通り雨往く 峠 の茶屋に
晴れて 道连れ 旅の空
可愛い 踊子 太鼓 を 提げて
歩く 道筋 白い 花
今日の泊は いで 湯の 家 か
白い 湯舟 に 染まる 肌
可愛い 踊子 お座敷 めぐり
三味 と 太鼓 の 障子 窓
恋と 呼ぶには また 幼さ が
残る ・薄化粧
可愛い 踊子 小首 を 傾げ
笑う目元の 耻ずかしさ
舟は出て行く 下田の浜を
またの逢う日は 来るのやら
可愛い踊子、打ち振る指に
溢す涙も紅の色
―― 山口百恵 歌
日本文学を言ったら川端康成を言わねばならぬ。ノーベル文学賞受賞者である川端の代表作品と言えば、「伊豆の踊子」を推したい。日本人は言うまでもなく、中国の日本語専攻者や日本語研究者は誰でも一度はこの作品を読んだことがあるかと思われる。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
――「伊豆の踊子」冒頭文
辞書を調べると、「体験」とは「実際に身をもって経験する」という説明(集英社「国語辞典」)。僕は日本に行ったことはない。無論、以上の冒頭文の背景に身を置くことはできない。しかし、心と感情がここで共通語となる。
テーマを考えてみたが、「旅男の体験談」が良かろう。
旅をしないで「伊豆の踊子」を奥まで深く理解することはできないと思う。そして、女より男のほうがもっと性別優勢を持って、さらによく理解するものである。
体験とは言え、実にはすごく短い汽車の旅であった、いや、ここでは旅ともいえなく、ただ汽車での帰省であった。それでも、この短い旅の出会いはぼくの作品に対する理解を深めた。
学生時代にはよく汽車で帰省したものであった。汽車というものは旅の道具で車内のめぐりあいは不思議で新鮮無比だと思う。「伊豆の踊子」とぴったりする旅ではなかったが、その旅心がそっくり。
大学三年生の夏の某日であった。
僕は汽車で故郷の延安に帰省した。明るい早朝の汽車には乗客がたくさんいた。早く自分の席に腰を掛け、車外を眺めるのも僕の一癖である。
「ごめんなさい、この箱を上の棚に上げてくれるか」と一人の女の子が僕に声をかけた。
「はい、渡してくれ」と僕は自分の席に立ち上がって、相手の箱を高く上げて棚に整えておいた。
「ありがとう」と普通の一言で、その以外、何も言わなかった。何かほかのことを言ってくれるかと思い込んでいたのに、結局何も言わなかった。(ほら、作品の中の「僕」によく似てるだろう)。
女の子は僕の反対面の席に座っていた。箱が重いせいか、額の所に汗がかすかに見えた。林檎のような顔をしている女の子は十七、八歳に見え、非常に小さな存在であると思った。なぜこんな小さくて弱い女の子が一人で旅をするのか。ご両親が心配しているまいかと僕は考えた。しかし聞かなかった。僕は彼女に不安を上げたくなかった。
「貴女、**ホテルでやったのか」(ここの「やった」は通勤すると理解してほしい。「やった」を用いるのはその質問者の男の俗語でなんとなく悪い意味をもつかと考えられる)通りの向こうの一人の中年男が聞いた。
「いいえ」と短い答えであった。
僕の心の中には「知らぬ他人と話さないでください」とばかり考えた。だが、その場ではどうしても言えないことであった。そして、女の子の隣のその男はあついせいか、なんとなく変なまねばかりしてたが、女の子に不敬なまねはなかった。
延安まで静かにじっとしていた女の子の目つきから、僕は一種類の不安が感じられる。
それは旅中でしか感じられない不安であった。未知の旅かなときっと彼女が考えていたのだろう。多分僕の敏感過剰とも関係があると思うが、その場では不安げな気がするのは当たり前であろうと考えるまいか。時々その不安はどうも名状しがたいものである。
故郷の肉親或いは自分の未知の未来を考えてるかもしれぬ。
「気をつけて下さい」と母の言葉を心の中に何回も繰り返しているかもしれぬ。
要するに、いろいろな可能性がある。
僕は女の子に対して、恋というものがなかった。そして、どうもその当時の僕はもう思春期の少年ではなかった。
だが、その旅の後、また「伊豆の踊子」を何回も読んだ。その理解はちがう。川端の出身や境遇を考えながら読んでみたら、さすがにノーベル文学賞受賞者で、日本語も文章も美しすぎるまいかと僕の感嘆。
旅しないで「伊豆の踊子」を何回読んでも役立たないと思う。
さらに、旅の中で何も考えないで、旅しても時間の無駄である。
