詩を言えば、皆さんの頭に浮かんでくるものは何でしょうか。
「浪漫的、神秘的、憂鬱的、感動的」等の言葉が一般的でしょう。
僕にとって、詩は静寂かつ上品な言葉の芸術です。
なぜ?
漢字の構造から説明しましょう。
漢字の中で、「诗」という文字は「言葉」の「言」と「お寺」の「寺」で組合わせています。すなわち、言葉とお寺の「逢引」です。
ご存知のように、お寺という所は伝統的かつ静寂な心の浄化場所で、仏教の存在空間の一つでもあります。境内を巡ったり、仏前で合掌して何か願望を祈ったりするのは一般的であります。だからこそ、お寺で出てくる心のものはこの世にもっとも原始的で純粋な善き感情であります。その善き感情を言葉で表すと、詩というものが生まれてしまいました。
もちろん、詩の形式が様様で内容も色々あります。そして、情欲や愛などがよく詩の謳歌する対象となります。が、それらの物は仏教の禁物なので、以上の理論が誤論になるまいか、という疑問を持つ方がいると思います。
が、ここで一番言いたいのは詩の生まれる条件の一つだけです。すなわち、詩とは静かな心で外部世界の如何なる物を感じて自分の言葉で表した純粋な物です。
盆景
春夏すぎて手は琥珀、
瞳めは水盤にぬれ、
石はらんすゐ、
いちいちに愁ひをくんず、
みよ山水のふかまに、
ほそき滝ながれ、
滝ながれ、
ひややかに魚介はしづむ。
萩原朔太郎「月に吠える」