highdy の気まぐれブログ

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処世訓の目次を作成しました!

2021年09月29日 | 処世訓(highdy のことば)

  

  




2023年6月28日追加改訂

highdy のことばシリーズ 
 PC関連記事の目次に続いて、highdy のことばシリーズ も目次を作成してみました。
highdy経験実話をベースに、成人してからこれまで生きてきた考え方、行動規範とした処世訓の一部です。
単発投稿ですが、シリーズはまだまだこれからも続きます。


2023-04-19
2023-02-19
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2019-09-24
2019-09-21
2019-09-16

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コメント (10)

隠れた努力を認めること・褒めること

2021年08月31日 | 処世訓(highdy のことば)



「結果という事実」がなければ・・・
 上司から叱責され、「実は、A を B しようと思ったのに・・・」と言い訳をしても、「思っただけではダメだよ! 結果がなければ・・・」と返されてしまいます。(中小企業にいた頃、経営者の上司から言われた言葉)つまり、物事は結果がすべてと言ってもよく、良い結果がなければ、どんな苦労をして意味がないと言われることが多いです。

最初に簡単に結論を出すな!
 難しそうな仕事でも、「これは無理だ、できない!」と、簡単に最初に結論出してしまっては、その仕事は「そこで終わり」です。仕事がなかったのと同じです。
やってみないと成功する(できる)か否か、判らないことはよくあります。
highdy も徹夜をしたことはよくあります。それも上司に内緒(バレると労基署に管理職が罰せられます。)で完全徹夜です。やれるところまで頑張ってみよう、という気持ちが大切です。
しかし、その結果殆どが成功しています。何事も消極的にならず前に進むことによって、めでたし!めでたし!になるものです。
でも現実の仕事上でそのチャレンジが失敗すれば人件費、材料費、光熱費など膨大な出費がすべて無駄になってします。つまり、企業では仕事がなかったのと同じどころではなく、結果として損失になります。



隠れた努力を認めること・褒めること
 社員としては、そのような無駄を発生させないために、無理にでも徹夜をして何とか成功を目指します。でも、限度があります。無理をすると必ず仕事にムラが出てきて良い結果が導けません。
3つの「」(無理 ムラ無駄)は、殆どの場合に関連性を持っています。

そのような状況化における highdy の策が、結果は良くなくても徹夜をしながら頑張った社員に対し、その「努力を認めること・褒めること」ことでした。
会社としては損失になっても、それなりに彼らもいい経験になったことだし、頑張って褒められれば、疲れも吹っ飛び、また新しいヤル気も出てきます。
清々しい気持ちで、「あの人は自分たちが失敗したけれど、文句も言わなかった!」「2度とあのような状況に陥らないように頑張ろう!」という人材が育ってくるものです。それは後々優秀な社員を育てる教育費です。
時には人間ですから間違いを指摘して叱ることもあります。叱かられた後は部下も気まずいもので、「飲みに行こう!」と言っても、いい返事は返ってきません。冗談で「業務命令だ!」などと言って連れて行った翌日は、何事もなかった如く実に張り切って仕事をしてくれます。



highdy の言葉シリーズすべて実話ですが、冒頭の「言い訳」は中小企業に入社間もない頃の経験、努力を認める話は自らも経験し、人を管理するようになって何度も実践、その経験が大企業に転職後、部下に大いに信頼されるようになった話です。
以前にも書きましたが、
highdy の上司の指示には従えなくても、「失敗しても highdy が責任をとるからやってくれ!」は、効き目がありました。
上司も心得たもので、自分の指示に抵抗する部下を使うときは、(当時は下層管理職の)highdy に頭を下げながら依頼してきました。(実るほど頭を垂れる稲穂かな
偉い(賢い)人ほど威張らず頭が低いものです。




本日もご来訪いただきありがとうございました。



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他人の良い面を見つける習慣を持て(その2)

2021年07月21日 | 処世訓(highdy のことば)



昨日の続きです。

3.感謝の心を持てる人
  何事にも感謝をする気持ちを持つことは大切で、その人に文句を言う前に過去に恩恵に与(あず)かった、してもらったことを思い出し口をつぐみましょう。だからと言って、何でもかんでも我慢すると、心の奥底では和解していませんので、積もりつもって大爆発してしまいます。適度のガス抜きも必要なことです。
いま、highdy が10数年続けている無料パソコン教室は、人生の60年皆様にお世話になった感謝の気持ちを込めての行動です。つまり、無理をしないボランティアです。ボランティアは無理をすると絶対長続きはしませんので。

4.思いやりのある人
  人によって
思いやりの概念が全く違います。世間で一般的に誰もが認識するものは常識として持ち合わせるべきでしょう。でも、その常識レベルが問題で、男女の違いにより、思いやりの内容認識が異なると思います。
highdy の経験でも若い頃に紫陽花が大病(完治後、約35年健康)をし、手術をしたことがあります。いまでも時折話題になり、「あの時、優しくなかった!」と言われますが、自分としては亡くなったらどうしよう、いま何をすべきなのか、オロオロするだけで女性のための配慮が足りませんでした。
だって、男性だもの、女性の立場で考えることは難しいこともあります。分かりません! つまり、経験不足だったのです。

5.大切な人の為に動ける人
  どなたにも
大切な人はあるものです。多くの場合、身内や身近な人です。
動くにも、時間的、距離的、身体的、経済的など様々な理由で、動けないことも多いです。場合によっては、自らの命に拘わることだってあります。
大切な人のために自分は何をすべきか、イザというときは・・・について、日頃から非常に備えた心構えを持っておかないと、咄嗟(とっさ)の行動は判断を誤ります。正しい判断のためには知識・情報が重要です。
時間を見つけてそれらを会得しておく必要があります。

