり、「やり遂げたとき、自分自身が変化をこうむっているなにものか」なのだという。書き終えたとき考えていたことを変容させる実験者なのだという、同じことを考えないという意味で。フーコーは自分を哲学者だと思っていないとさえいう。「制度的な意味での哲学者ではなかったバタイユ、ニーチェ、ブランショ、クロソフスキーらにフーコーは衝撃を受けたことを述べ、彼らが最高の重要性をもたらしたのは、「彼らの問題が体系の構築ではなく、個人的経験という問題だったという点」にあったのだと指摘する。「ニーチェ、バタイユ、ブランショにとって、経験とは、〈生きることが不可能なもの〉にもっとも近いような生の地点に到達しようとしていることだった」のであり、「最高度の強度であると同時に、最高度の不可能性」であったと指摘する。彼らの経験は「主体を主体自身からひきはがす機能をもっており、主体が自分自身でなくなってしまうか、自分の無化ないし解消へと向かうようにする機能をもっている」、つまり「主体を主体自身からひきはがす限界経験」であり、フーコー自身も自分の本を私自身から引き離す直接的経験として構想させてきたと述べる。「自己への配慮」は逆説的に言って自己から剥離することをいう。

 私の問題は、われわれが何であるかという経験をすることであり、私とともに特定の歴史的内容をつうじてそうした経験をするよう他の人々を招待することでした。われわれとは何であるかという経験、すなわちたんにわれわれの過去であるばかりでなくわれわれの現在であるものの経験をするよう、われわれの近代性(モデルニテ)の経験をし、そこから自分が変容して出てくるような経験をするよう招待
することだったのです。これは、書物をたどり終えたときに、問いかけられている当のものと新たな関係のかずかずを結ぶことができるようになるということを意味します。……(中略)……経験とはまったく一人でおこなわれるものでありながら、それが十全なかたちで
おこなわれるのは、経験が純粋な主観性から逃れ、他者が、経験を正確にやり直すとまでは言いませんが、少なくともそれを交叉し横断しなおすことができる限りにおいてなのです。(「ミシェル・フーコーとの対話」)

 さらにフーコーの形成に影響を与えた著者たちに話が及んでいく。一九五〇年代の初め、現象学と実存主義、主体の哲学をかかげたサルトルが主流であったが、ブランショ、バタイユ、ニーチェはそこから解放させてくれた存在であったという。フーコーは実存主義とは異なるものを探し、彼らの書物に出会ったという。それは「主体という範疇、その優位、その創設機能を問い直すことであり、そうした作業が思弁に限定された場合は、それが何の意味も持たないだろうということ」を確信したのである。「主体を問い直すということは、その現実的な破壊、その解体、その破裂、まったく別のものへのその転換、こうしたものへと到るような何かを経験することを意味していた」のである。このエセーの冒頭で述べたように、別の自分になることであった。

 フーコーによると、「現代の哲学とは、二世紀前に、かくも不用意に投げかけられた問い、『啓蒙とは何か』(カントが「ベルリン月刊」に載せたテクスト)に答えようと試みる哲学である」という。カントのこのテキストによって、一つの問い、「私たちが今そう在るところのもの、私たちが今考えていること、私たちが今おこなっていることを、少なくとも部分的には決定してしまったその出来事とは何なのか」という問いが思考の歴史のなかに入りこむことになった、とフーコーは主張する。そこで提起されているのは「現在についての問い」であり、「今何が起こっているのか」、「この今とは何なのか」という問いである。フーコーはデカルトとの相違を、『方法序説』を例に取り出し述べている。デカルトは、当時の学問の歴史的状況に対して自分を顧みている。つまり「現存しているものとして布置のなかに哲学的な決定のための動機を見出すこと」であることに対して、カントは「現在のなかの一体何が、現在、哲学の考察にとって意味あるものであるか」を問うている。哲学者自らが「哲学へと関わるプロセスの担い手」であり、要素であると同時に行為者なのである。「哲学が自らの言説の現在性を問題化する」ことである、つまり、カントの主張は己の帰属を問うことであるとフーコーはいう。
