ヒーメロス通信


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パレーシアステースとしてのプラトン、(後編)その二、小林稔季刊個人誌「ヒーメロス」18号2011年6月

2012年08月06日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十)
パレーシアテースとしてのプラトン、(後編)その二、


パレーシアのプラトン的特徴
内戦勃発時に書かれたといわれる第八書簡には、二つの注意すべきテクストがあるとフーコーは述べる。ディオニュシオス一世の跡継ぎとディオニュシオス二世の跡継ぎ、さらにディオンの跡継ぎ(息子)、これら三人の王たちを宗教的機能のもとに一つにすることをプラトンは望んでいると指摘する。その仕組みは法律の存在と機能を保証するものであるとフーコーはいう。後の著作『法律』で反映される「法の番人」である。

わたしとしては、ともかく現在わたしは一応、薬と思われているところを、歯に衣着せず、ひとつの公平な立場か正論を用いて、打ち明けてみることにいたしましょう。というのは、つまり、ここでは僭主のなった側と、僭主に服従させられた側とを、それぞれひとりずつに見立てて、二人に対してのつもりで、調停官風に問答を交しながら、わたしは以前からの忠告を、繰り返そうというわけです。(第八書簡354A)

右に引用した箇所は、パレーシアの表明とも行使とも言えるような領域にいることを示しているとして、フーコーはさらにテクストを読み進めながらプラトンの助言の特徴を取り出していく。最初に直接自分が語るのではなく、故人を媒介にして自分が語ることの権威を強調するということがある。ディオンという死者、生命を危険にさらし真実を語った、つまりひとりのパレーシアテースを介入させる。それはプラトンが自分の語りを無効にするように見えるが実はそうではなく、ディオンはプラトンに生前、師として育てられていたから、プラトンがパレーシアを行使していることに変わりはない。「亡くなった人物を登場させ、今語られつつある物事を効力あるものとする」のは、ギリシアの雄弁術によく用いられる修辞学の方法であるとフーコーは指摘する。しかし、プラトンは雄弁術として活用しているのではなく、パレーシアの行使において活用しているのであり、プラトンのパレーシアの特徴であるとフーコーいう。次に、「今現在」という彼の表現にあるように、プラトンのパレーシアは「状況と状況についての言説であると同時に、恒常的なものの原理に結びついたもので」あり、その緊張を引き起こすところに特徴があるとフーコーは指摘する。例を挙げると、「隷属と自由とは、そのどちらかが行き過ぎた時、大きな悪となる」とプラトンはいう。その後で、「神に対する隷属や服従はまったく節度のあるものだが、人間に対する隷属は常に度が外れている」と加える。フーコーは「一般的な原則への参照と、個別的な状況への参照とのあいだで緊迫するパレーシアの言説」がここに見られるとフーコーは述べる。三番目の特徴は、政治的対立を超えた全ての人たちに、ひとりの人に対するように語るということである。「国家に処方と法を押しつける一般的な言説」であると同時に「一人一人にある種の操行、やり方を獲得させるような説得の言説」であるとフーコーはいう。四番目の特徴はシケリアにいる二つの党派に「diaitêtês」として語りかけるということである。「diaitêtês」とは、調停者のことであり、裁判以外の場所で頼れる調停者である。つまりプラトンは各党派間の調停者、国家のための医学的養生法を与える者としてパレーシアを行使するのである。(「diaita」には調停と養生法の二つの意味があるとフーコーは指摘する。)

 すべての神々および神々と並べ崇めるにふさわしいかぎりの他の神霊たちに、畏敬の念をもって祈願を捧げたうえ、諸君は味方の者たちにも離反者たちにも、おだやかにしかも手立てを尽して、呼びかけ説得しつづけるのを、けっして止めないでください。少なくとも、諸  君が、いまわれわれによって論じられたこれらの方策を、いわば『目覚めの枕辺に立つ神来の夢』とも受けとり、実地に手がけ、運よく、そしてまぎれもなく成就させるに至るまでは」(第八書簡357C-D)