6.その人の立場を理解できる人
  簡単に「
相手の立場になって・・・」とよく言われますが、現実的には経験がない場合、例えば、管理者のトップの立場など、多くの部下や協力者をコントロールしたことのない方には、その立場での思考は理解ができないこともあります。
でも、少なくとも両者同じ地位で、自分の考えに対する相手の考えの比較は可能で、相手の意見が尊重すべきものか否かを冷静に判断することはできると思います
判断ができない場合、先ずは謙虚に行動すべきです。

7.小さな幸せを感じられる人
  
人の幸せは、小さな幸せの集まりです。貧しい国の人々でも素晴らしい笑顔を見せています。特に世間ずれしていない子供のそれはいいものです。
いま、質素であっても箸が持てご飯が食べられる、テレビは無くてもラジオが楽しめる、美味しい飲み物が無くても、泥水・川水をすくうことなく水が飲める、などなど、周りを見つめれば、沢山の幸せがあります
それが多いほど幸せ度が高くなるだけです。
多くの人がそんな小さな幸せは忘れて、上ばかり見ていますが、自分より恵まれな人々がも多いことも考えるべきだと思います。小さな幸せを感じることのできない方は、永久に幸せになる(自分が感じる)ことはありません!

8.心が温かい人
  心が温かいとは、愛(情)というバブルで、他人を包み込むことです。
愛が無ければ、これまで書いてきた項目はすべて成り立ちません。
」とはひと言で表現できないほど偉大なもので、多くの場合、自分と他人の間に存在する優しい思いやりのある目に見えない抽象的な表現です。
同時に、自分自身の体を労
(いた)わることも含まれます。それらを他人に対して表現できる人のことを「心が温かい人」と言ってよいと考えます。



最後の「愛」に関し
 highdy は哲学者でも、宗教家でもありませんが、「愛」というものは、「与えよ、さらば与えられん」であって、与えることが先であり、「愛していないのに愛して欲しい」と願うのは理屈が合わない気がします。また、「愛は無償の奉仕」であって、「愛して欲しいから愛したくなくても愛す」というのも考えられませんよね。
宇宙の真理は一つであっても、説く人により変わり、放送局から出る電波は同じでも、受ける受信機で音色が変わるのと同じです。新約聖書も英訳でその意味が全く変わります。
新約聖書「マタイの福音書」第7章
Ask, and it will be given to you; seek, and you will find; knock, and it will be opened to you. For everyone who asks receives, and he who seeks finds, and to him who knocks it will be opened.
と、訳せば、
求めよ、さらば与えられん
新約聖書「ルカの福音書」第6章
If you give to people unconditionally and do so it, a blessing of God will be given you.
と、訳せば、
与えよ、さらばあたえられん
前者は、ビジネスの世界でよく使われる表現で、highdy は大元の原文を知らないのですが、精神的な教えとして後者の支持派です。英文の得意な方は、調べてみてはいかがでしょうか。




本日もご来訪いただきありがとうございました。


コメント (14)

他人の良い面を見つける習慣を持て(その1)

2021年07月20日 | 処世訓(highdy のことば)



悪い所は見つけやすいが・・・
 人の特徴を判断する場合、「恋は盲目」と言われるように、好きになると悪い部分は見えなくなり、冷静なときの判断とは大いにかけ離れた見方をしてしまうことがあります。
自分の悪い部分は案外気づかないものですが、他人の悪い部分は気づきやすいものです。人生、他人とうまく付き合うには、他人の悪い所にはある程度目を瞑(つぶ)らないといけないことも多いでしょう。誰にでも長所・短所はあります。
どんな人にも、極悪人の犯罪者にも良い部分は必ずあります。周りを遠ざけ閉じ(引き)こもっている人でも、良い所を見つけて話していると、心を開いてくれたり、改心するものです。そのような人に「・・・はダメ!」はダメです。
ただ、難しいことは、「他人の良い所を見つける習慣」がないと、そんなことは容易にはできません。いつも他人の長所見て学ぶ習慣を身に着けることが、自分の人徳を向上させることにもなります。

統合失調症の陰性症状に似た(うつ)の人に「頑張れ!」、「それはダメ!」は禁句であるように、環境を変え、「不適当な言葉」を避け、自然に本人が気づかないよう気持ちを変えてあげることが大切です。
そのために、現実の悪い面だけを見るのではなく、奥に隠れた良い面を見つける習慣を持つことが大切な一助になります。


ある方のブログの「ことば」から
 先日ある方のブログを訪問していたら、とても素敵な理想の好きな人」に関する箇条書きを見つけました。
誠に勝手ながら、highdy のコメントをつけてみたいと思いましたが、長くなるのでここに取り上げてみました。



1.会話ができる人・話のキャッチボールができる人
  他人の話を十分聞かず、話の腰を折ったり、一方的に自分の意見をまくしたてる人がおられます。このような方は、独り住まいの人や特に老人に多いのですが、話好きの方にも同じ傾向が見られます。
日頃会話をする相手の居ない方で、誰かに聞いてもらいたい意思があります。
他人の愚痴は気分を悪くさせるものですが、時間が許す場合は聞き上手になってあげると、人間関係を良い方向に保ちます
聞き上手は難しく、下手に同調するとそういう方に限って別の人にも同じことを話すもので、「あの人もそうだ、そうだと言っていた。」と賛同者扱いにされてしまいます。「そういう考えもありますね」「そんなこともあるんですね」と、賛同しない内容の意見には中立の立場を保つことです。

2.謙虚さがある人・虚栄を張らない人
  highdy も反省すべきことがあり、紫陽花から指摘されることがあります。自分では単なる事実・実例を表現しているつもりでも、その人の環境を知らない場合、自慢話になってしまうことがあります。
外観上の虚栄を張らず、心を磨いて装飾している方は、人徳が自然に輝いてボロを着ていても美しく見えるものです。そのような方は、周りの視線を気にしないものです。逆にお金持ちの方がイミテーションを身に着けていても、先入観から本物に見えることがあります。でも、「真贋(がん)は心眼で見よ」と言われるように、見抜く人には正しく見えています。
相手の人間性や環境を知らない場合、注意する必要があります。常に謙虚さ・見栄を張らない言動が人徳を高めます。

