ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

「自己への配慮」と詩人像(七)その二、小林稔季刊個人誌『ヒーメロス』15号2010年9月10日発行から

2012年03月15日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
長期連載エセー「自己への配慮と詩人像」(七)その二 「ヒーメロス」15号2010年9月10日発行からの転載。無断転用禁止。

 小林 稔

 エロースの働き
 エロースの出生と性質についてはこのようにディオティマによって語られたが、その性質において彼女による恐るべき奥義が展開していくのである。プラトン哲学の一つの頂点であるといえる。詳しい分析はすべて話の概要を終えた後に論じていくが、今はテクストのエクリチュールを追ってみよう。
 恋する者が美しいものを恋しているのは、美しいものを所有することを願うからである。所有することによって何が得られるのか、そう尋ねられたソクラテスは即答できなかった。それでは美しいものという代わりに、よきものという言葉を置き換えてみようとディオティマは提案する。「よきものを恋する人は恋をしているわけですが、それは何を恋い求めてのことでしょうか」「幸福になる、ということです」とソクラテスは答える。「幸福な人々は、よきものを所有することによって、幸福であるのですね。それにしても幸福でありたいと思う者がそう望むのは、何のためなのか」という問いを措定するところまで達して質問自体が不必要であることを確認する。幸福でありたいという希望と恋は万人に共通のものであるにもかかわらず、すべての人が恋をしているといわず、恋をしていない人もあるというのはなぜか。恋にはいろいろな種類がある。そのうちから「一種類だけを抜き出し、それに全体の名前を当てて、恋(エロース)と名付け、そのほかのいろいろな恋には別の名前を使っている」のだという。「非存在から存在へ移行する場合その移行の原因はすべて創作」であるという。例えば、創作(ポィエーシス)がある。技術にかかわる製作なども広い意味では創作であるが、音楽と韻律にかんするものだけが創作と呼ばれている。もちろん韻律とは詩作のことであろう。「よきものと幸福であることへの欲望」をすべてエロースと呼ぶなら、金儲けの道、体育愛好の道、愛知の道も恋をしている人と呼ばれるべきであるのに実際はそう呼ばれない。
 さまざまな恋から一種類だけを取り出し、自分の半身を求める人を恋する人と考えられている。恋する対象はよきもの以外の何ものでもない。完璧に定義すれば、「恋(エロース)とは、よきものが永遠に自分のものであることを目指すもの」であるとディオティマとソクラテスは了解し合ったのである。さらに恋と呼びうるにはその人の熱意と努力が必要であることを語り合う。しかしそうした活動とは何か、と問うソクラテスに対して、驚くべき返答がディオティマからなされた。
 
 不死なるものを目指すエロース
 「恋とは、単に美しいものを目指すことではないのです」と語りかけるディオティマに、ソクラテスは「それならばいったい何なのですか」と尋ねる。彼女はきっぱりと答える、「美しいものの中での出産と分娩を目指すものなのです」。死すべきものにとって出産は永世不死のものであり、先ほど挙げた「恋とはよきものが永遠に自分のものであることを目指すもの」という恋の定義からして、恋が不死を目指すのは必然である。死すべきものとは一人人間だけでなく、動物も同様である。動物においても出生という方法で「古いものに代わって新しいものを常に残していくから」である。このように種の保存という生物学的な見方で終えてしまわないところ、あるいは逆に生物学的な要素を人間から剥奪しないところがプラトンの驚嘆すべき点である。同一の人間の幼児から老人になるまで「身体の全部において、常に若返っているとともに、他方では失うものがある」が、魂においても「同一不変のものとして各人にあるのではなく、そのあるものは生じ、あるものは滅びる」。さらに知識においても同様で、「たえざる変化の状態」にある。

 忘却は知識が逃げ出すことであり、復習は、去って行く記憶の代わりに新たな記憶を植え付けることによって、再びその知識を保全し、その結果それが同一の知識と思えるようにすることです。……まことにこの方法によって死すべきものはすべて保全されるのです。つまり、神的なもののようにまったく同じものとして永遠にあるという仕方ではなく、古くなり去り行くものが、かつての自分と同じような別の新しいものを後に残していくという仕方です。この工夫によって、ソクラテス、死すべきものは、肉体でもそのほか何でも、不死にあずかるのです。(「プラトン全集5 「饗宴」」208B)

