あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

マンガ

2012-10-31 | 日記
最近の我が家の流行はブラックジャックである。
手塚治虫のマンガのブラックジャックなのだ。
ある時、図書館でこのマンガの英語版を見つけ借りてきた。
娘に読ませると、最初は怖いと言っていたが、最近ではむさぼるように読んでいる。
僕が子供の頃、このマンガを読んだのもちょうど娘と同じ頃だった気がする。
女房はブラックジャックを読んだことがなかったらしい。
確かに当時は確か少年チャンピオンに連載されていて、少年漫画だったこの話は少女漫画の世界とは違う位置にあった。
それを人生の半ばを過ぎて知ったものだから、女房もせっせと図書館でこの本を借りて読んでいる。
ニュージーランドの図書館で日本の優れた本を英語版とは言え読めるのだから、素晴らしいことだ。

今さらながらだが、手塚治虫は天才だったのだなあと思う。
僕はこの人のマンガは好きで、家には『火の鳥』が全巻ある。
西洋人はマンガというものを一段低く見るところがあるが、これは日本が世界に誇れる文化だと思う。
それは映画やテレビのプログラムと同じで作り手によっては毒にも薬にもなる。
火の鳥は色々な話があるが、聖書の教えのような話もあるし、禅の悟りのような話もある。
今の混乱した世界を予言したような話もあり、手塚治虫という人の世界観が現れている。
こんな話を何十年も前に描いたのだから、天才と呼んでもいいのだろう。
描き手によってマンガは聖書にもなるし、教科書にもなる。
ちなみに当時僕が好きな漫画家は松本零士の『銀河鉄道999』や藤子不二雄の『ドラえもん』だった。
これらのマンガは今読んでみても面白いと思う。
良い作品は時代を超えるのだ。
今でも僕はマンガが好きで、山岳救助の話『岳』は全巻サダオが揃えてくれて家の本棚にあるし『動物のお医者さん』も全巻ある。
ちなみにマンガとはちょっと違うが、さいとうたかをの『鬼平犯科帳』も揃っている。
これは個人的趣味だ。

マンガの話で思い出したのだが、ある時お客さんに教わった事がある。
戦時中、日本軍の機械の操作法は漢字とかなが主体で書かれていた。
機械の扱いを覚える前に漢字を勉強しなくてはならなかったわけだ。
それに対しアメリカではマニュアルにマンガが使われていた。
多数の新兵が機械操作を覚えるのにどちらが合理的か、考えればすぐに分かる。
だから日本が戦争に負けたというわけではないが、合理性というものが重視の戦争ではこういう積み重ねが勝敗を決める。
なるほど、マンガにはそういう使い方もあるんだなあ、と思った。

僕は少年時代、家にテレビがなかったのでとにかく本を読んだ。
活字の本もマンガもよく読んだ。
連載物はワクワクしながら次の話を待ったものだった。
ドラえもんの中でも新刊のマンガをみんなで回し読みするようなシーンがある。
たいてい持っているのはスネ夫で、ジャイアンにまわり、のび太にはまわってこない、というのが話の筋だ。
マンガは安くなく、僕もよく本屋で立ち読みをした。
昭和だなあ。
当時、聞いた話だが、大人が読んで面白いと思うマンガは子供にも良い。
中にはくだらないマンガもあるし、子供が読むべきでない内容の物もあるが、名作というものは子供も読んでいいと思う。
だが最終的には子供が読むかどうか決めることだ。
決して押し付けてはいけない。
大人の役目はこういうものも在るんだよ、と教えてあげること。
そして後は子供の自主性に任せる。
娘がブラックジャックを一心不乱に読んでいる姿を見てそんなことを思った。
たかがマンガ、されどマンガ。
マンガの中にだって真実はある。
そして根底にあるのは愛。
やっぱりマンガの話でもそこに行き着いてしまった。
コメント (4)
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