フーコーは『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』で当初の計画を変更したことに次のように述べている。古代において性行動が、「強制も禁止もない場合でさえ」どのような理由によって道徳上の関心の対象になったのか。「要するに禁忌と道徳的問題構成とは別々のもの」であることを指摘する。「どのように、なぜ、いかなる形式において、性の活動が道徳的領域として構成されたのか?」を考えることが「表象の歴史とは対照的に、思索の歴史の課題」である。「人間存在が自分は何であるかを、自分は何をなすかを、そして自分が生きる世界を、《問題として構成する》、その場合の諸条件を規定すること」であるとフーコーはいう。ここでフーコーが言おうとすることは、右で述べたカントのテクストの「現在についての問い」と同様のものであろう。
「啓蒙」の原義は「光で照らされること」である。カントの「啓蒙」の問題の提起の仕方は「徹底的にネガティヴ」であり、「脱出」や「出口」として定義しようとしているとフーコーは指摘する。「脱出」とは「未成年」からの脱出である。カントは、私たちが未成年状態にあると考える。それは「誰か他人の権威を受け入れてしまうような、私たちの意志の状態のこと」であり、自分自身に責任があるので「自分が自分自身に対して実行する変化によってしか」、そこからの脱出は不可能であるという。カントによると、「未成年状態にあるというのは、書物が悟性の代わりをつとめるときであり、精神的な指導者が良心の代わりをするとき、医者が私たちの節制について、私たちの代わりに決めるとき」である。「知る勇気をもて、知る大胆さをもて」という標語を持つものであるとカントは主張する。「啓蒙は、したがって、ひとびとが啓蒙は集団的に構成するプロセスであると同時に、また個人的に実行すべき勇気の行為であることになる」とフーコーは解説する。
 人間が未成年状態から脱出する二つの条件がある。一つは「服従せよ、そしてあなたはあなたが望むだけ論議してよい」というものである。フーコーによれば、「これは理性がそれ自身以外の目的を持たないような理性の使用について言われるもの」であるという。また、カントは理性の私的使用と公的使用を区別する。公的使用において自由であり、私的使用において服従すべきだという。前者は「社会において演ずべき役割を、果すべき役職を持っているとき」であり、後者は「理性を使用するためにのみ、ひとが論議するとき、理性ある人類の構成員としてひとが論議するとき」、自由で公的なものになるという。そしてこのようなときこそ批判が必要なのであるとフーコーはいう。カントの『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』はそうした関連で強調すべきであるとフーコーは考えている。
カントの『啓蒙とは何か』というテクストの新しさとは何か。フーコーによれば批判的省察と歴史についての考察とのターニングポイントに位置し、「カントによる自分自身の企ての現代性についての反省」であるという。一人の哲学者が、「認識との関わりにおける自分自身の仕事のもつ意義、歴史についての省察、その時だからこそ物を書くというその単独な〈時〉についての個別的な分析を結びつけて述べたのはカントが初めてであった」とフーコーは主張する。ここには〈現代性(モデルニテ)の態度を見て取れるという、フーコー自身の思考への態度を重ね合わせて読み取ることができるといえよう。〈現代性〉ということでフーコーはボードレールを浮上させ、我々が「十九世紀における現代性の最も先鋭的な意識の一つを認める」というボードレールにおける現代性をフーコーは解き明かそうとする。フーコーが哲学から文学(詩)へと移行させている意味を私たちは深く読み取らなければならない。
 
