大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ローマの信徒への手紙 8章31~39節

2017-09-11 19:00:00 | ローマの信徒への手紙

2017年9月10日 主日礼拝説教 「神から引き離す者はない」吉浦玲子

<神はわたしたちの味方である!>

 「神はわたしたちの味方である」そうパウロは声高く宣言をしています。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」<もし>と、「もし」と仮定したような言葉になっていますが、パウロがここでいっているのは「神はわたしたちの味方であるのだから、だれも私たちに敵対できない」ということです。神は、アダムとエバ以来、神に逆らい、罪を繰り返してきていた人間の味方になられました。もともとは神の敵であったといえる人間を、今や、守り、支えてくださるのです、8章の最初から聖霊によって新しく生きていく私たちのあり方について語られていましたが、その最後のまとめの言葉としてパウロはそう語っています。「神がわたしたちの味方である」なんと力強い言葉でしょうか?

 「神がわたしたちの味方である」とか、先日、共にお聞きしました「わたしたちは神の子供である」というような言葉は、力強く端的な言葉であるのですが、雰囲気だけで聞いてしまうと、表面的な慰めの言葉に過ぎなくなります。しかし、「神がわたしたちの味方である」ということは、わたしたちの人生の根幹に関わることです。わたしたちの日々のすべてのこと、人生のまことの豊かさは、<神がわたしたちの味方である>ということをどれほど深く、強く、信じて生きていけるかにかかっています。もちろん神が味方であるということと、なにをしても大目に見られるということとは異なります。たとえば旧約聖書にはダビデ王が罪を犯した時、預言者ナタンがダビデ王を叱責した話がでてきました。ダビデの不倫と殺人の罪をナタンは責めました。ダビデを叱責した預言者ナタンこそまことのダビデの味方でありました。権力者のイエスマンはほんとうの意味での権力者の味方ではありません。ナタンの様に場合によっては叱責したり諫言したりするのが本当の味方です。私達と神との関係もそうです。わたしたちが正しく歩む時も、また道からそれているときも、神はいつも味方です。味方であり続けてくださいます。力づけ、助け、慰め、戒め、悔い改めの心を与えてくださいます。

 そしてなにより大事なことは、神がわたしたちの味方である、ということの根拠です。何をもって、パウロは神がわたしたちの味方であると言っているのか?それはキリストの十字架です。神が味方であるという根拠は、キリストの十字架以外にありえないのです。「32節 その御子をさえ惜しまずに死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」人間は往々にして神が味方か敵かという判断基準を自分の側に持ちます。神が私に喜ばしいこと、利益を与えてくれるなら味方で、逆に私にとって嫌なこと、不利益を与えられるなら敵である、と。しかし本来、神が味方である、ということはキリストの十字架を根拠としない限り、理解できないことなのです。わたしたちがキリストの十字架へまなざしを向ける時、そこにはっきりと示された神の愛があります。その十字架に示された神の愛こそが、神が味方であるという根拠として理解できるのです。復活されたキリストの手とわき腹にくっきりと残った傷、それこそが神がわたしたちの味方であるということの根拠なのです。そのキリストがいま父なる神の右に坐しておられる、そしてわたしたちのためにとりなしてくださっている、だからわたしたちは罪に定められることはない、これほど心強いことはないではないか、そうパウロは語っています。パウロの心にあったのは終わりの日の裁きの問題です。その裁きの場でわたしたちは罪に定められない、他ならぬ神ご自身がわたしたちを義としてくださる、そう語っています。わたしたちは多くの罪を犯していますから、裁きの場で、わたしたちを糾弾する者があるかもしれない、しかしなおだれもわたしたちを罪に定めることはできないのです。キリストがとりなしてくださるからです。

<愛から引き離されない>

 さらにパウロは「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう」と続けます。ここからのパウロの言葉は、一段と激しいものです。神の愛、キリストの愛を語りながら、ここまで徹底してその愛に信頼しているパウロの姿に圧倒されます。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か、苦しみか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か」

