あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

値切らない人

2012-10-22 | 日記
以前、ある人とネットを通じて知り合いになった。
その人の言葉で忘れられないものがある。

「私は畑仕事が好きで、よく農家手伝いをしていました。
工場でアルバイトをしていたこともあります。そこではシャワートイレを組み立てていました。
だから生産者の立場というのがよくわかります。
野菜にしろ、工業製品にしろ、何かを作るって結構大変です。手間隙かかっています。
なので私は買い物をするときに特徴があるんです。
それは値切らないこと。安売り品は買いません。
なぜだかわかりますか?
生産者がかわいそうだからです。
一生懸命、丹精込めて作った商品を安く買いたたかれたら悲しいだろうと思うのです。
「おまえの努力なんてこのくらいの価値しかないんだ」とさげすまれているように私は感じるんです。
だから私は極力定価で買うようにしています。ディスカウントショップには行きません。
安売りの日にはあえて買わず、定価に戻ってから買うのです。
「作ってくれてありがとう」の気持ちを込めて、それなりのお金を払いたいのです。
少しでも安く手に入れば、自分さえよければそれでいいとは私には思えないんです。
誰かが安く買いたたいたその影には、泣いている人がいるんじゃないかな、と思います。」

二つ前の話で経済は崩壊する、と書いたがこういうことを書くとお金が悪いと考える人もいる。
誤解の無いように書くが、お金が悪いとは一言も言っていない。
今の経済のシステムが間違っていると言う事を言いたいのだ。
今の人間が生活をする上でお金は必要だ。
物々交換だけでは今の生活は成り立たない。
要点はいかにお金をいただき、いかにお金を使うかということだろう。
ゲットするという言葉があるが、これは自分が得るもの、という考えが根底にある。
自分が支払うものは最小に押さえ、得るものは最大にしたい。
欲だ。
欲に支配されると、お得という言葉に弱くなる。
常に損得勘定を考えてしまう。
偉そうに言う僕も、自分を見つめるとそうなっている時もある。
なかなかこの人のような心境にはなれない。
まあ全てはバランスなので、財布と相談しながらすればいいかな、と自分を慰める日々である。

先日は近所のリカトンブッシュというマーケットに行った。
肉も野菜も生産者が直接売っているマーケットである。
チーズもワインも試食をして旨いと思ったものが買える。
ここで売ってるWaipara Westというワインはここでしか買えない。
スーパーでも酒屋でも売っていない。
もともと生産量が少ないのだろう。
友達がこのワインを日本で見つけたと言っていた。
それを売り場の人に言ったらとても喜んでいた。そのワインを1本買った。
チーズも丁寧に説明をしてくれて、人の好みを聞き、「それならばこのチーズはどうだ?」と説明をされて、試食用に切ってくれる。
そのチーズは旨く、何種類か買った。
ただし安くはない。
かといって法外な値段でもない。
僕は正当な値段だと思った。
買うほうも納得をしてお金を払う時に出る言葉は「ありがとう」である。
売るほうも「ありがとう」という。
人間関係でお互いに「ありがとう」という時はその関係が健全な証拠だ。

一つ若気の至りの話も書こう。
南米ペルーを旅していた時の話である。
ペルーではあちこちで物売りの人がいて、売り物を体中にぶらさげている。
それらの値段は観光客用にふっかけてあり、値切るのが当たり前だ。
ある叔母ちゃんが持っていた手編みのベルトが欲しくなったのでいくらか聞いた。
現地の通貨で10ぐらいだったと思う。
ノーと言うとそれが9になり8になり7になった。
このへんまでは面白いように値段が下がる。
それが6になり5になるとそのスピードも落ちてくる。
5から4になる頃にはおばちゃんの顔から笑顔が消える。
さらにねばり4から3.5になるまで30分。
こうなるとおばちゃんもうんざりした顔になる。
結局3.3ぐらいでそれを買った。
おばちゃんはムッとした顔でそれを僕に渡し、僕は勝ち誇った気でその場を去った。
当然のことながらそこに「ありがとう」はない。
おばちゃんはイヤな思いをしたし、何も知らない僕はたかが数十円のために時間を費やし勝った気分になった。
そして自分の欲、自分のエゴを他の旅人に自慢した。
若くて何も知らないということは、こういうことだ。

リカトンブッシュのマーケットに話は戻るが、ここは全体的に値段が高めだが、品質も高い。
最近はクライストチャーチのあちこちでこういう本物志向のマーケットが増えてきた。
平飼いの卵、無農薬の野菜、手作りのお菓子やジャム、など。
生産者と消費者が交流をするというのはいいことだ。
安さだけを求めるのならば大きなスーパーマーケットへ行けばいい。
だが物には正当な対価というものがある。
正直な話、僕は自分が作っている野菜や卵をスーパーで売っている値段で売る気にはなれない。
たまに野菜や卵を作っていると言うと、その方が安上がりになるからやっていると思う人がいる。
とんでもないことだ。お金を払って買う方が楽だし安い。
僕はお金で買えないもののために野菜を育て、鶏を買う。
庭仕事にかけるエネルギーをお金に換算したら何千ドルにもなることだろう。
自分がやるべき事が自分の仕事であり、お金を頂くかどうかは二次的なもの。
どれも一生懸命やる。手は抜かない。
そして自分が仕事をして頂いたお金をいかに使うか。
それはその人の心の現れでもあると思う。
信頼でき納得のいくものを買って出る言葉はありがとう。
そしてそれを食べて出る言葉もありがとう。
値切らない人のようにはできなくても、感謝をしながらお金を払いたいものだ。
そしてありがとうずくしの生活ができる事に、ありがたやありがたや、なのである。
コメント (8)
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