不死なるものすべてにかかわる恋(エロース)は名誉心や徳にまで及ぶのである。不滅の名声のためならいかなる労力も惜しまず、どんな危険も顧みることなく行為する。「もし徳に関する不滅の想い出がわがものになるだろうと思わなかったら、アルケスティスがアドメトスのために死んだり、アキレウスがパトロクロスのあとを追って死んだり、あるいは、あなたがたのところのコデゥロス王が子供らの王国のために、定命を待たずにわれから命を投げ出したりすることができたと思いますか」とディオティマはいう。不滅の徳と輝かしい評判のために、立派な人物ほどそうするのだと述べる。
 次にディオティマは、肉体の上で身籠っている人々と魂の上で身籠っている人々がいることを語る。前者は恋をしている者となり、子を生むことで不死と想い出と幸福とを未来永劫手に入れるが、後者は魂のうちに、魂が身籠り産むにふさわしいものを身籠っている人々である。そのふさわしいものとは知恵やさまざまな徳である。このような人々の中には詩人、発明家がいる。この知恵の最大最美のものは国と家を治め斉えることに関する知恵であるという。それには節制と正義という名が付いているという。神的な資質が人並み以上に若いころから魂に身籠っていて、しかるべき年齢になったとき出産分娩をしたがることがあるが、出産の座となるべき美しいものを探し求めることが起きる。「美しく高貴で素性のよい魂に出会えば、この身心両面の美を合わせ持ったものを悦ぶことはたいへんなもの」であるという。「徳に関する話とか、よき人とはいかなる人間であるべきか、また平生何に励むべきか、ということについてすぐに言葉がいくらでも出て来て、彼を立派に教育しようと試みる」のである。

美しい者に触れその者と交わるとき、以前から身籠っていたものを出産し、そばにいても離れても彼のことを忘れず、共に相携えて生まれたものを育て上げます。ですから、こういう人々は互いに対して、現身の子供による繋がりよりもはるかに偉大な繋がりとしっかりとした愛情とを持つことになります。それは、より美しくより不死なる子供を共有しているからです。(プラトン全集5 「饗宴」209C~D)

このように魂の上で身籠る人々は、人間の子供を持つよりも不死なる名声と想い出に値する子供、つまり詩人にとっては創作、偉大なる魂の偉業、あらゆる徳を持つことを歓迎している。多くの人々がその偉業を顕現し、あらゆる徳を生んで神殿がたくさん建てられてきたと述べた。

見神に窮まる最奥の秘儀
 これまでの恋の道をさらに進めて、ディオティマが語る究極目的の秘儀に、ソクラテスが見神に窮まるその最奥の秘儀を受ける能力があるかどうかわからないが、やってみるようにディオティマは勧めるのであった。このような口調で語るディオティマの態度から、藤沢令夫氏は「プラトンがソクラテス的基層から発展した思想に、これから初めて明確に自分独自の形態を与えようとすることの啓示とみなしてよい」(『プラトンの哲学』)と述べている。それではその最奥の秘儀とはどのようなものか。

未だ年若いうちに、まず手始めに美しい肉体に向う必要があります。そして導き手の導き方が正しい場合には、最初一つの肉体を恋い求め、ここで美しい言論を生み出さなければなりません。しかしそれに次いで、どの肉体における美と兄弟関係にあるあるということ、また容姿における美を追求しなければならないとすれば、すべての肉体における美を同じ一つのものであると考えることをしないのは、たいへん愚かしいことであるということ、これらを理解しなければなりません。そのことを納得した以上は、美しい肉体全部を恋する者となり、一つのものに対する恋のあの激しさを蔑すみ軽視して弛めなけれ
ばなりません。しかしその次には、魂のうちにある美を、肉体のうちある美よりも貴重なものと見なし、そのために、たとえ肉体の輝きに乏しくても、魂の点で立派な者がいるならば、満足してその者を恋しその者のために心配し、そして若者たちをよりよくするそのような言論を生み出し探し求めるようにしなければなりません。つまり、ここでもまた、人間の営みや掟に内在する美を眺めて、それらがすべて互いに同類であることをどうしても観取せざるをえなくなるためなのです。……中略……ところで人間の営みの次には、もろもろの知識へと導いて行かなければなりません。(プラトン全集5 「饗宴」210B~C)

