緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

古都まで

2008年01月27日 20時46分05秒 | 心境写生


         三


 12時07分。発車した。その一瞬、彼は名状しがたいものを胸の中に感じた。郷愁だろうか。

 古都のことを南国にいても、彼はよく思い出したものだ。言えない一種の美感と史的な重みだった。彼のイメージの中では、それらのことがもう何かの沈殿物のように、自分の中に沈み潜んでいた。

 レンガ造りの青城壁、古いキャンパスの五階で見られる大雁塔、それに彼の学生時代。「人間は可笑しい動物だ」、と彼は自分にいった。「力を尽くしても、失敗を何回も繰り返しても、自分の夢を捨てることはできなかったことは。」自分の頑固さ、我がままな道を行くこと、あるいは自分の理想主義と優柔不断。今に至っても、まだ独身とは、ちょっと寂しいことだろう。

 車外は風景と静物が動画のように速く移動していた。鉄路沿いの近景はスピードの速く走る汽車の中からみたら、抽象派の水彩絵のような感覚だった。遠き丘や木々が黙って、とても静かだった。その中では、車輪とレールとの接触する音だけがした。

 臨時停車時、ある工場に寂しく立っていた煙突から、真っ白な気体が寒い中に幽霊のように立ち昇ったのを目にした。

 「可笑しいな、その煙は」、と隣の方も言い出した。

 「いや、煙じゃなかろう。工業廃気だろう。」と、ある幹部らしい眼鏡さんが教えていた。
 
 「やっぱり煙であろう」

 ……二人はその真っ白なものについて激しく話し合った。

 桂北の山は石多くて、低いのが特徴だといわれ、いや、山より丘や岡をいったほうがもっと相応しいだろう。頂から麓までせいぜい200メートルしかないだろう。

 彼は霧に立ちこめられた衝立のような岡や小山を眺めながら、車窓に落ちた雨粒にまた気づいた。なんと銭湯のことを思い出した。風呂から上がった体のように、その岡と小山の瑞瑞しさ、特にその男性的な岩や絶壁を覆っている女子的な緑の茂みは彼を感動させた。その雲と霧に隠見する山世界は仙境のような感覚であるが、自分の目前に存在するのとはちょっと不思議だと彼は信じられないかった。

 高架線の鉄柱が巨人のようにしゃんと田植えに整然に立っていて、長い電線を疲れずにしっかり攫むような姿だった。時間長く眺めると、彼はちょっと眠くなり、自分の寝台に這い上がった。







 

古都まで

2008年01月26日 23時13分42秒 | 心境写生


      二


 何ページを読んでしまい、彼はまた本を懐のポケットにしまった。

 河南方言で立ち話をする何人もいた。話からすれば、信陽方面だそうだ。ある学生姿の女子が油断なく荷役の赤チョッキさんにつきながら、自分の行李をじっと見張ったようだった。赤チョッキのことをみんなはよく「棒棒さん」と親切によんでいる。その中では、天秤棒持ちもあれば唐突な棒一本持ちもある。いくらあっても縛り方が特別で巧みだから、荷物がよくしっかり縛られた。サービス料を一人の赤チョッキに聞いてみると、10元だそうだ。

 柱時計が11時30分をさすと、乗客は流れのように改札口に押し込み始めた。

 「込まないで、込まないで」と、改札係の女性駅員が甲高い声で必死に叫んでいた。乗客の中では、彼のような単独なものもあれば、連中もあった。

 切符は寝台だから、改札後、彼は真っ直ぐ寝台列車のほうに歩いた。32時間とは、やはり寝台のほうがいい、と彼は自分の中で繰り返しながら、13号寝台車に上った。

 あんまり込んでいなかった。荷物を棚に整えて、車窓下の折型座席を下ろし、彼はそこに腰をかけた。外の電子時計を眺めると、まだ20分がある。ホームのY型日よけの下に制服姿の駅員が二人いて、何か話し合っているようだった。友を叫ぶ人、寝台を探す人、車内は次第に賑やかになった。彼はその賑やかな中でじっとそこの折座席にいた。






古都まで

2008年01月25日 17時05分00秒 | 心境写生
 
 
      一


 携帯の目覚まし時計が鳴った。

 彼は夢から目覚めたのは午前8時だった。発車は昼12時で、まだ四時間があると、彼は考えながら、寮の二層ベッドから起床した。ルームメートはもう帰ったせいか、あるいは真っ白な四壁のせいか、彼は体のしんまで冷え込んだと感じた。

 そとは淋しい雨だった。九時三十分。荷物を背負って彼は出発した。帰郷だった。

 バス停留所には人が案外少なくて、学生姿の男女三人しかいなかった。二人はカップルらしく見え、何か語り合ったようだ。もう一人は男子でタバコを吸いながら、バスの来るのを待っていた。

