緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

柳の夢

2009年03月31日 21時13分39秒 | 俳句和歌
  
 懐かしき柳の芽こそ緑生りけれ。白わたも飛び舞うらむや幻の夢。


 故里の柳は今芽が出るかどうかを思いながら……。白わたは柳じょのこと。春になると、いつもあちこちに飛び舞ったものだ。この南の地方では柳が珍しいだろうかと思っていたが、今日の午後不意に西運動場の柵の所で柳何本と巡り会った。高き姿。細き葉っぱ。南寧は季節の移ろいは鮮明ではないとっても……湿気の多い所、ふわふわとはちょっとそれだろうね。

三月三歌の節

2009年03月29日 20時42分08秒 | 民風民俗
 今日は三月三日。中国の伝統な祝日の一つ。名は特に無かったが、各地でいろいろなお祝いがある。
 漢族には山菜で卵を煮て食べる習俗がある。僕は山菜を食べなかったが、ゆで卵を食べた。

 地元のラジオを聴いてみたら、今日は郊外にある武鳴という県に「歌圩(南で圩は市を意味する)会」があるそうである。

 僕はチワン族ではないけれど、この「歌圩」についてならすこし知っている。これを日本の場合にしたら「歌垣」に当たる。

 古代日本における歌垣は、特定の日時と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を掛け合う呪的信仰に立つ行事であり、互いに求愛歌を掛け合いながら、対になり恋愛関係になるとされる。
 
 一つの例を。有名な「万葉集」に、以下のような歌があった。

 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 未通女壮士(をとめをとこ)の 行き集いかがう嬥歌(かがひ)に
人妻に 吾も交らむ わが妻に 他(ひと)も言(こと)問へ
この山を 領(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ 今日のみは めぐしもな見そ 言も咎(とが)むな
                   『万葉集』第9巻・1759より

 これが歌垣の様子を生き生き描かれてくる。その場に身置かせるような臨場感を与えてくれると思う。

 歌圩というのも同じでかなり民間的なもので、参加者は未婚の若い男女が多くいる。勿論、いまに至ってただ歌の技をくらべるために来る者も多くいる。だからこそ歌垣は未婚男女の求婚の場という性格が強く、また、集団での成年式に起源すると考えられている。

 歌圩は年に何回も行われるが、三月三のこれが特に賑やか、盛大である。「対歌」のほかに、竹ざお跳び、横鼓、犬(鶏)比べ、絹細工の繍(秀)球投げもある。いかにも民間的な集いでさまざまなことや出演などがある。


 日本に三十六歌仙があったように、中国にも歌仙・劉三姉さんがいた。チワン族の娘で唐代の物語に登場した人物で、山歌が上手なので歌仙の名を博したという。

 彼女の対歌の中で一番有名なのはこうな一首ある。

       男対女  

 「劉三姐: 心想唱歌就唱歌,心想打魚就下河, 你拿竹篙我拿網,随你撑到哪条河。 (発句のようである)
  訳:歌わばや歌ひ出で、漁り(つり)せばや川に出で、兄よ竹櫓を持つや網持ちて、どこどこへ行く!

  男の衆: 什么(何という意味)水面打跟斗,什么水面起高楼, 什么水面撑阳傘,什么水面共白頭。(問い掛け)
  訳:何ぞ水面にもんどり?何ぞ水面に高楼?何ぞ水面に日傘?何ぞ水面に共白頭?

  劉三姐: 鴨子水面打跟斗,大船水面起高楼, 荷叶水面撑阳傘,鴛鴦水面共白頭。(答え歌)
  訳:鴨 水面もんどり。大船 水面に高楼。蓮葉 水面日傘。鴛鴦 水面共白頭」

 これは知恵のかなり必要な「問答歌」のようである。蓮葉から日傘、鴛鴦から恋人のような比喩をも沢山使っていた。

 三月三、歌の節。
 

【おくりびと】Departures

2009年03月26日 17時07分18秒 | 露天映画
 重苦しい雪。その朦朧さから雪国らしい寒さが感じられる。

 ムードをもの悲しい死から、「SONG OF JOY」へ。歓楽(JOY)の歌であっても、人を喜ばせる消息はなかった―――楽団解散が発表された。失業を意味する。

 日常生活。妻との会話。不安な未来。

 二人きりの演奏旅行、美しい思い出がいっぱい。

 生きているタコ、いや、たぶん死んでしまったタコ。人生のようである。まさかタコも人生の哲学ではあるまいか。その触手はたぶん世の辛さと苦痛をもっと感銘するだろう。

 人生の転機っていったい何であろう。時々それが一瞬或は刹那のことにすぎない。夢の光や現実(いま)に差し込む。

 父の喫茶店。素朴な田舎生活。ばっとしない転機は往々人の運命を変える。人生そのものを旅に例えば、旅立ちも幸せなことであろう。なぜならば、人生最後に使うものが他人によって選ばれたからである。