つづく


本日もご来訪いただきありがとうございました。



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革新は、同質の集団からは生まれない(その2)

2021年07月16日 | 処世訓(highdy のことば)



教員免許更新に学ぶ
 最近のニュースで、「教員免許更新」制度を廃止するようであるが、当然である。それでなくても彼らは教育に関係の少ない雑用に追われ、父兄からは理不尽な要求を突き付けられ本当に必要な教育の時間を奪われている。
その上、時間と金をかけて講習会に参加し、免許更新をするなんて馬鹿げている。質を高めるための、より高度な各地の成功例を多数披露する講習会ならまだ効果的・建設的かも知れない。
元を正せば、文部省や教育委員会が自分たちの陳腐な発想や指導を棚に上げ生徒の学力が落ちたのは「教師の責任と決めつけ、加えて中央集権化したことによる弊害である。政治の世界における老害と似たようなものである。
変な「ゆとり教育」により、さらに学力は落ちてしまった。もっと、本質を考えるべきではなかろうか。中央集権化することは、「報告」という作業が多くなり、書類作成など本来の教育時間を侵食する余分な仕事である。その時間を分かり易い教育のための資料作りに回せば、どれほど効果的な教育になることだろうか。
     
楽しければ向上心は自然に生まれる
 そもそも学校は、勉強(知識の詰め込み)だけを教える場ではない
世の中の新しい情報や知識を紹介し、勉強の楽しさ・方法・知識の使い方を主眼に教える場である。
勉強に限らず、趣味でも仕事でも、楽しくなければ、夢が無ければ、続かない
アスリートが辛い練習に耐えるのも、趣味に寝食忘れて打ち込むのも、忙しくても一生懸命に働くのも、楽しく夢があるからである。

ヒトの脳は一度快楽を味わうと、もっと続けたいと欲するもので、それが新たな向上心につながる。すなわち楽しい・嬉しいことを続けようとする。
スポーツで記録を出し、みんなに褒め称えられればさらに練習に励む。一時の快楽を求める性犯罪の再犯も同じ理屈である。
仕事も勉強も適度の遊び(楽しさ)が必要で、車のハンドルも遊びが無ければ危なくて乗れない!
日本は共産主義国ではない、皆が画一・均質でなくてもよい。一所懸命に働いても、要領よくサボっていても、報酬が同じなら頑張る人はいなくなる。
頑張っただけ見返りがある方が良いに決まっている。
楽しければ強制されなくても自ら勉強をし、向上心は自然に生まれてくる
教育委員会が無駄なデータを教師に要求することなく、現場に任せてそれぞれの個性を伸ばす楽しい教育にすることが大切である。それによって、将来各自が己の特技を生かし、互いに協調して社会に貢献すればよい。
自分の能力を生かした好きなことをして、それが仕事になればどんなに幸せなことか、プロの方にはそんな人が多い。

余談ながら
 highdy の無料PC教室も同じで、人はこれまでできなかったことができるようになると、嬉しいものである。もっとあれもやりたい、これもやりたいと興味が湧く。それが日本全国無料だから、有難いと喜ばれている。
PC操作は知識であり、技術でもある勉強・仕事・趣味にも役立つ。他人にできないことが自分にできることは、一種の優越感も味わえ多くの方に喜ばれている。




本日もご来訪いただきありがとうございました。



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革新は、同質の集団からは生まれない(その1)

2021年07月15日 | 処世訓(highdy のことば)



革新改革の違い
 革新innovation)というものは、同質の集団(組織)からは生まれない。
14~16世紀にかけイタリアを中心に西ヨーロッパ周辺で興ったルネッサンス(再生・復興)も、イスラム文化に接触したことに端を発するものである。18~19世紀かけてのイギリスの産業革命Industrial Revolution)も過去の欧米の技術蓄積との接触によって起きたものである。
イノベーションに対し後者にリノベーションが用いられているのは、革新と改革の違いを意味している。似て非なるものである。

改善模倣革新ではない
一般的に、企業内で「革新」と称されるものの多くは、他社の改善Improvement)や模倣Imitation)にとどまる改革である。
その理由は、同質の組織内ではこれまでの社内慣習や成功体験・実績により、慣れた(悪く言えば偏った)組織の風土が存在し、「阿吽(うん)の呼吸」や「暗黙の了解」で物事が進行する同調性システムが出来上がっているためである。
そこへ、新人や異色の能力を持つ人間が入り革新をしようと思っても、感情や意見の対立・場合によっては利害に絡む事象が発生し容易に融合できない。
つまり、異質の人間は、周りの雰囲気を感じ、自らの意見を出すことを躊躇(ためら)うことがしばしばで、その組織の風土に呑み込まれてしまうことが多い。
政治の場においても同様で、新人議員が大きな夢を持って国会に臨んでも、いつの間にか朱に交わって赤くなってしまう。

組織のトップには多様性が必要
 そのような弊害をなくするためには、組織を統括するトップ管理者には常に多様性Diversity)が必要であり、同質組織の人には、革新しようという意気込みが出てくることは少ない。よって、トップは強力なリーダーシップを持って異質能力の吸収を図らねばならない。
頭の古い、老人の暇潰しのような人々を新しい思考へと導き、ショックを与えなければ組織の革新も改革も不可能である。
トップというものはどんな世界においても「常に孤独」であり、仲良しグループを作っているようでは務まらないことを知るべきである。
これらは、政治、経済(企業も含む)、教育など、すべての組織のトップに当てはまる。