肉体の美から精神の美へ、さらに人間の営みや掟から知識の美へ、知を愛し求めながら壮大な言論や思想を生み出し、「美を対象とする唯一のある知識」を見るようにしなさいとディオティマは述べた。先述した魂の上での出産とは、同一の人におけるたえざる精神の変貌であり、美のイデアを観得するための階梯であったのだ。美しい言論や思想を一段上昇するごとに生み出さなければならないという言葉への依存を重視する主張は、言葉によって考え対話する人間の宿命を見抜いて素晴らしいものである。そして究極の地点にたどり着いたとき、観得するのは「かのもの」であると語られる。それは「永遠に存在して生成も消滅もせず、増大も減少もしないものであり、「それ自身だけでそれ自身とともに、単一な形相をもつものとして永遠にある」とディオティマは語る。

彼女は続けた「ここにおいてのみ、すなわち、かの美を見るに必要な器官をもってそれを見ているこのときにのみ、つぎのようなことが起こるであろうこ
とを。それは彼の手に触れているものが徳の幻像ではなくて真の徳であるからして、その生むものも徳の幻像ではなく真の徳であるということを。さらに
その者は、真の徳を生みそれを育てるがゆえに、神に愛される者となり、またいやしくも人間のうち誰か不死となることができるならば、まさにその者こそ不死の者となりうるのだということを。」(プラトン全集5「饗宴」212)

ディオティマの言説によるエロース論は右のように結ばれるのであったが、この私のエセーの前半を占める「自己の配慮」の「主体の形成」というテーマとの関連においていくつかの論点が見えてくる。少年愛における、愛する者と愛される者がいて、愛される者が大人にさしかかる年齢を迎えるとき、具体的には髯が濃くなる時期から、愛される受動的立場からいかに能動的立場に転換していくかというテーマはディオティマの話からは明瞭にされていない。主に愛する者の行為が語られているのである。しかし、まったく見られないということではない。例えば、「導き手の導き方が正しい場合には」という語句がイデアに上昇するエロースの辿るべき道への秘儀で述べられていたが、導き手とは愛する者と考えるこ
とはできるであろう。また、上昇する過程で、「美しい言論を生み出さなければならない」という語句は、言葉よって思考を深めることだけでなく、対話され記述されたロゴスの力によって双方が真理を追究していくことを意味するのであろう。もはや肉体の美を離れ、精神の美に向けられたエロースの情動は、アリストファネスによって語られた半身を求める愛のように互いに向かい合い一瞬にして溶解しようとする欲求ではなく、両者が肩を並べ一方向を見つめ、ともにイデアへの階梯を昇る力である。 
 
