世の中、良いことばかりではない。
どこかでは悪いことも起こりうる。
まあ良い悪いというのも片側から一方的に見たものであり、逆から見れば善悪は反転する。
人は善いことをしながら悪事をはたらき、悪いことをしている影で善いことをする。
火付け盗賊改の鬼平も言っている。
庭で農作業中に休憩をしていた。
お茶をいれ、青空に吹く風に包まれホッとしていた時のことである。
遠くの交差点でトラックのクラクションが聞こえた。
近所は平屋ばかりなので、かなり遠くの音も聞こえてくる。
クラクションの音が無いこの国で、運転のプロであるトラックドライバーに強くクラクションを鳴らされるという事はよっぽどひどいことをしたのだろう。
数秒後パトカーのサイレンが聞こえた。サイレンはかなり早いスピードで移動しているようだ。
誰かが信号無視か何かをして、トラックのドライバーが怒り、近くにいたパトカーが追跡をしたのだろう。
サイレンはかなり長いこと聞こえ、町と反対方向に消えていった。
近所の道はそこそこ交通量も多く、たまにスピード違反を捕まえるパトカーのサイレンが聞こえる。
救急車のサイレンはもっと頻繁に聞こえる。
ボクは1人つぶやいた。
「なんてエネルギーの無駄遣いなんだろう」
交通ルールを守ればトラックの運ちゃんがクラクションを鳴らすこともなく丸く収まる。
交差点でルールを守るということは車を運転する上で基本中の基本である。
うっかりやってしまってパトカーに追いかけられたら、あきらめて素直に止まるべきだ。
逃げたらそれを追いかけるパトカーのガソリン、自分の車のガソリンを浪費する。ムダだ。
飲酒やドラッグなど逃げなくてはならない理由があるならば、それは自業自得である。
パトカーの警官だって余計な仕事が増える。ムダである。
最悪のシナリオは追跡された車が事故を起こし他の人を殺す事だ。
逃げた本人が勝手に事故って死ぬのは自業自得でしょうがないだろう。バカは死ななきゃ直らない、と昔からの言葉にもある。
パトカーに追跡された車が事故にあうのは時々ニュースで出る。ムダだ。
そう思っていると数分後、今度は救急車のサイレンが聞こえパトカーが去った方向に消えていった。
今度は救急車のガソリンの無駄遣いだ。それを運転する人のエネルギーの無駄遣いでもある。
さらにケガか死亡か知らないが、病院でそれを診る医者のエネルギーの無駄遣いもでてきた。
交差点のトラックのクラクション、パトカーのサイレン、救急車のサイレン。
この3つが別々の件で動いていることもあるが、タイミング的に一致してしまうのだ。
最悪のシナリオは人が死ぬこと。
せっかくあれだけの地震で死者0という快挙をなしとげたのに、人間はこうやって命をムダにする。
それに関わる人間のエネルギー、ガソリンや電気などのエネルギー、お金のエネルギーをムダにする。
世の中に偶然が無いのならば、これも必然なのか。善悪はなく全てを受け入れるべきなのか。
良い悪いはともかくとして、地震で死ななかった命を不必要な事で亡くす事ほどバカバカしいことはない。
生きるということはどういうことか、よく考えないのでこういうことが起こる。
この一件がどうなったのか調べる気力もないし、調べてみたところで意味はない。
同じような事はあちこちで起こっている。今回が良ければ済むという話でもなかろう。
人は生きていることが当たり前なので、そのことについてあまり深く考えない。
病気や怪我をして初めて健康でいることの有り難さを知るのと一緒だ。
生きることをつきつめて考えると、切り離せないのは死だ。
死ぬことを恐れるあまりそこから目を背けようとする。
死があるから生きるのであり、生きるから死ぬのだ。言いかえれば死ぬために生きるといってもいいと思う。
人間、死ぬときは死ぬし、死なないときはなかなか死なない。
地震という地球のエネルギーをうまく受けとめた社会の裏側では、こうやってエネルギーの無駄遣いをしている。
善いことをしながら悪いことをするのが人間の性ならば、これも必然なのだろうか。