 最初の仕事――遺体役(遺体モデル)をやる。一人前のおくりびと(納棺師)になるのは、死者そのものを体験しなければならぬであろう。死の尊厳。

 音楽は嘗てへの回想と往来をよんでいる。その場で冷たい石もものを言う。

 魚(サンマのようである)が川の流れを遡って行く。

 人が世の流れを遡って行く。同じだろう。結局のところ、死に過ぎない。いったい何のために必死に頑張るのであろうか。真理か、世の慣わしか。魚は多分それをちゃんと知っているであろう。しかし、人間同士には知らないものが数多あろう。

 雪国の冬の宵。ストーブ。古いレコードから暖かい思い出――親父の大好きな曲。静謐な流れ。清清しい雪。和式な障子。

 雪国のクリスマス、悠揚たるチェロの独奏……
 
  

 雪国の早朝、MTVのようである……

 鶴乃湯の風呂から水滴が寂しく聞こえる。白き鳥の群れが飛上がるその一瞬、火葬場のその小父は多分本当に次の人生往きのその停留場(ターミナル)の門が見えるかもしれぬ。

 雪国の春は命と万物をはぐくむ。人類をも。

 白い小石が寂しい親父のこわばる手から落ちてしまった時、昨日のように流れてくる思い出は最高の拠り所になる。涙に浮かぶその笑顔が段々はっきりしてくる。

 冷たい石もその場で人間らしく温くなる。

 滝田洋二郎が監督を務めた2008年の日本映画。第81回アカデミー賞外国語映画賞、および第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品ーー【おくりびと】を見ながら、気の向くままに書いたものである。

国境線上の旅

2009年03月24日 17時39分57秒 | 風景開眼
 
東風吹くや 国境一歩超えの旅

 

  左:中越(ベトナム)辺境にある小さい市。香水(「ベトナム式フランスシリーズ」だっといって、本場かどうか?さあ!)や櫛など、ベトナムの特産を売っている。ここは所謂「緩衝地帯」なので、暫くベトナムの国土に滞在した(外国への旅!へへ~~!)。写真になかったが、ベトナム側の山の頂に歩哨所(東屋のように見えるが~~)が隠蔽している。
 右:木棉の木(キワタノキ.インドワタノキ)。 
  川は帰春河という。向こうの岸はもうベトナムの国土である。
  ガイドさんによって、所謂「川の国境線」。


 

左:通霊大峡谷(地球の傷あとだと言われる)の底にて。
右:噂の無花果(イチジク)。
  実は直に幹や枝にそのまま実っている。


 

左:通霊滝。落差は約185mだという。
右:帰春河。中国側にて。向こうは同じ、ベトナム。


 

徳天の大滝。
 中越の国境線に横なる滝。
 今頃(3~6月)はちょうど渇水期なので、そんなに壮大ではなかった。

花蘇芳

2009年03月17日 15時55分00秒 | 俳句和歌
            
戯子の目が如き花蘇芳の落ちたる一枚静かなりけり
おどりこのめがごときはなずおうのおちたるひとえしずかなりけり


 大学の通りにひょっこりと花蘇芳の木に出会った。赤紫色の種だから、花期が長いという。午前、用が有って西キャンパスに行った。帰った時めぐりあったものだった。
 百枚もあったかと思われ、もう地に落ちてしまった。その中の一枚を睨んでみたら、戯子のお目の如くである。
 
 注:はな‐ずおう【花蘇芳】はマメ科の落葉低木。葉は心臓形。春、葉より先に、赤紫色の蝶形の花が密生して咲く。中国の原産。《季・春》 (ヤフー辞典より)


湿気っぽい日々

2009年03月14日 12時34分39秒 | 民風民俗
 
 どんよりした日々。湿気っぽい日々。壁や床に水玉がたくさん付いている。泣き声が聞こえないけど、壁が泣いているようである。

 陋屋の古い壁、新築の光るタイル。どの壁でも泣いているようである。しかし、泣き声はつゆ聞こえないものである。何かの協力があるのであろうかと思われるほど、同じ時間、同じ表情―――壁たちは静かに泣いている。

 「その子は壁のような者」と、或る先生の比喩を耳にしたことがある。なんといっても新奇な比喩と発想であろう。まさかどの壁も元々春のような女子だったのであるまい?春の悲しい物語に惹かれて、泣いているのであろうか。

 馬鹿馬鹿しい考え方!