つづく


本日もご来訪いただきありがとうございました。



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困りごと・悩みごとは、己の無知と知る

2021年04月19日 | 処世訓(highdy のことば)



誰にでもある無知
 哲学でも、宗教でも、学問でも困りごと・悩みごとなど解らない(判らない)ことは山ほどあるものである。
人は生きていく上で哲学や宗教的なことは自分なりに適当に判断することが多い。しかし、学問的な知識・情報・技術となると日常的な食事や健康上の問題のみならず、趣味や仕事に関して様々なことで困りごと・悩みごとが出てくる。それを即ち「己の無知」と知ることも大切である。



無知を恥じることはないが・・・
 何事も「ことば」を知ることから始まる。料理にしてもパソコンにしても一つひとつの言葉が判らなければ先に進めないので、優しいことを繰り返し実行しながら言葉を覚えていく。
生まれてくる赤ん坊でも、先ずは情報の入手・伝達手段として言葉を覚えることから成長していく。外国の技術・情報を得るためには、その国の言葉から始める
言葉は人と人の付き合いにも関わり、その使い方で人の心を制御する力を持つばかりか、知識・情報・技術のやり取りには欠かせない大切なものである。
だからと言って無知を恥じることはないし、誰でも初めは無知である。
ある人の無知があらゆるものに与える影響は大きい。それを他人が「無視できるレベルの無知」なのか、それを知る手段は多くの他人の言葉である。
少なくとも、「他人に迷惑をかける無知」は慎むべきである。



常に学ぶことは
 無知」とは、暗闇を意味する。闇に光を当てれば、判らなかったことが分かるようになり、悩みごと・困りごとも消えて行く。
その「光」とは、常に学ぶことである。「人生は死ぬまで勉強」とよく言われる言葉だが、学び続けて自分の道先の闇を払うのが人生である。できないことができるようになり、見えなかったものが見えるようになるそれが楽しみであり、喜びである
だから、無知を無くし、闇を払い除ける努力をしない(つまり、勉強をしない)人に、楽しみも喜びもないものである。







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世界に笑われる日本になりますか?



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躾のできない親と学校という場

2021年03月30日 | 処世訓(highdy のことば)



躾のできない親
 子供の躾ができない親に限って、勉強も躾も学校が教えるものと勘違いをしているようです。それでなくても文部省や教育委員会の変な指導で、教師にはつまらない雑用が多過ぎるのに、それでは教師が可哀そうです。
学校の躾は、いろんな活動の中で親の躾の不足部分を補いつつ教えることはあっても、一から十まで教える場ではありません
不幸にも諸事情があり、自分自身がそのような教育を受けることができなかった親もいるためです。親の言い分では貧乏に起因することもあったかも知れませんが、貧乏を恥じることはありません。寧ろ、そのような環境に置かれたことは非常に幸運なことで、将来的にとても大切な経験を学ぶチャンスを得たことになります
人生において成功を収めた多くの方々が、その経験を生かしています。
どんな親でも子供にすべてを躾けることは困難なことで、社会に出て学ぶ世間常識も沢山あります

学校という場所
 何でもかんでも学校へ放任し、教師に理不尽な要求をする方もいますが、学校というものは、集団活動の仕方を知り、人の思考に違いがあることを知り、その活動により社会を学ぶ場です
何でも詰め込みで教える場でもありません。勉強の仕方、楽しさ、考え方を教える場です。決まっていることを覚えるのは、学校でなくてもできることだし、場所を問わず自分で調べて覚えてもいいことです。興味のあることなら年齢に拘わらずいつ学んでもいいことです。
従い、小学校は別としても、試験だって暗記の数をテストするのではなく、考え方や解決法を理解しているかに重点を置くべきものです

上級にいけばいくほど、躾からは遠ざかり、学問の素晴らしさ、探求や活用の仕方へと変化させるべきものです。
確かに最近の我が国の子供の学力が諸外国に比べて、以前よりかなり落ちたことが問題になっています。もちろん、親の責任ではなく、国の指導方針が間違っているからです。以前の「ゆとり教育」も完全なる失敗がその原因です。
子供の勉強の遅れを話題にする方もいますが、 遅れてもいいのです。
本人に学習意欲さえあれば、自分の得手不得手を知り、得意な分野を伸ばせば良いことで、親も教師もそれを助言すべきと思います。
勉強の遅れは何に関係しているか、何に対して利益・不利益があるのか? 親も教師もそれを見極めることが大切です。


楽しさを教えるのが一番
 遊びも勉強も仕事も同じで、楽しくなければ、やり甲斐がなければヤル気も出ません。一生懸命にやり、努力を重ね、できなかったことができるようになった喜びや楽しさを教えるの一番で、つまらない、地道な辛い苦労ではなく、楽しく学んだ結果により、「さらにもう少し」という新たな目標が生まれるものです。
学校の面白い先生の授業は、生徒を退屈にさせません。少なくとも授業を受けたくない気持ちは持たせません。教師にもそのような工夫や努力が求められます





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思いやりを持て! 差別をするな!