 最後に挙げる四番目の特徴とは、自分が語る助言が現実に直面する挑戦、つまり自分の言説がほんとうか嘘かを現実が示すということを受け入れることである。引用した「今われわれによって論じられた方策」、つまりプラトンの助言を「目覚めの枕辺に立つ神来の夢」(哲学者は必要とされるときに訪れて語るべきことを語るの
であり、それは人間たちのもとを訪れる神の夢のようなもの=フーコー)と受け取り、哲学者が語りかけるの
は人間たちが目覚めている時であり、神の夢が真実を語るのは、努力して物事がはっきりした仕方で現実の幸
運に出会えた時であるとフーコーは読み解いている。つまり哲学者の助言は神の夢と同格であるとし、人間たちが目覚めている時に神の夢は現実に幸運をもたらすとプラトンはここで語っているのである。

政治との関連における哲学的な〈真実の語り〉
 フーコーは、プラトンの助言から解読できる三つの重要事項を、『自己と他者の統治』の二月二十三日の講義で語る。一つ目は哲学と政治の関係の基本的特徴である。哲学と政治の関係は、哲学が権力を行使する最良の方法に関して哲学が本当のことを語る能力に探し求めるのは間違えているということが分かることである。権力に対して言うべきことは何かではなく、権力との交わりの中で本当のことを語るということを考えなければならない。「政治的実践への関係」において、その関係性の中でのみ真実を語るということをフーコーは主張しようとしている。「政治的言説というものは、その真実において、また政治という場における、真実を見出すために必然的に行われるべきゲームの内部で、政治的行為というものがどうあるべきか、という点について思いをめぐらす必要はない」とフーコーはいう。つまり政治的行為について真実を語ることもなければ、政治的行為のための真実を語ることもない、あくまで政治的行為との関連において、政治的な人物との関連において真実を語るということになる。哲学は政治との関連で本当のことを語るべきなのであり、政治が行うべきことについて語らなければならないわけではない。近代または現代においても同様で、どのように統治すべきか、どのような決定を下すべきか、どのような法を適用すべきか、どのような制度を作り出すべきかを語る必要はないとフーコーはいう。しかし哲学が政治との関連において真実を語ることができるということは本質的なことであり、政治的実践と哲学が恒常的な関係を結んでいることは重要であるという。一見矛盾した論理であるが、政治的合理性と哲学の〈真実の語り〉は一致しない、にもかかわらず政治的実践との関連において哲学は現実の試練を受けることが重要なことであり、西洋における哲学と政治的実践の構成要素である。しかし、「獲得されるべき一致」と捉えてはならないとフーコーは主張する。逆に言えば、一致すべきと考えられてきた歴史があり、政治的合理性の方も自らひとつの哲学的教養として正当化してきた歴史があったのである。プラトンにとっては、「本当の問題が政治家たちになすべきことを語るということでは決してない」し、西洋哲学一般にとってもそうであろうとフーコーはいう。二つ目は「個別的なひとつの歴史的情勢」の出現が見出されるということである。フーコーは、個別的ではあるが、古代ローマ時代の末期まで支配的であった特徴であるとフーコーは述べ、プラトンの助言を二つに分けて考えている。ディオニュシオスにした最初の助言とディオニュシオスとディオンの友人たちにした助言。前者は国家の組織が占める位置、また制度、法律や司法が占める位置は限定的であるが、後者は広範囲で、同盟に関する問題、勝者と敗者の関係に関する問題、連合国家の関係や首都と植民地の関係に関する問題、服従した国家に対する統治の仕方に関する問題などである。要約すれば帝国の問題と君主制の問題、具体的にはシケリアという都市国家が他の都市国家同士の敵対関係や同盟、連合や植民地の仕組みなど古代ギリシア世界に近い世界の問題である。古代ギリシアの巨大な君主制国家がうち立てられた時以後、また地中海を被いつくすローマ帝国世界が組織された時以後に問題になる、政治的統一体をいかに組織すべきかという問題や具体的な政治的問題に引き継がれていくものであったとフーコーは解く。都市国家という政治的単位では考えることができなくなった政治的統一体、ある種の君主制というかたちでの統一体はどのようになされるべきであるか。個別的な問題に対するプラトンの助言でありながら、それは八世紀もの間に存続し、恒常化する新しい政治的現実に語りつづけたとフーコーは指摘する。
 一つ目の、政治的実践と哲学の一致しない恒久的な相関関係を明らかにすること。二つ目は、プラトンの時代に描き出される新しい歴史的・政治的情勢の中で君主自身が哲学者でなければならないというプラトンの主張とは何かということ。哲学的言説と政治的実践の不一致は、どのような場で見られるのか。キュニコス派はアゴラ(広場)や集会場などの公共の場であるのに対して、プラトンにとっては公共の場ではなく、君主の魂
であるとフーコーはいう。西洋の政治思想や哲学の歴史においてキュニコス派とプラトン学派の対立がつづい
ていくことになる。一方は公共の場であり、他方は君主の魂である。「哲学の語りは公共の場所にあって、君主
の行為や政治的行為に対して挑戦し、対決し、嘲弄し批判するものであるべきか、あるいは君主の魂に語りか
け、それを訓育すべきものなのか」という選択は、紀元前四世紀のディオゲネス(キュニコス派)とプラトン
の対立から始まったのである。

