以前働いていた会社の社長が言っていた言葉。
「うちはできるだけシンプルにやっていこうと思う」
この言葉を聞いた時にピンと来た。
これからはそうあるべきだろうな。
そして自分もそうなりたいと。
その会社では10年近く働いていたが、ボスの言うとおり会社の運営はシンプルで、システムが健全に働いていた。
今まで働いた会社で、これ以上の所はなかった。
諸々の事情でそこの会社を去ったが、今でもその人との付き合いはあり、僕のことを気にかけてくれて事あるごとに声をかけてくれる。ありがたいことだ。
これからの世界で生き残るのはシンプルなシステムだと思う。
個人でも企業でも社会でも。
「なんでわざわざ複雑にするのだろう」
色々な場面でそう思うことがある。
人間は物事を複雑にさせ、結果、やらなくてもいい仕事が増える。
そういうどうでもいい仕事に呑まれ、本当に大切な事がおろそかになってしまう。
これが複雑化した社会のマイナスのスパイアルだ。
僕の嫌いな仕事でツアーレポートというものがある。
何かしら問題が起こったときに、レポートを提出するのは分かる。
20年前にニュージーランドの会社で働いていた時は、問題があった時だけレポートを書いていた。
だが相手が日本の会社だと、お客さんがハッピーでツアーも問題なく終わった後にもレポートを書けと言う。
なので「全て異常なし」と書くと「これではダメだ。もっと詳しく書け」と言われた。
ムダだ。
時間のムダ。労力のムダ。紙のムダ。電気代のムダである。
プロのガイドならばお客さんがハッピーで当たり前なのだ。
そんな事をやっているヒマがあるならば、自分を高めより良いサービスをする方にエネルギーを使った方がよっぽど良い。
だが管理するほうではできるだけ多くの情報を得ようとする。
結果、何事もなかった物までレポートを提出せよ、となってしまう。
まあこれも、お客さんの事を第一に考えず、自分のエゴで働くガイドがいるのでこうなるのだ。
要は元の会社、現場にいるガイド、これらが共同でより複雑なシステムを作っているのだ。
情報社会という言葉があるが、様々な情報が巷に溢れ、全ての人が「何がなんだか分からなくなっている」というのが現代だ。
Aは良いという情報と、Aは悪いという情報が同時に存在する。
当然ながら情報操作もある。
有名な大学の教授が「放射能は身体に良い」などと言いだす始末だ。
そしてそれはグローバルという名のもとにおいて加速する。
ますます複雑になり、にっちもさっちもいかなくなるということだ。
あるブログで上手い事を書いてあった。
1、情報化が社会をさらに複雑化させる。
2、その複雑化で全体像が見えなくなる。
3、予期せぬ事態を起こす。
4、複雑すぎて問題が解決できなくなる。
5、複雑化した社会が自滅する。
最後に来るのは破滅だ。
そしてその発端がどこにあろうが、グローバルという大義名分で繋がっている今、そこからは逃れられない。
はっきり言おう。
この先、経済は崩壊する。
ギリシャやスペインの財政破綻は他人事ではない。
それらはきっかけであって、遅かれ早かれ世界もそうなる。
現在、株式市場では秒速取引が当たり前になっており、取引の80%近くはすでにアルゴリズム取引(コンピュータによる自動売買)になっているとも言われている。
秒速1500万トランザクションまでの処理が可能なコンピュータが、市場で暴走しているのが今の世の中だ。
こんなことがいつまでも続くと思うか?
僕は経済のことはまるっきり分からないが、そんな僕でも今の経済のシステムが間違っているのは分かる。
何故なら今の経済の本質が『世界中の富を全人類で分配した時に足りないようにできている』というのが原点にあるからだ。
どこまで行っても常に『持つ者と持たざる者』が存在する。
これは愛ではない。
根底に愛がないシステムは必ず滅びる。
もう一度言う。
経済は崩壊する。
昔、ノアが「洪水が来るぞ」と言った時、人々はどうしたか?