主役となるソクラテス
ディオティマから直接聞いたとするソクラテスの長い話が終わると、泥酔したアルキビアデスの一行が宴会の席になだれ込んできた。彼はソクラテス讃歌を繰り広げることになる。彼は『アルキビアデス1』で登場した十七歳の青年であるが、このときはすでに三十代半ばの政治家である。「汝自身を知れ」というデルポイの銘を取り上げ、「自己への配慮」を初めて哲学的テーマにしたのが、プラトンの『アルキビアデスⅠ』という書物であるというフーコーの指摘があることは、この私のエセーの冒頭で述べた。
 プラトンはなぜそれぞれのエロース論が終了した後に、一般的に文学的と見られているこの話を置いたのかという問題が残される。そのことを考える前に、ソクラテス讃歌の内容をまとめてみよう。
ソクラテスは、彫像屋の店頭に置かれたシレノス像に似ているとアルキビアデスは話を始めた。(訳注によると、シレノスとは「サチュロス同様山野の精で、馬の耳を持ち低い鼻、毛むくじゃらの醜い老人とされた。じつはたいへんな知恵者であったが、それをなかなか外に現わさなかったという。ディオニュソスの従者と見なされるようになり、酒に酔い暴れ廻る者とされた。」それは工芸家が細工したもので、両方に開くと、内部に神々の像を蔵している。さらにマルシュアスにも似ているという。シレノスと混同されるサチュロスで、シレノスが老人のイメージを与えられ、マルシュアスは若者のイメージが与えられている。後者はアポロンと琴で技を競って敗れ、生皮を剥がれたというと訳者は注で記している。ペルジーノという画家の『アポロンとマルシュアス』と題された絵がルーブル美術館にある。マルシュアスは笛の音で人々を魅了するが、ソクラテスは言葉ですぐれた雄弁家をも凌駕する。「ぼくの心が掻き乱されてしまう」とアルキビアデスは訴える。アルキビアデスはソクラテスと会って以来、話を聞くうちに「今のぼくのような有様では生きる価値もないと思われるような、そういう気持ちにさせられることがじつにたびたびだった」と告白する。それは、「ぼく自身まだ欠けるところの多い身でありながら、自分をないがしろにしてアテナイの国事をなしている」といやおうなく自分自身に認めさせるからであると語る。(アルキビアデスは政治家になったのだが、ソクラテスの弟子としては脱落し、波乱の多い生涯を送ったとされている。晩年、亡命先で刺客されたと伝えられる。)また直後に、「この人(ソクラテス)から離れると、大衆から与えられる名誉に負けてしまうということを、ぼくは自覚しているからだ」とも語ってみせた。ソクラテスは美しい人と恋に陥りやすく、外見からは無知で何一つ知らない、しかし内部を開くと誰が美しいかどうかは問題にしない。金持ちであることや名誉なものをもっていることも価値なきものと考えている。いつも人々に対してふざけているが、扉が開かれると、金色燦然とした神像がある。これはシレノスの彫像に似てい
ると言いたいのだ。だからソクラテスに近づいたら彼の知っていることを聞けるとアルキビアデスは思い、ソクラテスを追い回すことになった。「知を愛し求めてなされる」ソクラテスの話に、殴られ噛み付かれたように「その魂にどんなことでもさせたりするものなのだ」とアルキビアデスはソクラテスとの付き合い方に戸惑いを感じている。
アルキビアデスとソクラテスの出会いは、この私のエセー『自己への配慮と詩人像』の冒頭1と2ですでに述べた。2
の「眼の比喩」のフーコーの考察をふたたび要約すれば、「ソクラテスの師弟関係で問題になるのは、無知と記憶である。無知なる者は自力でそこから抜け出すのは困難であるが、記憶が無知から知へ移行させるのではなく、彼が始めて経験する主体の身分である。師は個人を主体として改革し、形成する操作媒体となる。」『賢者と羊飼い』で中山元氏は「自己を改革し、自己を配慮するには、他者の契機が含まれている」ことを指摘する。したがってこのことを知ったアルキビアデスはソクラテスが必要なのである。恋するものが恋されるものになる。こうして政治家になってもソクラテスをつけまわしていたのであった。しかし『饗宴』で描かれたアルキビアデスは自己への配慮を十分できず堕落の態をみせている。
『饗宴』でなされたそれぞれのエロース論が、いわば理論であると考えれば、最後に置かれたアルキビアデスの話は実践譚である。プラトンが最後にアルキビアデスを登場させた意図はここにある。アルキビアデスとの関係で考えれば、ソクラテスの師としての実践は成功しなかったともいえるのである。しかし、ここで語られるソクラテス自身のロゴスと実践は何の矛盾もなく、言葉と行為の調和した、すぐれた生き方の人物として描かれている。『ラケス』において、戦場でのソクラテスの勇気を讃美していたが、アルキビアデスも目撃し讃美していることが知れる。しかし、『「賢者と羊飼い』で著者中山氏が『ラケス』に示されたソクラテス像に指摘したように、『饗宴』でアルキビアデスによって語られるソクラテス像も、どこか超越した神的な人物として描写されているといえよう。アルキビアデスがともに寝てもソクラテスは家族以上に肉体に触れなかったことを嘆いているが、ディオティマの教え、つまり肉体の美しさから精神の美しさと向かう行為を実践してみせているように描かれている。交際の始まりが、少年の美しさを脱出したアルキビアデスであることから、精神の美へと向かうべきであることが、アルキビアデスには理解されていないようである。ディオティマの恋の奥儀では肉体回避が見られ、恋する者と恋される者がイデア界へ向う過程で「こういう人々は互いに対して、現身の子供による繋がりよりもはるかに偉大な繋がりとしっかりした愛情を持つことになる」(『饗宴』209C)のである。「哲学が可能であるためには、そして自己を配慮するためには、何よりもこの他者との友愛が必要とされる」と中山氏はいう。プラトンは、これらの具体的な行為と意義については、さらに『パイドロス』で解決していくことになるであろう。