わたしは、国政にせよ個人生活にせよ、およそそのすべての正しいあり方というものは、哲学からでなくしては見きわめられるものではないと、正しい意味での哲学を称えながら、言明せざるをえませんでした。つまり、「正しい意味において、真実を哲学している部類のひとたちが政治上の元首の地位につくか、それとも、現に国々において権力を持っている部類のひとたちが、天与の配分ともいうべき条件に恵まれて、真実に哲学するようになるのかの、どちらかが実現されないかぎり、人類が、禍から免れることはあるまい」と。(326A-B)

第七書簡でこのように記述する以前に、プラトンは『国家』において「政治的権力と哲学とが一体化されるのでないかぎり、国々にとって不幸のやむときはないであろう」(473C-D)と、すでに書いていた。まるで政治と哲学の一致を説いているように見えて実はそうではなく、フーコーによれば。「哲学的な言説と哲学的な知と、
政治的実践との完全な一致」ではなく、「哲学を実践する人々と権力を行使する人々のあいだの一致なのである」。
哲学的な知が政治的行為や決定の掟になるということではない。「政治権力の主体が、同時に哲学的営みの主体でもありうるということ」であるとフーコーは解読している。つまり「哲学する主体の存在様態と政治を実践する存在様態との同一性についての問い」である。フーコーは次のように帰結する。「ある正しい政治の方針に従って他者を統治し得るためには、君主の魂は、本当の哲学に従って、本当に自らを統治できなくてはならない」ということである。このエセー『自己への配慮と詩人像』の最初に、『アルキビアデスⅠ』でソクラテスが政治家志望のアルキビアデスに教えた、他者を統治する者は自己を統治しなければならず、まず自己とは何かを知らなければならない」というテーマ、「汝自身を知れ」というデルポイの神託にこめられた「自己へ配慮せよ」という古い教えと直結しているのである。哲学することは、政治との関係において政治になすべきことを規定するものではないが、統治する者に対して自分がそうあるべき者として規定しなければならない。つまり政治家の存在様態を規定することができると、フーコーはプラトンのテクストを解読した。それは試練であり、哲学する主体との一致において、権力を行使する者の存在様態とはどのようなものか。フーコーはいう。以前、この論考でも論じたマルクス・アウレリウスは、プラトンの生きた時代から六世紀後になって、哲学者であろうとした君主として出現したのだ。彼は「哲学に対して、君主であるとはどういうことかを絶えず問いかけていた」のであり、哲学と政治の、一致ではなく交わる場所とは、君主の魂なのであるとフーコーはプラトンのテクストから読み解いているのである。

