日記

日記

消息と親教

2023年05月28日 | ブログ
No.8,No.9とかなり斬り込まれた生々しさがありますが、消息(として発布の新しい領解文)も親教(ご親教三部作)も、総局の申達によるものであるが、消息には勧学寮のチェックが入るものの親教はチェックが入らないなど、システム的な不具合が問題を大きくしていってしまったように思えるのであります。

但し、今回は消息への勧学寮のチェックを巧妙にすり抜けた、というよりも意図的にすり抜けさせたと言えるのでしょう。

そのようなわけで、消息の誤謬は「わざと」であるとすれば、今回の法要における親教の誤謬も「わざと」であるとも言えるのかもしれません。

時代の流れに迎合した過去の反省を述べながらにも、時代の流れに迎合して教えを変えるという主張を入れ込ませたことであります。

勧学寮のチェックが入らなくても矛盾したことが書いてあることぐらい、簡単に総局でもチェックできたはずなのであります。
それも「わざと」であるとするならば、その意図は何か?

ご門主さまを辱めるという私怨の意図があったのではないかとの疑いもあったが、それも不思議ではないということであろうか、、

あるいは、ご親教三部作と共に、教義をどうにかしてでも無理矢理に変えて、宗意安心を捻じ曲げねばならないという意図、使命があったのであろうか、、

とにかく、宗会、新常務委員会、新総局はこのような誤謬が手続上も含めて幾つにも生じたことへの反省と検証を行い、再発防止策を講じないと、また同じようなことが起きかねないでしょう。

また、ご門主さまの唯一残されてある権限としての安心裁断権も、有名無実とするのではなく、与奪者の指名、任命権をご門主さまに認めるべきであるでしょう。

どうして生じた?領解文問題
https://note.com/ryouge


わたしの領解文/一人ひとりの領解文

2023年05月27日 | ブログ
領解は、本来、一人ひとりの信心への理解を表すものであり、強制されたり、ましてや唱和させられたりするものではない。

その信心への理解もそれぞれで深まることによって、当然に、その領解も変化するものになっていきます。

その各々の領解を確認していく場が、勧学による改悔批判、法義示談となるわけです。

わたしの領解文を表す(出言)ことで、自分の信心の理解を自分で確認していくと共に、改悔批判、法義示談に積極的に参加して、勧学の導きにて、より信心の理解を深めていくことが望ましいものとなります。

また、それが本来の門信徒のあり方であると言えるのでしょう。

▼ わたしの領解文/一人ひとりの領解文
https://note.com/yokayokayo/m/m4c5d9a5e5ed5

▼ つぶやき領解文
https://note.com/yokayokayo/m/m1e38b68e966d

・・

私の現時点での領解文

南無阿弥陀佛
本願勅命
南無阿弥陀佛
称名正業
南無阿弥陀佛
名号功徳
南無阿弥陀佛
信心正因

・・

根拠は名破満釈・融会合釈の拙現時点での解釈から・・

親鸞聖人の思想

「阿弥陀如来法性法身・二種回向(教)→阿弥陀如来方便法身のはたらき(行)→信心(信)→二種法身の獲得(証)」

「二種回向(因)→方便(縁)→二種法身(果)」

行信論の要諦は、名破満釈・融会合釈

「しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。」

称名①→本願への志願・疑心
称名(正業)②→志願・疑心
称名(正業)②→念仏(称名③)→南無阿弥陀佛(名号・称名④)→正念(信心決定・信心獲得)

法性法身阿弥陀如来の称名
方便法身阿弥陀如来の称名
諸仏諸菩薩の称名
報身阿弥陀如来の称名
応身釈迦如来の称名
法蔵菩薩の称名
七高僧の称名
親鸞聖人の称名
獲信者・善知識の称名
衆生の称名(信心は問わない)
自分の称名(獲信前)
自分の称名(獲信後)

