緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

大学入学試験

2007年06月07日 16時04分06秒 | 青色思出
全国統一大学入学試験が今日から始まる。受験申込者は約1010万人という。

五年前の2002年真夏、僕も受験した。今からみれば、日本語と縁結ぶ試験だといってよかろう。その年の受験日はまだ七月の七日と八日だった。ところが、七月がちょうど洪水、台風などの自然災害の多発期であり、猛暑が続く真夏時期でもあるから、2004年から受験日がやや涼しい六月の七日と八日に変わった。

高校時代、学校が延安の町中にあるから、僕は寮生活だった。

六日の黄昏。学校の正門で父の来るのを待っていた。電話で私は「来なくてもいいから」と言ったが、「行く行く!」と父は承諾した。別に期待していなかったが、本当にいなければ困っていただろうかと思った。その時、母はまだ餃子店を経営していたから、来なかった。そのかわりに、美味しい餃子を作ってくれた。学校の食堂で父と一緒に食べた。臍の緒切ってから食べた一番美味しかった餃子。

受験教室は延安市第四高校にあるから、第四高校あたりのホテルや旅館はその両日に受験生と家族のため全部満員だった。もちろん、僕と父もその中にいた。六日の夜は長かったか。あるいは緊張したか。朝五時、目が覚めた。

試験は九時から正式に始まった。科目順によって国語、文科総合(政治、地理、歴史)、数学、英語の四つに分けられた。750点満点。七日午前は国語で午後は文科総合だった。八日午前は数学で午後は英語だった。

八日午後五時のその試験終了ベルは忘れられないんだ。受験教室に離れて、校外でほかの受験生の親らと待っていた父の顔が目に入った時、僕はやっとほっとした。十二年の寒窓苦学がやっと試験終了ベルの音で終焉を迎えたと、リラックスしながら僕らは飛び上がった。人生において、十二年は実に短いが、受験生のわれわれにとってそれはとても長かった。

翌日。学校に戻り、先生らと大学選択と専攻志向について相談し始めた。九日から十五日までの一週間内みんなで話し合った一番の話題が以上のことだった。そして、自分の予想点数、選択された大学名と専攻と共に学校に提出しなければならなかった。十六日、校庭が静かになった。

僕は日本語などの外国語が専攻なので、また25日に延安大学で行われた英語口頭試験を受けた。その点数を参考にして総点数に加えた。

今でもたまたま「寒窓苦読」などの言葉を目や耳にすると、大学前の学生生活が頭に映画のようにまざまざと浮かび上がる。

大学入試は丸木橋、受験生は千軍万馬、という喩えがある。丸木橋から沢山の学生が落ちてしまうだろう。が、大丈夫。落ちても家族全員が橋の下で受け取るからだ。中国の父母はみんな千軍万馬の下敷で、どれぐらい可哀そうだか、以上の喩えで分かってくれると思う。だから、父と母の応援あっての今の私だといってもよかろう。受験生のみなさん、家族や恩師などの応援と汗馬の労を忘れないように頑張ってください。。