緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

旅男の体験談

2007年01月29日 10時59分48秒 | 文学体験
通り雨往く 峠 の茶屋に
晴れて 道连れ 旅の空
可愛い 踊子 太鼓 を 提げて
歩く 道筋 白い 花

今日の泊は いで 湯の 家 か
白い 湯舟 に 染まる 肌
可愛い 踊子 お座敷 めぐり
三味 と 太鼓 の 障子 窓
恋と 呼ぶには また 幼さ が
残る ・薄化粧
可愛い 踊子 小首 を 傾げ
笑う目元の 耻ずかしさ

舟は出て行く 下田の浜を
またの逢う日は 来るのやら
可愛い踊子、打ち振る指に
溢す涙も紅の色

             ―― 山口百恵  歌
 

 日本文学を言ったら川端康成を言わねばならぬ。ノーベル文学賞受賞者である川端の代表作品と言えば、「伊豆の踊子」を推したい。日本人は言うまでもなく、中国の日本語専攻者や日本語研究者は誰でも一度はこの作品を読んだことがあるかと思われる。

 道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。

                           ――「伊豆の踊子」冒頭文

 辞書を調べると、「体験」とは「実際に身をもって経験する」という説明(集英社「国語辞典」)。僕は日本に行ったことはない。無論、以上の冒頭文の背景に身を置くことはできない。しかし、心と感情がここで共通語となる。
 テーマを考えてみたが、「旅男の体験談」が良かろう。

 旅をしないで「伊豆の踊子」を奥まで深く理解することはできないと思う。そして、女より男のほうがもっと性別優勢を持って、さらによく理解するものである。
体験とは言え、実にはすごく短い汽車の旅であった、いや、ここでは旅ともいえなく、ただ汽車での帰省であった。それでも、この短い旅の出会いはぼくの作品に対する理解を深めた。
 学生時代にはよく汽車で帰省したものであった。汽車というものは旅の道具で車内のめぐりあいは不思議で新鮮無比だと思う。「伊豆の踊子」とぴったりする旅ではなかったが、その旅心がそっくり。

 大学三年生の夏の某日であった。
 僕は汽車で故郷の延安に帰省した。明るい早朝の汽車には乗客がたくさんいた。早く自分の席に腰を掛け、車外を眺めるのも僕の一癖である。
「ごめんなさい、この箱を上の棚に上げてくれるか」と一人の女の子が僕に声をかけた。
「はい、渡してくれ」と僕は自分の席に立ち上がって、相手の箱を高く上げて棚に整えておいた。
「ありがとう」と普通の一言で、その以外、何も言わなかった。何かほかのことを言ってくれるかと思い込んでいたのに、結局何も言わなかった。(ほら、作品の中の「僕」によく似てるだろう)。
女の子は僕の反対面の席に座っていた。箱が重いせいか、額の所に汗がかすかに見えた。林檎のような顔をしている女の子は十七、八歳に見え、非常に小さな存在であると思った。なぜこんな小さくて弱い女の子が一人で旅をするのか。ご両親が心配しているまいかと僕は考えた。しかし聞かなかった。僕は彼女に不安を上げたくなかった。
 「貴女、**ホテルでやったのか」(ここの「やった」は通勤すると理解してほしい。「やった」を用いるのはその質問者の男の俗語でなんとなく悪い意味をもつかと考えられる)通りの向こうの一人の中年男が聞いた。
 「いいえ」と短い答えであった。
 僕の心の中には「知らぬ他人と話さないでください」とばかり考えた。だが、その場ではどうしても言えないことであった。そして、女の子の隣のその男はあついせいか、なんとなく変なまねばかりしてたが、女の子に不敬なまねはなかった。

 延安まで静かにじっとしていた女の子の目つきから、僕は一種類の不安が感じられる。
 それは旅中でしか感じられない不安であった。未知の旅かなときっと彼女が考えていたのだろう。多分僕の敏感過剰とも関係があると思うが、その場では不安げな気がするのは当たり前であろうと考えるまいか。時々その不安はどうも名状しがたいものである。
 故郷の肉親或いは自分の未知の未来を考えてるかもしれぬ。
 「気をつけて下さい」と母の言葉を心の中に何回も繰り返しているかもしれぬ。
 要するに、いろいろな可能性がある。