魂の妊娠と精神のヒエラルキー
ディオティマによって語られた鬼神(ダイモーン)としてのエロースが、人間と神の中間的存在、媒介者であるということ、さらにその名称から悪の天使的存在、キリスト教の堕天使を想起させるのは私の恣意的な空想であろうか。ダイモーンといえば、『アルキビアデスⅠ』の冒頭でアルキビアデスに声をかけることを制した「人間以上のもの」であり、『パイドロス』では天界のミュートス(物語)で描かれる「神々とダイモーンの軍勢」の場面で登場する。この対話編の訳者、藤沢令夫氏の注には、「ダイモーンというのは、地上に墜ちて人間の肉体に宿るべき運命にある、神以外の魂を指すのであろう」と記されている。また『クラチュロス』では「ダイモン」(この著作の訳ではこのように表記されている)の語源の話が語られている。「何よりもまさに思慮分別ある者こそ、ぼくの意見では、彼(ヘシオドス)がダイモンたちという名によって言い表そうとしているものなのだ。彼らが思慮分別をもち、善悪をわきまえ知っている者(ダエーモーン)であったからこそ、彼らをダイモンと彼は名づけたのだ。」(『クラチュロス』398B)という。つまり人間の最初の種族は黄金の種族(善良で高貴という意味で)と呼ばれたが、彼らが滅びた後、地上にはダイモンと呼ばれるものが住み始めたということである。ダイモーンについては『パイドロス』でも語られているので、次章で詳細に論じることにしよう。
『饗宴』のおけるディオティマの説話でプラトンは初めてイデア論を展開したのであったが、ディオティマはソクラテスに教授する立場に身を置いて語ることと、ディオティマが女性であること、つまり妊娠、分娩、出産は女性にのみ担わされたものであり、このエロース論を説得力のあるものにしていると言えるだろう。「もはや下僕のように、一人の少年の
美とか、一人の大人の美、あるいはひとつの営みの美というように、一つのもののもとにある美をありがたがってそれを
隷属して、眼界狭小な人間としてあることのないように」(「饗宴」210D)というディオティマの言葉にあるように、ソクラテスを、そして饗宴の席でエロース讃美をする人たちを鼓舞していること、さらに始まる魂の妊娠において、少年愛の本質を、つまり「あなたは考えてもいないのですか……(中略)……彼の手に触れているものが徳の幻像でなく真の徳であるからして、その生むものも徳の幻像でなく真の徳であることを。さらにその者は、真の徳を生みそれを育てるがゆえに、神に愛される者となり、またいやしくも人間のうち誰か不死となることができるならば、まさにその者こそ不死となりうるのだということを」と結論するからである。少年の美にほんろうし、その美はつかの間の現われであるがゆえに絶えず孤立し、生涯において家庭を築くことなく子孫を絶やすことになる生き方になんという力強い己の存在理由を与えてくれる言葉であろう。あるいは人並みの暮らしをしてもなお、確固たる生きる支柱が崩れるのを目のあたりに見る人においても生の指標となりえるのではないだろうか。