①〜④と各称名については、まだ整理中です。

称名①〜④は、微妙なりにも阿弥陀如来の方便法身のはたらきに差異があると考えているわけです。

特に、①と➁には大きな違いがあり、①は、衆生に本願を知らしめる役割、②は、本願を得心させる役割があると考えています。

③は、本願を納得させる役割、④は、本願の功徳を得心させる役割となるでしょうか。

まだ思考中です…

・・

▼ わたしの領解文/一人ひとりの領解文
https://note.com/yokayokayo/m/m4c5d9a5e5ed5

▼ つぶやき領解文
https://note.com/yokayokayo/m/m1e38b68e966d

(ウェブページ作成の思い)
 ここは、それぞれの方の領解出言が、まとめて見ることのできるサイト。
 閲覧者の方が、それぞれの方のお領解を味わい、自らの領解も味わい・深め、自らの領解も言葉にしてみたくなるような…おみのりにであう場を、ゆるやかに繋いでゆくページです。
 皆さまそれぞれの領解が、深まる機縁となり、いろいろな方のお領解が集まれば、楽しいアクションになると考えました。
 自身のお領解を言葉にすることは大切なことですが、むずかしいことです。公開されている方は、そう多くはありません。このページを作るにあたって最初に、まず自分の領解は何だろう?と私自身に向き合いました。それから、Facebookでお見かけした範囲で、数名の方にお声がけしました。こころよく、掲載をご了承くださったみなさま、ほんとうにありがとうございます。
 ページはこれから少しずつ更新していく予定です。ぜひ楽しんで、ご参加ください。
(掲載依頼方法)
 ご自身の領解文を掲載くださる方は、佳琳  佳代 のFacebook Messengerに直接ご連絡ください。もしくは、下記メールアドレスにお送りください。▶yokayoka.f@gmail.com
 掲載名は、本名またはペンネーム、どちらでもかまいません。お任せいたしますのでお聞かせください。

▼ わたしの領解文/一人ひとりの領解文
https://note.com/yokayokayo/m/m4c5d9a5e5ed5
▼ つぶやき領解文
https://note.com/yokayokayo/m/m1e38b68e966d
▼ Facebookでの告知投稿
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=6050628055055511&id=100003251296789&mibextid=Nif5oz

(松月さまコメント抜粋)
 新しい「領解文」にただ反対と言っているだけでは不毛の論議となり何も生まない。領解文を考えることで自分自身のお聴聞の姿勢、あるいは領解という事をあらためて考えていこうという信仰運動としてこそ、この度の混乱が意味あるものとなる。
 [新しい領解文]問題を機縁とした、わたしの信仰運動。そして、一人ひとりの信仰運動の場へと。
 なもあみだぶつ。合掌。
 塩井佳代拝
※シェア・拡散歓迎です
※You Tube「新しい領解文を考える」シンポジウム第二弾でご紹介いただきました

「三昧耶」の語義から考える蓮如上人「機法一体」説について

2023年05月25日 | ブログ
三昧耶薩埵、三昧耶戒と出てくる「三昧耶」とは、元々、東密、台密共に語義は同じように解釈されてあるところであり、その四義(平等・誓願・驚覚・除垢障)における、特に「平等」と「誓願」という意味合いから、蓮如上人が南無阿弥陀佛の「機法一体」説を理論付けた可能性も高くあります。

一体という意味での「平等」は、もちろん、如来の観点からの「平等」の義(空性として平等)であり、空性(悟るべき空性のあり方)としては、凡夫も仏も一体という意味でありますから、本来(空性として一体)清浄ということ(本質的に本源から空性)で、その凡夫と仏の一体性(仏凡一体)から「三昧耶」を「信心」として援用したと考えることもできるわけであります。

いや、それより、「三昧耶」における「平等」より「誓願」の方を重視した可能性も高くあります。

「三昧耶」の「誓願」は、菩提心からの「弘願」(如来の本誓)という意味を有しており、つまり、三昧耶は、「如来の救いの本誓」ということでもあるのであります。

その如来の本誓に、阿弥陀如来の「本願」を合わせるということでの一体性であります。

無上瑜伽タントラ、あるいは、最勝三昧王三昧における成就法としての「三昧耶薩埵(金剛薩埵)と智薩埵」の関係性からではなくても、当時に日本に招来されていた密教における三昧耶の意味合いからでも説明できなくはないということであります。

