教員免許更新に学ぶ
最近のニュースで、「教員免許更新」制度を廃止するようであるが、当然である。それでなくても彼らは教育に関係の少ない雑用に追われ、父兄からは理不尽な要求を突き付けられ、本当に必要な教育の時間を奪われている。
最近のニュースで、「教員免許更新」制度を廃止するようであるが、当然である。それでなくても彼らは教育に関係の少ない雑用に追われ、父兄からは理不尽な要求を突き付けられ、本当に必要な教育の時間を奪われている。
その上、時間と金をかけて講習会に参加し、免許更新をするなんて馬鹿げている。質を高めるための、より高度な各地の成功例を多数披露する講習会ならまだ効果的・建設的かも知れない。
元を正せば、文部省や教育委員会が自分たちの陳腐な発想や指導を棚に上げ、生徒の学力が落ちたのは「教師の責任」と決めつけ、加えて中央集権化したことによる弊害である。政治の世界における老害と似たようなものである。
変な「ゆとり教育」により、さらに学力は落ちてしまった。もっと、本質を考えるべきではなかろうか。中央集権化することは、「報告」という作業が多くなり、書類作成など本来の教育時間を侵食する余分な仕事である。その時間を分かり易い教育のための資料作りに回せば、どれほど効果的な教育になることだろうか。
元を正せば、文部省や教育委員会が自分たちの陳腐な発想や指導を棚に上げ、生徒の学力が落ちたのは「教師の責任」と決めつけ、加えて中央集権化したことによる弊害である。政治の世界における老害と似たようなものである。
変な「ゆとり教育」により、さらに学力は落ちてしまった。もっと、本質を考えるべきではなかろうか。中央集権化することは、「報告」という作業が多くなり、書類作成など本来の教育時間を侵食する余分な仕事である。その時間を分かり易い教育のための資料作りに回せば、どれほど効果的な教育になることだろうか。
楽しければ向上心は自然に生まれる
そもそも学校は、勉強(知識の詰め込み)だけを教える場ではない。
世の中の新しい情報や知識を紹介し、勉強の楽しさ・方法・知識の使い方を主眼に教える場である。
勉強に限らず、趣味でも仕事でも、楽しくなければ、夢が無ければ、続かない。
アスリートが辛い練習に耐えるのも、趣味に寝食忘れて打ち込むのも、忙しくても一生懸命に働くのも、楽しく夢があるからである。
そもそも学校は、勉強(知識の詰め込み)だけを教える場ではない。
世の中の新しい情報や知識を紹介し、勉強の楽しさ・方法・知識の使い方を主眼に教える場である。
勉強に限らず、趣味でも仕事でも、楽しくなければ、夢が無ければ、続かない。
アスリートが辛い練習に耐えるのも、趣味に寝食忘れて打ち込むのも、忙しくても一生懸命に働くのも、楽しく夢があるからである。
ヒトの脳は一度快楽を味わうと、もっと続けたいと欲するもので、それが新たな向上心につながる。すなわち楽しい・嬉しいことを続けようとする。
スポーツで記録を出し、みんなに褒め称えられればさらに練習に励む。一時の快楽を求める性犯罪の再犯も同じ理屈である。
仕事も勉強も適度の遊び(楽しさ)が必要で、車のハンドルも遊びが無ければ危なくて乗れない!
日本は共産主義国ではない、皆が画一・均質でなくてもよい。一所懸命に働いても、要領よくサボっていても、報酬が同じなら頑張る人はいなくなる。
日本は共産主義国ではない、皆が画一・均質でなくてもよい。一所懸命に働いても、要領よくサボっていても、報酬が同じなら頑張る人はいなくなる。
頑張っただけ見返りがある方が良いに決まっている。
楽しければ、強制されなくても自ら勉強をし、向上心は自然に生まれてくる。
楽しければ、強制されなくても自ら勉強をし、向上心は自然に生まれてくる。
教育委員会が無駄なデータを教師に要求することなく、現場に任せてそれぞれの個性を伸ばす楽しい教育にすることが大切である。それによって、将来各自が己の特技を生かし、互いに協調して社会に貢献すればよい。
自分の能力を生かした好きなことをして、それが仕事になればどんなに幸せなことか、プロの方にはそんな人が多い。
自分の能力を生かした好きなことをして、それが仕事になればどんなに幸せなことか、プロの方にはそんな人が多い。
余談ながら
highdy の無料PC教室も同じで、人はこれまでできなかったことができるようになると、嬉しいものである。もっとあれもやりたい、これもやりたいと興味が湧く。それが日本全国無料だから、有難いと喜ばれている。
highdy の無料PC教室も同じで、人はこれまでできなかったことができるようになると、嬉しいものである。もっとあれもやりたい、これもやりたいと興味が湧く。それが日本全国無料だから、有難いと喜ばれている。
PC操作は知識であり、技術でもある。勉強・仕事・趣味にも役立つ。他人にできないことが自分にできることは、一種の優越感も味わえ多くの方に喜ばれている。
本日もご来訪いただきありがとうございました。
ウソをつかない、えこひいきをしない、弱い者をいじめない、公の金をネコババしない・・・・