近代哲学と古代的な哲学のあり方
 ペリクレスを頂点に描き出される政治的パレーシアでは、市民を説得させるのは弁論術であった。ペリクレスの意見が国家の意見であり、成功するか、あるいは不成功かの危険は両者が共有すべきものであった。その直後にソクラテスという人物が現れるが、民会で民衆に呼びかけることは拒絶して街頭に立ち、日常言語で自己への配慮を語りつづけ、それがもとで命を落すようになるソクラテス像を描き出し、自ら哲学的パレーシアを行使したプラトンから明確に導き出される特徴をフーコーに従ってまとめてみよう。一つ目の特徴は政治に対する外在的関係である。統治者(権力者)に助言するための非政治的な仕方は、フーコーの言い方を借りれば、「政治との関係において自分自身の現実を試練にかけるということ」であるという。プラトンの『書簡集』がそれを明らかにする。二番目の特徴は弁論術への徹底的な排除である。政治に対しては外在性を保ちながら相関関係は絶えずあったことは、すでに『パイドロス』で検討した通りである。政治家が哲学者に対して他者であるとすれば、哲学者が語りかけるのはその他者に対してである。しかし、弁論家という他者は追放しなければならない他者なのである。「哲学は弁論術を犠牲にするという代償のもとでしか存在し得ない」とさえフー
コーはいう。弁論術と引き換えに、哲学が確証するのは、対話術と教育法である。三つ目は、魂の教導としての哲学の特徴である。これは『ゴルギアス』で示されたもので、魂の教導との関係の中で哲学的パレーシアが明確になる。ある種の「包摂、相互性、接合」といった関係であり、「性愛的でもあるような関係」であるとフーコーは解読している。これら三つの特徴(政治への関わり合い、弁論術の排除、他者の魂を求めること)は、ある視点からみるとペリクレス的パレーシアの機能の再度の捉えなおしといえるとフーコーはいう。勇気を政治体制に行使していたペリクレスに対して、ソクラテスやプラトンは対話術の原則に従って述べなければならなかったとフーコーは指摘する。またペリクレスは弁論術を駆使して他者を説得するのに対して、ソクラテスやプラトンは師が弟子に対して、魂だけでなく身体までも従わせるという、魂への働きかけを要求する。これら三つの特徴は、近代哲学となるべきものの根本的な要素や特徴といえるものが描き出されるとフーコーは主張する。自分自身による主体の変化や他者による主体の変化のうちに、自らが働きかける対象を見出すようなひとつの実践である哲学こそが哲学の近代的なあり方を構成するもの」であろうとフーコーはいう。この論考の最初の方で論じた「哲学と霊性」の問題をフーコーは示唆していると思われる。十九世紀の哲学が提起した再びの「自己への配慮」を配慮するようになったとフーコーはいう。真理から霊性を乖離させた神学については次回以降に論じていくことになるが、近代哲学も古代哲学も、政治の領域で何をなすべきか、いかに統治すべかを言うのは間違いであり、学問の領域において真偽を言うのは間違いである。さらに主体そのものの解放やその疎外の克服という目標を与えるのも間違いである。つまり哲学が政治に何をすべきかを語るべきではないということである。哲学は政治に対して「永続的で反抗的な外在性のうちにとどまるべきであり、ごまかしや欺瞞や錯覚に対して批判をすべきで、哲学は自分自身の真理についての対話術的なゲームを行うことになり、真実と虚偽を区別するべきではない。また哲学が疎外からの解放をするものと考えるべきではない。自己への関係が実際に変化することができるような、もろもろのあり方を決定すべきであるとフーコーは主張している。
 古代哲学をパレーシアという観点から見ると、哲学とはある種の行き方の選択であることが分かる。何をかを諦めることであるが、キリスト教の修練主義のような生き方の、ある種の浄化ではないとフーコーはいう。それはピュタゴラス派の伝統に根付いたものではあるが、その痕跡はプラトンにもあるものの、古代哲学から紀元二世紀の歴史の中で考えれば、恒常的なものではなく、哲学的な生は真実の表明であるとフーコーは考えている。さらに、統治者に語りかけることも恒常的に見られる。キュニコス派的な横柄さで批判することや、セネカのように君主に対する教育というかたちをとることもあり、紀元前一世紀と紀元一世紀のローマのエピクロス派のように政治的に反対の姿勢を示す集まりになる場合もあったとフーコーはいう。またはエピクテトスの学校が持っている機能があった。職業哲学者になるための教育のほかに、学問や教養を補うための研修や、旅人が旅の途中に立ち寄って意見を聞きにくることもあった。このようになされる古代哲学にはある種の限界が感じられ、空洞というかたちで、キリスト教思想、キリスト教禁欲主義、キリスト教的〈真実の語り〉がそこに雪崩れ込んで行くことのできるような、ある場所のような何かが姿を表すのが感じ取れるとフーコーはいう。キュニコス派の救済についてフーコーは詳しく例を挙げているがここでは割愛する。フーコーが言いたいのは、「ソクラテスよりも六世紀か七世紀後に、キリスト教の教えが、さまざまな形態のもとにそうしたパレーシア的機能の後を継いでそこから徐々に哲学を取り除いてゆくことになる」ということである。つまり政治的なパレーシアから哲学的パレーシアへ、そして哲学的パレーシアからキリスト教的司牧への移行である。近代哲学(十六世紀に再登場した哲学)においてパレーシアの基本構造が再び割り当てられたものとして、またキリスト教のうちに見出されるパレーシア――自己自身を語る義務と自らの救済――から再び取り戻したものとしてそれを考えることができないかとフーコーは問う。さらに十六世紀以降のヨーロッパの哲学の歴史を政治や科学や道徳についての真偽を述べる学説の連なりとしてではなく、〈真実の語り〉についての実践の歴史として考えることができるであろうとフーコーは主張する。「キリスト教司牧とは何か、その効果や権威の構造、〈神の言葉〉、〈聖典〉や〈聖書〉に対して司牧が押しつけていた関係をめぐって行われていた議論から近代哲学がどのように抜け出したかを考えてみるなら、また、十六世紀に、哲学がそうした司牧の実践の数々に対する批
判として立ち現れてきたという点を考えてみるなら、哲学が新たに姿を現してきたのはパレーシアとしてであ
る」と考えることができるのではないか。さらにデカルトの『省察』もまたパレーシアの試み、古代哲学のパレーシア機能を再び取り上げなおすという動きが見られるとフーコーは指摘する。
 すでに論じたように政治的パレーシアから哲学的パレーシアに移行があり、パレーシア的実践の繰り広げられる場所が政治の舞台そのものではなくなったとき、起こるのが哲学である。しかし政治の領域におけるパレーシアが消滅したのではなく、「ローマ帝国までを含めた古代ギリシア・ローマにおける政治制度の歴史を通じて、こうした政治的領域におけるパレーシアの行使という問題は提起されつづけのであり、常に新たに提起されてゆく」とフーコーは述べている。政治的パレーシアが哲学的実践の方へと派生していったことにより、哲学的言説や実践、また哲学的な生についてある種の方向転換が生じたのだとフーコーはいう。

