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緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

俳句日和(02)

2014年03月02日 11時30分51秒 | 俳句和歌
             蟋蟀の宇宙は狭き甕にあり  原豊

 蟋蟀の世ではなく、宇宙である。宇宙は無限かつ広大である。その宇宙はただ狭き甕にありとは、妙な組み合わせだと思う。無限広大な空間と狭き甕の空間は一体になる。この間、ニッチ論という理論を読んだ。まさに、その甕は蟋蟀の宇宙であり、ニッチでもあるのだろう。甕からみれば、人間の飼う、闘蟀であろう。昔、北京で闘蟀が盛んだったが、高価の飼い甕もあれば、普通の甕もあった。今も骨董屋などで昔の甕がよく見られ、珍しい蟋蟀が甕で宝のように飼われた。その狭き甕に生まれ、生きて、闘い合い、死ぬ。狭き甕は宇宙そのものとなる。下五を「瓦礫かな」に添削してみると、自然の中の蟋蟀が思われるのだろうか。蟋蟀も我々もニッチを探しながら、一生を送るのであろう。




俳句日和(01)

2014年03月01日 22時46分51秒 | 俳句和歌
山桜鐘つく尼の墨衣  枝松洋子

 この句を読む一瞬、鈴木大掘先生の「禅と日本文化」に述べられた俳句と禅との関係が思い出されました。山桜と鐘つくこと、禅の雰囲気いっぱい作り出しました。墨衣の色と山桜の色と、一種の呼応となるでしょう。尼にとって、鐘つくことが日課だと思われ、毎日毎日繰り返してやることこそ、鐘つくその瞬間、山桜の状態と尼の心の有様を推測してみました。散るか満開するか、どっちにしても、禅の精神がいっぱい溢れる句だろうと思います。

春の句その一

2012年03月19日 21時26分10秒 | 俳句和歌

真っ赤なる福の切絵や年の市

抽斗の底に閉めるや古日記

年の市臥龍の如く列並ぶ

龍舞の口中が吐く賀状かな

お飾りの十字刺繍の紅さかな

長龍の正月の凧高々と

拝賀式宿老どもの赤ら顔

春の朝五禽戯をやる翁達

霾風や魑魅魍魎の降る如し

春の土植木鉢にも添ひにけり

土の春タイムカプセル掘りに行く

おふくろの小包にあり春の服

春の日に古いアルバム捲りけり


葱餅小母の歌

2012年02月23日 10時20分48秒 | 俳句和歌

西安外大の食堂名物をいうならば、一階の葱餅が有名であろう。遅刻しないように、あの葱餅を食べながら豆乳をすすって教室へ向かう光景が。。。超懐かしい。

さて、近頃、一階のあの葱餅小母ちゃんが姿消えてゆくというネタがネット上広く伝えていた。OBらも在学の後輩もあの小母ちゃんの行方に関心を抱く。詳細が分かるならばいいのに。

短歌四首を詠んだ。

秦嶺の麓の春や葱餅の小母ちゃんの声消えてゆくなり

葱の香の漂ふ窓の白衣小母小居安の春まだまだですね

葱の香に微笑溢れる白衣小母トントンといふ刀の音ぞ

外大の藤棚道の寒き中歩みて思ひ出す葱の香ぞ

今夏の俳句

2011年08月14日 11時02分49秒 | 俳句和歌
福を呼ぶ白象の坐や夏に入る

草刈女挟み合ひけり茎の音

採点を終へ日曜日花えんじゅ

空青き子犬に追わる夏の蝶

緑陰や石碑に刻む草書体

片陰の奥に飛び込む胡蝶かな

七夕や御粥をうまく作りけり

延安の夜にまぎれて蝉鳴けり

蛾の音や『菜根譚』を読みかけて

宝塔山仲間と飲みし檸檬水

夏期講習の点呼の声の響きけり

夏期手当支給の後の無表情

黄金虫

2011年07月01日 19時47分13秒 | 俳句和歌
        
    
黄金虫つまめば六肢もて拒む  立岩利夫

    裏富士の月夜の空を黄金虫   飯田龍太

    朝の星黄金虫標本室は彼方に  金子兜太

    絵の売れて星美しや黄金虫   大木あまり

    黄金虫の羽根美しき孤独かな  細見綾子

牡丹亭・羅袍【日訳】

2011年03月20日 10時39分23秒 | 俳句和歌
【羅袍】原來姹紫嫣紅開遍,似這般都付與斷井頽垣。良辰美景奈何天,便賞心樂事誰家院?朝飛暮卷,雲霞翠軒,雨絲風片,煙波畫船。錦屏人忒看的這韶光賤!

