緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

冬至過ぎ

2008年12月23日 11時20分52秒 | 心境写生
 名の知らぬ高木に干すやシャツの色冬至過ぎても変わらないもの



 吾が寮の前に名の知らぬ高木が何本立っている。最近はちょうど花の見頃である。今年も同じように、湿気っぽい南国のこの妙な寒さに白き花を数朶綴った。色や形からすれば、何となく弔問する時の紙花に似ている。一本の枝は隣の寮のベランダに手を差し伸べるから、時々誰かがその枝に白きシャツを干すのが見える。緑の木陰に白きシャツ、何と妙な風景であろう。勿論シャツのほかに、キチンと洗っていない靴下も時々見える。
 
 天気のよい時に吾が六階のベランダに立っていて、遠き山の背もはっきり見える。此方は流石の「緑の町」、空気が新鮮なのか、それとも湿気が多いのか、視界(眺め)もけっこう良いことだ。
 

冬至の候

2008年12月21日 20時21分37秒 | 俳句和歌
 今日は冬至の候。しかし、全然寒くない。逆に、最高温度が十六に達したという。明日は6~13度下がると天気予報が言ったが、冬が本格に来るかな。楽しみ!

 ただいま「犬門(ケンモン)」(屋台の集まる市のような所)で餃子十五個食った。お酢をたくさんかけて食べた。とても美味しかった。常記餃子(その屋台の看板)も商売がいつもより繁昌する。持ち帰りを待っている学生さんがたくさんいる。列が長い(北には冬至の日に餃子を食べる風俗がある)。
 

『梅蘭芳』を見て詠める

2008年12月15日 23時25分15秒 | 俳句和歌
梅の枝夢に挿し込む一昔

 先週のことだった。市内にある万達映画館で「梅蘭芳」をやっと見た。十年ぶりの映画館だった。

 運命だったか、或いは偶然的なめぐりあいであったろうか。十年ぶりの映画館で見たのはは京劇大家の「梅蘭芳」で、何よりだった。

 京劇に明るいとは言えないが、小さい頃から今までずっと好きである。特にこの国土に生まれて、生きていることはなんと幸せなことだろう、と私は思う。史上の大事件、大戦争。男女間の純一な恋或いは憧れ。星のように、文明の空に輝いている。振りさけみれば、その光は心に優しく差してくれる。

 注:「梅の枝」は比喩で、京劇においていえば、女形の「指法」の一つで、よく「蘭花指」だと言われる。しかし、「蘭」は冬の季語ではないから、「梅の枝」でその「指法」を意味する。

国境之北

2008年12月08日 11時59分27秒 | 心境写生
 先日、所用で中国とベトナムとの国境線近くにある小さな町へ行った。通訳だった。

 国境線にまだすこしだったが、その近くだから、ベトナム風格の建物がいっぱい並んでいることに気がついた(ベトナムに行ったことないけど、運転手さんの話によれば)。

 典型的な一戸建ての三階式である。一階はほとんど店や老舗(賃貸しもあれば、自分で売買することもある)で、二、三階は居間や寝室。べランダの欄干は豪華かつ綺麗で、別荘のような雰囲気。戸の前で編み仕事をする老人もあれば、ひなたぼっこするのもあった(中仏共同撮影「The Lover」という映画の一場面が頭に浮かんだ)、愛に付き纏う情欲、旧南ベトナムの首都サイゴン、静ひつな午後。それに、円錐形笠の下に顔隠れの婦人が天秤棒で野菜やドライ・フルーツを担いで、市へ行く姿。町の両側に木陰がたくさんあって、その下にオートバイや自転車が走っていた。かなりベトナム風だった。
 
 今回は石川島精機からのあるエンジニアの通訳を担当した。田中という方。広西は中国砂糖のひとつの大産地なので、製糖会社や工場がたくさんある。高速道路の両側に砂糖黍の畑ばかりである。今回行った製糖工場は中タイ合資企業である。タイ側は日本製減速機を信用するから、その工場でも同じように日本製減速機を使用する。

 今回は点検と運転指導が目的であった。せっこう省の会社で覚えた機械専門用語はとても役に立った。うまく行った。