 『ゴルギアス』に先取りされた、キリスト教的自己の〈真実の語り〉
 プラトンが『ゴルギアス』で扱ったのは、権力者との関係や弁論家との関係ではなく、哲学と関わろうとする若者、その魂を形成しようとする若者との関係において哲学を定義し、描き出している点にあるとフーコー指摘、「弟子との間に打ち立てるべき関係はどのようなものであるか」を明確に定めているという。「弁論術について」という副題がつけられたこの対話篇では、「弁論術の本質は何か」という論議で、弁論術は追従の技芸であるから善に到達できないという結論に達するのであるが、フーコーによると、「弁論術から、魂の指導という別の移行」が見られ、キリスト教における告解と自らの救済へと導く、これまでとは違うパレーシアの形態が見出されるという。

 だがもし、不正を行ってしまったのなら、それを行ったのが自分自身であろうと、あるいは自分が面倒を見ている誰か他の人であろうと、とにかく不正を行なった者は、自分からすすんで、できるだけ早く裁きを受けることになる場所へ、行かなければならないのだ。ちょうど病気になったときには医者のところへ行くように、この場合には裁判官のところへね。それも、不正という病気がこじれてしまって、魂のなか深くまで膿み腐らし、これを不治とすることのないようにと、大急ぎでね。(『ゴルギアス』481-A)

 不正を行なった者は、自分自身であろうと他者であろうと裁きを受け、魂を浄化しなければならないという考えが述べられている。この論考の『パイドロス』論で見たように、魂がこの世での行いにより、死後裁かれ、人間や動物に転生するという考えがピュタゴラス派の思想の影響を受けていることを考えてみたが、ここにもその影響が濃厚である。フーコーは後のキリスト教が『ゴルギアス』を参照したかどうかは不明としている。「数世紀にわたる長く緩慢な進化についての問いがある」としながら、その進化とは他者を導くために語る権利や特権をもつ政治的パレーシア(ペリクレス的パレーシア)から、別のパレーシア、ポスト古代的といえるような、古代哲学以後の、自己自身にについて語るという義務、自己自身について真実を語るという義務によって自己自身の救済に導かれるキリスト教に見られるパレーシアが『ゴルギアス』の叙述に見出されるとフーコーは驚きをもって述べている。キリスト教に見られる告白を五、六世紀先取りしているように思われるが、実はそうではないことをフーコーは明かしていくのである。
 
