緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

早春

2007年03月11日 21時41分57秒 | 心境写生
 暦の上ではもう春だというのに、まだまだ寒い日が続いている。寒いとは寒いであるが、お目出度ばかりであった。

 昨日、三番目の祖父は娘に婿をとった。僕は親戚であるから、風俗によって花嫁である小母を新郎の実家に送ることになる。僕を含め、送る親戚は10人で、ミスカー二台で行った。

 小さい村なのでいわれのある古い風俗はたくさんある。あれこれ、いろいろ。新郎は村の外れから新居まで新婦を背負うとか、途中で村の子供が鍋底の煤黒を新郎新婦の顔に塗るとか、できるかぎり悪戯して、賑やかな空気を漂わせる。新郎の実家に着いたのは午後三時頃であった。が、新居までの風俗は40分かかった。

 吾が方言では結婚披露宴に参加すろことを「食八碗」という。なぜならば、披露宴の卓上には、主食料理を八つのお碗の中に載せてお客さんを招待するというからである。八は中国では良いラッキナンバーなのでお目出度によく用いられる数字である。

 披露宴では初めて一番と二番目の祖父と会った。今考えると不思議だなぁ。しかし、それは事実である。小さい地方であるから血縁こそをとても重んじること。仲によれば、実は遠い祖父であるが、血縁からすると一番親しい人である。多分これは欧米文化との大区別であろう。

 家に帰ったのは午後7時。疲れてくたくたになった。
 僕はなんとなく変わった。すこし円滑になるかなぁと自分は気がする。でもただすこし。八方美人までまだ遠い。だが、お酒もだんだん飲め始める。もう前の無口な学生ではないかもしれぬ。複雑な義理や情け、「世間に鬼はなし」という諺もなんとなく分かり始める。
 
 しかししかし、二十四才の僕はたぶん同輩より遅いかもしれぬ。
 やはり世間をたくさん経験したほうがいい。いろいろな味があること。いろいろな義務があること。いろいろな義理があること。もっとも本質的に言えば、いろいろな人がいること。経験しなければ分からぬ。しかし、経験とはただ世間ではなく、人間を経験する必要もあるじゃないか。
  
 この寒い早春には、お目出度の味や世間のいろいろな味をたくさん味わわせて、なんと嬉しいことか、それは自分しか分からぬ。
 明日出発するぞ、未来に向かおう。
 僕の早春も来臨した。しかし、まだ寒い。それはわかる。
 今日の朝、靴に附いた小さな土を目にした。きっと昨日田舎の村からついた土であろう。まだ乾いていない新鮮な田舎のお土なので、見るだけでも心に早春の匂いがした。  

アロエ

2007年03月08日 20時03分31秒 | 家族同士
 先日、祖母(母の母)の家へ行きました。出発前の最後の尋ねでした。
 食事後、二人で世間話をしました。祖母はアロエの厚い表皮を小ナイフで剥きながら、出来たアロエの粘液を顔や手の肌に塗りました。六十五歳の祖母がアロエの美容作用も知っていますことにびっくりしました。

 「ね、お婆さん、どうして知っているのか」と僕はききました。
 「そうね、お隣さんが教えて貰ったのよ」と祖母は微笑んでいました。その時、僕は祖母の皺くちゃな顔を目にしました。
 「僕も塗ってみよう」と私はアロエの粘液を手に塗りました。とても清清しい感じでした。
 「このアロエはどこからとったのか」と僕は聞いてみると、
 「そこ、そこ」祖母はベランダのところを指しました。
  
 午後の日差しが窓ガラスを通して、ベランダの一隅に射していました。そこに剣型のアロエは何鉢も置いています。長い茎葉は厚くて植木鉢の真ん中から各方向に伸ばしていました。

 吾が祖母は節約家なので、値段の高いものは絶対買いません。
 暖房にジャガイモ浸け後の水を蒸発させ澱粉を取ることや、アロエで肌を柔らかくすることから、祖母の平凡かつ素朴な小さな知恵がきらきらと閃きました。