 彼の31路バスはしばらく来なかった。

 一分、二分、三分…およそ20分ほど経ったと、一輌が来た。普段なら、雨の日はいつも込んでいるが、その日は停留所にも車内にも人が案外少なかった。

 彼は車窓のガラスを通して、車外を眺めた。が、はっきり見えなかった。雨水が涙の粒のようにあてなくガラスの外表面に流れていたのが目立った。

 駅に到着したのは10時45分だった。ちょうどその時、雨が上がった。連日の降雪で交通が大丈夫かどうか、彼はちょっと心配していた。というのは、ラジオの天気予報を聞いてみたら、湖南の長沙から西安にかけて、幅広い地域をわたって50年ぶりの大雪が降ったそうだからだ。

 彼は早速待合ホールに急いで、改札の始まりをほかの乗客らと待っていた。

 「へんだな。今日は。」と彼は考えた。なぜかというと、状況は彼の想像と全然違い、駅にもあんまり込んでいなかったからだ。天井を支える正方柱の側面に安置されたテレビは春運安全教育映画を放映していた。彼はそれに全然興味なかった。ポケットからエッセー文庫を一冊探って、興味津々に読み始めた。学部の図書室から借りた島崎藤村の「千曲川スケッチ」だ。旅に向いている本だ、と彼は考えた。

南蚊北雪

2008年01月11日 12時26分29秒 | 心境写生
 今朝08時。起床。ひとえ一枚。
 ピンっと、西安にいる同級生からショットメールが入った。

 「西安、粉雪。熱コーヒー。勉強中。そちらは?」とある。
 
 夕べは暑かった。蚊一匹に妨げられて、全然眠れなかった。
 流石の亜熱帯気候。年頭なのに、もう夏のように感じる。

 「南蚊北雪」の違和感。

春運

2008年01月07日 12時51分43秒 | 時事雑感
 中国で春節の帰省ラッシュを「春運」という。今年は1月23日から始まるそうであると、ルームメートがネットで調べた。

 毎年「春運」が始まる十数日前に、乗客らが洪水のように駅のホールに込んでくる。所謂「学生流と農民工流」がそれの主力軍。切符売場の前に長い列がいらいらと続いているが、その鉄格子の後は相変わらず無表情、冷たいと感じる。あの仮面のような顔つきのせいか、あるいはざわざわする人の流れに漂う各種の異様な匂いのせいか、気持ちがいつも悪い。

 時々ホールの高い天井から換気機の爽やかな風が少し吹いてくれるが、あっという間に人の勢いに食われてしまった。大きなラッパからアナウンサの優しい声が駅の隅々まで響き、乗客らの注意を呼びかけている。私はアナウンサさんのその声がすきである。専門的な放送教育を受けたことがあるか、あるいは録音物か、どの駅でも殆ど同じ女性が言うように優しく聞こえる。

 「お客様、ただ今から延安行きの***号が本駅到着しました。延安行きのお客様、ご注意ください。(後略)」耳に優しかった。

 もしもその鉄格子の無表情さんも笑顔で優しく対応してくれるならば、いいと思うが、国営の「鉄老大」だから、期待しても無理かも。

 ところが、楽しいこともあるよ。
 年中の苦労や辛さをほっといて帰郷する人々の胸にきっと一つの期待があろう。汗の結晶で、子供に新しい服を買ったり、家族に希望と力を与えたりする。そう思うと、心がいつも温かくなる。

 「春運」は我々にとって辛いかもしれぬ。ところが、この「春運」があるからこそ、人々の心へ「春の匂いと春の希望」が運ばれるであろう。

 今年も良い「春運」を心から祈るように

 

 
 

 

新年初書込

2008年01月03日 18時28分57秒 | 心境写生
 2008年初めての書き込み(ここでは「初筆」でもいいか、いや、ニュアンスが違うかも。サインする時よく使うから。ここでは、さあ~~分からない)であります。

 2008年08月08日午後08時、北京オリンピック開幕予定です。四つの八ですこと。「八」好きな中国人なんです。

 2008年07月、学部生時代の同級生が何人も大学院から卒業します。彼らの就職状況はたぶん僕の将来像を映すかもしれません。期待しています。

 2008年06月、僕の院生一年が終わりを告げます。(何事にも記念する意味を付けるのも僕の一癖かもしれません)
 
 昨日は渡辺淳一氏の新作「鈍感力」(訳版)を一気に読み終えました。

 外科医の特別な視点から生まれた本作には、「鈍感力」を持つ人の例が幾つか挙げられました。揺れる電車ですぐ眠れるおばさんとか、新鮮でない料理を食っても胃腸が大丈夫なおじさんとか。

 生まれつきの生理的体質に関わることも多いですが、2008年の一任務として、「鈍感力」を持つ我を培おうと思います。





http://watanabe-junichi.net/archives/2007/02/post_49.html