緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

「一番愛してる人?」

2007年05月30日 18時48分54秒 | 時事雑感
 今日は「一番愛してる人」というゲームをしましょう。

 まずは、紙一枚を用意しましょう。できたら、その紙に「自分の愛してる五人」を書きましょう。例えば「母、父、妹、祖父、彼女」とか。
 「はい、よろしいですか」
 では、私の言った通りにやりましょう。

 消しゴムを手に持ってください。
 「その五人の中から、消しゴムで一人を消してください」
 「はい、よろしいですか」
 「できたら、残った四人の中から、二人を消してください」
 「はい、いいですか」
 「できたら、残った二人の中から、一人を消してください」
 「はい、今紙に残ったのは誰なのでしょうか」

 以上のゲームは「一番愛してる人?」だといいます。最近中国の小学校でとても流行っている道徳養成法です。ちょっと残酷かもしれませんが、やってみたら、心の中には暖かいものが湧き上がるかもしれません。本当に難しい選びですよね。
 皆さん、ちょっとやってみてください。最後に残るのは誰でしょうか。
 

平和の武器

2007年05月29日 12時06分26秒 | 時事雑感
 「民音」という言葉は初耳である。CCTVの番組「記事」を見てから、この日本の文化組織を知ったのだ。「民主音楽協会」の略語である。

 「芸術は平和の武器である」と、民音の創立者である池田大作先生がそう言った。私は池田先生のこの考えが好きである。そして、番組の紹介によって、「民音」に属する音楽博物館もあるらしい。館内には、世界各地で製作された各時代の楽器が展覧されているという。それに、見学者は実際に古風のピアノを弾くこともできるとのことだ。現代ピアノはいうまでもなく、イタリアやイギリスで製作された中世紀の古いピアノも時代順に展示される。館内管理人の紹介によって、それらの楽器を保護するため、かつて池田先生にも提案したのが、「楽器の生命力と価値は弾くことだ。いつか本当に弾くことができなかったら、しまって展示だけでいい」と池田先生はそう指示した。先生の発想は素晴らしいと思う。確かに、古い文物を保護するのも大事であるが、保護よりもっと大事なのは、文物の価値と意味だろう。楽器にっとって、弾くことがなければ楽器とはいえなかろう。池田先生のお陰で、音楽博物館を見学する人々は、楽器らの肉声ともいえる古い音を現場で聞くことができるのだ。

 「芸術は平和の武器である」。

 「民音」の精神的支柱ともいえる池田大作先生のこの言葉は平和を愛する世界各国の芸術家らに強い力と固い信念を与えていた。時代がいくら変わっても、この信念と考えがあれば、平和を守ることができるのだ。
 

九色鹿

2007年05月28日 17時32分36秒 | 露天映画


上海美術映画製作所 1981年制作
監督:銭家駿 戴鉄郎
脚本:潘潔茲

人物設計:胡永凱
背景設計:馮健男
美術設計: 杜春甫、範馬迪、楊素英、徐玄徳、殷其米、陸成法、童雪芝
背景:尤先瑞、汪伊霓
撮影:王世栄
作曲: 蔡路、呉応炬
 




 中国美術映画を一本紹介させていただく。

 一軒の家もない荒れ果てるゴビ砂漠の中に、ペルシア使者のキャラバンは砂嵐のため、道に迷ってしまった。その時、九色の神鹿が現れ、使者らに道を付けてあげた。
 ある日、九色鹿は林の中を散歩していた時、うっかりと深い淵に落ちた蛇を捕まえる男の呼び声を耳にした。急いでその男を深い淵から救った九色鹿は「私のことを漏らさないでください」とその男に頼んだ。相手のご高恩を返すため、男はそれを承諾した。
 九色神鹿のおかげで、ペルシア使者一行は古い国の宮殿に着いた。宴会で一人の使者が王様に九色鹿との奇遇を思い出した。王妃様はそれを聞くと、強いて神鹿の毛を服にしようと思った。
 しようがなくて、愚かな王様は「九色の神鹿を捕まえる」という布告を出した。蛇を捕まえる男は王様の布告を読んで利欲に目がくらんだばかりで、心の正義や自分の承諾をすっかり忘れてしまった。王様に密告するだけでなく、九色鹿を捕まえるワナまで薦めた。
 わざっと再び淵に落ちたその男の呼び声を聞くと、九色鹿は急いで彼を救ってきた。頃合を見ながら、王様の兵士らが神鹿に千万の矢を放ち出した。不思議なことには、九色鹿の毛が四方八面にぴかぴかと九色の光を放ち、矢をすべて灰燼になってしまった。
 九色鹿はその男の不信を王様と兵士らに話して、みんなの理解を頂いた。自分の醜い行為が漏れてしまうのを覚えるその男は慌しく逃げようと走り出すと、うっかりして、結局また深い淵に落ちて溺死してしまった。