 ボードレールは、現代性を「一時的なもの、うつろい易いもの、偶発的なもの」と定義しているが、それを受け入ることではなく、一定の意思的で困難な態度を取ることであり、「永遠的な何か」を彼方にではなく、背後にでもなく、「その瞬間自身の裡に、捕まえること」を目論んでいるとフーコーはいう。
 湯浅博雄氏は『応答する呼びかけ』において、ボードレールの「移ろいゆくものへの愛」を論じている。「古典的な美はなりよりも〈永遠なるもの〉への憧憬」であり、「万人にとって永久に美しい、と思われるはずの普遍的なもの」であるが、「ボードレールは近代的・現代的な美を、永遠性の要素と偶然性の要素が二重化している美として定義している」という。普遍性という面はあとから伴われるものであって、まず「個別性と単独性の面である、「このものの独特な美しさ」が際立つ。それは初め「一般的な美の観念やコンセプトに適合せず、はみ出しているけれども、しかしやがては広く多くの人々に浸透していく。そして古典的な美とは「言葉の名づける能力を信仰するところに基盤がある」という。「〈存在するもの〉は名づけられることによって、傷つきやすいものであること、壊れやすく朽ちてゆくものであることを免れる」。つまり、「一般性をもち、普遍的に現存するものとなる」のである。しかしボードレールは現代的な美を、〈移ろいやすい美しさ〉と考えようとしているといい、「ひとりの人間があるとき(いま)、あるところ(此処)で、ある特有な状況において生きる経験の独特さ」は文学が絶えず気づかい発見し直すべきものであり、「現代の文学は独特さとしての実存の特異性、他に代えられない唯一性にあたう限り触れようとすべき」であるということを、ボードレールは文学の使命としてそれを最初に認めた人であったと湯浅氏は述べている。湯浅氏が指摘するように、ボードレールには「詩人の内面における深い喪失感」が絶えずあり、オスマンによるパリ改造計画によって多くの建物や街路が取り壊され風景が一変することによる故郷を追われたという想いが起こる。『パリ情景』の「白鳥」に書かれているように、古代への、理想への観念に強く捉われているが、たんに憧憬で終るのではなく、現代の時間に、例えばパリで偶然に見かけた「通りすがりの女に」、神話上の人物を見い出し、「共感と憐れみを込めて」呼びかける。つまり、湯浅氏はボンヌフォアの考えを引用、「唯一の、かけがえのない現実とは、これこれの事象、しかじかの存在であると」という言葉を挙げ、古代の永遠性に対する現代の個別性、単独性としての「実存=人生というものは、〈いま〉であり、〈此処〉であるなにかと切り離せない」のだ。「現代の文学は実存の特異性、他に代えられない唯一性にあたう限り触れようとすべき」であり、「ボードレールはおそらく文学にそういう使命を認めた最初のひとりであった」と湯浅氏はいう。
一方、フーコーにとって「現代性とは、逃げ去る感受性の事象ではなく、現在を永遠化する一つの意志」
なのである。しかし神聖化することではなく、現代性の人は「流行が歴史的なもの裡に含み得る詩的なものを、流行の中から取り出す」とボードレールは述べているのであり、「〈現実的なもの〉を尊重すると同時に侵害する自由の実践に直面しているような修練なのだ」という。それは自分自身に対して打ち立てる関係のあり方であり、禁欲主義と結びついているのだ。ボードレールはそれを「ダンディズム」と呼んでいた。「自分自身の身体、自分の行動、自分の感情と情熱、自分の生活を芸術作品と化すダンディの禁欲主義」、それは「自分自身の発見、自らの秘密および自らの隠された真理の発見へと向かう人間」ではなく、「現代的な人間とは、自分自身を自ら創出する人間のことである」とフーコーは主張する。さらに「現実的なものと取り結ぶ自由の戯れ、自己の禁欲的な練り上げ」を、「ボードレールは社会全体の中で、あるいは政治体の中で成立する」とは考えず、芸術と呼ぶものでしか起こりえないと考えているのだとフーコーはいう、まさにフーコーが晩年探求した「生存の美学」である。現代詩の源流がボードレールを起点とする根拠がここにある。