2021年03月12日 | 処世訓(highdy のことば)



思いやり
 「思いやり」とは、他者を尊重し気遣うこと、つまり、他人のためを思って優しくすることを意味する。
「自分さえよければ」主義的な考えを持つ人は、自己中心的で利己主義の人である。世間では「利己主義は欲深い人間」と解釈されるのが一般的であり、それはそれである意味で正しい。しかし、本当のところは、そのような人は欲がとても小さい淋しい人間である。人類・世界のみんなの幸せを考えることができない可哀そう人間である。そのような人に思いやりのできる人はいない。

仕事をする上では、常に思いやりを持ってことに当たらねばいけない。思いやりのない人に、良い設計・製作はできない。車の運転も、家庭の料理も、あらゆることにおいて、思いやりというものは常に対象となる人や物が存在するもので、自分の健康も自身の体に対する思いやりである。
      

人に対する差別
 そもそも「差別」とは、特定の対象(ある種の属性・集団)に対し特別な扱いをすることであり、優遇冷遇があるが一般的には後者のケースを指し、正当な理由もなくその対象に不利益を被らせることが多い。
思いやりのない心の貧しい人に他者を差別視する人が多い。そのような人は、他人から自分がどう見られているかということは考えない。
相手の立場で考え、「自分が逆だったら・・・」という考えには及ばないのがその理由である。

だからと言って、「人からこう見られているだろう」ばかりをあまりに気にする人は、見栄っ張りであり中身が伴っていない。すなわち、精神的にも知識的にも乏しく、心にゆとりがないが多いものである。
お金持ちの心豊かな人の外観的な飾りは、風格が滲み出ている(現実的には少ないが・・・)もので
自然さがあるが、貧乏人が無理をして見栄を張っても見苦しいだけである


他人を差別扱いするのは良くない思いやりがないことを意味する。
人には、遺伝やその他の理由で生まれつき、または後天的に脳(精神的、性格的)や容姿に不遇な人もいる。五体満足であっても乞食同然の人や、社会的な理由でホームレスになった人もいる。
身体障がい者のほぼ100%の方が一般健常者と同じ扱いを望んでおり、その涙ぐましい努力は、少しでも他人に迷惑をかけないで健常者の中に溶け込もうとする行動の表れである。
特に、パラリンピックに出るような方は、人1倍その意識が強く、常日頃言動にも表している。

   

乞食には施さない
 highdy は、五体満足な乞食やホームレスに絶対に施しはしない施しを与えてはいけない!
それは彼らの立ち直ろうとする芽を摘むことになるからである。それよりも自立のチャンス(仕事でも何でもいいい)を与えることの方が大切である。
体の何処かに不自由さがあるために、健常者と同じ生活ができない人には、少しでも近づけるための手段や機会を援助してあげるの真の愛情である。

このコロナ禍にあって、政府は思いやりがない自分の身銭ではないので、さほど困っていない人にも大盤振る舞いをしている。しかもピントの外れた・・・。それどころか、その原資は借金であり、国民に強制的に借金をさせているものである。
もっと本当の弱者を救済すべきなのに、現実や現場を知らない人の考えはおろそかであることに気づいていない。
highdy の無料パソコン教室恵まれない方困っている方ヤル気のある方最優先にしている。
努力をしてもポイントを掴んでいないために、その努力が報われない方もいる。そのような人にはその解決方法を教えている。これは単なる施しではない。
例え遊びであっても、「パソコンの楽しさ」がその人の生き甲斐であればそれでいい。
以前にもどこかに書いたが、「
グループの法則」というものがあり、どんなに数が多くても、誰かひとりだけ秀でた人がいれば、全員がその人のレベルまでは到達できる可能性がある。だから組織ではそのような人をリーダーに起用する。
highdy の知識は微々たるものだが、それが広まればみんなのレベルが上がってくる。




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自然に逆らうな! 逆らうには力が要る。

2021年03月11日 | 処世訓(highdy のことば)



ラクがしたければ逆らうな!
 水は落差の高い方から低い方へ流れる。電気も電圧の高い方から低い方へ流れる。エネルギーは高い方から低い方へ力が働くもので、強いものが弱いものに勝つのが「自然の理」というものである。
ラクがしたければ自然に逆らわずに、それを上手く利用することである。
それで満足できなければ、己の知識を高めること、強くなること、すなわちエネルギーを蓄えることである。上手く利用することもできず、強くなる努力もしなければそれは諦めであり自分の負けである。



逆らうには力が要る!
 強くなるためには力が必要である。力とはエネルギーであり、熱でもある。重い物を引力に逆らって持ち上げるには、エネルギーが必要なことは誰でも解っている。
熱心に勉強をして知識と技術を持って戦うことである。
戦いには常に膨大な知識力と技術力を蓄えていないと勝てない。口(言葉)で勝つには知識力だけでよいが、物理的に勝つには技術力も必要になる。


技術開発
 前者のような「自然の理」を上手く活用した知識・技術(例えば水力発電、太陽光発電によりエネルギーを得る)と後者のように重い物を持ち上げるために油圧・水圧を駆使する知識・技術(例えば、「てこの原理」、何らかの機械・動力を用いて持ち上げる)
つまり、新しい技術開発には二つの方法がある

 我々は自然という環境の中で生きていく以上何もしないでいることはできない。自然は太古の昔から成長(進化)・変化し続けている生命ではないと言われているウイルスさえ進化している。)
だから何もしないでいると、ヒトは取り残されて原始化するだけである。嫌なら我々も進化する必要がある訳で、科学的に進歩しなければならない
しかし、その過程で知識・技術を蓄えつつも自分の体を良く知り、バランスの取れたものでないといけない。
いまは、自分たちの考えた知識・技術で体質を変化ガンアレルギーなど)させてしまっている。
人工的な有害物を食べて体を壊し、医療技術でそれをカバーするのは、どう考えてもおかしな話である。寿命だけ延びても健康体でない限り、真の幸せにはならない。



政府国民の関係で考えると・・・
 いまの役人・政治家には国民のための思いやりがない、もっと言えば弱者(庶民)に対する思いやりがないのが問題である。強い者に負けて弱い者に強いのは本当のに強さとは言えない。
一方、国民の方もぬるま湯から出るに出れない状態(徐々に貧困化しているのにも拘わらず)のままで力の結集がない。逆らうには力が要る!
知識を持って小さな力を結集すれば、蟻が象を倒すこともできる、大昔のヒトは力を結集して怪獣を倒して食べた。