 作家蘇童(中国)の小説・「碧奴」は日本語に翻訳された折、訳者はその題の後ろに、説明的あるいは補助的な小見出しを付けた。「涙の女」である(実は万里の長城の工事で夫を亡くした孟姜女の物語を基にして書かれた神話的小説)。
 
 どの国でも神様が住んでいる。中国でカマドや厠まで神様が宿る。但し、「涙神」を耳にしたこと一度もない。資料を調べたが、見つけなかった。ある時に「その子は涙神だ」という揶揄的な表現を使うこともあるが、ここでの「涙神」は「ややもすれば泣き出した」という意味、涙がちだといってよかろう。

 神話や伝説に仙女の涙が人の世に落ちて綺麗な湖になったのは屡ある。その中で仙女の涙でなく壊れた鏡を使う用例もあまたある。まさかチベットや雲貴高原にいまもある湖水信仰は原始的な「涙神?」への崇拝であるまい。さあ~~!?

 その孟姜女も多分「涙神」の始祖になれるかも。原因は簡単である。世界で有名なある壁―――万里の長城の前で号泣すると、正面の壁が崩れ落ちて無数の骨片が散乱したので、その中から夫の骨を捜し出した彼女は持ち帰って葬ったという。

 多分「涙神」は塀や壁に宿っているかも。


 注:孟姜女(もうきょうじょ)は中国古代の説話に登場する女性。秦(しん)の始皇帝が万里の長城を築いたとき、労役に駆り出された杞梁(きりょう)という男は、過酷な労働に耐えかねて工事現場から逃亡した。その途中、富家の庭園に入り込み、そこの娘孟姜女と知り合って相愛の仲となり、やがて2人は結婚した。その後彼は長城の建築現場に戻るが、逃亡を怒った監督は彼を殺して長城の中に築き込んだ。それを聞いて駆けつけた孟姜女が長城の前で号泣すると、正面の壁が崩れ落ちて無数の骨片が散乱したので、その中から夫の骨を捜し出した彼女は持ち帰って葬ったという。こうした孟姜女の物語は唐代に初めて文献に現れるが、この悲恋譚(たん)は民話、語り物、演劇などの形で広く民衆の間に流行した。(yahoo百科事典より)

「奥様」小考

2009年03月10日 15時25分26秒 | 民風民俗
 最近は民俗学にすごく興味持っている。中国の古典民俗学に関する本や文章をたくさん探して読んでみた。意外な現象や発見がしばしばある。それらのものを言語的思惟にして考えてみると、また大喜ばせるものが沢山出てきた。

 「礼記・礼器」に曰くように、「奥者、老婦之祭也」。ここの「奥」とは「カマド」のことである。つまり「カマド(カマドそのものを指すほかにその祭りでもある)とは最初に炊飯する老年婦人を祭ること」であろう(日・中村喬)。

 上述の意味が分かれば、「奥様」っていう呼び方の由来は分かり易くなる。
 
 「奥様」を調べてみたら、以下のような解釈がある。

(1)〔他人の妻〕(你的)愛人àiren;[外交の場で]夫人fūrén;尊夫人zūnfūrén;令正lìngzhèng『書』,太太tàitai.
  奥様のご病気はいかがですか/您愛人的病見好?
  奥様によろしく/問你愛人好!
(2)〔女主人〕太太;[大奥様]老太太lǎotàitai.
  奥様,お客さまがおみえになりました/太太,来客人了.
(3)〔年輩の婦人〕大娘dàniáng,大婶儿dàshěnr,太太.
  奥様,なにが御入用でしょうか/太太,您有什么吩咐吗?
  となりの奥様/我们隔壁gébì的女主人〔太太〕.

 参考:“太太”は身分の上下が明確であった旧時,役人や有産階級の夫人をさし,召使いが女主人を,または他人や自分の妻を呼ぶときにも使われた.香港・台湾・東南アジアでは現在でも“太太”が普通に話されるが,中国本土では“愛人”が使われることが多い.(ただし呼称には用いられない).地位の少し高い人の夫人には夫の姓をつけて“王夫人”と呼ぶ.農村では見知らぬ中年女性には“大娘”(子どもの場合は“阿姨āyí”)と呼びかけることもある.改まった手紙などでは“夫人”“尊夫人”“令正”が用いられる.
                             (小D査詞より)
 
 また、「語源由来辞典」(http://gogen-allguide.com/o/okusama.html)には、
 「奥様の奥は入り口から離れている所をさす。そこから奥にある建物や部屋をさすようになり、そこに住む住人たちも意味するようになった。」
 
 古代の家屋の平面図を見れば、もっと分かり易いと思うが、かつて在職したことのある平湖にある「莫氏荘園(清代)」の平面図をコピーしてみよう。

 
 台所(赤長方形に囲む所)は確かに入り口の玄関(正門)から離れているようである。また、「奥」という文字の構成からすれば、「門」に似てるそのものが「米」という文字を囲むようになった。宋·陸游「老学庵笔記」に顔出したその僧の言ったように、「巧婦安能作無面湯餅乎(以降:巧婦難為無米之炊)」。家庭主婦(奥様ら)にとって、米は必需品(また広義的に必需品を指す)である。これは「奥」と「米」との関係である。

 つまり、「奥様」は「カマドのところに米でご飯を用意する者なり」。