更に論考して参りたいと存じます。

・・

密教にも似たような蓮如上人の「機法一体」説を確認することができました。

「私の信心と仏の救いは 本来一つゆえ」

まさに三昧耶薩埵(金剛薩埵)と智薩埵との関係性と同じ構造となると分かりました。

当時の民衆に流布した談義本の南無阿弥陀佛の密教思想から、蓮師が機法一体を展開したことからも類似するのは当然ではあるものの、天台密教にせよ、真言密教にせよ、三昧耶薩埵と智薩埵との合一性を明確に説く成就法、本尊瑜伽が日本に招来していたかどうかは明確ではありません。

三昧耶薩埵と智薩埵との合一性を明確に説くものは、代表的には「最勝三昧王三昧」となります。

もしも、談義本における機法一体の密教思想が、三昧耶薩埵と智薩埵の合一性を解くものとしてあったとするならば、まさに「私の信心と仏の救いは 本来一つゆえ」と同じことになるのであります。

蓮師は、確か台密の寺院でも学んでいたかと存じます。

しかし、最勝三昧王三昧は、無上瑜伽タントラ、秘密集会タントラに依拠しており、日本に三昧耶薩埵と智薩埵の合一性に関する成就法は招来していなかったはずなのであります。

もちろん、親鸞聖人の時代においてもです。

いずれにしても、「信心と本願」、「三昧耶と智慧」、その成仏へと向けた救いの原理は一致するところとなります。

無上瑜伽タントラから親鸞思想を考えると新たな知見が得られそうであります。

蓮如上人「機法一体」と密教「最勝三昧王三昧」との関係性について

2023年05月25日 | ブログ
密教にも似たような蓮如上人の「機法一体」説を確認することができました。

「私の信心と仏の救いは 本来一つゆえ」

まさに三昧耶薩埵(金剛薩埵)と智薩埵との関係性と同じ構造となると分かりました。

当時の民衆に流布した談義本の南無阿弥陀佛の密教思想から、蓮師が機法一体を展開したことからも類似するのは当然ではあるものの、天台密教にせよ、真言密教にせよ、三昧耶薩埵と智薩埵との合一性を明確に説く成就法、本尊瑜伽が日本に招来していたかどうかは明確ではありません。

三昧耶薩埵と智薩埵との合一性を明確に説くものは、代表的には「最勝三昧王三昧」となります。

もしも、談義本における機法一体の密教思想が、三昧耶薩埵と智薩埵の合一性を解くものとしてあったとするならば、まさに「私の信心と仏の救いは 本来一つゆえ」と同じことになるのであります。

蓮師は、確か台密の寺院でも学んでいたかと存じます。

しかし、最勝三昧王三昧は、無上瑜伽タントラ、秘密集会タントラに依拠しており、日本に三昧耶薩埵と智薩埵の合一性に関する成就法は招来していなかったはずなのであります。

もちろん、親鸞聖人の時代においてもです。

いずれにしても、「信心と本願」、「三昧耶と智慧」、その成仏へと向けた救いの原理は一致するところとなります。

無上瑜伽タントラから親鸞思想を考えると新たな知見が得られそうであります。

・・

志の会の最後の声明が、ご門主さま宛の安心裁断権行使の請願書とならなかったのは仕方のないことでしたが、改めて五つ全てを見返してみて思うのは、決定的な過失が、やはり、「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」というところであり、ここの表現が、ほんの紙一重で違えば、もしかしたらここまで大問題にはならなかったかもしれません・・

前勧学寮頭の徳永氏も、答申とは異なって、消息、領解文として出されてしまったことよりも、この「紙一重のところ」に対してのことから辞任を決意なさったのではないだろうかと思うのであります・・蓮如上人の機法一体、仏凡一体の本覚思想性を明確に否定されておられたからであります。

お近くですので、真意をお聴きしに伺えたらとは思うものの、お相手して頂けないでしょうね・・

とにかく、本当に紙一重ということです・・

・・

「機法一体」は、「南無・衆生の信心・機」と「阿弥陀仏・阿弥陀如来の救い・法」が一体としてあることを表しているもので、「南無阿弥陀仏」がその一体性として「本来」成立してあることを表そうとしたのが、「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」ということかもしれませんとの可能性についてご指摘を頂きました。

改めて考えますと、それならば、「煩悩・さとり」とした対比ではなく、「信心・救いは 本来一つゆえ」としていれば、決定的な間違いとは言えなくなっていたであろうということになります。

