緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

白衣天使と小赤旗

2006年05月17日 13時41分01秒 | 青色思出
誰でも幼い頃についての記憶は美しい。僕も例外ではない。
五月十二日が看護婦の日。看護婦から話そう。
祖父は県病院の漢方医だったから、父は部隊を終えると、病院の会計係となった。母は当時、病院の保育所の職員だった。それで、家が病院の職員アパートに位置する。
僕が物心つく頃から、看護婦さんが怖い職である。生まれつきの栄養不良が原因で、病気がちだった。病気すると、注射室へ行かなければならなかった。看護婦さんが美しい天使とは思わない。童話の中の白衣天使は人々を楽しませるとても可愛い者であるが、僕の印象でこの所謂「天使」は苦痛の悪魔だといっても過言ではない。一般的に子供が注射嫌いで、僕も例外ではない。そのとき、よく泣き泣き注射したものである。それで、看護婦さんは子供の僕を嚇かす絶好の道具となってきた。が、他人のご両親はよく警察や狼で子供を嚇かす。
白衣天使は僕の印象に、ずっと恐怖のシンボルである。それが原因で、僕が白衣嫌いで、今も病院に行くことが大嫌い。クラスの担当先生のある親戚が死んだから、医療用白衣を借りることを母に頼んだ。言うまでもなく、その白衣を学校へ持つ方は他人ではなく、僕だった。なぜ医療用白衣を喪服とするのか。僕はずっと可笑しいと思う。なんとなく、死人の周りを天使が飛舞い上がるように、まさか楽園を真似するのではないか。なんといっても可笑しい。
僕がいやいやながら、その白衣を学校に持った。先生が僕に「いい子だ、いい子だ」と褒めた。そして、「今日の宿題、しなくてもいい」と言った。この好結果が僕にとって案外だった。が、父はこのようなことを許さなかった。
ずるい先生だった!ずるい腕だった!
僕はいま、その先生のことがいやである。が、そのとき、口で文句を言わなかった。そうすると、僕はすばらしい学生とは言えない。今考えると、小学生時代はとてもイツワリだった。何枚の小赤旗や賞状のために、不満がいっぱい溜まった。それらの光栄を象徴する賞状や赤旗の中に、何かがあろうか。僕も知らない。

実習教師

2006年05月11日 13時02分40秒 | 青色思出
小学校二年生の時、初めて実習教師である候先生と会った。当時、先生は延安師範学院の卒業生で、学院の恒例によって、各地方県へ実習に行かなければならないという。
候先生はその中の一人で、とても親切であった。

初めの授業で、先生は簡単な自己紹介をして、私たちに質問をした。
「皆さん、将来何をするつもりですか」
「私は教師になりたい」
「私は科学家」
「私は大金持ちになりたい」
「私、私は、画家になりたい」僕の番になると、自分も聞こえない小さな声で言った。
「大きな声でみんなに言ってください」侯先生が笑顔で僕に言った。
私は先生の顔を見ながら、もう一度言った。
休憩した時、侯先生は僕の隣に座って、親切でこう言った。
「さっきの声がとても大きかったです。絵が好きですか」
「好きですよ。とても」僕は笑いながら、そう言った。
「じゃ、頑張ってね。きっと素晴らしい画家になるだろう」

その後、僕らが候先生といい友達になった。遠足なり、ゲームなり、仮面舞踏会なり、いろいろなことをした。
時間は矢の如し。先生の実習終了日が一日に一日に至った。
それは六月のある午後。私たちは綺麗な青制服を着て、候先生の最後の授業を受けた。
教室の中はとても静かで、平日の悪戯っ子でもとてもまじめにメモを取ったりした。平日なら、終了ベルを鳴らすのを時計で計りながら待つが、その日、ベルが遅くなったらいいなと思った。

16:45、ベルが…
「みなさん、この一ヶ月間、ありがとう。みんなのこと、この一生、忘れられないわ。みなさんもこれから、頑張ってね。さよなら。」
先生の話を聞いて、僕の目に涙が溢れてきた。心の中で、「先生、ありがとう」と言った。

今、候先生はいかがであろうか。たぶん私のことを忘れたであろう。が、私が先生のことをよく覚えている。それは十分でる.
先生、お元気で。



青梅竹馬の友

2006年05月11日 12時53分59秒 | 青色思出
1990年の秋。僕は小学生になった。

入学の日、雨が降ってきた。解さん(隣の女の子)と一緒に学校へ行くことは今も覚えている。二人が相合傘を差しながら、教室へ行ったものである。

二階の廊下で一人の太い女の子が鉄の欄干の後ろに大きな声で「青梅竹馬(あおうめちくば)、青梅竹馬」を叫んでいた。その時の僕にとって青梅竹馬とはどういうことか、ぜんぜん分からなかった。「われわれは青梅を食べたことはない」と思った。顔が赤くならなかった。緊張はなおさら。今考えると、その時はすごかった。

その時、毎日宿題があった。僕は勉強好きであるが、宿題をやるのが一番いやである。

一年生の夏休み、僕は遊んだばかりで、宿題は全然しなかった。が、僕にはいい計画があった。

新学期始めの十日前のある日、僕は解さんの家へ遊びに行った。帰るとき、僕は解さんの宿題を僕の大きなポケットに入れた。今考えると、恥ずかしいと思う。

 翌日。僕の計画が泡となった。解さんのお母さんが家に来て、父と何か相談した。結局、父が家の机の抽斗(ひきだし)に僕の完成しない宿題を…その日、とても心配した。が、父は怒らなかった。僕にいろいろな人生の道理を話してくれた。