文化省には、次の仕事として、安倍殿下の所業をまとめた道徳教材を作成してもらいたいですね(^.^)
それぞれ個性の違った、子供たちを国の基準
(その基準も不明確)にそって一律平等の教育
なんとも色んな意見のある教育ですが・・
子供は一番感性や記憶や運動を沢山受け入れる
そんな時期の子供・・机上のマニュアルで
出来るものではありません。文科省の職員は10年間の教員実地を体験した上で文科省
職員になるとか・・世間や現場も知らないで
行政府で威張っているだけの官僚はいらない。
この教育問題は、日本の将来に関わる基本です
もっと もっと もっと 議論が必要と思います
今日もまた沢山勉強になりました。
Kenさんに「全文異議なし」と言われると嬉しいです。
教えることは好きでも、組織に常駐する教員が嫌いな私には「教員養成」のあり方は難しい課題です。が、私なりの考えはいろいろあります。そのうち纏めてみたいと考えます。
仰るように、「何のために教育委員会」であるか、また、その上の「文部科学省の役割」は何か、その辺りをじっくり考えないと、教員養成のあり方にも影響するので難しいでしょうね。
私は、行政や政治・経済に関する勉強は、殆どしていない単なる傍観者なので、「ど素人」の発言は正に現場を知らない「門外漢のたわごと」になってしまいそうです。
ここに発表している「highdy のことば」は、自分なりの哲学にそって、これまでの人生経験から得たものを主義・主張として述べ、何かの参考にとして書いているものです。
好きこそものの上手なれ、ですね。
私も、日本のゆとり教育が日本を駄目にしたと思っています。ゆとり教育のような中途半端なことをするより、勉強の面白さを教えて学力を高めることが必要な施策だったと思います。
「安倍の下僕であった萩生田文部大臣」とは、ピッタリの表現ですね。
安倍前総理に忠誠心が厚いとされていた彼は、「身の丈発言」や「記述問題不作成誤認」など失敗もありましたが、一方で、「小中学校の1人1台のパソコン端末」、「小学校の35人学級化」、「わいせつ教員対策の強化」など良い実績も上げていて、前総理より実行力があります。
安倍内閣の時に導入された「教員免許更新」制度ですが、直近の情報では萩生田文科大臣は、「まだ、決めたわけではない!」と発言しています。安倍総理が現存すれば、煙たい存在になるしょうね。
「行政職員・国会議員のための道徳教育読本」と教育機関が本当に必要に思われます。
10人十色の個性がある子供たちを、画一・均質にという考えには無理があります。それぞれの特徴のある個性を特長として伸ばしてあげることが教育として重要なことです。そのような教育を受けなかった親が、教育ママになり嫌がる子供を半ば強制的に塾に通わせるのも問題です。
すべてとは言いませんが、さほど経験もない方が教育委員会から「校長」として赴任するのも「虎の威を借る狐」と似たものに過ぎません。
教育問題は、上にも書きましたが奥が深く、今後大いに議論すべき問題が山積みです。
褒めていただくのは嬉しいですが、褒め過ぎです。恥ずかしいです。
「ゆとり教育」は、言われるように確かに中途半端でした。子供たちは時間を持て余して何で時間を潰すか困った子も多く、遊ぶしかなった者もいます。親は子供がいて働く時間が削減され、教師はその間も多くの雑用でゆとりはなかったようです。
「ゆとり」を楽しさ・面白さに変えれば、向学心も芽生えたと思われます。
コメントを書かれた皆さんの感動、共感の様子が伝わってくるようです。
振り返ると私の子供の頃にはやはり生徒に何らかの興味を持たせ、関心をどんどん拡げさせていくという先生が多かったような気がします。
ゆとり教育時代に育った大人(勿論すべてではありませんが)の中には現在の賢い小学生に遙かに劣る学力なのではないかと思われる人もいますね。
本人の努力などの問題もありますが、やはり教育の制度や方針なども影響してそうなったのかもしれないと思うことが多々あります。
多くの皆さんに共感を持っていただき、感謝しています。
成長期の子供は感受性が強いと思います。子供は親をはじめとする大人の真似をします。交通ルールやエチケットを守らない大人を見て、この程度のことは許容されると、ものの分別ができるようになった子供にさえ影響が出ます。
いまは、私達の時代と違い友達同士で楽しく遊べる機会も減少し、学校は楽しくない、優しい友達もいない、家に帰っても親は共稼ぎでもいないとなると、登校拒否とともに家に閉じ籠るという悪循環になります。
教育の中に個性を伸ばす多くの方策を取入れ、面白く楽しく教える中にも何気なく「道徳も教えるゆとり」が欲しいものです。
そこで、教育行政から教員養成まで、根本的な見直し・改革を進めるために、実務経験が豊富な人材から構成される改革委員会が必要です。俗にいう専門馬鹿(不適切な表現ですが、世間知らずの役人・教授や何でも評論家など)を極力少なくした厳選人材に、医師や心理学者、芸術家など異色分野の方々にも参加いただくことが望ましいと思います。