あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

木を植える

2010-10-01 | 
庭にリンゴの木を植えた。
先週、園芸センターで安売りをしていたもので、通常$30が$20になっていて衝動買いをしてしまった。
品種はフジ。
植える場所は鶏コーナーの一角で、日当たり良好の一等地である。
何年もほったらかしにしてあった土地を掘ってみると、中からミミズがわんさとでてきた。
こんなのヒネとミカンのご馳走だな。
作業をしていると鶏たちが喜んで虫をつついている。
大きなミミズは穴の中に入れ、乾燥鶏糞をまぜこむ。その上に土をかぶせ、りんごの苗を植えた。
リンゴの木の根が伸びるころには、ミミズたちがニワトリの糞を土に還してくれるだろう。
この種類には支えが必要なようなので、庭のキャベッジツリーの葉っぱを縛りヒモを作り、杭を立て苗を固定。そこにあるものを使う。
根本がニワトリに掘り起こされないよう、板を置く。
コンポストの液肥をたっぷりかけて作業終了。

収穫まで何年かかるのだろうか。
まあ気長に待つつもりである。
今年はこの他にもフィジョアの木と月桂樹の木を植えた。
フィジョアのフルーツは深雪のお気に入りだし、ボクは煮込み料理を良く作るので月桂樹の葉っぱは欠かせない。
次に考えているのはニュージーランドらしくキウィの木だな。
ちなみにキウィフルーツの原産は中国って知ってた?
近所の友達の家に立派なキウィの木があるので枝を貰ってきてさし木を試してみようと思っている。
去年植えたレモンは小さいながらも実をつけたし、友達からもらった桃の木もゆっくりと育っている。
今まで気が付かなかったが、庭の前にはサクランボの木もあり、去年は鳥に食われながらも実をつけ、我が家にも多少の恵みがあった。

フードフォレストの話を聞いたのはいつの頃だっただろう。
その森は全て食べられるもので成り立っていて、人がその中を歩きながら熟している物をその場で取って食べ歩くという。夢のような世界だ。
あるエリアの周りをぐるっと木で囲む。木は根が深いので地中深くにある水脈から水を吸い上げる。するとその木に囲まれた場所は潤うという。
なるほど理にかなっている。
木が育って実をつけるまでは時間がかかる。
野菜のようにはいかない。
野菜は芽が出て育って葉っぱを茂らせ、花が咲き実が付き種が出来て枯れる。わずか数ヶ月の命である。
木は何年もかかって大きくなる。大きな空間には長い時間がかかる。

時間と空間は密接な関係にあり、どちらかを切り離して考えてはいけない。
現代社会でおかしいところは時計というもので管理され、時間が空間から切り離されていることだ。これがそもそもの間違いなのだ。
小さい空間には小さい時間が流れ、大きな空間には大きな時間が流れる。
社会が動く上で統一された時間は必要かもしれないが、空間との関係を無視してはいけない。
大きな木には何百年というような時間の流れがある。
小さな野菜達には数ヶ月の時間がある。
どれも精一杯、各自の時間の中で生きている。

我が家のフードフォレストが出来るにはどのくらいの時間が必要だろうか。
そこには完成はなく、常に継続という形で進化を続ける。
ニワトリにエサが必要なように、植物にも養分は必要だ。
人間が働くことにより、植物は実をつけ、ニワトリはタマゴを産む。
それを人間がありがたくいただく。
共存共栄のフードフォレストを目指し、ボクはこれからも木を植えていくだろう。
こうなればいいな、と思ったことは実現する。
大切なのは最初の一歩だ。
理想のフードフォレストに向けてボクは一歩踏み出した。
コメント (3)
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