 敦煌·莫高窟第257窟の壁画《鹿王本生》(本生,梵語でJata Kaという)のストーリによって改作された仏教絵画の風格をもつ美術映画である。チャンスがあれば、自分の目で本物の壁画を見たい。勿論、今からみれば、仏教の因果報応論などの封建的思想は見られるが、芸術面からみれば、とても素晴らしい映画だと思う。
 

「楓橋夜泊」

2007年05月27日 12時30分14秒 | 詩論私論
月落烏啼霜満天、江楓漁火対愁眠。
姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到客船。
                         
                            唐·張継


 静寂な心境を追求する唐詩の風格を完璧に表す名詩である。
 月が落ちた宵の空を背景にして、烏の鳴き声を耳に入った。静かな水面にぽつぽつと漁火を目にしながら、わしは全然眠られない。そのとき、遠い寒山寺から耳に優しい悠々たる鐘の音が夜半の客船まで伝えてきた…
 唐代詩人·張継の名作「楓橋夜泊」で、日本でもかなり名高いという。今寒山寺にあるお鐘は日本から造って頂いたものだといわれる。
さて、日本人がこの詩を好むのはなぜであろうか。
 一、カラスという鳥は日本に沢山生きている。
 二、日本の古典文化の中にも、静寂な心境や幽玄の雰囲気を重んじる。
 三、中日両国は同じ文化圏(アジア文化圏と儒家文化圏)に属する。
 四、ぽつぽつと漁火のイメージから、日本人の「細かいものや微小な形に対する親密感」を表した。微小な形とは、漁火だけでなく花弁、料理、建築などの各方面から感じられる。
 五、「愁」というものは日本文学或いは日本文化の中にかなりの地位を占めるとされる。
 六、水の豊かな江南地方は日本の気候や風土に近いから、日本人に親しむと感じられる。
 以上で、私の分析である。

茉莉花開

2007年05月25日 12時25分31秒 | 露天映画
   原題 茉莉花開/JASMINE WOMEN/BLOSSOMING JASMINE
   製作年度 2004年
   上映時間 129分
   監督 ホウ・ヨン
   出演 チャン・ツィイー 、ジョアン・チェン 、チアン・ウェン 、リィウ・イエ 、ルー・イー

 

 「婦女生活」は、中国現代先鋒派作家蘇童の名作である。この「婦女生活」を基にする「ジャスミンの花開く」という人気映画がある。中国名で「茉莉花開」という原題だが、日本語で「ジャスミンの花開く」と、そのまま訳された。

 ある小さな写真屋を舞台に、3世代の母子を3部切りで描く女性映画である。背景は三十年代から八十年代の中国上海。
 第一部の「茉」の物語、第二部の「莉」の物語と第三部の「花」の物語で構成されたこの映画を見たのは今年の正月であった。
 本作は監督侯ようのデビュー作であるという。もともとは写真家なので、色に敏感で視覚的な衝撃を与えてくれた。こういう鮮やかな画面の中に展開されたこの映画は人気をよんだのは、勿論原作である蘇童の有名にもある程度の関係があるが、もっとも重要な原因は、『初恋の来た道』『HERO』などの映画でいまや世界的な女優として活躍するチャンツィイーが出演したからである。
 三つの時代の潮に不幸な女がいきいきと描かれた本作を見ながら、詩的な雰囲気に満ちた旧時代の大上海、伝統的かつ綺麗な各式チャイナドレスと古風な家具が人々を楽しませ上で、甘美な恋に憧れる。
 
 私的には、古い中国の風俗や場面の中に生活する女性像を完璧に表した映画だと思う。この映画をきっかけに蘇童の作品を沢山読んだ。彼の女性心理に対する細かい考察と巧妙な書く技法、綺麗な言葉と文の流れに魅了させられる。

 注:蘇童、本名は童忠貴。1963年、江蘇省蘇州生まれ。北京師範大学卒業。南京在住。中国作家協会会員。 次々と作品を発表し、作品集がたくさん出版されていますが、邦訳は少ない。張芸謀監督の映画「紅夢」の原作は彼の「妻妾成群」である。





 

校内暴力から

2007年05月24日 22時42分35秒 | 時事雑感
 我が中学校時代を顧みると、輝かしい印象はあまりなかった。すごく平穏でおとなしい三年だった。同級生の中にも、乱暴な子があまりいなかった。校内暴力はなおのことだ。