原子力災害にしろ、新型コロナ問題にしろ一種の人災である。
自然災害に対応するヒト(このヒトは、役人・国会議員)の能力にも限度がある。自分の保身や利益を捨て、庶民と結集してことに当たらねばならいのに、政府の対応は、民衆の心を掴んでいない。
庶民の血税でデタラメともいえる予算(特に何兆円ともいう使途不明の予備費を組んで、方向性の違う用途に使おうとしている。これではいつまで経っても、庶民の不平・不満は消えず貧しい・不幸せな人々が増えるばかりである。


力があれば、こんなことも・・・
何度切って食べても、油断していたらまで
咲かせちゃったので、そのままにしてやることに。




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究極の親孝行というものは・・・

2021年01月31日 | 処世訓(highdy のことば)
 


ある日突然に・・・
 highdy の親父は私に迷惑をかけまいと、ひたすら隠してひと口の愚痴も言わず、必死におふくろの介護をしていたようです。そのお蔭で本来は2人の親の面倒を看なければいけないのに親父だけの負荷になり、私は2人分のつもりで心を込めて最大限の努力をして老人介護をしました。
それには当然ながら紫陽花(家内)の了承が必要でした。何せ、相談もなくある日突然、勝手に会社を辞めてくるのですから彼女もびっくりです。
しかも、彼女を自宅に放っておいて、highdy が単身で実家へ介護に帰ってしまうのですから。理解のある家内であったからこそ実現できたことです。
しかし、それは結婚当初から「お互いに自分の親は自分で看る」という合意があったので、愚痴一つ言わず快く送り出してくれました。


何が親孝行なの?
 「親孝行」とは、「幸せ」や「愛情」と同じで、ひと口で表現することができない難しいものです。

親孝行とは、
・ 重いものを持ってあげたり、
・ 行きたい所に連れて行ったり、
・ 好きなものを美味しく食べさせたりすることではありません。
もちろん、それも親孝行の一部にはなります。では、
何でも親の好き勝手に自由にさせればよい? のでしょうか?
いいえ、そうでもありません。
自由であっても、素直に受け入れる親の場合と、そうでない場合(見掛けは喜んでいるが、内心では心配をしている状態)もあります。
後者では双方に認識の違いがあり、いずれ何らかの争いに発展します。
highdy 流哲学による究極の「親孝行」というものは、「幸せ」にするという意味とは若干異なるもので、

  ・ 何事においても親に心配をかけることなく、
  ・ 常にも笑顔で、優しく接することです




時間やお金だけではなく犠牲が・・・
 簡単に言いますが、これが意外にできそうでできないことです。いくらお金や時間があっても、最も大切な「愛情」がないと容易にはできません。
一般的には、介護される親の身内には当事者でないと分らない様々な事情や苦労があるものです。介護者を含めて身内全体が犠牲になるケースも多いです。
親に何らかの持病があったり、認知症であったり、はたまた(親の)子供に関する心配ごとがあるとそうはいきません。
加えて、介護中に怒鳴られたり粗相を目にすると、人間だからつい愚痴を言ったり怒ったりするのが人の常です。



報われたことば
 highdy は、完ぺきにやり遂げたつもり(?)です。(老人介護のエピソード参照)
手前味噌ですが、お蔭でご近所でも ”評判息子” になり、病院でも有名になってしまいました。
 生前、親父はいつも私に「無理をするなよ!」、「気を付けて行けよ!」、「ありがとう」とよく言ってくれました。紫陽花が見舞いに来ると、「〇〇子さん、あんたに不自由な思いをさせてすまんのう(すまないね)」と、泣いて詫びてくれていた後日談で聞きました。彼女にとって、大きなひと言報われた「ことばでした。









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何事も教えるには工夫が必要

2021年01月29日 | 処世訓(highdy のことば)



現在の教育法間違っている
 何でも無理やり教えるのではなく、好きにさせること、興味を持たせることが最も大切なことです。特に低学年はそうです詰め込み主義はダメです!
とりわけ記憶科目にはそれが必要です。

パソコン操作法も同じで、考えて理論的に操作が判るものではなく、繰り返し実践して覚える記憶科目です。ヒトは忘れる動物ですから、使わないと身に尽きません!

学ぶ人が興味を持ち「もっと知りたい」と思えば、さらに調べてみようと努力したり、自ら進んで繰り返し学習するものです。
学校教育は系統立てて教えようとするので止むを得ない面もありますが、そんなものは覚えた後で学期末などの「まとめ」で良いのです。
その意味で多くの教育法は間違っています。

パソコンの学習を例に・・・
 highdy の無料パソコン教室でも、ヒトの記憶のメカニズムを利用した方法を活用しています。
例えば、Ctrl キーと数字を組み合わせたショートカットの利用法について、「0~9」までアプリによりいろいろな動作が割り当てられています。
順番にすべて教えても、翌日には多くの方が3割程度しか覚えていません、そんな方に必死に教えても時間の無駄です。それよりも、



のように、数を少なくグループに分けてまとめた、「A01」、「ビュー(BIU)っと2・3・4」で覚えてもらう方式が効果的です。
覚え方は、Ctrl なので、さらに工夫して CA01(風がビューっと2・3・4)
CAで「」、0の「」、1の「ワン → 」から「風は」と考えると覚えやすいですね。

次にいろいろなアプリで利用可能な否か試してもらうのです。
すると、あるものでは衝撃的なハプニング例えば、Excel では、データがすべて消える → そこで「戻る」ボタンの活用を教えるなどが起こります
そのトラブルの戻し方も覚え、そのショックが記憶として残ります。

Excel行の非表示で「Ctrl + 0」、列の非表示で「Ctrl + 9」を使うと、データが一瞬消えてしまい(ショック)焦ります。
覚え方は、Go!霊柩車
なので Go!、(0)、なので「レ」を兼ねて、9(柩)のように、やってはいけないことも教えるのです。)

