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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥の古墳⑬ 打上古墳

2017-05-04 17:33:30 | 史跡を歩く

 石舞台古墳をさらに上がったところに、細川と呼ばれる谷があり、ここには細川谷古墳群と呼ばれる群集墳が200基ほど現存していると言われている。古墳群自体は、冬野川の両岸、上居、細川、上、尾曾、阪田と広範囲に分布している。ただし、あんまり調査をされていないので具体的な様子はわかっていない。かなり急勾配のところに分布しているので、なかなか人が入ること自体が難しそうな感じだ。
 そうした中、細川のバス停から登ったところに打上古墳と呼ばれる古墳があり、明日香村が出しているガイドブック「飛鳥の古墳」にも取り上げられている。

 細川のバス停から打上古墳に行くルートは、昔、テレビで放映がされていた水曜スペシャルの川口浩探検隊を彷彿とさせるものがあるので、古墳までのルートも併せて掲載したい。

 

 バスの停留所で、昼食として買っていたコンビニ弁当を平らげたのち、停留所の横にある打上古墳の標識に従い、細川の集落に入っていく。

 

 ちなみに標識は、ここと古墳のすぐそばにある標識の2つだけ。かといって一本道でもないので、不親切なことこの上ない状況である。

 

 集落の入り口からすでにかなりの急斜面。結構膝に来る。最近、年齢のためか膝の筋力が落ちてきてる私にはかなり堪える坂道である。

 

 はじめは、まだ観光ルートのような様子もあるので、ふうふう言いながらもさしたる不安もなくのぼっていくことができるのだが、突然、道が二手に分かれる。

 

 ここは、左の道を選択する。さらに坂道を登っていく。道がだんだん細くなるので少し心細くなる。さらに数百メートルふうふう言いながら登る。

 

 するとさらに二手に道が分かれる。今回は、右側を選択。すると道が平坦になっていく。

 

 しかし、薄暗い杜の中に入っていく。最初に目に入ったのは、イノシシよけの柵が設置されているため道が通行止めになっている標識。
 え~ ここまで来て通行止めなん!と思い、ちょっと目を横にやると、打上古墳と書いた標識がひっそりとたっていた。よかった~。
 ほっとしたのもつかの間、標識が指をさしているところに目を移す。うっそ~!と思わず絶句。道ないやん・・・。

 

 しかし、よく見ると標識の先には、けもの道とでもいうのだろうか細い道らしきものがある。いわば、道なき道を登っていく行くことになる。雑草をかき分けて登っていくと左手に打上古墳の開口部が、草に覆われた奥に見える。

 
 
 そこから、開口部に登るのが大変。周りに生えている樹をつかみながらやっとこさ古墳の入り口へ。もはや楽しい古墳巡りではないなあ。ちょっとした冒険になってしまっている。
 
 

 観察するに、この開口部、羨道の天井石が剥がれ落ちて入り口ができたもののようで、おそらく正しい古墳の入り口ではなさそうである。羨道部は足元にあるのだろう。

 

 入り口はかなり狭く、ほとんど這うようにして石室の中に入る。ほとんど光が差さないので懐中電灯は必須のアイテムである。暗い石室の中を、懐中電灯で照らす。

 

 まず、古墳の隙間から生えてきた木の根っこを蛇かなんかじゃなかろうかとおもわずヒヤッとする。暗いからホントよくわからない。
 
 

 しばらくして、暗闇に目が慣れてきて、徐々に石室の中の様子がわかってくる。そして、目を天井の方に向けると何とギョギョギョギョギョさかなクンのような驚き方だが、夥しい数のコウモリがぶら下がっているではないか。はじめ小さかったのに光が当たるや、だんだん大きくなってきて、こちらへ向かって飛んでくるやつまで出てくる始末。

 

 確かに、気持ちよく寝てるところに突然ライトを当てられたら、イラッとするわな。しかし、こっちもこれだけのコウモリを一遍に見たのは人生で初のこと。こっちも結構焦ってしまった💦
 コウモリの抵抗にあいながらも、ライト片手に石室の観察を行う。

 

 石室の中は、人が一人立てるぐらいの高さがあり、奥行きもかなりある。調べてみると、玄室の長さは、5.1m、幅約2.6m、高さ2.5mとのことで、玄室の空間はかなり広い。奥壁、側壁はともに2段組になっていて、一つ一つの石の大きさもかなりのものである。

 

 振り返ると羨道の一部を見ることができ、羨道の方は一段組になっている。横穴式石室の形式としては両袖式のようだ。

 

 打上古墳については、他の細川谷の古墳と同じ群集墳の一つととらえるか、全くの独立した墳墓ととらえるのか意見が分かれているところであるが、墳丘や石室の規模などから考えると独立墳としたほうがよさそうな気がする。ここまで、あの巨石を引っ張り上げる労働力だけでも大したものである。また、石室の構造から、飛鳥の岩屋山古墳の前段階のものといわれることもある。古墳の築造としては、7世紀前半とされている。
 
 

 石室の写真を撮ると、激しくたまゆら現象が映り込んでいる写真が何枚もある。天井からなんか落ちて来ているのか、なんに反応しているのかバチバチと写り込んでいた。
 側壁をじっくり見るとカマドウマ、大量発生中であった。

 石室を這い出て、下に降りるのが一苦労。
 草むらの中に石室の石と思われるものが露出していることから、かなり封土はなくなっているのかもしれない。

 

 打上古墳を出て、元の道を歩いていくと、なかなか景色が良い。登っているときは全く見る気がしなかったが・・・。

 

 桜の花も、少しづつほころび始めているようだ。

 打上古墳については、久しぶりにルートも含めて印象に残る古墳であった。以前いった寺崎白壁塚古墳を見た時と同じぐらいのインパクトがあったような感じだ。ただ、古墳を見終わった後の達成感は確実にあった。それは間違いない。



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