♪人間なんてララララララララ~
どこかでは悪いことも起こりうる。
まあ良い悪いというのも片側から一方的に見たものであり、逆から見れば善悪は反転する。
人は善いことをしながら悪事をはたらき、悪いことをしている影で善いことをする。
火付け盗賊改の鬼平も言っている。
庭で農作業中に休憩をしていた。
お茶をいれ、青空に吹く風に包まれホッとしていた時のことである。
遠くの交差点でトラックのクラクションが聞こえた。
近所は平屋ばかりなので、かなり遠くの音も聞こえてくる。
クラクションの音が無いこの国で、運転のプロであるトラックドライバーに強くクラクションを鳴らされるという事はよっぽどひどいことをしたのだろう。
数秒後パトカーのサイレンが聞こえた。サイレンはかなり早いスピードで移動しているようだ。
誰かが信号無視か何かをして、トラックのドライバーが怒り、近くにいたパトカーが追跡をしたのだろう。
サイレンはかなり長いこと聞こえ、町と反対方向に消えていった。
近所の道はそこそこ交通量も多く、たまにスピード違反を捕まえるパトカーのサイレンが聞こえる。
救急車のサイレンはもっと頻繁に聞こえる。
ボクは1人つぶやいた。
「なんてエネルギーの無駄遣いなんだろう」
交通ルールを守ればトラックの運ちゃんがクラクションを鳴らすこともなく丸く収まる。
交差点でルールを守るということは車を運転する上で基本中の基本である。
うっかりやってしまってパトカーに追いかけられたら、あきらめて素直に止まるべきだ。
逃げたらそれを追いかけるパトカーのガソリン、自分の車のガソリンを浪費する。ムダだ。
飲酒やドラッグなど逃げなくてはならない理由があるならば、それは自業自得である。
パトカーの警官だって余計な仕事が増える。ムダである。
最悪のシナリオは追跡された車が事故を起こし他の人を殺す事だ。
逃げた本人が勝手に事故って死ぬのは自業自得でしょうがないだろう。バカは死ななきゃ直らない、と昔からの言葉にもある。
パトカーに追跡された車が事故にあうのは時々ニュースで出る。ムダだ。
そう思っていると数分後、今度は救急車のサイレンが聞こえパトカーが去った方向に消えていった。
今度は救急車のガソリンの無駄遣いだ。それを運転する人のエネルギーの無駄遣いでもある。
さらにケガか死亡か知らないが、病院でそれを診る医者のエネルギーの無駄遣いもでてきた。
交差点のトラックのクラクション、パトカーのサイレン、救急車のサイレン。
この3つが別々の件で動いていることもあるが、タイミング的に一致してしまうのだ。
最悪のシナリオは人が死ぬこと。
せっかくあれだけの地震で死者0という快挙をなしとげたのに、人間はこうやって命をムダにする。
それに関わる人間のエネルギー、ガソリンや電気などのエネルギー、お金のエネルギーをムダにする。
世の中に偶然が無いのならば、これも必然なのか。善悪はなく全てを受け入れるべきなのか。
良い悪いはともかくとして、地震で死ななかった命を不必要な事で亡くす事ほどバカバカしいことはない。
生きるということはどういうことか、よく考えないのでこういうことが起こる。
この一件がどうなったのか調べる気力もないし、調べてみたところで意味はない。
同じような事はあちこちで起こっている。今回が良ければ済むという話でもなかろう。
人は生きていることが当たり前なので、そのことについてあまり深く考えない。
病気や怪我をして初めて健康でいることの有り難さを知るのと一緒だ。
生きることをつきつめて考えると、切り離せないのは死だ。
死ぬことを恐れるあまりそこから目を背けようとする。
死があるから生きるのであり、生きるから死ぬのだ。言いかえれば死ぬために生きるといってもいいと思う。
人間、死ぬときは死ぬし、死なないときはなかなか死なない。
地震という地球のエネルギーをうまく受けとめた社会の裏側では、こうやってエネルギーの無駄遣いをしている。
善いことをしながら悪いことをするのが人間の性ならば、これも必然なのだろうか。
♪人間なんてララララララララ~