 不正を弁護するという目的のために、その不正を行ったのが自分自身であろうと、両親であろうと、仲間たちであろうと、子供たちであろうと、あるいは、祖国が不正を行っている場合であろうと、弁論術は何の役に立たないことになるのだよ、ポロス。ただしひとが、反対の目的のために役に立つと解釈してくれるなら、話は別になるけれどもね。――すなわち、誰よりもまず自分自身を告発すべきであり、それに次いでは、身内のものでも、またその他友人たちの中で、それぞれの場合に不正を行うものがあれば、その者をも告発すべきであり、そして、その非行を包みかくさずに、白日の下に持ち出すべきであるが、それは裁きを受けて健全な者となるためである。そしてそのような際には、自分自身にも、ほかの人たちにも、卑怯な真似をさせないで、ちょうど医者に身をまかせて切ったり焼いたりしてもらうときと同様に、善きこと美しきことを求めながら、苦痛は勘定に入れずに、立派な男らしい態度で、眼をつぶって、その裁きに身を委ねるようにしむけるべきである。……(中略)……そうするにはまず、自分が自分自身の、あるいはその他、身内の者の告発人となり、
そしてその非行が明らかとなることによって、最大の悪である不正から解放されるようにという、その目的のためにこそ、弁論術は用い
るのでなければならない、というふうに解釈してくれるのならだね。(『ゴルギアス』480BーD)

「一般的に道徳的・市民的な良き振る舞いについての確かな規範」と解釈されるであろうが、ここでソクラテスが言おうとしていることはそうではなく、「魂の教導」というあり方から述べているとフーコーは読み解いている。「弁論術を用いて、自らの罪を認めに行き、それに結果する罰によって自らの治癒を手に入れるということではないか」という。「ソクラテスは自分に対してなされたいくつかの訴えに向かい合い、それを認め、罰を受け入れた」と多くの注釈者たちは主張する。過ちは病気のようなものであるという主題はプラトンや悲劇にもよく見られ、その起源はピュタゴラス派に起源を有し、浄化と治癒は交じり合ったものであると考えが見出されるという。また「魂の本当の変容は、法的な場面において、自分自身について本当のことを語ることと、他者に罰せられることで不正が正当なことへと変容するような場においてー―告白についての弁論術を通じてなされなければならない、という主題」があり、その後の千年にわたってなされる核心のようなものがあると考えられると多くの注釈者たちはいう。しかしフーコーはこの考えをきっぱり否定する。なぜなら法的な場における弁論術が不当なものから正当なものへと変容できるという考えはプラトン的な魂の教導からは程遠いからである。ソクラテスは不正を犯して裁判官のもとへ駆けつけたのではない。裁判官がソクラテスを訴えたのである。また、ソクラテスが罰を受け入れたのは、不正を犯し、不正を認めたからではない。「市民たちは法律を用いているが、その法律はそれ自体では正当であり、私を不当に断罪するために用いているのだ。もし私がそうして法律を逃れようとすれば、私自身が不正を働くことになるだろう。私が国家に対して持っている感謝、法律に対しての敬意、そうしたすべてのことによって、たとえ不正に訴えられているにせよ、わたしはそうして訴えや、それがもたらす結果から逃れるつもりはない。」フーコーは『ゴルギアス』のテクストを引用して、このように「これは全く告白の領域に含まれるものではなく、法に従わないという不正を犯さないために、法に従うということなのである」という。問題は不正を働く人間を正しい人間にすることであり、不正な人間を正しく見せることではないので弁論術は役に立たないということである。弁論術の別の利用法をソクラテスは語る。つまり自分自身を訴えるために、あるいは「かりに人が誰かに対して、害を加えなければならないのだとしてみよう。(自分が害を加えられないとしての話だが)、その敵が裁きを受けないように、裁判官のところへ行くことのないように工作しなければならない。もし裁判官のところへ行ってしまったら、その敵が訴訟に打ち勝って罰を受けないですむように、もし死刑に値する悪事を行っていたのなら死刑にならずに、むしろ悪人のままでいつまでも死なないように取り計らわなければならない。そのような目的のためなら弁論術は役に立つと思われるのだ。」(『ゴルギアス』481Aより要約)前者は自分の罪を訴えるため裁判のところへ行き、弁論術を利用すること、後者は不正な人間を不正な人間のままに閉じ込めておくことである。両者とも弁論術の有りえない馬鹿げた使用である。「不正な人間であるあなた方が正当な人間に変容できるのは、自分を罰する裁判官の前で自分自身についての真理を述べることによってではない」とフーコーは断言するのである。

