緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

七夕

2009年08月26日 11時35分40秒 | 民風民俗
 今日は七夕(多那婆多『古事記』にこう詠まれる)である。

 日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や佛教の盂蘭盆会(お盆)などが習合したものと考えられている。そもそも七夕は棚幡とも書いたが、現在でもお盆行事の一部でもあり、笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代である。
           ————フリー百科事典『ウィキペディア』

 七夕に関わる風俗も沢山ある。『西京雑記』に「漢彩女常以七月七日穿七孔針于襟褸、人倶習之」と記録された。これが「穿七孔針」についての最初の記録であろう。しかし、「針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)」を除いてほかにも様々な風俗がある。

 例えば、喜蛛乞巧、針投げなどがある。

 まずは喜蛛乞巧。名の通り、蜘蛛の巣造り(網紡ぎの喩えであろう)で手先が器用かどうかを願う。南北朝時代から起源するという。しかしながら、各時代によってやや違うこともある。
 
 是夕,陳瓜果于庭中以乞巧。有喜子網于瓜上則以爲符應。
        『荊楚歳時記』南朝・梁代の宗懍より

 この日、果物を庭中に置ひて巧を乞ふ(ねがふ)。喜子(此処では蜘蛛の美称であろう)が果物に網紡がば、的中するという。
 
 五代王仁裕の『開元天寶遺事』に「七月七日,各捉蜘蛛于小盒中,至曉開;視蛛網稀密以爲得巧之侯。密者言巧多,稀者言巧少。民間亦效之。(訳:七月七日、蜘蛛を捕まえて小箱に置いて、暁になると、網の緻密さによって巧を得る。緻密なものならば器用である。そうでないと逆に器用でなくなる。民間はこれを倣うという)」とあった。

 各時代に的中するかどうかについて様々な方法があった。南北朝は網の有無、唐代は網の緻密さ、宋からは網の出来(形の良さや質など)。

 次は針投げ。これも巧を乞ふ(ねがふ)ためであった。道具が針なので上記の「穿七孔針」が源であろうと考えられる。しかし、やり方は別々である。この俗が明清時代から盛んに行われる七夕風俗である。

 明代・劉侗、于奕正の『帝京景物略』に「七月七日之午丟巧針。婦女曝盎水日中,頃之,水膜生面,綉針投之則浮,看水底針影。有成雲物花頭鳥獸影者,有成鞋及剪刀水茄影者,謂乞得巧;其影粗如錘、細如絲、直如軸蠟,此拙征矣。

 (訳:七月七日之昼、巧針投げる。婦人らは洗面器に水入れて日の下に置く。すると、水の面に針を投げる。針が軽いから、面に浮かぶ。すると、洗面器の底に針の影が映る雲花鳥獣の影もあれば、靴鋏のもある。所謂巧を得る。逆に影が鐘のように太く、糸のように細く、軸のように真直ぐならば、不器用とされる)」とある。

 勿論、七夕と言えば、一番有名なのは「牛郎繊女がかささぎ橋で年一度会ふこと」であろう。よく知られるから、余計な話はしない。

 カササギさん、頑張れ!橋はどこまで進むのかな!
 

如夢令

2009年08月24日 17時30分33秒 | 一週一詩
一週一詩2009年8月16日(日)~22日(土)

 昨夜雨疏風驟,濃睡不消殘酒。
 試問卷簾人,却道海棠依舊。
 知否?知否?應是肥紅痩。

 李清照(りせいしょう、1084年~1153年)は、北宋末期・南宋初期の詩人(詞人でもある)。斉州歴城(現在の山東省済南市)の人。夫は政治家の趙明誠。女流詞人として広く知られている。

 昨夜は雨が降り風が強かった。お酒を飲んで酔っ払うようになった。

 朝起きてみたら、まだ目眩がしていた。そのところに、卷簾人(簾を上げる女子使用人だったそうだ。これにも色んな説があり、定説として使用人が一般である)に庭の海棠の様子を聞いてみたら、「お変わりなくて無事だ」と答えてくれた。

 「知るかどうか!知るかどうか!」はとても強い疑問でリズムもとても素晴らしい。

 「馬鹿な子だ。行って見てください。緑(葉っぱ)が多くて紅(花)が散舞ったのじゃないか。」

 「詞はわが國の和歌ににて、やさしくうつくしいものであるが、李清照の詞はさらにそのうえに理智のかがやきがそえられて、清新な感覚のうちに、宋詞のもっともよい特質であるさびしさとほそみが、本格的なすがたをよそおってつつまれている點では宋詞のもっともよい例であるといっても過言ではない」中田勇次郎が称賛している。

 靖康の変や夫の急死などが故に、離別して流浪の生涯を送る中で優れた詞を多く生み出したと言う。

 雨降りて風強き中酒飲みし宵(酔い)
 花散るを君知らぬかな紅痩せる


 此れを旋頭歌にして記してみた。古典文法は難しい。どこかが悪かったらご遠慮なくコメントしてください。大感謝!


