緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

憶江南(3)

2009年10月30日 09時27分22秒 | 風景開眼
 西湖があるかと思われるが、杭州は恋の天国だとよく言われる。しかし、「東南仏国」とは僕にとって初耳であった。西湖風景区の一部として、霊隠寺が杭州を旅する時足を運ばなければならぬ所であろう。
 
  

 寺のすぐ傍に飛来峰という小さな山があり、その山裾と山腹の所に古代から石の造像が数多作られた。中では阿弥陀仏もあれば、唐の三蔵法師(中国で名高き唐僧のこと)の物語もある。それに、狭くて暗い洞窟の中で来世・今世・前世を代表する三座の仏の像もある(下、左の右上)。其々家族のご健勝や自分の未来の安否などを意味するから、一つずつ拝むと良かろう。洞窟の造像の中でもっとも人気のあるのが財の神なる趙公明様、中に入る人々なら、誰でも拝む。其れに一人の案内人(よその方が雇った者、説明した時、私がちょうどその傍にいたから、耳を済ませて聞いた)の話によって、趙の手を触るともっと大金をもうけるという。妙な話だった。私は腹の太き弥勒仏が大好きであるから、それの写真を沢山撮ったものである(右の真ん中のは中の一枚)。

 

 年代があまりにも長いのか、或は長年で風雨にさらされたのか、一部の造像は破損が大きいである。それがゆえに、体や下半身などしか見られなかった。しかしそれでも、今の様子から昔の風姿が想像できる。おっとりと立ったのもあれば、心優しく微笑しながら遠くを眺めたのもあろう。また顔などが完璧な者は落ち着いて下のこの自分をじっと見るのも・・・・・・頭をあげて仏とじっと見合ったその一瞬に、僕は嘗てもないほど初めて仏という不思議な力に心から実感できる(仏教の信者でないけれど)・・・言葉や身振りなどが要らない、ただ胸の中に敬虔を持つだけで、お互いに心の交流が出来るのであろう。一つの拈華微笑から、心の奥まで一つの声や音が聞こえるのであろう。たぶんその音はある明るい午後、一枚の葉っぱの裏、一筋の渓谷でもあろう。

南無大慈大悲觀世音,願我速畢學業。
南無大慈大悲觀世音,願我早得真愛。
南無大慈大悲觀世音,願我親朋平安。
南無大慈大悲觀世音,願我家人安泰。

長相思・自作詞(2)

2009年10月27日 20時08分22秒 | 詩論私論

長相思•斷橋

蘇堤頭,
白堤頭,
印象西湖何日休?
斷橋寂寞愁。

花含羞,
鳥含羞,
寂寞橋邊望月愁,
君愁我亦愁。


注:1 斷橋は西湖の六公園付近にある橋の名前。『白蛇傳』の名に乗って人気を呼ぶのである。漢方医の書生許仙がこの橋の上、白蛇妖精の白娘子とめぐり会ったのである。

  2 蘇堤と白堤。唐の白楽天と宋の蘇東坡が杭州に在任した時、築いた堤である。二人の市長を記念するため、その苗字で堤を命名した。

  3 印象西湖。これは中国で名の高き張芸謀監督が西湖風景区で音、光、電などの先端技術を使ってデザインした大型山水実景の出演である。広西チワン族自治区の桂林にも「印象劉三姉」という同じ形のものがある。

長相思・自作詞(1)

2009年10月26日 10時08分06秒 | 詩論私論


長相思•金陵

中山陵,
西山陵,
日暮台城古道情,
環湖漫步行。

雲輕輕,
草輕輕,
未到離時意已縈,
隔江別後晴。

注:1 長相思•金陵。長相思は詞牌名で、友人や恋人などを偲ぶ時良く使われる。金陵は南京の旧名であった。
  2 中山陵。中国民主革命の先駆なる孫文先生のお墓。
  3 西山陵。即ち、明孝陵のこと。上の中山陵の西側に位置するので、西山陵を使うのは、詞牌名のルールを守るためである。
  4 台城古道。台城は南京の明城壁遺跡のこと。古くから名句があって、「最是無情台城柳」(唐·韦庄『台城』)であった。
  5 環湖。即ち、南京の玄武湖のとこ。ちょうど台城のすぐ傍に位置するから、その城壁に上ると、山紫水明の湖景色が眺められる。いいところだ。
  6 写真は台城の上。

憶江南(2)

2009年10月22日 10時22分49秒 | 風景開眼
 「江南憶,最憶是杭州。山寺月中尋桂子,郡亭枕上看潮頭。何日更重游?」また白楽天『江南好』の一部。今日は杭州。

 