時間つくらねば「ない」もの
 人は「忙しいから・・・」と言っても、どうしても必要な場合は、時間の割り振りを考え、工夫をしてつくりますよね。
教育も同じです。ひと頃「ゆとり教育」システムを採用、小中学生は近隣諸国に比べ大きな学力差がついてしまい、批判を浴び現在もその後遺症は続いています。「ゆとり教育」の間違った使い方をしたのが原因です。
教師はレール(国の方針)に沿った授業を強いられます。
しかし、多少のイレギュラーな教え方をしても、結果的には優秀な生徒を送り出した方が勝ちです。
早く教えるには、時間は工夫してつくるもので、つくらねば「ない」ものです。
(特に私達の世代=後期高齢者)は、ユニークな厳しい先生は沢山おられました。それでも生徒に人気があり、優秀な生徒が多く育ちました。
やるなら、いまでしょっ!」と、現代にもそんな先生がおられます。

コピペ(Copy & Paste)作業だって同じことです。Ctrl キーから薬指(または小指)を離さないことです。そうすれば、右手はマウスを持ったままキーボードを見ずに操作する習慣が早く身につきます。



会社でも部下を早く育てられる上司は出世が早いように、優秀な生徒を育てる教師は、社会的評価も上がります





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他人を変えようと思ったら自分を変えよ!

2020年12月02日 | 処世訓(highdy のことば)



周りは自分の鏡と思え
 いつも他人は自分の鏡と思えば腹の立つことはありません。
と言っても、政界や財界のことではなく、身近なあなたの環境のことです。
皆様の goo ブログの記事を読めば、いつも感謝の気持ちを表した報告の方、いつも愚痴の多い方、いつも活き活き(生きいき)した活動報告の方、楽しい日々や生活の記録を残す方など、人それぞれいろんな種類の投稿があります。
投稿の内容により、その方の人格性や知識力、家族間の幸せ度を垣間見ることができます
諺に「類は友を呼ぶ」、つまり、似たもの同士は同じ場所に集まるの如く、日常の暮らしの中で立派な方の周りには変な人はあまり集まることはありません。



他人を変えようと思ったら自分を変えよ!
 環境があなたの鏡ということは、あなた自身が変われば変えられます。ラジオやテレビの聴きたい・観たい番組のためにあなたは周波数を合わせます。それと同じであなたが変われば、あなたの周りも自然に変わります
自然環境は変えられませんが、人の環境は変えることができます。ただ、相手を変えてやろうと強制したり、忠告をするのではなく、先ずは自分自身が変わることにより、相手を従順にさせることです。
いきなりの強制忠告は、相手の反発を招くだけで逆効果です。
いつも配偶者に優しく思いやりを持って接していれば、配偶者も優しくなります。子供を叱らずに誉めて育てれば、優しい親の愛情を感じて育ち反抗をすることもないものです。

新車受取時に戴いた花束の一部を紫陽花がきちんと水切りして
日本間に飾っていますが一週間以上経ってもまだ元気です。

売り言葉に買い言葉
 「売り言葉に買い言葉」という喩えがありますが、相手の乱暴な言葉に対して、思わずうっかり、いきがかり上で対抗して同じように応酬してしまうことがあります。壁にボールを強く投げつけると強く戻ってきます。
「何だこれは! 何故こうやらないんだっ! やり直せ!」と言うより、「何々をこのようしていただけると、嬉しいのですが・・・、助かるのですが・・・ お願いできる?」と言い方を変えれば、相手もカチンとくることなく従順に実行してくれるものです。
部下に仕事してもらう際には、気持ちよく仕事をしてもらい、その結果を誉めたり・感謝をすることであなたの人格が向上し、信頼感が生まれ、やがてその部下はあなたと同レベルの仕事ができるようになります。
企業では個人の業務遂行能力も大切ですが、部下を早く育てる能力のある管理職ほど、経営者からは大切にされ出世も早く良い待遇を受けるものです。




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身内の愚痴・悪口を第三者に話すな!

2020年11月11日 | 処世訓(highdy のことば)



愚痴と悪口は友人を失くする
 「愚痴」とは、本来仏教用語に由来するものと思われますが、一般的には「言ってもしかたがない不平・不満」を表す言葉を言います。
悪口」も似ていますが少しニュアンスが異なり、他人のことを悪くいうことであり、多かれ少なかれ「言葉により他人の名誉などを傷つける行為」を意味します。
以前にもこのシリーズの何処かに書いたような気がしますが、愚痴や悪口を言う人徐々に友人を失くします間違いなく減っていきます。
理由は簡単ですね、そうです。周りを不愉快にするだけで、言っている本人にもメリットはありません。自分だって他人の楽しい話は喜んで聞けても、愚痴と悪口を聞くのは楽しくない筈です。

人間だから(は)け口が必要?
 人間ですからね、愚痴や悪口を喋って「ストレス」を発散させたいかも知れません。それは誰でも理解できると思います。
ストレスを溜めること」は、精神衛生面からも健康を害する元です。ストレスはあらゆる病の根源になります。
逆に「笑い」はリンパ球の一種であるNK細胞(ナチュラルキラー細胞: 体に悪影響を及ぼす物質、例えば、がん細胞、ウイルス、病原菌などを退治する働きをする)を活性化し、ヒトのエンパワーメント(自己治癒力)を高め病を治そうします
家庭内のストレスを溜めないために、ブログに書いて発散する方も凄く多いです。個人の自由ですから、他人がとやかく言う筋合いは全くありません。
でも、highdy に言わせると、やめておいた方が「みんなの幸せ」です。
本人からすれば、単に身内の悪口や馬鹿さ加減を暴露するだけで、第三者を傷付けたり名誉棄損するわけではありません。
しかし、配偶者、両親、子供の善い事ならいざ知らず、彼らの悪いことを愚痴るのは、本人もそのレベルの人間と思われます