性愛の術へと導くパレーシア
フーコーは『ゴルギアス』の中のもう一つのテクスト、「魂の教導を実際に働かせることができるような言説のあり方はどのようなものか」ということが分かる部分に説明を加えている。

いまかりに、ぼくの魂が黄金でできているとしたら、カリクレスよ、人々が黄金を検査するのに用いる医師の一つ、それもとびきり上等なのを見つけ出したときに、ぼくは大喜びするだろうとは思わないかね。つまり、その石というのは、ぼくがそれへ自分の魂をあてて調べてみたとき、ぼくの魂は立派に世話ができているということを、もしそれが認めてくれるなら、ぼくは満足すべき状態にあるのであって、ぼくにはもうほかの試金石は何もいらないのだということが、よくわかるはずのものだからね。……(中略)……ぼくの魂が思いなすことについて、君がぼくに何かを同意してくれるなら、そのことはもうそれで、まさに真理であるということが、ぼくにはよくわかっているからなのだ。というのはひとが相手の魂を検査して、それが正しい生き方をしているか否かを、充分に吟味しようとするなら、その人は三つの条件を――つまり、知識と、好意と、そして率直さとを、そなえていなければならないと、ぼくは思うのだが、君はそれらを三つとも、全部そなえているからなのだ。(『ゴルギアス』486D-487)

(フーコーは右の引用をもう少しつづけているが、ここでは省略する。)過ちを犯したときいかにすべきかという問題が論じられている。先ほどの引用につづいて二つ目になる。一つ目は裁判所に駆けつけて罪を告白することであり、二つ目は、「もし過ちが犯されたなら、それはわざと犯されたものではなく、それゆえそれを犯した者は改めて、あるいは新たに助言を必要とする、ということを認めなければならない。しかしそうした助言の後で、しかもその過ちの本質を教えられた後で新たに過ちを犯すのであれば、彼に対する唯一の罰は、彼を指導する人物に見捨てられるということ」であり、ここに見られるのは告白についての法的場面に見られるゲームとは関係がなく別のゲームを伴うものである。「それは、質問と答えというゲームを通じての、魂についての永続的な試練、魂とその性質についてのbasamos(試練)であるとフーコーはいう。右に引用した「率直さ」とはパレーシアのことであり、哲学者と弟子の間でなされる対話に求められるものとして語られている。フーコーによると、「正当なものが不当なものより好ましいというのは嘘である」というカリクレスを、「力への意思」の表明、ニーチェ的人間の先取りと解釈するのは間違いで、「善良で模範的な若者」であり、「もっとも強い者がもっとも弱い者に命令すべきである」などといった言い方はとてもありふれたことであるという。「ソクラテスがカリクレスという人物において関わり合っているのは、平等になってしまった体制のうちで、伝統的な闘争的ゲームを作用させたいと願っているひとりの若者」なのであり、「ニーチェ的な貴族制の前兆であるような代表者と関わり合っているわけではない」とフーコーは説明する。カリクレスは、弁論術によって平等を押しつける社会を不平等なものにしようとし権力を手に入れようとするのである。従って弁論術は法に向けられたものではない。なぜなら弁論術は法に抗して作用し、自らを正当化するには、純粋な闘争的ゲームとしてなのであるからとフーコーはいう。弁論家としてのカリクレスには、多数の人々を説得し、それに対して優位に立つべき人々と競合し、弁論術を使って最高の者となること望むというゲームとは別のゲームをソクラテスは提案する。右に引用された「試金石」の喩えをフーコーは次のように解釈する。「試金石はそれを用いて試験にかけようと望むものの真の姿がどういうものであるかを知ることを可能にし、またそのものが確かに自らそうであると主張しているものであるかどうか、そしてそれゆえ、その言説なり外見なりがそのありのままの姿にふさわしいかどうか示される」ものである。「他者によって魂に課せられる試練としての言説」、「言説がひとつの魂から別の魂へ試練として伝わる」ような言説をソクラテスは提案する。「親近性」によって本当の姿と真実とが示される。
 このような対話は二人で行うものであるとフーコーは指摘する。なぜなら、知識(エピステメー)と好意(エウノイア)と率直な語り(パレーシア)はそれぞれ異なっているからだという。カリクレスは知っていること、つまりエピステメーを用いながら、友情のエウノイアのもとに、パレーシアを駆使し、次第にソクラテスの言説が自分より優位を保つままに誘導され、語ることを諦めたカリクレスの沈黙のうちにソクラテスのエピステメーが表明されるという。哲学的言説にとっての真理とは、デカルトのように考える人と考えられたものとの、明証性ではなく、二人の言説の一致(ホモロギア)にあり、言説を保持する個人がエピステメー、エウノイア、パレーシアの三つの基準に従っていなければならないとフーコーは説く。ホモロギアが真理の形式と試練の場になるためには、「自分が本当だと考えていることを語ることを保証する知識(エピステメー)と、二人の対話者がそれぞれ相手に対して、「友情の範囲に属するような好意の感情(エウノイア)を持っていなければならない」。さらに「恐れや臆病や恥といった部類のものが、本当だと思われる事柄の表明を何も制限しないことが必要」である。国家の統一体の中で命令者と他の人々を結びつけるペリクレス的モデルの政治的パレーシアに対して、ソクラテス的モデルの哲学的パレーシアでは、師と弟子を結びつけることで、知の統一体、つまり〈イデア〉の統一体、つまり〈真実在〉そのものの統一体へと結びつけるのであり、前者は弁論術によって単一的な命令へ導き、後者は性愛の術へと導くものであるとフーコーは結論する。