 聖書を長く読んでこられた方は、ここでパウロは「艱難か、苦しみか・・」と大げさに語っているのではないことをご存じでしょう。現実に、パウロには、艱難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣、そのすべての苦難があったのです。教会の内側からも、外側からも、彼は攻撃されました。とてつもない困難がありました。涙を流し、怖れおののき、意気消沈することもありながら、なお、自分たちはキリストの愛から引き離されない、というのです。キリストが捉えていてくださっているからです。パウロがキリストの愛にしがみついているのではないのです。キリストが捉えてくださっている、キリストの愛がすべてを包み込んでくださっている、そのことをパウロは知っていたのです。

 なぜパウロはキリストの愛が私たちから離れないことを知っていたのでしょうか?困難の中で、時として不条理とさえ思える苦しみの中で、迫害の中で、むしろ神の愛を疑うのが人間の自然な姿のようにも感じます。パウロは特別に信仰が深かったのでしょうか?たしかにパウロは劇的な回心を体験しています。もともとキリスト者の迫害をしていた彼はダマスコ途上で復活のキリストと出会うという体験をしています。そのような劇的なキリストとの出会いをし、回心をしたパウロだからこそ、ここまでの確信をもって、どれほどの困難があろうとも、キリストの愛を語れたのでしょうか?

 そうではないと思います。聖書に名前を記されているのはキリスト教が生まれて間もないころの弟子たちだけです。直接、イエス様と出会った人々もあったでしょう。パウロをはじめ、聖書に名前が出てくる人たちが特別に信仰が強かったというわけではありません。キリスト教の歴史を振り返るとき、2000年にわたって、パウロのような信仰者は生まれ続けたのです。今も全世界に生まれ続けています。直接、キリストと出会った弟子たちや劇的な回心を体験したパウロだけが「キリストの愛からわたしたちは引き離されない」と語ったのではないのです。2000年にわたり、無数の信仰者がこのことを語り続けてきたのです。

 何回か語ってきたことで恐縮ですが、私自身が家族や友人にクリスチャンがいなかったにも関わらず、それでも、教会に行くようになり、さらに信仰を得るようになったことはもちろん聖霊の導きによることでした。ただ、直接的な信仰への招きの段階において、いくつかの現実的な要因みたいなものがあるにはあったとはいえます。そのなかのひとつは長崎県の出身で、カトリックの教会が町に多くあって、何となくキリスト教の雰囲気に親近感をもっていたようなところであったといえます。少し離れた郡部には隠れキリシタンの子孫も住んでいるようなところがありました。隠れキリシタンの家の中には、一見すると普通の仏壇があって、しかしそのなかにマリア観音が隠されていると聞きました。私は、直接、それを見たわけではないのですが、友人の家は確かにそうだったと聞きました。むかしむかし、迫害を受けながらも信仰を持ち続けた人々があった、歴史で習ったことがほんとうに身近に感じられました。そしてさらに思います。その人々に、さきだって福音を宣べ伝えに来た人々もあったことを。遠い遠い国から来た人々がいたのです。なんの縁もゆかりもないところへキリストの福音を伝えに来た人々がいました。現代のように飛行機でひとっとびの旅ではなく、長い時間を費やし危険を冒してやってきた人々がいた。そういうことを思うとき、オウム真理教の事件の後、宗教は怖いという意識はどこかにありながらも、キリスト教なら大丈夫という信頼ももって教会に来ることができ、受洗への背中も押されたと思っています。自分自身が教会へと導かれたその背中を押した力の中には、名前も知らない無数のパウロのような存在があったのだと考えます。