「肉体の上で身籠っている人々」と「魂の上で身籠っている人々」を比べ論じることにより、精神の営みが身体的に説き伏せられるのである。「魂の面で身籠る」ものとは「知恵とそのほかのもろもろの徳」である。出産分娩の時期がくると、「出産の座」となる「身心両面の美を併せ持ったもの」を求め、その人には教育を施そうとする。美しい者との交わりで得られる子供とは、ホメロスやヘシオドスのような詩人にとって作品(叙事詩)などであり、彼らに名声を与えているとディオティマは語る。ここでは芸術や詩作の創作だけでなく、哲学者や政治家の思念をも出産分娩と見なしているのであろう。プラトンの著作『テアイテトス』(151C)ではソクラテス自身が自分を「精神の産をみとる」産婆の役を担う者に見立てている。ソクラテス自身は産まないが青年たちはソクラテスとの交わりで何かを見つけ出産し、自分は真物か偽者かを検査するが、時機尚早に自分から離れた者は流産したり栄養が悪く死なせてしまったりするとソクラテスは語る。
「見神窮まる最奥の秘儀」と呼ばれるものには、一段一段踏むべき階梯がある。若年にして美しい肉体を求め、美しい言論を生み出す。さらに別の肉体に向かい、すべての肉体に共通する一つの美を観得する。そのようにして美しい肉体のすべてを恋する者となる。次に魂にある美を肉体にある美より貴重なものとする。人間の営みや掟に内在する美を観取する。次にもろもろの知識へと彼を導いていく。私はここに表現される「彼」が愛する者であると同時に、生成する自己であるように解釈できると思う。さらにそれぞれの階梯で言論や思想を生み出すことを求めることから、創作(ポィエーシス)を重視する主張、あるいはロゴスへの希求を読み取ることができると考える。知識を求めもろもろの学問へと登り、「ほかならぬかの美そのものを対象とするかの学問に行き着いて、まさに美であるところのものを遂に知るに至る」とディオティマは威厳をもって語るのである。この美のイデアに辿り着いたこのとき、ここにおいて「その生活が人間にとって生きるに値するものとなる」と断言する。「その生活」とはイデアを観得した後のこの地上での生活と私は解釈する。
プラトンが『国家』七巻(514‐541)の洞窟の比喩で描いたように、事物の影を実在と見なす感性的世界から百八十度身を転じて背後に燃える火を、さらに太陽の光を見て一時は視力を喪失するが少しずつ視力を取り戻しイデアを観照する。しかしそれですべてを終えたのではなく、井筒俊彦氏が『神秘哲学』において明らかにしたように、プラトン哲学は個人の魂の救済はあらゆる人々の救済に窮極する。「溌溂として地上に永遠の国をうち建て行く創造的生命の主体としてのプラトン的哲人の姿こそ、そのまま真正な神秘家の本然の姿でなければならない(『神秘哲学』第二章)。つまり、再び洞窟の底=人間界に降りてこなければならないのである。『饗宴』において初めて登場したイデア論は、プラトン自身が精神の階梯を登りつめていくように変容し、プラトン的エロースの上昇の道がやがて『饗宴』の後に書かれた『パイドン』では、「死の道」であったことを私たちに伝えているのである。「エロース向上の一段一段は、霊魂が次々に旧い自己に死んで新しい自己に生れかわって行く死生の階梯にほかならない」と井筒氏はいう。(次の章『パイドロス』のエロース論でさらに追求していこう。)ともあれ『饗宴』では、肉体の妊娠より魂の妊娠が優位にあるという考えが見られるとはいえ、身体的なもの、感覚的なものを通過せずには、思惟されるものに辿り着くことはできない、つまりどちらかを肯定し、どちらかを否定するということではなく全体性を内包させるプラトンの哲学、それを超えることは今後も難しいと予測させる所以であろう。