人々は彼のことをあざけ笑い、最後の瞬間まで略奪と暴行をやめなかった。そして死んでいった。
今がその時である。洪水は来る。
それは経済の崩壊、社会のシステムの崩壊という洪水だ。
その後はどうなるか?どうすればいいのか?
無責任だが僕にも分からない。誰にも分からない。
大きな混乱が来るのは間違いない。
経済が崩壊するならば、銀行の預金を下ろして金や宝石や食料を買い占めておこう。
それならば借金も帳消しになるから今のうちに好きなことをやっておこう。
これらはエゴだ。
その時はいいかもしれないが後で必ず痛いしっぺ返しがやって来る。
僕自身で言えば、それが来る時も、それが来た後も庭で野菜を育て鶏を飼い続けることだろう。
経済というものに依存しない自分の生活を続けるだろう。
それまでは今までどおり働いてお金を稼ぎ、買い物をして生きていくだろう。
やけくそになるのではなく、今までと同じように生きていく、ただし水の確保や最低限の食料の確保など準備は怠らない。
その時が来たら、その時に自分ができる事をするだろう。
その覚悟があるので恐怖はない。
できるだけシンプルに。
どこかの誰かが作って、どういう経路で運ばれてきたか分からない食べ物より、庭の野菜と卵はよりシンプルだ。
地球の裏側で作られた物より、国内産の物、もっと言えばできるだけ家の近くで作られた物を買う方がシンプルだ。
安いからといって中国産の物は買わない。中国産でしかこの味を出せないというような時に中国産の物を買う。
毎日毎日、自分ができる事、自分がやるべき事をやる。シンプルだ。
自分がやるべき事とは、自分自身を見つめなければ分からない。
どんな時でもエゴに振り回されず、愛を持って生きていれば何の不安も心配も無い。
そう考えると、この先どうなるのか、いい意味でワクワクする。
シンプルに生きること。
これがこれからの生き方の鍵になるのは間違いないだろう。
「うちはできるだけシンプルにやっていこうと思う」
この言葉を聞いた時にピンと来た。
これからはそうあるべきだろうな。
そして自分もそうなりたいと。
その会社では10年近く働いていたが、ボスの言うとおり会社の運営はシンプルで、システムが健全に働いていた。
今まで働いた会社で、これ以上の所はなかった。
諸々の事情でそこの会社を去ったが、今でもその人との付き合いはあり、僕のことを気にかけてくれて事あるごとに声をかけてくれる。ありがたいことだ。
これからの世界で生き残るのはシンプルなシステムだと思う。
個人でも企業でも社会でも。
「なんでわざわざ複雑にするのだろう」
色々な場面でそう思うことがある。
人間は物事を複雑にさせ、結果、やらなくてもいい仕事が増える。
そういうどうでもいい仕事に呑まれ、本当に大切な事がおろそかになってしまう。
これが複雑化した社会のマイナスのスパイアルだ。
僕の嫌いな仕事でツアーレポートというものがある。
何かしら問題が起こったときに、レポートを提出するのは分かる。
20年前にニュージーランドの会社で働いていた時は、問題があった時だけレポートを書いていた。
だが相手が日本の会社だと、お客さんがハッピーでツアーも問題なく終わった後にもレポートを書けと言う。
なので「全て異常なし」と書くと「これではダメだ。もっと詳しく書け」と言われた。
ムダだ。
時間のムダ。労力のムダ。紙のムダ。電気代のムダである。
プロのガイドならばお客さんがハッピーで当たり前なのだ。
そんな事をやっているヒマがあるならば、自分を高めより良いサービスをする方にエネルギーを使った方がよっぽど良い。
だが管理するほうではできるだけ多くの情報を得ようとする。
結果、何事もなかった物までレポートを提出せよ、となってしまう。
まあこれも、お客さんの事を第一に考えず、自分のエゴで働くガイドがいるのでこうなるのだ。