「機法一体」からでは、

「私の信心と仏の救いは 本来一つゆえ」

「仏凡一体」からでは、

「私の煩悩と仏のさとりは 一つになるゆえ」

もしも、そのどちらかであれば、実は大した間違いとは言えないということになります。

「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」は、「機法一体」と「仏凡一体」の混同した理解からとも言えなくはありませんが、宗門の要職にある者が、それに気付かないこと、特に勧学寮が見過ごすわけはありません。

やはり、勧学寮の警戒や制定過程における勧告を無視して強引に成立させたことを鑑みれば、意図的に本覚思想、創案者の思想を入れ込ませた可能性が高いと言えなくはないということであります。

とにかく、いずれにしても「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」は紙一重で決定的な間違いになっているということではあるのでしょう・・

浄土真宗本願寺派 勧学・司教 有志の会 - 記者会見

2023年05月24日 | ブログ
記者会見アーカイブを拝聴いたしました。非常によく整理された記者会見で、質疑応答も分かりやすく、良いものであるかと僭越ながらにも存じます。あとは宗会と新しい総局による対応次第となってくることでしょう。

浄土真宗本願寺派 勧学・司教 有志の会 - 記者会見
https://www.youtube.com/watch?v=P5Q3UMmfiJs

深川勧学和上が、記者会見でおっしゃられていたように、やはり勧学寮前寮頭の徳永和上がお辞めになられた一番の要因は、本覚思想にあったようですね…

有志の会の最後の声明が、ご門主さま宛の安心裁断権行使の請願書とならなかったのは仕方のないことでしたが、改めて五つ全てを見返してみて思うのは、決定的な過失が、やはり、「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」というところであり、ここの表現が、ほんの紙一重で違えば、もしかしたらここまで大問題にはならなかったかもしれません・・

前勧学寮頭の徳永氏も、答申とは異なって、消息、領解文として出されてしまったことよりも、この「紙一重のところ」に対してのことから辞任を決意なさったのではないだろうかと思うのであります・・蓮如上人の機法一体、仏凡一体の本覚思想性を明確に否定されておられたからであります。

お近くですので、真意をお聴きしに伺えたらとは思うものの、お相手して頂けないでしょうね・・

とにかく、本当に紙一重ということです・・

・・

「機法一体」は、「南無・衆生の信心・機」と「阿弥陀仏・阿弥陀如来の救い・法」が一体としてあることを表しているもので、「南無阿弥陀仏」がその一体性として「本来」成立してあることを表そうとしたのが、「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」ということかもしれませんとの可能性についてご指摘を頂きました。

改めて考えますと、それならば、「煩悩・さとり」とした対比ではなく、「信心・救いは 本来一つゆえ」としていれば、決定的な間違いとは言えなくなっていたであろうということになります。

「機法一体」からでは、

「私の信心と仏の救いは 本来一つゆえ」

「仏凡一体」からでは、

「私の煩悩と仏のさとりは 一つになるゆえ」

もしも、そのどちらかであれば、実は大した間違いとは言えないということになります。

「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」は、「機法一体」と「仏凡一体」の混同した理解からとも言えなくはありませんが、宗門の要職にある者が、それに気付かないこと、特に勧学寮が見過ごすわけはありません。

やはり、勧学寮の警戒や制定過程における勧告を無視して強引に成立させたことを鑑みれば、意図的に本覚思想、創案者の思想を入れ込ませた可能性が高いと言えなくはないということであります。

とにかく、いずれにしても「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」は紙一重で決定的な間違いになっているということではあるのでしょう・・

「令和の惑乱」もこれで幕引きとなるか・・【ニュース速報】石上総長が辞意を表明 浄土真宗本願寺派

2023年05月22日 | ブログ

「令和の惑乱」もこれで幕引きとなりますかね・・岡本法治さま、本当にお疲れ様でございました。

しかし、親鸞聖人の思想、浄土真宗教学、本願寺派教学、よく学び、色々と知ることができました。あとは、「法義示談」、「改悔批判」に出掛けて、疑問点を解消しに参りたいと存じます。

