今日は七夕(多那婆多『古事記』にこう詠まれる)である。
日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や佛教の盂蘭盆会(お盆)などが習合したものと考えられている。そもそも七夕は棚幡とも書いたが、現在でもお盆行事の一部でもあり、笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代である。
————フリー百科事典『ウィキペディア』
七夕に関わる風俗も沢山ある。『西京雑記』に「漢彩女常以七月七日穿七孔針于襟褸、人倶習之」と記録された。これが「穿七孔針」についての最初の記録であろう。しかし、「針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)」を除いてほかにも様々な風俗がある。
例えば、喜蛛乞巧、針投げなどがある。
まずは喜蛛乞巧。名の通り、蜘蛛の巣造り(網紡ぎの喩えであろう)で手先が器用かどうかを願う。南北朝時代から起源するという。しかしながら、各時代によってやや違うこともある。
是夕,陳瓜果于庭中以乞巧。有喜子網于瓜上則以爲符應。
『荊楚歳時記』南朝・梁代の宗懍より
この日、果物を庭中に置ひて巧を乞ふ(ねがふ)。喜子(此処では蜘蛛の美称であろう)が果物に網紡がば、的中するという。
五代王仁裕の『開元天寶遺事』に「七月七日,各捉蜘蛛于小盒中,至曉開;視蛛網稀密以爲得巧之侯。密者言巧多,稀者言巧少。民間亦效之。(訳:七月七日、蜘蛛を捕まえて小箱に置いて、暁になると、網の緻密さによって巧を得る。緻密なものならば器用である。そうでないと逆に器用でなくなる。民間はこれを倣うという)」とあった。
各時代に的中するかどうかについて様々な方法があった。南北朝は網の有無、唐代は網の緻密さ、宋からは網の出来(形の良さや質など)。
次は針投げ。これも巧を乞ふ(ねがふ)ためであった。道具が針なので上記の「穿七孔針」が源であろうと考えられる。しかし、やり方は別々である。この俗が明清時代から盛んに行われる七夕風俗である。
明代・劉侗、于奕正の『帝京景物略』に「七月七日之午丟巧針。婦女曝盎水日中,頃之,水膜生面,綉針投之則浮,看水底針影。有成雲物花頭鳥獸影者,有成鞋及剪刀水茄影者,謂乞得巧;其影粗如錘、細如絲、直如軸蠟,此拙征矣。
(訳:七月七日之昼、巧針投げる。婦人らは洗面器に水入れて日の下に置く。すると、水の面に針を投げる。針が軽いから、面に浮かぶ。すると、洗面器の底に針の影が映る雲花鳥獣の影もあれば、靴鋏のもある。所謂巧を得る。逆に影が鐘のように太く、糸のように細く、軸のように真直ぐならば、不器用とされる)」とある。
勿論、七夕と言えば、一番有名なのは「牛郎繊女がかささぎ橋で年一度会ふこと」であろう。よく知られるから、余計な話はしない。
カササギさん、頑張れ!橋はどこまで進むのかな!
日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や佛教の盂蘭盆会(お盆)などが習合したものと考えられている。そもそも七夕は棚幡とも書いたが、現在でもお盆行事の一部でもあり、笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代である。
————フリー百科事典『ウィキペディア』
七夕に関わる風俗も沢山ある。『西京雑記』に「漢彩女常以七月七日穿七孔針于襟褸、人倶習之」と記録された。これが「穿七孔針」についての最初の記録であろう。しかし、「針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)」を除いてほかにも様々な風俗がある。
例えば、喜蛛乞巧、針投げなどがある。
まずは喜蛛乞巧。名の通り、蜘蛛の巣造り(網紡ぎの喩えであろう)で手先が器用かどうかを願う。南北朝時代から起源するという。しかしながら、各時代によってやや違うこともある。
是夕,陳瓜果于庭中以乞巧。有喜子網于瓜上則以爲符應。
『荊楚歳時記』南朝・梁代の宗懍より
この日、果物を庭中に置ひて巧を乞ふ(ねがふ)。喜子(此処では蜘蛛の美称であろう)が果物に網紡がば、的中するという。
五代王仁裕の『開元天寶遺事』に「七月七日,各捉蜘蛛于小盒中,至曉開;視蛛網稀密以爲得巧之侯。密者言巧多,稀者言巧少。民間亦效之。(訳:七月七日、蜘蛛を捕まえて小箱に置いて、暁になると、網の緻密さによって巧を得る。緻密なものならば器用である。そうでないと逆に器用でなくなる。民間はこれを倣うという)」とあった。
各時代に的中するかどうかについて様々な方法があった。南北朝は網の有無、唐代は網の緻密さ、宋からは網の出来(形の良さや質など)。
次は針投げ。これも巧を乞ふ(ねがふ)ためであった。道具が針なので上記の「穿七孔針」が源であろうと考えられる。しかし、やり方は別々である。この俗が明清時代から盛んに行われる七夕風俗である。
明代・劉侗、于奕正の『帝京景物略』に「七月七日之午丟巧針。婦女曝盎水日中,頃之,水膜生面,綉針投之則浮,看水底針影。有成雲物花頭鳥獸影者,有成鞋及剪刀水茄影者,謂乞得巧;其影粗如錘、細如絲、直如軸蠟,此拙征矣。
(訳:七月七日之昼、巧針投げる。婦人らは洗面器に水入れて日の下に置く。すると、水の面に針を投げる。針が軽いから、面に浮かぶ。すると、洗面器の底に針の影が映る雲花鳥獣の影もあれば、靴鋏のもある。所謂巧を得る。逆に影が鐘のように太く、糸のように細く、軸のように真直ぐならば、不器用とされる)」とある。
勿論、七夕と言えば、一番有名なのは「牛郎繊女がかささぎ橋で年一度会ふこと」であろう。よく知られるから、余計な話はしない。
カササギさん、頑張れ!橋はどこまで進むのかな!