緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

蝶々の長き道

2007年12月17日 17時15分27秒 | 俳句和歌
からからと  枯葉を踏むや   長き道
からからと かれはをふむや ながきみち


南国とはいえ、一ヶ月間雨がふらないと、乾燥である。日曜日の午後、一人でその枯葉に覆われた長き道を歩きながら、くちゃくちゃした枯葉の「からから」を聞きながら、長道の尽きるところをじっと眺めるのも心地良かった。

黒蝶や  落ちたる香こそ  偲びけれ
くろちょうや  おちたるかこそ しのびけれ


この南国地方では、黒き蝶々の姿がよく見える。今のような季節でも時々見られる。その黒き翅をばたばたさせるのも季節に相応しい美しい光景であろう。なんだか落ちた花を偲ぶように、蝶々は黒き服装をして、なくなった花の「葬式」に参るような感覚である。

ハイビスカスの歌

2007年12月13日 12時58分34秒 | 心境写生
 寮の管理人(門衛をさす)が男女二人いる。二人とも中年で交替勤務の形で働いている。

        一 男子の編
 先日のことであった。昼ごはんを終えて寮に帰ったところ、緑化帯に紅い花が咲いているのを目にした。花弁が柔らかくてとてもきれいだ。それに、蕊がはにかんでドンヨリした外の世を眺めるようだった。
 その門衛のおじさんがちょうど一階の階段でタバコを吸っていた。彼に尋ねた。
 「これですね。これはハイビスカスと言います。南寧の市花です。」と、彼は親切に教えてくれた。
 「なるほど、きれいな花ですね。」と私は言った。
 「小さい頃、私達はよくハイビスカスの花を摘んで、その蜜を吸い込んだものですよ。美味しかったですよ。今はそういう光景はあんまり見えないんですね。」と彼は言いながら、憧れるような回想状態に陥れていた。
 「昔ですね。南ネイでは鳳凰木という街路樹がありました。花期になると、真っ赤な花が火事が出るように満開していました。とてもきれいでした。しかし、鳳凰木は一種の毛虫をおびき寄せるため、花期の到来につれて、毛虫も増えていました。長い糸を吊るして、ふっと襟の後に、あるいは髪の毛にその毛虫が落ちたこともしばしばでとても困りました。あの頃ね、家々で鶏を飼っていましたが、それでも毛虫を全部啄ばめないほど多かったです。」
 「はは、そうすれば、鶏がみなよく肥えていたでしょう?」
 「そうなんですよ」
 「仕様がなくて、結局鳳凰木を全部切り倒して、ハイビスカスを緑化樹木に植えていました。」僕にわかりやすく説明するため、おじさんは引き出しからノートとペンを出して、スッケチを書いてくれた。
 その皺っぽいノートを捲った時、そばにいた私はざっとたくさんのスッケチを目にした。優れるスケッチとはいえないが、たくさん描いた。
 「スケッチが描けるんですか」と僕は聞いた。
 「いや、できないんです。ただ趣味として時々書きます。とんでもないものです。」とおじさんは笑いながら、軽快に言った。
 
        二 女子の編
 夕べ。自習後、寮に帰る途中、入口のところで、門衛の中年女性にはじめて気がついた。楽譜の書いてある本を夢中に読んでいた。簡単に挨拶してから、表紙を見ると、「中級声楽」という本だった。
 「ええ、おばさんは声楽もできるんですか」
 「いや、できないんですわ。趣味、ただ趣味ですわ。」文末の「わ」がとても親切であった。(実は「ラ」と発音して両広(広東と広西)の話す習慣ーよく文末に「ラ」という音が付く)
 ちょっとその本を捲って読んだが、民間歌謡や外国名曲が多かった。
 「ね、学生さん、君は歌に向いていますよ。特にテノール」と、おばさんはいきなり言い出した。
 「声が響きますから」とまた教えてくれた。
 まあ、ただの褒め言葉であろう。信じられないんだ。
 
 しかし、僕はこの二人のことが好きになるようだ。別ではないが、その生活に対する心の有様がとても素晴らしいと、私は考えている。門衛とは、多くの人から見れば、そう偉い職ではないであろう。が、それでも、前向きに生活を愛する二人のことはえらいといえるであろう。

 
 赤いハイビスカスの花は歌を歌っているよ。君は聞こえるか。
 
 

KYと柳の糸。

2007年12月05日 12時50分43秒 | 時事雑感
 KYという言葉はご存知であろうか。これは発表した07年のユーキャン新語·流行語大賞の候補語の中の一語である。kは「空気」の略で、yは「読めない」のそれである。組み合わせると、「空気を読めない」になった。元々「空気を読める」という言い方があるらしいが、最近に「空気を読めない」が頻繁に使われてしまったといった。
 含みが分かると、つい「自分はそれだろう」と思い込んでいる。
 今年8月13日の記事で書いたように、「空気を読める」能力はまだまだだ。http://blog.goo.ne.jp/himawari_1983/e/0e616c28ffe7d1939cac77a8b512ebbb
 もっと具体的に言えば、「柔軟性が欠ける」がよかろう。毎々この「柔軟性」を目にあるいは耳にすると、柳の糸のイメージがよく目の前に浮かぶ。いくら風や嵐が荒れてもその柔らかいものを断ち切ることはできない。古典武侠小説の中によく述べるように、刀法や剣術の最高のそれは「刀剣を手にしても、それを刀剣でなくて柔らかくてしなやかな柳の糸のように感じること。」京都の糸屋の娘さんが目で人を殺せるのもこれが原因ではないだろうか。
 では、これから「どのように空気を読めるのか」に問われる時、私は答えられる。「自分を柳の糸のように想像すれば、大丈夫だ」。風(「空気」の流動がその本質)の中に揺らめく柳の糸よりこそ「空気の動きや方向が分かる」であろう。
 柳の糸になりたい。柳の糸になりたい。さわやかな風に揺らめく柳の糸になりたい。/font>

師走と師恩

2007年12月04日 18時34分45秒 | 心境写生
 
           一
 あっという間に、もう十二月に入った。歳月の流れは早いというが本当だ。日本語の中では十二月を「師走」とも言う。字面から見れば、「師も(中国では教師は負担なくのんびりする生活を送れる職の代表)忙しく走る歳末」であり、その忙しさを極める言い方であろう。
 過ぎ去った一学期はまあまあであった。本はたくさん読んだが、しっかり理解して頭に覚えたものはあんまりなかった。何かに追いかけられたような気がする。石の上にも三年だというのだが、期末の論文は三篇以上もあるそうで、人間だって出来ぬことがあろう。何だか冷凍食品を買って持ち帰って、鍋で煮ると、すぐ食べられるような気がする。食べられることは食べられるが、新鮮なそれより栄養価値がなくなるであろう。           
           二
 二日夜、北村先生が電話をかけてくれた。ある知り合いの先生が私の声を聞きたがるといった。だれかと思ううちに、そっちはもう「石野です。」と。御用のために上海に滞在して北村先生を訪ねたという。簡単に挨拶をして電話を切ったが、心が温かかった。先生、本当に感動した!西外のことを話題にするとき、よく私を思い出すことは。
 それに、小出先生も最近よくメールを送って下さって、西外大の様子を教えてくださった。またこの間、電話で俳句の作り方についていろいろ教えてくださった。
 これらのかたがたはみんな我が恩師ぞなる。元々小出先生に送った俳句を敢えてこのブログに書き込みにしたい。自慢ではなくて、心の底から湧きあがる感謝の泉である。
 
         「柿の木や 恩師ぞ偲ぶ 南の夜」
     かきのきや おんしぞしのぶ みなみのよ