ギリシアにおける道徳と哲学の源泉
古代のギリシア人にとって、若者との関係における快楽の活用は一つの不安の主題であった、とフーコーは『性の歴史
Ⅱ快楽の活用 第四章』で述べる。現代人の多くが古代ギリシアでは同性愛が市民権を得、自由に実践されていたと考え
少年愛はプラトン哲学においては中心的テーマであり、イデアの世界に構築されたと考えるではないかとフーコーはいう。
しかし資料を深く読み進めていくにつれ、実情はたいへん違ったものであることに気がつくのである。愛の対象が異性であるか同性であるかに、今日の私たちが感じるような相違を感知しなかったが、対象がどちらであれ、欲望を支配する力
の有無が問われていた。そしてフーコーの言葉を借りれば、「性差は何であれ、美しい者に対する、自然本性によって人間の心のなかに植えられた欲」なのであった。
若者愛にはどのような不安があり主題化されたのかを明らかにしてみよう。すでにプラトンの『饗宴』についてこの論考で読んできて理解されたと思われるが、やはり現代と比較すれば男性同性愛に対するある種の寛容さと、積極的な意味
づけを認め、哲学的な理念にまで高めていこうとする肯定的な態度は異質なものである。さらにここで明確化された道徳的関心が、後のローマ期には男女の夫婦の理想形に継承されたのである。
 先に、愛の対象には男女の違いはないと述べたが、道徳的形式には大きな違いが生じていたことが古代ギリシアの哲学者たちの言説から知ることができるのである。その多くは残されてなく、プラトンの著作に頼らざるを得ないのだが、何が問われたのかをフーコーは五つの項目に分け論述している。
1 哲学的かつ道徳的考察には、男同士の性交渉のすべての領域をつくされていないこと、年齢差と地位の相違を前提とする交渉に限られていることに注目しなければならないと指摘するが、人格形成を終えている、恋する者と、まだ最終的な地位に到達していなくて忠告や援助を必要とする、恋される若者との差異が議論の的であったという。
2 この種の交渉には習慣として、ソクラテスという人物に呼び起こされる「教育実践や哲学教育」が結び付けれている。その交渉には求愛の実践が形成されていて、異性に対するそれとは違い、道徳的に過剰な意味を付与されていたと指摘する。その実践は、交渉に「美学的にも道徳的にも勝ちある形式を与えるために守るべき、相互の行動と各自の戦略とを規定する」。つまり恋するものは熱意を示し追い求め、しかも抑制し、また贈り物をし奉仕するという義務と権利を有し、報酬を受け取る資格が与えられる。恋される者は求愛の誘惑と闘い、相手の値打ちをしっかりと見極めぬうちは応じないようにすべきである。このように、行動に「障害と猶予」を作り上げていた。古代ギリシアではこの種の愛に寛容であるとか、自由であるとかという見方では本質を見逃すことになると主張する。
3 結婚生活における男女の二元論的な位置とは「きわめて異なる空間のなかでくりひろげられる」空間でなされる一つのゲームであるとフーコーはいう。若者が出入りする場所、例えば体育場や集会所などに出入りしつかまえたり、若者とともに狩猟に出かけたりしなければならない。つまり努力を強いられるのである。一方、当時の若者には自由が保証されていた。恋する年長者は自分の身分上の権力を行使することは許されていなかった。年長者は恋する若者を納得させなけなければならないことになる。「相手の自由な立場や拒否能力や必要な同意を考慮に入れるべき微妙な戦略」が必要とされたのである。
4 若者愛において重要な問題となるのは、「かりそめの時間、そして逃げさる時の推移という厄介な問題である」という。具体的には若者が年長者の愛を受け容れる適切な年齢であろう。「男らしさの特徴にかんする周知の決疑論であり、違反する人々は咎められかもしれないだけに、その境目は侵しえないものであると言明される」とフーコーは述べる。後のルネサンス期のミケランジェロが人間の体の基本的な美を男性の肉体に求めたように、古代ギリシアにおいては男性の肉体は成人したそれであっても変わらず美しいものであると考えられていたが、「性道徳では、固有の魅力を持つ若々しい身体こそが、快楽の良い対象として提案されている」とフーコーはいう。さらに女性の美しさとの類似性において考えられていたのではなく、むしろ女性化した若者は非難されていたとフーコーはいう。
移りゆく時のはかなさを消えゆく身体の美しさに認め、それゆえにいとおしく美しい身体への慈しみを受けとめるギリシア人の感性は、すぐれた文学や哲学に主題化されてきたと私は思う。日本人の感得する美に近いものを思わせるが、相違は明確である。日本的美は無常観に逢着するのに対して、ギリシア的美は精神へ向い、プラトンの哲学ではイデアへ向かったのである。思春期から大人に向う時期の身体の変化は著しい。永遠性への希求は瞬時性の反映であろうと思う。若者の身体には男らしさが欠如しているが、将来的には現前すべきものである。また「成人した男として前もって行動しなければならない」という道徳美学があったのだとフーコーは指摘する。恋する男は相手の美しさを失うのではないかという懸念が、恋される男は相手が自分から離れてしまうのではないかという懸念がある。だからこそこれらの「二重の懸念」を払拭するために、愛欲の関係から愛情の関係に移行させようとしたのである。若者愛における不安定性には一つの教訓が含まれているとフーコーはいう。一定の年齢を超えた恋される男は恋されるままでいることは良くないという考えである。恋される者が恋する者になり生涯ともに哲学的生を送るという主題は、『パイドロス』で論じられている。次回の論考で論述する。
5 若者との交渉関係は恋についての省察の形式をおびるが、エロースは女性との関係を特徴付けることはできないと考えてはならないとフーコーは指摘する。エロースは性差にかかわらず人間存在を結びつけるものであるからだという。フーコーは両者の差異は、自ら規則を定めるために、恋の型の交渉関係の現前を求めるか否かであるという。男女間の夫婦の間では、「結婚状態に結びつく地位、家庭の管理、子孫の維持が行為の原則の基礎となり、行為の規則を定め、要求されている節制の形式を規定することができる。」しかし若者愛では「制度上の規制はなくて、開放的なゲームがあるのだが、行為の規制原理は交渉関係それ自体に、二人を結びつける愛着の性質に求めなければならない」。「二人の交渉関係それ自体についての省察というかたちで」行なわれるのである。男同士の恋愛術においては、恋する男も恋される男も自己統御が必要とされ、節度ある態度が要求される。「人々が問いかけるのは若者の行ないであり、恋される客体が道徳的な行為主体として形成されるべきものとしての恋される客体の恋愛術を組み立てること」が重要であったと指摘している。