「自己への配慮」から無縁になった日本の現代詩人の反主体的でレトリカルな詩に私は辟易するしかないのである。「自己への配慮」とは自己を慈しむことや自分探しをすることとは無縁である。今ある自己を無化し、修練のすえに自己に回帰することである。現実から視線を逸らし自己から可能な限りはなれた言語表現で架空の現実を作ることではない。フーコーは倫理を喪失した現在、ある意味で自由から自らの手で倫理を構築しようとした古代ギリシア人のように、生存の美学を創出しようとキリスト教時代を超え、古代ギリシア・ローマの系譜を紐どこうとしたのである。フーコー自身が断っているように、啓蒙の十八世紀末の出来事や〈現代性の態度〉を要約しようとするのではなく、「現代に対する関わり方、歴史的な存在の仕方、自分自身の自律的な主体としての構成という、三つのことがらを同時に問題化するようなタイプの〈哲学的な問い〉が〈啓蒙〉に根ざすものであることを強調したかった」とつけ加える。つまり今も引き継がれた「啓蒙へ結びつけている絆」は、「一つの絶えざる再活性化なのだ」ともいう。このような態度は、一つの〈哲学的エートス〉であり、歴史的な存在の絶えざる批判であると主張する。エートスとは「個人の有り様を、生存様式を変容させ、変形させることであるとフーコーは定義する。生き方において哲学者と詩人は共有する概念を持つことになるのである。

「いま、此処で咲き、やがて萎れ、枯れるひとつの花の独特な実存に注意をこらすよりも、花なるものの美しさそのものを希求する態度、けっして朽ちることのない、変化・生成しない本質=範型を探究する思考様式」にボードレールは異議を唱え、「存在することは、絶えず変化し、生成してやまないことにある」と考え、ボードレールは現代的な美を〈移ろいやすい美しさ〉と捉えたのである」と湯浅氏は解読している。〈移ろいやすい美しさ〉への注視と情愛に充ちた眼差しを実践するために、文学そのものが自らを変容していくだろうと湯浅氏はいう。「語りかけ」は単独性をなす他者の「呼びかけ」によって語りかける。「言葉はその本性からして一般性と普遍性へと向いていると思われるから」、独特さや特異性としての生存、生活、人生に接近することは不可能と思われ文学が避けてきたことであるが、現代の文学はそれをしなければならないのである。「言葉は特異ななにかを語ろうとすると、どうしても〈適合〉せず、自分の無力を思い知らされることになるが、しかしむしろ〈不適合〉であるからこそ語ることをやめないのだろう」と次の「ランボーにおける〈書くこと〉の経験」で湯浅氏は述べている。ボードレールはそれまでの、「一般性」と「普遍性」へと向けられた言葉の無自覚な使用を批判する。先述したように、「〈いま〉であり、〈此処〉であるなにかと切り離せない」ものに呼びかけるとき、「言語活動は自らを問わざるをえない」と湯浅氏はいい、ランボーの言語体験を解き明かしていくが、ここでは私はフーコーの主張する「実存の美学」と現代性を確認しておきたかったのである。バタイユにしろブランショにしろ、現代文学の主要な作家は書くことの不可能性に突き進んでいったこととボードレールの提起した現代性とは深く関わっているのだ。真理への到達が「自己への配慮」から霊性を認めるか、あるいは認識でだけであると認めるかによって哲学の概念が大きく異なる。フーコーが自分を哲学者でないといったのは、認識のみを認める哲学者ではないということであり、霊性を重視するフーコーがいう「これが哲学でなくて何か」というとき、自分を哲学者であると自負しているのである。私は哲学を詩に置き換えてみたいのである。「自己への配慮」のおける諸々の体験を経ずして、自己から離れ架空の世界を言語で構築し、あるいは認識によって世界を把握する現代詩の横行は、霊性とは距離を保つようになった私たちの思考(ものの見方)から由来しているのではないか。現代詩と哲学の疎遠に詩の衰退の兆候が起因すると、私が指摘するのは偏重だろうか。


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