晴れて 道连れ 旅の空
可愛い 踊子 太鼓 を 提げて
歩く 道筋 白い 花
今日の泊は いで 湯の 家 か
白い 湯舟 に 染まる 肌
可愛い 踊子 お座敷 めぐり
三味 と 太鼓 の 障子 窓
恋と 呼ぶには また 幼さ が
残る ・薄化粧
可愛い 踊子 小首 を 傾げ
笑う目元の 耻ずかしさ
舟は出て行く 下田の浜を
またの逢う日は 来るのやら
可愛い踊子、打ち振る指に
溢す涙も紅の色
―― 山口百恵 歌
日本文学を言ったら川端康成を言わねばならぬ。ノーベル文学賞受賞者である川端の代表作品と言えば、「伊豆の踊子」を推したい。日本人は言うまでもなく、中国の日本語専攻者や日本語研究者は誰でも一度はこの作品を読んだことがあるかと思われる。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
――「伊豆の踊子」冒頭文
辞書を調べると、「体験」とは「実際に身をもって経験する」という説明(集英社「国語辞典」)。僕は日本に行ったことはない。無論、以上の冒頭文の背景に身を置くことはできない。しかし、心と感情がここで共通語となる。
テーマを考えてみたが、「旅男の体験談」が良かろう。
旅をしないで「伊豆の踊子」を奥まで深く理解することはできないと思う。そして、女より男のほうがもっと性別優勢を持って、さらによく理解するものである。
体験とは言え、実にはすごく短い汽車の旅であった、いや、ここでは旅ともいえなく、ただ汽車での帰省であった。それでも、この短い旅の出会いはぼくの作品に対する理解を深めた。
学生時代にはよく汽車で帰省したものであった。汽車というものは旅の道具で車内のめぐりあいは不思議で新鮮無比だと思う。「伊豆の踊子」とぴったりする旅ではなかったが、その旅心がそっくり。
大学三年生の夏の某日であった。
僕は汽車で故郷の延安に帰省した。明るい早朝の汽車には乗客がたくさんいた。早く自分の席に腰を掛け、車外を眺めるのも僕の一癖である。
「ごめんなさい、この箱を上の棚に上げてくれるか」と一人の女の子が僕に声をかけた。
「はい、渡してくれ」と僕は自分の席に立ち上がって、相手の箱を高く上げて棚に整えておいた。
「ありがとう」と普通の一言で、その以外、何も言わなかった。何かほかのことを言ってくれるかと思い込んでいたのに、結局何も言わなかった。(ほら、作品の中の「僕」によく似てるだろう)。
女の子は僕の反対面の席に座っていた。箱が重いせいか、額の所に汗がかすかに見えた。林檎のような顔をしている女の子は十七、八歳に見え、非常に小さな存在であると思った。なぜこんな小さくて弱い女の子が一人で旅をするのか。ご両親が心配しているまいかと僕は考えた。しかし聞かなかった。僕は彼女に不安を上げたくなかった。
「貴女、**ホテルでやったのか」(ここの「やった」は通勤すると理解してほしい。「やった」を用いるのはその質問者の男の俗語でなんとなく悪い意味をもつかと考えられる)通りの向こうの一人の中年男が聞いた。
「いいえ」と短い答えであった。
僕の心の中には「知らぬ他人と話さないでください」とばかり考えた。だが、その場ではどうしても言えないことであった。そして、女の子の隣のその男はあついせいか、なんとなく変なまねばかりしてたが、女の子に不敬なまねはなかった。
延安まで静かにじっとしていた女の子の目つきから、僕は一種類の不安が感じられる。
それは旅中でしか感じられない不安であった。未知の旅かなときっと彼女が考えていたのだろう。多分僕の敏感過剰とも関係があると思うが、その場では不安げな気がするのは当たり前であろうと考えるまいか。時々その不安はどうも名状しがたいものである。
故郷の肉親或いは自分の未知の未来を考えてるかもしれぬ。
「気をつけて下さい」と母の言葉を心の中に何回も繰り返しているかもしれぬ。
要するに、いろいろな可能性がある。
僕は女の子に対して、恋というものがなかった。そして、どうもその当時の僕はもう思春期の少年ではなかった。
だが、その旅の後、また「伊豆の踊子」を何回も読んだ。その理解はちがう。川端の出身や境遇を考えながら読んでみたら、さすがにノーベル文学賞受賞者で、日本語も文章も美しすぎるまいかと僕の感嘆。
旅しないで「伊豆の踊子」を何回読んでも役立たないと思う。
さらに、旅の中で何も考えないで、旅しても時間の無駄である。