【好姐姐】遍青山啼紅了杜鵑,那荼蘼外煙絲醉軟,那牡丹雖好,他春歸怎占的先?閑凝眄兀生生燕語明如剪,聽嚦嚦鶯聲溜的圓。



艶やかな百花(はな)咲き誇る
壊れし井戸にたおれ垣
良き時の美しき光景(こと)
ただ空しく心浮き立つ楽しむは
誰が家のことならん
朝飛びて夕さかまくや
翠軒に霞む雲
雨の糸風そよぐ
煙る漣の画舫
深窓の人知るまいに
この春の韶光(こと)!

不如帰
つつじを紅く染めるんや
青野踏みけり
バラのかなたに
ゆらめく柳
過ぎ去る春の先駆けに
牡丹よけれどまだ早し
燕の子 囀りぞ響き良き 
鶯の  歌ぞ滑らか円き


新春シリーズの竈神編

2011年01月26日 15時45分45秒 | 俳句和歌
竈神今年の飴も値上がりき


注:中国では、旧暦の十二月二十三日は竈神の天上がりを送る日である。旧風俗によって、竈のところに飴を供えなければならぬ(詳細はこちら)。でも、物価が暴騰する今、竈神を祭る家が少なくなる。今年が新年の季語でありながら、今回のこの一句が俳句だというよりも川柳の趣が溢れている。

冬の朝

2010年12月29日 17時54分52秒 | 俳句和歌
 温室効果のせいか、今の冬は昔より暖かかろう。天気予報によると、あしたは零下20度だそうだ。

 小さい頃の真冬の朝に、共用水道が凍りつき、お湯を蛇口にかけないと、使えなかった。ひどかった場合では、焚き木まで手を出す。管理人がいないから、誰それの親が焚き木を持ってきて、火をつけたものだ。水道の前にバケツが長蛇のように並べた。祖父のあとにつき、我がバケツをその長蛇のシッポに。あとは待つことだ。

 祖父がいつも早起きだった。雪の朝は庭の除雪。平日は鶏の糞などを拾う。その焚き木を出して水道を焼くのも実はいつもウチだった。なので、祖父が「水道老李」の名を博した。

 小学校は冬が午前八時から午後五時までだった。寒い朝は蒲団を抜け出るまで、いつもぐずぐずしていた。

 「早く起きなさい!遅刻するぞ!男なのに、寒さに負ける気?」祖父がよく声かけていた。
 
 冬の朝の蒲団はこの世に最高なものだろう。しかし、その最高なものを抜け出ることは容易なことではないようである。『晋書・祖逖伝』には、祖逖と劉琨が鶏鳴を聞いてすぐ起きて剣の舞を稽古することが記される。おそらく祖と劉の時代は冬が更に寒かったろう。その二人が冬の蒲団と剣舞の稽古との選択肢から後者を選んだ。気合が必要である。

 土地が値千金の今。庭どころか、マイホームが買えない若者にとって、鶏鳴を聞くことも稀であろう。

 冬の朝、蒲団と剣舞、あなたはどちらを?
 
 僕は「蒲団の中」に「剣舞」したい。

俳句の面白さ

2010年07月15日 12時32分35秒 | 俳句和歌
 自分が俳句を趣味としたのは何時頃のことであったろうかはもう忘れてしまった。しかしながら、当初俳句を知るのは松尾芭蕉の名高い「古池や蛙飛び込む水の音」の句ではなく、確かに千代の「朝顔に釣瓶取られてもらひ水」であった。

 女性っぽい句。朝顔と釣瓶が作り出す清清しい雰囲気が好きである。しかし、当時が一つの疑問を持った。朝顔を可愛がるから隣さんに水を借りると、隣さんに迷惑をかける。これが西欧人から見れば、市民教養の無きことだと、教科書にもちゃんと書かれてある。
 しかし、私の疑問がそれではなかった。私のそれが、「日常生活でよく使われる釣瓶の近くになぜ朝顔」であった。朝顔が蔓の持つ植物として、釣瓶の近くにあるのは不思議なことではないかと思われる。だからこそ、千代のこの句が架空の句ではないかと僕は当時疑った。

 以上のような疑問が俳句の風雅を失くすのであろう。欧米人のみならず、他人に迷惑をかけることが嫌な日本人がこんなこともするのと。。きっと疑いを持つ人がいるのであろう。
 これは俳句の面白さである。
 俳句は「場」の文芸である。
 その「場」では、俳人の千代の心に俳句の風雅を産んだのであろう。その「場」でないと、詠めない句である。
 千代、秀逸!