 



江南

2009年08月16日 14時13分01秒 | 一週一詩
一週一詩2009年8月9日(日)~15日(土)
 
 江南可採蓮,蓮葉何田田。魚戲蓮葉。
 魚戲蓮葉東。魚戲蓮葉西。魚戲蓮葉南。魚戲蓮葉北。



 蓮の葉が盛んに茂る様に「田田」という擬態語が使われた。新奇かつ綺麗だと思う。それに「東西南北」の四文字を通じて、魚の悠々たる様をも生き生きと写した。

 漢楽府・相和歌辞に属する此の民歌は、蓮の葉に目をつけて書かれた。清人沈潜は此詩の格調を「奇格」に評した(『古詩源』巻三)。

 『前三句の「江南可採蓮,蓮葉何田田。魚戲蓮葉。」は音頭が歌ったもので、「魚戲蓮葉東。」からの四句が合唱であろう。』と、余冠英先生が考えている。

 「衆についての描写が一箇所もないが、蓮の葉の茂る様や魚の群れなどによって、妙齢な少女がきっと数多いることが想像できるのであろう。此の詩の妙処はここにある」と私が思う。所謂「無我(無衆)の境によって有我(衆)の境に達する」のであろう。

関帝祭

2009年08月14日 15時47分55秒 | 民風民俗
 六月二十四日致祭関帝,歳以爲常。鞭炮之多,与新年無異。蓋帝之御灾捍患有于民者深也。
        ――《燕京歳時記》

 六月二十四日、関帝を祭る。此れぞ歳(とし)の常(ならわし)為る(なる)。爆竹之多、新年と異無し。帝のお守りこそ民に深き徳有りけれ。
        ――『燕京歳時記』

 『三国演義』の主人公。字は雲長。長い髯を持っていたため「美髯公」とも呼ばれた。劉備・張飛と「桃園結義」で義兄弟の契りを結んだ。義を重んじ、曹操に捕らえられた際も配下となることを拒んだが、恩義に報いるために袁紹配下の将軍顔良・文醜を殺した後、劉備のもとへ帰った。この道程は「関羽千里行」として知られる。赤壁の戦いに敗れて逃走する曹操を華容道で待ち伏せするも、かつての恩義を思い、見逃した。このことこそ帝が義を重んじるのを現した。青竜偃月刀を武器とし、呂布の乗っていた赤兎馬(この馬も主に忠義で千里馬の名で世に知られた)を乗りこなした。

 中国では人気のある英雄であり、後世、関帝聖君として道教の神に神格化されるに至る。中国各地で数多くの「関帝廟」があり、武神また財神として広く尊信されている。

 六月二十四日、関帝を祭る。
 



子夜・書懐

2009年08月11日 16時07分02秒 | 俳句和歌
 
 「これから教師になるから、字を綺麗に書けないと」と父が言って、高級な筆(ペン)を贈ってくれた。

 夕べは暇だったから、『唐詩三百首』を持ち出して李白の「子夜呉歌」(春夏秋冬計四首)を写した。筆(ペン)は久しぶりだったが、僕は相変わらず青きインクと赤き原稿に情に満ちている。ペンで書くのは高校時代よりずいぶん下手になるが、これからしっかり練習しないと、だめである。
 
 「これから人の師為(す)るから、字を綺麗に書きなさい」。父の希望をまねして短歌一首を記する。

 筆持ちて師を志す吾が息子 青墨舞ひて明日之歌書く

  (我兒執筆立師志,青墨飛揚書未來)





立秋

2009年08月07日 15時07分47秒 | 民風民俗
 秋が立ちます。つまり、立秋(りっしゅう)です 。

 旧暦7月の正節で、 新暦8月8日ごろになります。この日から暦の上では秋に入りますが、実際には残暑がきびしく、まだまだ暑い最中です。というので、立秋後の厳しい残暑を中国語で「秋老虎」ともよびます。その厳しさを極めるためでしょう。
 
 古今集に立秋を詠む歌が何首もあります。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

 藤原敏行朝臣が詠んだものです。秋が来ましたことを目ではっきり見えませんけれども、耳で風の音がはっきり聞こえます。秋が見るものでなくて聞くもです。この歌を知ったのは院生一年の古典文法の授業にでした。博学多才の坂田先生が「ども」の使い方を紹介するため、この歌を引用しました。しかし、僕にとって文法はどうでも良くて、大切なのは歌の妙な構想なのです。古今多くの詩人からみれば、秋を詠む時、常にその風物や景色を見てから、心が打たれるのが一般でしょう。所謂「触景生情(景色に触してから情を生ずる)」です。しかし、この歌で心を打つのは目でではなくて、耳でです。

 13時半から昼ねをして、祖母の夢を見ました。今年はもう十年忌です。俳句一句を記します。

 秋立つや祖母を夢見し長昼寝 (あきたつやそぼをゆめみしながひるね) 




さあ!どうぞ!

2009年08月05日 15時48分30秒 | 家族同士
 僕はまず所謂「草食男子」や「ベジタリアン」などではない。
 
 歯のせいで、一昨年からもう肉をやめた。いや、やめたとは過言かもしれない。友人やクラスメートと一緒に外食する時、たまにも食っているが、油っぽいものではなかっただけだ。

 僕のせいか、家の飲食習慣も変化している。主食は相変わらずラーメンや饅頭など、小麦粉で作られたものである。肉の消費量が前より減るということだ。野菜や魚がおかずの主役となる。それに、味もあっさりしてくる。

 母はお酢が好きであるから、家の料理にはお酢が一つの欠けない調味料となる。ラーメンなどにお酢を沢山かけて食べるのは、なんと幸せなことであろう(お酢に殺菌効果があるので、多食するのが体に良いという)。
 
 朝9時から11時まで、二人の高校生に英語を補習するから、帰りのついでに西河野菜市場に寄って、野菜や果物を買うのは最近の日課となる。

 今一番の夢といえば、早く卒業して、よく働いて両親に孝行を尽くすことだ。

 写真は自ら作ったオカズ「酢溜青菜(チンゲンサイ)」と「紅焼茄子」だ。

 お父さん、お母さん、さあ!どうぞ!