似たもの夫婦?
 愚痴や悪口を聞いた人も「似たもの夫婦だから・・・」、「親が親だから、子供まで・・・」と感じるのがオチで、決して本人や家族の得にはなりません。稀に「可哀そうに・・・」と同情されるくらいです。
配偶者など身内の素晴らしさをそれとなく自慢にならない程度に披露するような人には友達が集まってくるものです。聞いていて楽しいからです。
他人の想像力は逞しく、「あの人のご主人がそうなら、きっと彼女も凄く良いところのご出身かも?」と、友人から大切にされ尊敬の眼差しを受けることさえあります但し、度を過ぎて自慢話になると、嫌われて友人は逃げていきます。

同じエネルギー、時間を費やすなら・・・
 愚痴や悪口を言うために、同じエネルギーや時間を費やすなら、もっと素晴らしい方向に向けましょう。
どちらも楽しくないことなので、それらを解決するにはどうすればよいか、解決するには相手を変えなければならないのであれば、自分を変える必要があります。そのためにはどうするか?
はたまた、そんなことは考えないことにして、自分に楽しいことをする。
楽しいことをするのにお金がかかって困るなら、お金のかからないことを考える・・・・・・次々と考えることが増えて、愚痴や悪口に馬鹿げた時間を潰し、周りを不愉快にすることもなくなります

自分の行動を反省しながら、毎日いろんなことに感謝をして生活できる自分になることが悪口をなくすることになります。
先ず、感謝のできる方に愚痴る方は非常に少ないと言えると思います。
感謝をするのが難しい方は、してもらえないことよりしてもらったことを思い出して感謝することです。
highdy だって辛口派ですから、政治家や役人の悪口のようなことは沢山書きますよ、でも少し意味が違って「正しく批判」をしているのであって、名誉を傷つけることが目的ではありません。




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能ある鷹は爪を砥げ!

2020年09月19日 | 処世訓(highdy のことば)



間違えでは? いいえ、正しいのです
 諺では「能ある鷹は爪を隠す」ですが、これは highdy の人生における戒めの言葉です。自分では新入社員に言ってもいい言葉と思っています。自らも若い頃から実践してきたことです。
その真意は、人生というものはいつ何が起きるか分からないものです。その中で逞しく生きるためには、いつ会社が倒産しても、クビにされても、その「環境に柔軟に対応できる知識技術を身につけること」に励めということを意味しています。
現代に当てはめても間違ったものではなく。いま正にその考えが生きているのではないでしょうか。このコロナ禍のや危機的状況にあって、経営難から人員削減をはからざるを得ない企業は多いものです。
その時に、常日頃こっそり砥いだ爪(知識や技術)が活かされてくるものです。
特に若い方に「いま、あなたにできることは何ですか? 時間を有効に使っていますか?」と訊きたいです。
                 
大企業より中小企業のレベルが高い
 highdy の職歴は、中小企業、大企業、スーパーゼネコンまでも経験しています。
それぞれに良い点悪い点がありますが、大きくなるに従って技術のレベルは下がり、知識のレベルになります。
表現は適切ではありませんが
大手企業ほど「頭でっかち」で学術的な知識レベルは高くて偉そうなことを言っていますが、では「あなた、やってごらん!」と言われて実践できる社員は非常には少ないです。製造器具は別にしても、メンテナンス工具の基礎的な使い方も知らない方が沢山おられます
その点中小企業では、若い社員だって素晴らしい設計技術、加工技術や見極め技術を持った社員は多いです。
大手の方はすぐに何(機械・工具・検査具)が無いから・・・になりますが、中小企業ではそれが不足しても工夫してつくる技術を持っています。
highdy のいた大手企業では、たまたま知識・技術の両方を兼ね備えて持っていたので、国内でも大きなシェアを持つ数多くの製品を世に出すことができていました。殆どの国民がその恩恵を受けていると言っても、過言でない程の製品が沢山あります。
          
知識や技術を持つということ
 上記のような状態にありながら、つまり、自分ではつくれないのに大企業が中小企業の上に立てるのはなぜか?ということです。それは単に知名度や資本力の問題ではなく、自分にできないことは他人にやってもらうための管理能力です。
中小企業では、人材の育成・管理、設計・製造の合理化、特許技術の管理、プロジェクトの進行管理など等、資金力の問題も絡みますが、あらゆる面で少ない人数でのやり繰りが必要です。すなわち、人材の多能化が要求されます。
highdy の場合も、その典型的なパターンで、本来は設計技術者でありながら、企画・開発・設計・製造・現場施工管理まで一貫して、独りで機械・電気・計装・配管・土木、その他試運転指導など数々の多分野に関わってきました。専門が異なるために数多くの恥もかくこともありましたが、それがすべて知識になりました
大手企業に入社できたのもそれが評価され、実際に入社してからもそれが幸いして異色の活躍(ほんまに?)ができました。いつも言う「知識と技術は宝」だったのです。
中小・零細企業であっても伝票1枚、図面1枚、電話応対一つにしっかりした管理能力を持ち、常に新しい発想に心がければ大きく成長できるものです。爪を砥ぎましょう!

パソコンも同じです!
 highdy も専門家からみれば、笑われるレベルの知らない技術は沢山あり、ひよこです。でも、PCの入門者、初心者にとっては「雲の上の人」に思えるかも知れません。分かっている方には、単語を一つ二つ言えば済むことを1頁も2頁も割いて説明しています。それは「爪を研いで」独学で勉強したので、分からない方の気持ちが理解できているからです。特にPCの場合、同じ結果を得るのにいろんな方法があり、すべては書きつくせませんが、それなりに努力しているつもり(?)です。
人生死ぬまでが勉強なので、立ち止まることなく、これからも皆様と共に頑張ります。





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