緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

河童忌雑記

2007年07月25日 18時30分09秒 | 時事雑感
 七月二十四日は河童忌で、芥川竜之介を悼む日でもある。
 我々にとって、七月二十四日は非常な普通の日であろう。しかし、史上でも何か事件が起こったこともあろうかと思われる。例えば、日本文壇にとって、七月二十四日は普通の日でない。
 二十四節気の大暑がその前にして、八十年前の七月二十四日も暑かったのだろう。その日、「ぼんやりした不安」に追われた芥川が自ら命を絶った。35歳の若さで日本文壇を驚かせた。「ぼんやりした不安」とは作家が手記の中に残った片言。魯迅先生の話によれば、芥川は「希望が叶った後の不安、あるいは叶っている不安の中」に命を終えてしまった。どんな勇気を持っていたのか、想像するだけで分かるはずだと思う。
 芥川との「初対面」は大学二年の時だった。黒沢明監督の「羅生門」を見たのである。その時、作家と作品に対する理解は非常に浅かった。今にいたるまでも深く理解したとは言えなかろう。ただその憂鬱な作家にこの上ない同情が湧き上がっただけである。
 その後、「河童忌」、「芥川賞」が出来た。それに、芥川を記念する文学博物館などの組織も出来た。
 
 さてと、23日の天声人語の段落を思い出した。
 「芥川と同じ30代で、職場の重圧から心や体を病む人が、近年増えている」という。日本だけでなく、中国でも、うつ病とストレス溜りと過労死などの都市病に悩む若者が増えている。先日に出来た「カイ(会社名)職員自殺事件」は一つの例である。
 残念なことには、26歳の若さ。
 会社を辞めろうと思ったが、ご両親が反対しているという。結局、こんな惨めなことが発生した。カイに入社した我が同級生が二人いる。二人はお元気であろうか。もし同じ状況に陥れてたら、辞めたほうがいいと思う。「主観的ストレスは向上の力、客観的ストレスがストレスだ」--我が体験から得たものである。
 
 アリババCEO馬雲がテレビ番組「中国にて勝とう」の現場で、「いかなる詐欺、あるいは被詐欺には、貪欲がその源になる。」と指摘した。
 考えてみたら確かにそうだ。が、私には「禁欲主義」を鼓吹するつもりはない。言いたいのは、「欲望を少し押さえれば、体が楽になるかも。欲望を少し押さえれば、心が若くなるかも」。

西瓜

2007年07月18日 22時15分39秒 | 若い詩歌
夏風は柔らかい波線を引きました
包丁をぬらした 俎板をぬらした
皿をぬらした 匙をぬらした

唇と舌をぬらした
歯をぬらし、胃をぬらし、血をぬらした
爽やかに心臓と肝をぬらした、

この赤波の勢いは
私の神経をぬらした。




2007年07月09日 22時55分17秒 | 文学鑑賞
 蝿や蝿 五月蝿い蝿や。蝿や蝿 汚い蝿や。
 蝿好きではないけど、その小さい命に関心を抱いている。殊に、その小さな蝿の眼にはどんな人間世界が存在しているのだろうか。今日は横光利一の「蝿」である。
 蝿は五月蝿いが、それは鳴き声でなく、翅の動く音である。危険な時に、命を守る翅の音でもある。蝿は汚いが、その小さな眼には透明の人間世界が一つ存在している。知恵の光が輝く蝿の眼である。
 隅っこで静かに眼を動かしながら、ストーリの展開を臨む蝿がただ一匹だけある。このただ一匹の蝿はある意味では、奇怪な雰囲気をやり出した。ちょっと論理に合わない所があるまいかと私は考えていた。馬糞の重みならば、少なくとも蝿の群があるはずだが、ただ一匹だけの蝿とは、ちょっと不気味で、何らか惨めな結局の伏線と暗示になるかもしれない。
 そして、作家の言葉遣いも妙である。
  「真夏の宿場は空虚であった。」
 僕はこの「空虚」が好きだ。横光利一は流石新感覚派の音頭である。「空虚」な宿場は悲劇の出発点であり、運命の終着地でもある。
 「馬は一条の枯草を奥歯にひっ掛けたまま、猫背の老いた馭者の姿を捜している。」新感覚派の風格を極める一文だと思う。以上の文字が目に留まる時、僕の頭に風刺的漫画のような画面が浮かび上がる。「小さな頭に大きな奥歯」、ちょっと大袈裟かもしれないが、妙な風刺であった。馬は草に目がくらむと同じように、馭者の爺さんは将棋に熱中していた。と、馬と馭者は悲劇の元凶となり、乗客らの終わりを告げた。
 五段目では、その子供に無関心な「馬は槽の手蔓に口をひっ掛けながら、またその中へ顔を隠して馬草(まぐさ)を食った」。まったく同じように、「馭者は宿場の横の饅頭屋の店頭で、将棋を三番さして負け通した。」馭者の爺さんにとって、乗客の皆は無意味である。同じように、馬にとって、その無邪気な子供も無意味である。すると、「馬」イコール「馭者」になる。
 ただし、蝿には翅がある。馬車が墜落しても、命が守られる。が、乗客には、馭者には、馬には翅がない。この際には、運命に任せるしかないんだ。
 翅がないというよりも、人間や馬は命に無関心だといったほうが当たっているかも。たとえ彼らには翅や翼があっても、将棋だの馬草だの未来の画策だの西瓜だのに目が眩むばかりなので、命を失うのも惜しくない。
 ただその農婦とその子供だけが無辜である。農婦は息子のために死んでしまう。子供は母親のために死んでしまう。
 また蝿に戻る。
 論理にあっていえば、蝿は馬糞など汚いものに関心を持つはずだが、なぜずっと馬車に随って存在しているのか。多分その小さな命は事故と死亡の匂いがするだろうか。蝿の眼から、死骸の異臭がする。その異臭を放つ死骸の上は青空である。びっくりするほど妙な対比である。いわゆる新感覚かも。font>

