緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

薬缶連想

2006年04月19日 15時25分06秒 | 青色思出
小さい頃、私には薬缶という綽名があった。
生まれつきの栄養不良や母の母乳不足が原因で、病気がちであった。赤ちゃんの時分、よく母の懐中に囲こまれて病院に行ったものである。小学校の時にもよく病気で学校休みであった。その時、薬をたくさん飲ませていたから、薬缶と、父がこの綽名を呼び始めたものである。
中学校の時、毎日朝ランニングやラジオ体操をしたおかげで、体がだんだん丈夫になった。薬の苦さを何回も味わった私にとって、健康の大切さがよく分かる。やはり毎日運動したほうが良い。健康はお金で買えないものであり、一切の成功の元でもある。年配のお爺さんがよく「体が革命の本金である」と教えてくれる。
健康はなにより。

運転手

2006年04月19日 14時53分01秒 | 青色思出
私のある遠い親戚は昔、ある会社長の運転手をしていたが、今は自分で会社を作って責任者となった。経験などを聞いて見れば、彼はいつもにっこりと笑ってこう言った。
「僕はN社長の運転手をしていた時、社長がお客さんと車で談話したりしたことがよくある。その時、僕はまじめで側で聞いて、会社の経営技術や管理方法などについて、すごく勉強になった。家に帰るとよくその話を磨いて考えていた。やっと自分で会社を作る経済力があり、知識をもいろいろ持っていた。」
なるほど、運転手でも勉強できるものである。勉強好きな人なら、どこでもいつでも勉強できる。私もこのような人間になりたい。

一点の黒

2006年04月13日 13時34分27秒 | 心境写生
僕のベッドで、天井にある一点の黒が見える。
蝿かと思ったが、まだ春の初めだから、蝿の季節ではない。
周りが真っ白なので、その一点の黒が太陽の如く目に痛い。
いつもその一点の黒を眺めながら、知らず知らずに夢を見始める。
ある日、大掃除をした。その一点の黒がなくなった。だから、その宵、僕は不眠になった。
習慣の力が大きい。いつもその一点の黒を見ながら寝るのがもう習慣になるから、突然なくなると、困っている。

                         一点の黒




潮狩り

2006年04月13日 12時27分42秒 | 若い詩歌
両手の優しさで
波を揚げる女子よ
貝殻と螺が
僕の幻に
その洗われたベッドカバーから
落下!

夢の影に
僕は潮狩り子の如く
一個、一個
海の匂いが赤い桶から溢れた
青い波に漂う
風とともに

僕が自分の海中
螺を耳にして
清清しい海風が
遠方から聞こえる

 ある日、学校の2B女子寮の或るベランダで一人の女子学生がベッドカバーを洗うのを見た後、この詩を書いた。空の薄青と同じようなその貝殻と螺の模様があるベッドカバーが僕の美しい連想を誘った。


噴水動物物語

2006年04月07日 22時41分49秒 | 心境写生
 学校の噴水にオタマジャクシの姿が見られるのは本当に不思議なことである。まさかこの噴水には蛙がいるかと思った。
 午後の噴水は静かで、昆虫とオタマジャクシの天地となってきた。渾名が油売りを呼ぶ昆虫は噴水の水面で軽快に動いた。その何本の長細い足には何か特別な巧みがあるか。なぜ水面で船の如く移動できるのか。縁で眺めていたが、岸の動静に敏感に反応するため、噴水の真中に移動した。
 オタマジャクシの群れが噴水の隅に集まっていた。その姿が子供時代の記憶の中のと全く同じで、真っ黒な頭、短い小尾であった。
 トンボの姿が見られるのはまもなくのことである。夏の雨が止む午後や黄昏に、庭の水溜りでトンボを見たのは子供時代の一番楽しいことで極懐かしい。またこの学校の噴水でも見たい。黄昏の水面に、青空の投影に卵を産むトンボの姿が大好きである。

大学はパズルの如し

2006年04月05日 16時26分16秒 | 心境写生
 昨日の面接で会社側の面接官は<彼女がいますか>と聞いた。
 私には彼女がずっといない。
 恋しなくて大学生活は完璧ではないと言う説がある。でも、私にとって、大学はパズルの如し。恋はその隅の空白の一枚だといってよかろう。恋しなくても、空は依然青い、花は依然綺麗である。
 ある友達は残った時間で<黄昏式恋愛>をしてみたいといった。それは良いのか。もしその空白の所に黄昏の夕日を飾るなら、画面全体として、不調和となってくるであろう。やはりその空白に相応しいパズルは唯一の一枚である。だから、無理に置かないほうが良い。
 時折完璧ではなくても良い。
 大学だけではなく、人生も同じであろう。

水調歌頭
丙辰の中秋,歡び飮みて旦(あさ)に達す,大いに醉ふ,此の篇を作り,兼(くはえ)て 子由を懷(おも)ふ。
明月 幾時より 有る?
酒を 把りて  天に 問ふ。
知らず  天上の 宮闕は,
今夕 是れ 何れの年なるかを。
我 風に乘りて  歸去せんと欲すれど,
又た恐る  瓊樓 玉宇,
高き處  寒さに勝てず。
起舞すれば  影 弄(したが)ひ,
何ぞ似ん  人間(じんかん)に 在るに!

朱閣に 轉じ,
綺戸に 低くして,
照らされて  眠ること 無し。
應(まさ)に 恨み 有るべからざるも,
何事ぞ  長(とこし)へ向(に) 別かるる時は圓(まどか)なる?
人に  悲歡 離合  有り,
月に 陰晴 圓缺  有り,
此の事  古(いにしへ)より 全(まつた)ふすること 難(かた)し。
但だ願くば  人 長久にして,
千里  嬋娟を 共にせんことを。

以上の詞は中国の宋の時代の蘇し(詞人)の作である。

午後の運動場

2006年04月01日 22時27分25秒 | 若い詩歌
春の午後
運動場が寂しい
草が囁いたり
笑ったりして
西の隅で
鉄棒が
黙ってる

春の午後
運動場が恥ずかしい
風が走ったり
跳んだりして
真ん中の球場に
笑い声が
消えてる

春の午後
運動場が悲しい
空が晴れたり
曇ったりして
東の樹の下に     
鉄の欄干が
錆びてる

ああー!午後の運動場よ
君は休憩してるのか
なぜ黙々と
何も話してくれない!

 でんどう三輪車さんのご指摘で、完璧な詩となりました。