クィーンズタウンで休養後、撮影隊はグレーノーキーからダートトラックへ入る。
ダートトラックは数年前に歩いたコースで、その時にもボクはやっつけられてしまった場所だ。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/rees1.htm
http://www.backcountrytraverse.co.nz/rees2.htm
是非とも一緒に行きたかったのだが、そのときボクは別の仕事が入っていて行けなかった。
数日後にリチャードから連絡が入った。
撮影が順調に進んでいるのでダートトラックの先、アスパイアリング・ハットへ迎えに来いとのこと。
そして皆、フリーズドライの食べ物に飽きているので、カレーを作ってくれと。
尚アスパイアリング・ハットにはガスはあるが、鍋はないとのこと。
こういうことはボクは得意である。
スーパーで人数分の食料を買い込み、大鍋二つを用意してワナカへ向かった。
ワナカで昼飯を食べ、山へ行く道でヒッチハイカー発見。
普段はボクは拾わないが、この時はなんとなく止まってあげた。
男の名はデイビッド。オタゴ大学の学生で今日はアスパイアリング・ハットへ行くと言う。いい道連れができた。
ラズベリークリークの駐車場からアスパイアリング・ハットまでは2時間ぐらいの歩きである。
ひたすら平坦な牧場の中を歩く、あまり面白くない道だ。
さっき拾ったデイビッドに鍋を一つ持ってもらい。おしゃべりをしながら歩く。
このデイビッドという男、面白いことに裸足である。この国ではたまに道を裸足で歩いている人がいるが、トレッキングの山道を裸足で歩く人に会うのは初めてだ。
この日はこの夏で一番暑い日だった。それに増してこのルートは日陰が全くない。
わずか2時間ほどの歩きだが、フラフラになって僕は山小屋に着いた。
カレーを作っていると、撮影隊が小屋に着いた。
昨晩はカスケード・サドルでキャンプをしたと言う。快晴しかも満月。なんとまあ羨ましい。
コニカルヒルといいカスケードサドルといい、よっぽどツイてるなあ。
その晩は皆、カレーをガツガツ食う。ボクもそうだが何日もフリーズドライの物を食べていると、新鮮な野菜や肉を食べたくなる。
体がそれを求めているのだろう。血のしたたるステーキを食いたくなるし、レタスなんかを丸かじりしたくなるのだ。
翌日は町へ戻るだけなので、ゆっくりスタート。
昨日道連れになった裸足のデイビッドはカスケードサドルを越え、その先ルートバーンへ、撮影隊が通ってきたルートを遡る。裸足で・・・。
「デイビッド、がんばれよ、気を付けてな。」
「うん。昨日は乗せてくれてありがとう。クィーンズタウンで君に会いたかったらどうすればいい?連絡先はあるかい?」
「そうだなあ・・・。オレに会いたかったら、オレのことを考えてくれ。そうすればオレは現れるよ」
「アハハハ、そりゃ良い。そうだね、その通りだ」
普段はこんな事は言わないが、デイビッドだったら本当にそうなりそうな、そんな不思議な雰囲気を持った男だった。
撮影は順調に進み、あとはクライマックスのアスパイアリング登頂を残すだけとなった。
今回はポーター、荷物運びである。
クィーンズタウンからの小僧達はワナカまででお役御免。そこにアスパイアリングだけを撮る為にニュージーランドへやってきたカメラマンが加わった。
クィーンズタウンからワナカまではリチャードと話をしながらドライブだ。
僕らは家族のこと友達のこと人生のことについて語り合った。考えてみれば彼とは20年近くのつきあいがありながらこんなにじっくり話したことはなかった。
かなり深くスピリチュアルな事まで話は及んだ。彼と話をしていると何故か分からないが涙がにじんでくる。困ったものだ。
ワナカからは山岳ガイド2人が入り、計8人のグループである。
この仕事からボクは三脚担ぎになった。ここで撮影という所で三脚を立て、ボクはカメラに入らない所で待つ。
だいたいはカメラマンの後ろにいるのだが、場所が取れない所では草むらの中に寝っ転がったり、木の後ろで直立不動だったり。
そしてそこの撮影が終わると、また三脚を持って歩く。この繰り返しである。
前回泊まったアスパイアリングハットで一泊。
そこから1時間ほどは平坦な道が続き、川を渡ると急登が始まる。このルートはボクは初めてだ。
時に岩を掴みながら、時に木の根っこを握りながらよじ登る。
その合間にも撮影はあり、その都度三脚を立てボクは隠れる。
森林限界を超えると見晴らしは良くなり、午後の早い時間にフレンチリッジハットに着いた。
荷物を下ろし休憩後、アスパイアリングに登る撮影隊は装備の点検、ザイルワークの確認などをする。