 遠くから宣教に来た人々があったという点では、皆さんも、これもまた繰り返し聞かれていますように、この大阪東教会の創立の背景も同様です。100年以上も前、A.D.ヘール宣教師がアメリカからやってこられ、その伝道によって大阪東教会は設立されました。当時、今のアメリカと日本の違いよりも、もっともっと大きな文化格差があった、にもかかわらず宣教師たちはやってきました。120年前の大阪東教会の写真を見ると、ヘール宣教師と共に写真に納まっている日本人の様子は、同じ日本人と言いながら、今のわたしたちから見ても、まったく雰囲気が異なります。ましてやアメリカから来た人にとっては、当時の日本は驚きの国、不思議の場所だったでしょう。なかには、欧米の植民地化政策の一環として、その手先として宣教師たちはやって来たのだという人々もいます。しかし、私たちは知っています。カトリックにせよ、150年前にやってきたプロテスタントにせよ、神の福音を純粋に伝えるために危険を顧みずやってきた人々がたしかにいたことを。カトリックでもプロテスタントでも宣教師たちは日本の土になる覚悟をもって福音を宣べ伝えにきたのです。A.D.ヘール宣教師も半世紀にわたる日本伝道の末、この大阪の地で天に召されています。ヘール宣教師はあるときは雪の深い道、それも狼が出る危険のある田舎道をわらじをはいて伝道されたそうです。ヘール宣教師兄弟に対する<わらじばきの伝道者>という言葉は、あるいはみなさんもお聞きになったことがあるかと思います。ヘール宣教師は、あるときは道端で日本人の長老たちと路傍伝道もされました。しかし、声を張り上げてキリストを伝えても、誰も耳を傾けてくれないのです。当時、キリスト教の禁制はとかれていましたが、まだまだキリスト教への世間の偏見は強く、<あいつらは耶蘇だ>と誹謗中傷を受けるようななかで、キリストを伝えて行かれました。ヘール宣教師や、初期の日本の教会の信仰者が、特別に信仰が深く、意志が強かったから、そういうことができたのでしょうか?

 そうではないでしょう。ヘール宣教師や日本伝道の初期の信仰者もまた、パウロ同様、キリストの愛が自分たちから離れることはない、キリストの愛が自分をすっぽりと包みこんでいる、その確信があったから、当時としてはとてつもない日本伝道ということができたのです。キリストの愛の炎が燃え続けていた、それは聖霊の炎といってもいいでしょう。内なる炎は消し難くあって、その炎のゆえに、狼の出る雪道をすら突き進んでいかれたのでしょう。

<まことの勝利者>

 その炎は、私たち一人一人の内にも与えられています。わたしたちは既に勝利者としてその炎を与えられています。「わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」とパウロは語ります。これは私たちの現実的な生活の、世俗的な勝利を語っているわけではありません。すべてを越えた絶対的な勝利です。現実的な生活だけを考えるなら、わたしたちはやがて皆、肉体的に滅びます。死に敗北をします。勝利者ではありえません。しかしなおパウロはわたしたちは勝利者であるというのです。「死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高いところにいるものも、低いところにいるものも、他のどんな被造物も」私たちをキリストの愛から引き離すことはできないというのです。生きようが死のうがわたしたちはすでにキリストの愛に結び付けられている、どのような権力も引き離すことができない。時間的な制限も空間的な制限もない。どのような超常的な力を持ったものですら私たちをキリストの愛から引き離すことはできない、そのことにおいて私たちは勝利者なのだ、そうパウロは語ります。

 A.D.ヘール宣教師が地上の生涯を終えられた日のことです。ヘール宣教師は、どのように忙しい時でも一日に三時間は勉強をされていたそうです。そのヘール宣教師がその日、ベッドのなかで、聖書を手に取って詩編を読もうとされますが、もう聖書を開く力も残っていなかったそうです。ただ、小さな声で、かたわらにおられた娘さんにこう言われたそうです。「主の栄光は主のうちに輝く」と。その生涯の最後において、ヘール宣教師は、主の栄光の輝きを見ておられました。その輝きは、キリストの十字架から放たれる輝きにほかなりません。キリストの愛に結ばれキリストの愛に捉えられていた宣教師の魂が見た輝きです。そしてそれは、生涯、宣教師が見続けていた輝きです。今、わたしたちもまたその輝きの中に生かされ、その輝きを見ます。キリストの愛に結ばれているゆえに勝利者として見るのです。