要は元の会社、現場にいるガイド、これらが共同でより複雑なシステムを作っているのだ。
情報社会という言葉があるが、様々な情報が巷に溢れ、全ての人が「何がなんだか分からなくなっている」というのが現代だ。
Aは良いという情報と、Aは悪いという情報が同時に存在する。
当然ながら情報操作もある。
有名な大学の教授が「放射能は身体に良い」などと言いだす始末だ。
そしてそれはグローバルという名のもとにおいて加速する。
ますます複雑になり、にっちもさっちもいかなくなるということだ。
あるブログで上手い事を書いてあった。
1、情報化が社会をさらに複雑化させる。
2、その複雑化で全体像が見えなくなる。
3、予期せぬ事態を起こす。
4、複雑すぎて問題が解決できなくなる。
5、複雑化した社会が自滅する。
最後に来るのは破滅だ。
そしてその発端がどこにあろうが、グローバルという大義名分で繋がっている今、そこからは逃れられない。
はっきり言おう。
この先、経済は崩壊する。
ギリシャやスペインの財政破綻は他人事ではない。
それらはきっかけであって、遅かれ早かれ世界もそうなる。
現在、株式市場では秒速取引が当たり前になっており、取引の80%近くはすでにアルゴリズム取引(コンピュータによる自動売買)になっているとも言われている。
秒速1500万トランザクションまでの処理が可能なコンピュータが、市場で暴走しているのが今の世の中だ。
こんなことがいつまでも続くと思うか?
僕は経済のことはまるっきり分からないが、そんな僕でも今の経済のシステムが間違っているのは分かる。
何故なら今の経済の本質が『世界中の富を全人類で分配した時に足りないようにできている』というのが原点にあるからだ。
どこまで行っても常に『持つ者と持たざる者』が存在する。
これは愛ではない。
根底に愛がないシステムは必ず滅びる。
もう一度言う。
経済は崩壊する。
昔、ノアが「洪水が来るぞ」と言った時、人々はどうしたか?
人々は彼のことをあざけ笑い、最後の瞬間まで略奪と暴行をやめなかった。そして死んでいった。
今がその時である。洪水は来る。
それは経済の崩壊、社会のシステムの崩壊という洪水だ。
その後はどうなるか?どうすればいいのか?
無責任だが僕にも分からない。誰にも分からない。
大きな混乱が来るのは間違いない。
経済が崩壊するならば、銀行の預金を下ろして金や宝石や食料を買い占めておこう。
それならば借金も帳消しになるから今のうちに好きなことをやっておこう。
これらはエゴだ。
その時はいいかもしれないが後で必ず痛いしっぺ返しがやって来る。
僕自身で言えば、それが来る時も、それが来た後も庭で野菜を育て鶏を飼い続けることだろう。
経済というものに依存しない自分の生活を続けるだろう。
それまでは今までどおり働いてお金を稼ぎ、買い物をして生きていくだろう。
やけくそになるのではなく、今までと同じように生きていく、ただし水の確保や最低限の食料の確保など準備は怠らない。
その時が来たら、その時に自分ができる事をするだろう。
その覚悟があるので恐怖はない。
できるだけシンプルに。
どこかの誰かが作って、どういう経路で運ばれてきたか分からない食べ物より、庭の野菜と卵はよりシンプルだ。
地球の裏側で作られた物より、国内産の物、もっと言えばできるだけ家の近くで作られた物を買う方がシンプルだ。
安いからといって中国産の物は買わない。中国産でしかこの味を出せないというような時に中国産の物を買う。
毎日毎日、自分ができる事、自分がやるべき事をやる。シンプルだ。
自分がやるべき事とは、自分自身を見つめなければ分からない。
どんな時でもエゴに振り回されず、愛を持って生きていれば何の不安も心配も無い。
そう考えると、この先どうなるのか、いい意味でワクワクする。
シンプルに生きること。
これがこれからの生き方の鍵になるのは間違いないだろう。