尋隱者不遇

2007年07月08日 11時40分19秒 | 俳句和歌
松下に 行方聞けども 雲深し 薬取るてふ この山中に

 尋隱者不遇

        賈島
松下問童子,言師採藥去。
只在此山中,雲深不知處。

注:1、賈島:中唐の詩人。779年~843年。字は浪仙。「推敲詩人」とも呼ばれる。
   2、題は「尋隱者不遇」なので、詩の中にはきっと「隠逸生活」を表現する言葉がある。それは「雲」である。そして、「松」という木はよく仙人や隠居などのお住まいに植えてある。高雅や幽玄のイメージに特徴がある。

荘園のベランダにて

2007年07月07日 22時53分51秒 | 無名色色
  真夏の向日葵荘園へようこそ。我が荘園の露台にて海原と青空が眺められる。涼しい海風の中で、新鮮なジュースを一杯召し上がってください。
  猛暑の日々には、心がとても疲れているだろう。それが故に、今日はテンプレートを暫く「海原と青空」に変えた。涼しい海風の中に、皆様のストレスや煩悩を解消できれば、嬉しく思っておる。

靜夜思

2007年07月02日 15時46分18秒 | 俳句和歌
月見れば 床に霜こそ 降る如し 一人かも寝る 故郷偲ぶ
つきみれば ゆかにしもこそ ふるごとし ひとりかもねる ふるさとしのぶ

           靜夜思
            
             唐・李白

        床前明月光,疑是地上霜。
        舉頭望明月,低頭思故。

 注:1、今日は李白の名詩・「靜夜思」を短歌化してみました。
   2、僕は日本人ではありませんから、原詩の思いをどれぐらい伝えていくのかが分かりません。
   3、李白:(701~762)盛唐の詩人です。字は太白で、青蓮居士と号します。唐代詩人の中でかなり名高いですから、「詩仙」の尊称があります。
   4、原詩の「地上霜」から見れば、詩人はどこで立っているのかがはっきり分からないんですが、僕の考えでは、多分ある楼の二階あるいは二階以上でしょう。なぜかというと、何とか詩人が月を眺めると、詩情が沸き上がりましたでしょう。そうしたら、どこよりも高い所がもっと適当でしょうか。高い所がもっと詩的だと思います。宋・蘇軾の「水調歌頭」には「高處不勝寒。(高き處 寒さに勝てず)」という句があります。なので、短歌の中で「地上」でなくて、「床」を選びました。


トマトの食べ方

2007年07月01日 17時29分58秒 | 無名色色
 雪月花さんがトマトの中国式食べ方について訊ねましたから、それをちょっと紹介させていただきます。

 1、一番簡単な食べ方。水でトマトを洗い、手にして生のまま食べています。
 2、これも生のまま食べていますが、調味料がひとつ必要です。どの店でも手軽に買える調味料、(ジャンジャンジャンー)砂糖です。包丁でトマトを切り、お皿にのせて、その上に砂糖を撒くと、出来上がります。もし白砂糖ならば、すごく詩的な美称・「火焼雪山」もありますよ。(笑う)
 3、時代の発達につれて、とても便利かつ実用的な台所用品が発明さらました。ジューサーはその中のひとつです。ジューサーをいうと、食べ方が分かるはずだと思います。真夏の午後、氷で冷やされたトマトジュースを一杯ください。なんと爽やかな人生かな。
 
 以上で紹介いたしましたのは、生の食べ方。そのほか、卵と炒めるのもとても普通の食べ方です。誰でも想像できる作り方だと思っており、詳しく紹介いたしません。しかし、わが故郷では、特別な食べ方があります。トマトをジャム状まで鍋に煮させ、そのトマトジャムを消毒後の点滴済みの医療用瓶に注いでいます。するとゴム製の栓をして、針金で幾重にも巻き付けて、瓶を鍋に蒸させています。五十分後、瓶中の空気が排出されて、真空状態になります。長く保存できて、いつでも食べられますよ。
 ごめん、ごめん。さっき紹介したのは、食べ方より保存の仕方のようですね。ごめんなさい。
 さて、トマトを食べる時には、一番最初にトマトを食べてみた米国大佐ロバートのことを忘れないようにしてほしいです。彼の勇敢と精神がなければ、たぶんトマトは今でも南アメリカ・ベルーのジャングルに生きている「有毒植物」でしょう。