ボクはやることがないので、昼寝&景色を見てボーッとする。空は雲一つない青空。日差しが強いが、標高が高い分風は冷たく気持ちがよい。
ここまで来るとアスパイアリングは近すぎて見えない。山に背を向けると、谷の反対側、目の高さにリバプールハットが見える。
数年前にあの小屋にJCと登った時にはビールを1ダースも担ぎ上げた。
ビールを飲みながらフレンチリッジハットを見て、いつあそこへ行くのだろう、などと考えていたのだが、こういうことになるとは、いやはや人生とは面白いものである。
翌日、ボクは自分の持ち物をフレンチリッジハットに置き、三脚その他重い物をザックに入れ登る。
ここから1時間ぐらい、雪が出てきてアイゼンをつける辺りまでがボクの仕事である。
しばらく登り、まもなく氷河に出るという所で休憩。
ここでヘリを待ち、全員が歩いているところを空撮するという。
このまま付いて行ったらテレビにも出るかな、という俗物根性が出たが、ボクはどっちみちこのすぐ先で引き返さなくてはいけない。
小屋に残してあるゴミを持って2日かけて歩いて来た所を戻り、その後2時間かけてクィーンズタウンまで車で戻る。今日の行程も短くはない。
なのでボクはこの場から下ることになった。
重い機材を皆に渡しザックを空に、皆に短い別れを告げて下る。ボヤボヤしているとヘリが来てしまうので急いで下る。
案の定下り始めてまもなくヘリの音が聞こえてきた。
皆がすばらしい景色の中をたんたんと歩いている絵の手前にボクがいたら台無しになってしまうので岩陰に身を隠す。今回は隠れてばかりだ。
ヘリが去って行ったら後は自分のペースで歩ける。
フレンチリッジハットに戻りゴミを片づけパッキングをして、しばし景色を眺める。
次にここに来ることはあるかな。何がどうなるか分からない人生だ。次回があるとしたらビールを持ってきたいものだ。
ここからは急な下りだ。昨日の上りで足首を軽くひねってしまったのでかばいながら歩く。
こんな所で動けなくなるようなケガはしたくない。
無事に降りたら後は平坦な歩きだ。
アスパイアリングハットに寄ってゴミを集め、炎天下の中を歩きフラフラになって駐車場につきクィーンズタウンに戻った。
数日後、連絡がありワナカへ撮影隊を迎えに行く。彼らはアスパイアリング登頂の後、近くの小屋まで戻りそこからヘリで戻ってくる。
ワナカから30分ぐらい走ったヘリポートで到着を待つ。
数年前にもここで撮影隊を待ったことがあった。
それはアメリカのテレビ局の仕事の時だった。のんびりと読書&昼寝をして、「これでお金を貰えるんだからなんと幸せな」と思ったものだった。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/maori4.htm
まもなくヘリが着き、リチャードが降りてきた。
「ヘッヂ、やったぜ!俺たちはやったんだ!」
彼は熱くボクにそう言った。ヤバイ、また涙があふれてくる。
「おめでとう。リチャード、がんばったね」
実際、彼の仕事は大変だったと思う。
彼はコーディネーターということで現地での撮影許可、宿の手配、ヘリの調達、人集め、日本とのいろいろなやりとり、お金の計算まで、ボクだったらやりたくないなということを全部やった。
それに加え現場ではガイドとして撮影に参加した。
私生活でも一月後には家族で1年間仙台に住むことが決まっていて、おおわらわだったに違いない。
撮影が終わった喜びは彼が一番味わっているに違いない。
そうしているうちにヘリが再びやってきて撮影隊を降ろした。
「お疲れ様でした。どうでした、アスパイアリングは?」
「良かったけど、怖かったよ。片側が1000mぐらい落ちていて反対側も同じくらいのガケ。その上を一歩また一歩と進むんだけど、そんな歩きが10万歩ぐらい続くような、そんな感じ」
「うへぇ」
「だけどまあ無事に戻ってきて良かったです」
無事に山から下る。当たり前の事だが一番大切なことだ。
後はクィーンズタウンの街中とか飛行場などの撮影があるそうだが、これはまあ彼らにとっておまけみたいなものだろう。
ボクは翌日から普段のガイド業務にもどった。
ボクの家にはテレビがない。テレビがなくても全然困らないし、テレビのない生活が好きでもある。
テレビの番組は作り手によって毒にも薬にもなる。洗脳の道具にも成りうる。
ボクが小学校の頃、父親がテレビを目の前でたたきつぶして以来、ボクはテレビの無い環境で育った。
今となってはその父親に感謝をしている。
今の世の中、あまりにくだらない番組が多すぎる。
ニュースさえもエンターテイメントだ。
だがしっかりした作り手がきっちりと作れば良い物はできる。
できることならその良い物だけを見たいものだ。