 僕は女の子に対して、恋というものがなかった。そして、どうもその当時の僕はもう思春期の少年ではなかった。
 だが、その旅の後、また「伊豆の踊子」を何回も読んだ。その理解はちがう。川端の出身や境遇を考えながら読んでみたら、さすがにノーベル文学賞受賞者で、日本語も文章も美しすぎるまいかと僕の感嘆。

 旅しないで「伊豆の踊子」を何回読んでも役立たないと思う。
 さらに、旅の中で何も考えないで、旅しても時間の無駄である。
                               

荘園主人之心唄ー金木犀

2007年01月22日 15時18分38秒 | 演歌劇場
               金木犀

          路地にこぼれる 金木犀の
          香りに揺れる 面影よ
          一年待てば 三年待てる
          あなたを信じて 待ちます私
          迷う気持ちは 捨てました
          ともす心の 恋灯り

          あなたのために 綺麗でいたい
          鏡をのぞいて なおす紅
          七年待てば 一生待てる
          明日を信じて 待ちます私
          悔いはしません 泣きません
          ともす心の 恋灯り

 第57回紅白歌合戦の一曲で、友とパソコンで見ました。「踊り」の「我風」も伝統的で唄の雰囲気にぴったりして、大好きです。うしろの背景も綺麗で僕が想像の翼を広げ、味わいました。

        「七年待てば 一生待てる
         明日を信じて 待ちます私
         悔いはしません 泣きません
         ともす心の 恋灯り」

 恋灯りだけではなく、己の心の中にも未来灯り、理想灯りを点しました。
 あなたの心の中は暗いなら、自分で灯りを点してみてください。
 明かりがあるからこそ、夜になりますと僕は信じます。


 蛇足:「次からのいくつの文章は、僕の文学、とりわけ小説や詩歌についての体験談で、予告いたします。」

「供養塔」を読んだ後

2007年01月11日 15時47分28秒 | 文学鑑賞
ときどき人間は獣に及ばないと、僕は「供養塔」を読んでからそう考えた。
諺のごとく「母虎が子虎を食わぬ」。が、なぜ人間のほうは共食いしたのか。それは考え難い。生き物ならば、いずれも生存欲を持つ。が、我々人間のほうは生きるためになんでもする。共食いだけではなく環境汚染だの森破壊だの野獣捕殺だの、経済利益のためになんでもする。その目的は分かる。すなわち、幸福かつ便利な生活が送られるためである。が、以上のことをするとき、その結果を考えなければならない。
 我々中国人は調和をとても重んじる者である。だが、調和に対する敵の数は数多ある。人間同士の間に、エゴイズムはその敵である。いかなる矛盾や軋轢の発生はエゴイズムがその種である。中国の歴史を見ると、農民出身の人がいったん皇帝や官僚になると、群衆の苦痛や心労を無視して残酷になるやつが少なくなかった。それはなぜならば、やはりエゴイズムである。もちろん、エゴイズムは人間の生まれつきの性格のひとつで誰でも持っているが、私の考えでは、もし心が100%ならば、エゴイズムがその30%を占めれば十分である。残った70%は利他主義となる。それは本当の人間である。三浦の祈ったように、自分が困ったとき、みんなで背中を押してくれるなら、幸せになるであろう。調和の取れた心にはエゴイズムも必要である。だが、たった30%。
 今の中国政府は「調和の取れた社会を築こう」という目標を主張している。この目標を実現するために、我々ひとり一人の国民は自分から何かしなければならない。先ず自分の「調和の取れた心を作ろう」。個人の心は調和が取れれば、社会は自然に調和になると考えられる。他人が風雨に濡れた時、傘を差してあげたら、きっと自分が風雨に遭う時誰かが後ろから傘を差してくれるだろう。
 供養塔はただ餓死の人人のため建てられるものではない。世の中の我々生きる方のためでもある。自分の心の中にも供養塔を建てて、いつでもどこでも、心の調和を保つことができるだろう。

  「供養塔」をネットで探しましたが、残念なことには見つからなかった。
   だから、感想だけを。