緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

自然という師

2007年11月26日 18時35分15秒 | 詩論私論
  自然は最高の師なり。というためには、多少の例証が要るであろう。
  まずの一例は俳句の季語である。豊かな自然環境や四季の移ろいがなければ、何にもならない世界最小の詩歌には、「季語」が不可欠である。なんらかの意味で、「自然は日本人に俳句という物を贈った」。もしも俳句が家ならば、季語はその窓、「窓」を開いたら、四季の移りが見える。また俳句が舌ならば、季語はそのミライ(味蕾?辞書では味蕾という漢字はないが)、「ミライの上を味が笑ったり、踊ったりしているようである。」
  今通っている大学は総合大学なのでキャンパスを通り抜ける時、「青空授業」はよく目にする。というのは、農業学部や動物学部の学生らは先生を囲んで授業を受けていることからである。真ん中に囲まれた先生は高いビンロウジの木、あるいは私の知らない茂みを指しながら、葉っぱの形や樹木の成長過程などを説明しているらしい。捕虫網を肩にのせる男子学生を何人も見たことがある。昆虫学部の方であろう。この緑の多いキャンパスには、樹木のほかに蓮、木犀などさまざまな花が咲いている。それに、緑陰の中を、茂みの底には百十万の虫が飛んだり、鳴いたりしている。
  この生き物の王国は何より「最高の師」なり。
  
  

柱と桂

2007年11月19日 18時12分23秒 | 俳句和歌
図書館の   柱ぞ高き     桂の香
としょかんの はしらぞたかき かつらのか

 夜十時。図書館の出口にて、高き柱を目にしながら、桂の香りがするのはなんとなく趣がある。涼しい風が手触りのいい高柱の間を通して頬を撫でているのは尚更だ。桂の宮の中にいるように感じられる。

迷信とはいえ

2007年11月12日 11時20分12秒 | 詩論私論
  広辞苑によると 、迷信とは「道理にあわない言い伝えなどを頑固に信じること、現代人の理性的判断から見て不合理と考えられるもの」だそうである。が、時々心の温もりを感じさせる迷信もあるようだ。

 僕の干支(中国語で属相という)はいのししで、ちょうど今年は二度目になる。中国では「本命年」とも言う。

 「本命年」には「赤い下着を着たり、赤い靴下を履いたりする」という習慣ともいえる遣り方がある。「そうすれば、きっと一年中無事かつラッキでなんでもうまく行く」らしい。赤も熱情に満ち、中国人の大好きな色であろう。が、実は迷信気味だ。それでも、本命年に母親や親友から赤い靴下を貰えることはなんとなく「温もり」を感じさせることではないか。迷信とはいえ、「その心の温もり」が好きだ。赤い靴下を履いたら、足だけではなく、心までその温もりが感じられる。
 
 また、電信柱や橋の欄干にてよく見られる貼り紙のことを紹介させて頂く。

 「天皇皇,地皇皇!我家有个夜啼郎。来回君子読一遍,我儿睡到天亮亮!」
(神さまよ。神様よ。我が家に夜泣き子ありて、往来する君子らよ、読まなむや、我が泣き子、夜明けまですやすやと!)

 内容からすれば、母親やお婆さんによるもので、心の温もりを感じさせる。我が子を可愛がることである。

 これらは迷信とはいえ、人間愛が溢れている。私はこのような迷信がすきである。

「長恨歌」

2007年11月02日 12時39分27秒 | 俳句和歌
秋雨や 口ずさみたる 長恨歌
 最適秋雨夜、常吟長恨歌


 注:1 白居易:中唐の詩人。772年~846年。字は楽天。号は香山居士。
   2 長恨歌:百二十句からなる古詩。玄宗皇帝と楊貴妃との物語を歌いあげた詠史詩。
   3 秋雨の中を傘差しで歩きながら、「長恨歌」を口ずさんでいる夕べだった。特に最後の幾文を心こめて詠めば、わびしいと感じる。
   4 臨別殷勤重寄詞,詞中有誓兩心知。
     七月七日長生殿,夜半無人私語時。
     在天願作比翼鳥,在地願爲連理枝。
     天長地久有時盡,此恨綿綿無絶期。

     別れに 臨みて  殷勤に 重ねて 詞(ことば)を寄す,
     詞中 誓ひ有り  兩心のみ 知る。
     七月七日  長生殿,
     夜半 人 無く  私語せし時。
     「天に在りては 願はくは  比翼の鳥と 作(な)り,
     地に在りては 願はくは  連理の枝と 爲(な)らん。」
      天は 長く 地は 久しきも  時 有りて 盡く,
      此の 恨は 綿綿として  盡くる期 無からん。
                       ーー訳・「詩詞世界」より引用