そういう意味でも今回の番組は非常に楽しみである。
完
ダートトラックは数年前に歩いたコースで、その時にもボクはやっつけられてしまった場所だ。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/rees1.htm
http://www.backcountrytraverse.co.nz/rees2.htm
是非とも一緒に行きたかったのだが、そのときボクは別の仕事が入っていて行けなかった。
数日後にリチャードから連絡が入った。
撮影が順調に進んでいるのでダートトラックの先、アスパイアリング・ハットへ迎えに来いとのこと。
そして皆、フリーズドライの食べ物に飽きているので、カレーを作ってくれと。
尚アスパイアリング・ハットにはガスはあるが、鍋はないとのこと。
こういうことはボクは得意である。
スーパーで人数分の食料を買い込み、大鍋二つを用意してワナカへ向かった。
ワナカで昼飯を食べ、山へ行く道でヒッチハイカー発見。
普段はボクは拾わないが、この時はなんとなく止まってあげた。
男の名はデイビッド。オタゴ大学の学生で今日はアスパイアリング・ハットへ行くと言う。いい道連れができた。
ラズベリークリークの駐車場からアスパイアリング・ハットまでは2時間ぐらいの歩きである。
ひたすら平坦な牧場の中を歩く、あまり面白くない道だ。
さっき拾ったデイビッドに鍋を一つ持ってもらい。おしゃべりをしながら歩く。
このデイビッドという男、面白いことに裸足である。この国ではたまに道を裸足で歩いている人がいるが、トレッキングの山道を裸足で歩く人に会うのは初めてだ。
この日はこの夏で一番暑い日だった。それに増してこのルートは日陰が全くない。
わずか2時間ほどの歩きだが、フラフラになって僕は山小屋に着いた。
カレーを作っていると、撮影隊が小屋に着いた。
昨晩はカスケード・サドルでキャンプをしたと言う。快晴しかも満月。なんとまあ羨ましい。
コニカルヒルといいカスケードサドルといい、よっぽどツイてるなあ。
その晩は皆、カレーをガツガツ食う。ボクもそうだが何日もフリーズドライの物を食べていると、新鮮な野菜や肉を食べたくなる。
体がそれを求めているのだろう。血のしたたるステーキを食いたくなるし、レタスなんかを丸かじりしたくなるのだ。
翌日は町へ戻るだけなので、ゆっくりスタート。
昨日道連れになった裸足のデイビッドはカスケードサドルを越え、その先ルートバーンへ、撮影隊が通ってきたルートを遡る。裸足で・・・。
「デイビッド、がんばれよ、気を付けてな。」
「うん。昨日は乗せてくれてありがとう。クィーンズタウンで君に会いたかったらどうすればいい?連絡先はあるかい?」
「そうだなあ・・・。オレに会いたかったら、オレのことを考えてくれ。そうすればオレは現れるよ」
「アハハハ、そりゃ良い。そうだね、その通りだ」
普段はこんな事は言わないが、デイビッドだったら本当にそうなりそうな、そんな不思議な雰囲気を持った男だった。
撮影は順調に進み、あとはクライマックスのアスパイアリング登頂を残すだけとなった。
今回はポーター、荷物運びである。
クィーンズタウンからの小僧達はワナカまででお役御免。そこにアスパイアリングだけを撮る為にニュージーランドへやってきたカメラマンが加わった。
クィーンズタウンからワナカまではリチャードと話をしながらドライブだ。
僕らは家族のこと友達のこと人生のことについて語り合った。考えてみれば彼とは20年近くのつきあいがありながらこんなにじっくり話したことはなかった。
かなり深くスピリチュアルな事まで話は及んだ。彼と話をしていると何故か分からないが涙がにじんでくる。困ったものだ。
ワナカからは山岳ガイド2人が入り、計8人のグループである。
この仕事からボクは三脚担ぎになった。ここで撮影という所で三脚を立て、ボクはカメラに入らない所で待つ。
だいたいはカメラマンの後ろにいるのだが、場所が取れない所では草むらの中に寝っ転がったり、木の後ろで直立不動だったり。
そしてそこの撮影が終わると、また三脚を持って歩く。この繰り返しである。
前回泊まったアスパイアリングハットで一泊。
そこから1時間ほどは平坦な道が続き、川を渡ると急登が始まる。このルートはボクは初めてだ。
時に岩を掴みながら、時に木の根っこを握りながらよじ登る。
その合間にも撮影はあり、その都度三脚を立てボクは隠れる。
森林限界を超えると見晴らしは良くなり、午後の早い時間にフレンチリッジハットに着いた。
荷物を下ろし休憩後、アスパイアリングに登る撮影隊は装備の点検、ザイルワークの確認などをする。