プラトンは、政治と哲学の実践的側面において乖離するものととらえずに哲学にとって政治は試練であると受け留めていた。それぞれの機能と役割を峻別し、哲学は政治においては君主への助言を目的とする。キュニコス派のように街頭での政治批判を実践するのではなく、「自己への配慮」を基軸に内面を探求する哲学の生へと導いていく。哲学の〈真理の語り〉と政治の実践は一致しないと考える。「哲人王」を掲げてはいるものの、『国家』や『法律』は直ちに政治に適用すべく書かれたものと考えるのは正しくない。プラトンは他者を統治
するための自己の統治を、政治家の志望の青年たちに説くソクラテス像を描き出す。自己の探求はあくまで他者との関わりの中で成立するものである。哲学的問答法(ディアレクティケー)は重要なファクターであり、書物としての哲学を否定した理由の一つになる。文学と哲学の関係も同様に考えることができると私は思う。幼少時に詩に親しむことの大切さを随所で説きながらも、詩人追放論として注釈者に指摘される隔絶はプラトン哲学の確立に必要であったと藤沢氏は指摘した。今日、詩が実践的な詩人の生から生み出されるものと考えるなら詩は哲学によって試練を受けるべきものであると私は考えるのである。(詳細はこの論考の「詩人像」で論じよう。)
哲学はエクリチュールではなく対話から見出される真理であると考えたプラトンの時代とは大きく相違し、活字文化の現代においては対話よりエクリチュールの可能性が格段と増加している。真理を文字で示すことではなく、思考し、書きながら真理を見出していこうとする「実践的エクリチュール」の文学的行為は、モノローグも思考においては自分との対話と考えるなら、書物の読解を通じて時空を超えた他者との対話やエクリチュールの他者への発信、意見交換をすることで、プラトンの哲学的問答法の契機につながるのではないかと私は考える。情報社会とも呼ばれる今日、情報として流出する言葉は、プラトンの言う書物の言葉と近い存在である。自分自身で思考(対話)しないかぎり〈真理の語り〉とはならないのである。「飛び火によって点じられた燈火のように」とは、私にとって詩人がものする実践的エクリチュールの中に見出される言葉そのものである。自らの哲学を対話篇に書くことにより、プラトンは時代を超えて読み手=私の魂を誘導したといえよう。

〈参考文献〉
『プラトン全集14書簡集』(岩波書店)・『自己と他者の統治』ミシェル・フーコー(筑摩書房)
『プラトン全集5饗宴 パイドロス』(岩波書店)・『プラトン全集1ソクラテスの弁明 パイドン』(岩波書店)
『プラトン全集9ゴルギアス』(岩波書店)・『プラトン全集11国家』(岩波書店)『賢者と羊飼い』中山元(筑摩書房)
『プラトンの哲学』藤沢令夫(岩波書店) 〈次回からキリスト教についての考察を予定しています〉



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