 しかし、最近耳にしたニュースや話の中では、校内暴力はしばしばだ。

 弟は中学校三年生である。昨日、地元の中学校で発生した暴力事件について話してくれた。容疑者は校長の息子だそうで、同じクラスの男子学生を匕首で殺したという。「彼は私の恋人を奪った。」と刑事所で理由をそう訴えたという。なるほど、恋のため、こんな惨めなことをやったのだ。
 そして、テレビニュースの報道によれば、広東省の中学校で五人の女子学生が一人の女子学生を苛めたとのことで、携帯カメラでその経過も撮影された。三分間のうちに、五人が相手の女子学生を順番に20回も殴った。
 「今の学生に手上げる。しょうがない」と一人の教師が記者の質問に対してそう訴えた。
 「今の若者は何を考えているのか。さっぱり分かんない。勉強もしないで~~」と祖父は食卓で呟いた。
 いじめ問題は日本で深刻化しつつあるが、わが国でもしばしば発生したのは何故であろうか。
 
 心理専門家の分析はみんなきまり文句で、ちっとも役に立たないと思う。
 私から見れば、これが一人っ子時代の病であろう。一人っ子だからこそ、子供は「天下の全て」が俺様の物であると考えがちであろう。私には兄弟が一人いるから、言い切れる。一人っ子の場合では、寛容な心が欠ける。愛玩の玩具はいうまでもなく、「それは俺様の物で、触るな」という子はたくさんいると思う。

 だから、多分兄弟も生活の必要品となるだろう。

2007年05月23日 21時39分21秒 | 青色思出
 厠とは、ちょっと古い言葉であろう。
 今なら、お手洗いやトイレなどが普通であるが、故郷の田舎地方にはまだ厠が見られる。ちょっと汚いが、必要な所。作り方が簡単で、どこでも誰でも作られるから、田舎で大人気。。まずは地面に3メートルくらいの穴を掘り、大きさは1畳くらい。出来たら、適当な石板で両端から穴の上を渡し、橋を作る感覚。真ん中の所で適当な長方形の隙間を残すと、便の入り口になる。以上で完成する。
 厠は、「西遊記」の中で「五穀輪回の所」と美称されている。考えてみたら、確かにそうだ。食べ物が消化によって便になり、田舎で便を肥料にする。穀物や野菜が肥料の栄養を吸収し成長し、また食べ物になる。新しい循環が始まる。
 僕の故郷は黄土高原に位置するので、水不足が深刻な問題である。それが原因で、このような厠は水の不足な所で使いやすい。が、日本語の中でも「厠」という言葉があるのはなぜであろう。
 語源辞典を調べてみたら、「厠」は「川屋」とも書く。字面からみれば、川の上に建てられた屋という意味。そういえば、日本は水が豊かなので、川の流れによって便を処理するのは当たり前のことだ。
 そういうならば、我が故郷では「厠」が「土屋」になるであろう。おもしろい!
 時代はいくら変わっても、それぞれの風土の中で一々の単語が自分自身の歴史をいきいき語り続けるだろう。

黄昏清兵衛

2007年05月22日 11時19分41秒 | 露天映画
 藤沢周平の短編小説である「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」の3編をもとに、山田洋次・朝間義隆が共同脚色、山田洋次監督がメガホンをとる。巨匠・山田監督にとって、これが初めての時代劇演出となった。出演は、真田広之、宮沢りえら。
 時は幕末。庄内・海坂藩の下級藩士である井口清兵衛は、妻を亡くし、幼い二人の娘と母を養っていた。借金もあるため、生活は困窮し、勤めが終わるとすぐに帰宅し、家事と内職に励んでいた。付き合いも断る清兵衛を、同僚たちは、黄昏と同時に帰宅することから、「たそがれ清兵衛」という渾名で呼んでいた。
 ある日清兵衛は、親友の飯沼倫之丞から、妹の朋江が離婚したことを聞かされた。酒癖の悪い夫の行状を見かねた倫之丞が離縁させたのだ。朋江は清兵衛とも幼なじみの間柄で、清兵衛は朋江にかつて恋心を抱いていたこともあった。数日後、その朋江が清兵衛の自宅にひょっこりと顔を出した。
 (下略)

 2003年度アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた傑作であった。家族への思いや淡い恋心などの静かなシーンと、壮絶な決闘の「動」のシーンを織り交ぜ、藤沢秀平の世界を再現することに成功した。また、日本の武士道精神をいきいき表した傑作だと思う。
 