ボクはやることがないので、昼寝&景色を見てボーッとする。空は雲一つない青空。日差しが強いが、標高が高い分風は冷たく気持ちがよい。
ここまで来るとアスパイアリングは近すぎて見えない。山に背を向けると、谷の反対側、目の高さにリバプールハットが見える。
数年前にあの小屋にJCと登った時にはビールを1ダースも担ぎ上げた。
ビールを飲みながらフレンチリッジハットを見て、いつあそこへ行くのだろう、などと考えていたのだが、こういうことになるとは、いやはや人生とは面白いものである。
翌日、ボクは自分の持ち物をフレンチリッジハットに置き、三脚その他重い物をザックに入れ登る。
ここから1時間ぐらい、雪が出てきてアイゼンをつける辺りまでがボクの仕事である。
しばらく登り、まもなく氷河に出るという所で休憩。
ここでヘリを待ち、全員が歩いているところを空撮するという。
このまま付いて行ったらテレビにも出るかな、という俗物根性が出たが、ボクはどっちみちこのすぐ先で引き返さなくてはいけない。
小屋に残してあるゴミを持って2日かけて歩いて来た所を戻り、その後2時間かけてクィーンズタウンまで車で戻る。今日の行程も短くはない。
なのでボクはこの場から下ることになった。
重い機材を皆に渡しザックを空に、皆に短い別れを告げて下る。ボヤボヤしているとヘリが来てしまうので急いで下る。
案の定下り始めてまもなくヘリの音が聞こえてきた。
皆がすばらしい景色の中をたんたんと歩いている絵の手前にボクがいたら台無しになってしまうので岩陰に身を隠す。今回は隠れてばかりだ。
ヘリが去って行ったら後は自分のペースで歩ける。
フレンチリッジハットに戻りゴミを片づけパッキングをして、しばし景色を眺める。
次にここに来ることはあるかな。何がどうなるか分からない人生だ。次回があるとしたらビールを持ってきたいものだ。
ここからは急な下りだ。昨日の上りで足首を軽くひねってしまったのでかばいながら歩く。
こんな所で動けなくなるようなケガはしたくない。
無事に降りたら後は平坦な歩きだ。
アスパイアリングハットに寄ってゴミを集め、炎天下の中を歩きフラフラになって駐車場につきクィーンズタウンに戻った。
数日後、連絡がありワナカへ撮影隊を迎えに行く。彼らはアスパイアリング登頂の後、近くの小屋まで戻りそこからヘリで戻ってくる。
ワナカから30分ぐらい走ったヘリポートで到着を待つ。
数年前にもここで撮影隊を待ったことがあった。
それはアメリカのテレビ局の仕事の時だった。のんびりと読書&昼寝をして、「これでお金を貰えるんだからなんと幸せな」と思ったものだった。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/maori4.htm
まもなくヘリが着き、リチャードが降りてきた。
「ヘッヂ、やったぜ!俺たちはやったんだ!」
彼は熱くボクにそう言った。ヤバイ、また涙があふれてくる。
「おめでとう。リチャード、がんばったね」
実際、彼の仕事は大変だったと思う。
彼はコーディネーターということで現地での撮影許可、宿の手配、ヘリの調達、人集め、日本とのいろいろなやりとり、お金の計算まで、ボクだったらやりたくないなということを全部やった。
それに加え現場ではガイドとして撮影に参加した。
私生活でも一月後には家族で1年間仙台に住むことが決まっていて、おおわらわだったに違いない。
撮影が終わった喜びは彼が一番味わっているに違いない。
そうしているうちにヘリが再びやってきて撮影隊を降ろした。
「お疲れ様でした。どうでした、アスパイアリングは?」
「良かったけど、怖かったよ。片側が1000mぐらい落ちていて反対側も同じくらいのガケ。その上を一歩また一歩と進むんだけど、そんな歩きが10万歩ぐらい続くような、そんな感じ」
「うへぇ」
「だけどまあ無事に戻ってきて良かったです」
無事に山から下る。当たり前の事だが一番大切なことだ。
後はクィーンズタウンの街中とか飛行場などの撮影があるそうだが、これはまあ彼らにとっておまけみたいなものだろう。
ボクは翌日から普段のガイド業務にもどった。
ボクの家にはテレビがない。テレビがなくても全然困らないし、テレビのない生活が好きでもある。
テレビの番組は作り手によって毒にも薬にもなる。洗脳の道具にも成りうる。
ボクが小学校の頃、父親がテレビを目の前でたたきつぶして以来、ボクはテレビの無い環境で育った。
今となってはその父親に感謝をしている。
今の世の中、あまりにくだらない番組が多すぎる。
ニュースさえもエンターテイメントだ。
だがしっかりした作り手がきっちりと作れば良い物はできる。
できることならその良い物だけを見たいものだ。
そういう意味でも今回の番組は非常に楽しみである。
完