 若者の二律背反
 成人男性と若者との性関係には困難な問題があり、さまざまな議論が行なわれていたとフーコーはいう。それは能動性と受動性にかんする社会的位階制のカテゴリーで考察されていたのである。古代ギリシアは奴隷制が存続した社会であり、やがて成人して統治する位置に立つ自由民の男性にとって、隷属を受け容れたと思われる性行動において客体になることは屈辱であった。男性同性愛を容認している社会において、男らしさと支配の概念は強く結びついている。限定的期間内でのことではあるが、若者が成人男性の快楽の客体であることは認められていた。成人男性が若者を快楽の客体にすることは、美への欲求から自然なこととして容認されていた。つまり快楽の主体であることは問題にならなかったが、若者の立場において特別な道徳が求められたのである。
 フーコーの指摘するところによると、若者愛が内包する反自然性にあるという。成人男性同士の性関係は一般的には不自然と考えられていたが、成人男性と若者の性交渉では成人男性の快楽は容認されていながら、若者が快楽を受け入れることは不自然だと思われていたのである。なぜなら若者を女性化するものであると考えられていたからである。誘惑される側の心のなかに、どうして「勇敢な男らしい気質」が育つだろうか? そして誘惑する側に「節制の心」が育つだろうか? 「快楽に負けて抑制することのできない人間の軟弱さは、万人がこれを非難するであろうし」、他方、「女の真似をする人間のあまりの女々しさは、これを軽蔑するであろう」とフーコーは、プラトンの『法律』(八巻)を引用しながら、『快楽の活用 第四章』で説明している。フーコーは分析している。「若者は肉体の快楽を所有すべきではなく、相手に屈する場合は相手に快楽を与えることに満足をおぼえなければならない」という。若者が同意する場合、相手の価値と地位と徳、相手の職業から習得される知識、将来の社会的な後楯、あるいは永続的な愛情、名誉ある利益を求め、成人男性はそれらを与えることができなければならないという。すなわち行為の引き伸ばしであり、拒否と回避と逃亡とのゲームであろうとフーコーは述べる。つまりは、自分に快楽を求める相手に、心遣いによって愛欲とは別の、贈与や恩恵や約束や誓いの代償をともなうということ、別種の交渉に変えるかであろうとフーコーは要約する。
美しい者に向けられる性差のない欲求がある反面、男性社会を構成していた古代ギリシアにおける男性同性愛の困難な
諸問題から、支配と屈従を中心に異性愛との比較を通して見えてくるものがあった。快楽の客体としての女性に対しては自然であり、若者には不自然であるということからうかがい知れる女性蔑視がある。若者愛の場合は「移ろいゆく時」への想いと、やがて支配者側に立つまでの猶予期間における教育や道徳の問題があった。後世には、この若者愛で考察された概念が異性愛に引き継がれたというフーコーの指摘があったが、どのようにローマ期やキリスト教社会、近代社会に変貌し継承されたかは、やがてこのエセーで考察することになろう。その前に、このような若者愛にかかわる困難、「いかにして快楽の客体を、自分の快楽を支配する主体となすか」(フーコー)を、プラトンはいかに考察し哲学的に解決したかを見るために次の章で『パイドロス』を読み解いていこうと思う。

参考文献
『饗宴 パイドロス』(プラトン全集5)一九八六年十月 岩波書店
『アルキビアデス1』(プラトン全集6)一九八六年十一月 岩波書店
『クラチュロス テアイテトス』(プラトン全集2)一九八六年七月 岩波書店
『国家』(プラトン全集11)一九八七年四月 岩波書店
藤沢令夫『プラトンの哲学』(岩波新書)一九九八年一月 岩波書店
ミシェル・フーコー『主体の解釈学』二〇〇四年 筑摩書房
ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』一九八六年十月 新潮社
『井筒俊彦著作集1 神秘哲学』一九九一年十月 中央公論社
中山元『賢者と羊飼い フーコーとパレーシア』二〇〇八年 筑摩書房


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