 「あの清兵衛こそ、日本人の鏡だと思います。すごく強いのに、それを自慢せず、静かに過ごす。」とある日本人の先生がメールでそう書いた。
 日本人の鏡だけでなく、苦しい境遇の中に辛抱し頑張る全ての人間像であろう。
 印象深いシーンなら、井口が春の躑躅を目にした時の楽観的な心のあり方。満開の躑躅を見ながら、きっと心の中にも花が咲いているだろう。

 

桜のような人生

2007年05月21日 12時36分32秒 | 時事雑感
 1987年に放送されたTVドラマ『紅楼夢』で林黛玉を演じた陳暁旭さんが5月13日、中国のシンセンで、がんのために亡くなったという。近年、仏教に傾倒していると言われてきたが、今年2月、剃髪し出家した。42歳という若さで世を去ったのは信じられないほど残念だった。南のシンセンで出家した理由は、「春の地」で新しい人生を迎えたいという。何でこんなに早いのか。心が痛い!

 ともあれ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 さてと、林黛玉をいうと、中国国民の頭に浮かんできた顔つきがきっと陳さんのであろう。陳さんは最高の林黛玉だといっても過言でない。「こらから、陳さんを超える林黛玉がいないかもしれない」と葬式で一人の親友がそう言った。薄悲しみに満ちたこの美しい若い女性像は日本でも人気を呼んでいるという。この「桜のような女性」が、日本人の理想的な女性スタイルであろう

 陳さんの死去について、婚姻の不幸や過労などいろいろな説が出てきた。死後の莫大な財産まで言及した。それらの大金を家族・仏教・慈善事業に三等分したという。テレビドラマで弱い春柳のような陳さんがこんなに偉い希望を残したのは、最高の善良であろう。だからこそ、新聞やニュースなどのマスコミ界はもし良かったら、つまらない推測や「謎らしい」のような言葉を避けてほしい

 陳さんに心よりご冥福をお祈り申し上げますように。

僕も「80後」か?

2007年05月20日 17時41分11秒 | 心境写生
 伝統的な音楽を聴きながらのんびりと日本語で文章をかく人がいたとしよう。学問をするある姿がうかびあがるであろう。
 若者、特に若い男性は覇気に満ち、大志を抱けるはずである、と父はそう信じている。が、私はそうでない。ため息をつく父の顔、「情けない子だなぁ」と、裏庭に小声で呟いた祖父の後姿が今にいたるもなおまざまざと目の前に浮かぶ。それは会社を辞めて家に帰ったその日の光景であった。理由は僕が教師になりたいことだ。
 僕の選びや心を知る人は母ひとり。
 「ともあれ、頑張ってね」と、母の暖かい一言であった。これも僕を支える一つの力。
 
 教師という職はうちの家族からみれば、あんまり良くない仕事である。大金をもうけることができないからである。「日本語がいい、とても将来性がある。素晴らしい大手会社に入社できるし、一ヶ月10万儲けられる。」と日本語学部に入学した時、ある成金振りのお隣さんが羨ましそうに言いかけた。
 父は多分ずっとその成金の言ったことに憧れるかも知れぬ。
 しかし、それは僕のつもりでない。
 確かに、お金が大切なもんである。しかし、お金よりもっと有意義なことがある。中国では、「80後」という言葉が最近人気ある。すなわち、1980年以降生まれる世代のことを指す。文化と価値観は多様化しつつある今日を背景に、所謂個性を主張し、物質を重んじるのは「80後」の目立つところ。頻に転職したり、様々な新式かつ独特な生活スタイルを追求したりするのはその表れである。

 僕は伝統的な人で、学問をするのがすきである。が、このような若者が本当に少ない。だからこそ、なんとか自分は時代に後れる気がするんである。多分もっと立身出世に力を入れる必要があるかも。多少退屈でも平穏な生涯を送りたいのは、この世にはたぶん無理であろうか。
 

 


 

ロマンチスト

2007年05月19日 15時44分24秒 | 心境写生
 友達から性格テストのメールをもらった。その結果について一言。

 わがままな駄々っ子、正義感が強いヒーロー、ロマンチスト、パワフルに動き回る仕切り屋、という四種類がある。

 僕はロマンチストである。
 感受性が強く、傷つきやすいという性格。そして、豊かな感情を押さえがちだという。そのため、大人しいわりに人の好き嫌いが激しい。その気分がはっきり顔にでてしまう。本当に人一倍寂しがりやで甘えん坊な人であるという。
 
 ぴったりの人もいる。
 細かい気配りが出来る、心の温かい人が一緒にいて、一番ほっとできるはずだという。
 ほほほーなるほど、僕にぴったりする人はそんな性格か。信じられないほどびっくりした。