 杭州をいえば、西湖を言わなければならぬ。まずは西湖の呼び方なんであるが、いったい「せいこ」か或は「さいこ」か、これは時々困ることになるであろう。しかし、中国では「せいこ」が一般的な読み方で、確かに入力する時は「さいこ」を使わないと出来ないが、以下で「さいこ」と読んでほしい。
              《水龍吟》
                 辛弃疾
 楚天千里清秋,水隨天去秋無際。遙岑遠目,獻愁供恨,玉簪螺髻。落日樓頭,斷鴻聲裏,江南游子,把吳鈎看了,欄杆拍遍,無人會、登臨意。
 ちょっと最近は「欄干コン」になるかも知れぬが、あちこちに行ってみる時、よく欄干を探してとても熱意に満ちていた。なぜ以上のものを引用するか、それが「江南游子,把吳鈎看了,欄杆拍遍,無人會、登臨意。」という所が好きだからである。「欄杆拍遍」を直訳すれば、「手で江南のすべての欄干をたたく」となるが、やはり「たたく」より「触る、撫でる、摩る」のほうがもっと的確であろう。僕の場合は「欄干を撮る」、中国語で「撮る」を言う時、よく「拍」を使うから、これも面白い表現である。
 灰色の欄干に長き蔓が付き纏う。
 西湖を欄干の背景にして、ロングショットをするのも一種の感動。
 丸いもの。方形物。獅子頭もの。色んな形の欄干。杭州の欄干。

 

 地図を見ると、西湖は杭州の西南部に位置、都市全体からすれば、四の一を占めるであろう。湖畔を歩いてみたら、九月の西湖は柳の糸が春と同じで、柔らかくて美人の眉まで連想させる。これも俳人守武の「青柳の眉かく岸の額かな」という句にぴったりする光景である。西湖は好い所だなあ!

              

  僕は写真専門ではないけれど、写真を撮る時、出来るだけいろいろ工夫して考えた。ショットの遠近や色、光など。その東屋もそうなのであった。所謂「黄金分割点」の所に置いて撮ったものである。それに天や山に近き、蓮の葉っぱ。九月は蓮の花がもう季節ズレで見えないが、幸いに葉っぱはまだであった。それに初めて新鮮な蓮の実を食った。

           

         蓮の実と杭菊のお茶。見事に調和する。

 

      西湖天地、一茶一坐。
          禅意・たっぷり……


 

 『愛たちの後ろ姿』。流石の「恋の天国」。年齢問わず、場所問わず。時問わず。愛は何処でも存在する!杭州、愛してる!

            

天地は万物のはたご屋で,光陰は百代の過客である.一人の旅人にとって、こんな風景はもう十分……

憶江南(1)

2009年10月21日 10時19分15秒 | 風景開眼
 日出江花紅勝火、春来江水緑如藍。能不憶江南?白楽天『憶江南』の一部。江南地区の風景や季節感を生き生きと描き出す秀作だと、薦めである。
 僕は先月11日から21日までの十日間で、南京、杭州、上海を旅していた。

 
 
 
  左:南京の中山陵、中国民主革命の先駆なる孫文先生のお墓なのである。
 右:明孝陵の一部、明代開国皇帝・朱元しょう(王辺に章)と奥さんの馬皇后との合葬(がっそう)墓である。
 南京は六朝の古都なり、西安と同じ、世界でもかなり有名な町なのである。僕は二日間(週末)滞在して、人気のある中山・明孝両陵だけに行った。中山より明孝が勧めである。特に日本の方ならば、ぜひ明孝のほうへ行ってみて、中では顔真卿碑林というのがあり、中日両国書道家の作が多く立ってある。あとは、僕は余裕あまりないから、総統府へ行かなかった。

  

 左:杭州の岳王廟にある岳飛のお墓。その右に立ってあるのは王の長男・岳雲のお墓である。南宋有名な英雄として中国で人気がある。墓の両側及びその下に石の翁仲や獣(馬、羊、虎)が墓を鎮護する。これらは一般的に帝王の陵墓しかないものなので、そこからすれば、岳王の地位がどれほど高いのが分かるであろう。
 右:岳飛を陥れる秦檜、王氏(下)、張俊、万俟卨(上)四人の鉄製像。四人とも罪人だから、同じ姿勢で跪いている。実はこれについて、ある日本人の友から聞いたことがある。中日生死観の問題だったが、我々二人でかなり深く話し合ったものである。一般論にして話すならば、やはり「日本人は死を尊敬する、中国人は死を恐れる」など、また「日本では良し悪しに関わらず、死んだら誰でも神や仏になれるから尊敬すべきだ。中国では輪廻や業などの考え方があってから、今世で悪いことばかりすると、きっと来世には報いがある」というような結論が出てくる。この死生観の問題も中日関係を改善し向上させるに一定の意義があるではないか。


本学・古き建物

2009年10月20日 09時45分16秒 | 心境写生



 

1ビンロウジの高き姿を青空の背景にして瞑想開始。住宅楼の表情は生き生きする。
2ロックされたのは青き思い出だけでなく……


  

3ホステスは留守中。老猫が一匹、俺のショットから逃げてしまった。
4『渡せる世は鬼ばかり』。漢訳は『冷暖人間』。ならば、色調だけでなく、世も 同じであろう。


 

5芭蕉の広長き葉っぱより、僕はよく柿本人麻呂のその歌を思い出した。
 「足引きの 山鳥の尾の しだり尾の 
       ながながし夜を ひとりかもねむ」
 芭蕉の葉も一種の長き偲びであろう。
6小さな庭に籐椅子。その上の茶色鉄製箱に幼い頃の秘密でも保存されていない?
 いつかタイムカプセルを作りたい。



7その夏休み、静かな昼ねと蝉の声……