とにかく、龍谷大学・真宗学科学生論文集は本当に良い論文が多くて、学ぶのに最適でございました。ネット公開、有り難かったですね。

【ニュース速報】石上総長が辞意を表明 浄土真宗本願寺派

浄土真宗本願寺派の石上智康総長(86)は21日、総長の職を辞任する考えを総局や宗会関係者に伝えた。理由として、慶讃法要の円成を機縁として人心を一新し、宗門のさらなる活性化に道を開きたいということ、また体調不良により医師の診断に従って当面、安静療養と健康の回復に努めたいことを挙げた。

https://www.chugainippoh.co.jp/article/news/20230522-001.html

[ウクライナ]和平交渉へと向けたプロトコル、イニシアティブを取るチャンスを・・

2023年05月22日 | ブログ
せっかく広島で開催されたのに、戦争の共業をまた深めることになってしまうとは…

和平交渉へと向けたプロトコル、イニシアティブを取るチャンスだったのに。

残念である。

・・

どういったことが、日本、日本人の「共業」になるのですか、とのことですが、今回のウクライナへの戦費支援、間接的な武器供与、後方支援を認めることは、イラクの時もそうでしたが、殺人を間接的にしている業を抱えることになります。

戦費支援、防衛費は、税金からであり、それは私たちが出しているものであるからです。

政府にその使い方を容認してしまっているということは、皆、殺人幇助していることになるからであります。

そのように抱えた共業は、因縁、因果により、必ず報いがきます。

釈迦族の抱えた共業による因果の流れは、釈尊でも三度までしか止めれなかったほどに強烈、強大な力なのであります。

必ずその報いがやってきます。自分は関係ないと思わない方がよいでしょう。

善趣に備えよ、との警告が色々と見える形で多発してきているかと存じます。

西本願寺・慶讃法要初日を振り返って・・

2023年05月22日 | ブログ
昨日の西本願寺・慶讃結願法要を中継で観て、あの格式の中、初日によく敢行できたものだと振り返る。無知というのは怖いものだ、、

結局、あれから色々知ると、ご門主さまに渡り、仮に返歌なされたくとも、安心に関わることであるため、総局の申達、勧学寮の諮問を通さないと返せない仕組みであって、無駄なことであった…

ましてや、中外日報さんに取り上げてもらっていなければ、ただのおかしい、アホなやつで終わっていた。

もちろん、それも仕方がないが、、

一休さんとあれこれ気ままにやり取りされた蓮如上人の時代であればと考えると、あまりに窮屈で、自由のないしんどい立場にあられるのだと、気の毒に思う…

安心裁断権は、ご門主さまの唯一の権限。しかし、それも実質的には無いようなもの…

与奪者指名、任命権はせめて認められるべきなのではないだろうかと思うのである。

・・

多く問い合わせを頂いていましたが、中外日報さんに抗議文として紙面で取り上げて頂いていた、掲げた歌は、

「おまかせし はからい捨てよが 弥陀本願 あれこれせよとは 領解しかねる」



である。新しい領解文の後半におけることを問う内容であり、A3二枚に書いたものを掲げさせて頂いた。

その後に、しかるべき宗会議員さんから、本山のしかるべき要職のお方にお渡し頂き、ご門主さんへと届いており、私の身元もお伝え頂いているのは確かながら、今のところ、返歌は頂けていない。

返歌があれば、また問歌をとは考えていたが、この状況ならば、もう難しそうである。
もちろん想定していた返歌もある。

「あれこれは はからい捨てる ためとなる 弥陀本願に 通ず道なり」

のような内容だ。

そこから更に深く問答をとも考えていたのだが、もう恐らく何もないだろう、、誠に残念である。

とにかく、皆さん思われているような反対、撤回、取り下げをダイレクトに求めるようなものではないので、どうかご容赦賜りたくに。








「自然の浄土」について

2023年05月21日 | ブログ
昨日、声明を全て読み返していて思ったのだが、そう言えば、「自然の浄土」については結局触れられていなかった、、

しかし、「声明」を何度見ても「しょうみょう」と読んでしまうのは、ある意味、仕方のないことではあるだろう…

話を戻して、、

「自然の浄土」をどう考えるのかは、実は教学的にはかなり重要なのである。

拙生は、「一如宝海」と解しているが、そうではなく「現世現成」と考えられている場合もあるからだ。

新しい領解文は、本覚思想を謳っていることからも、「現世現成」としてある可能性が極めて高い。

救い摂られるのは、確かに現世現成ではあるが、実際に救われるのは、実質的に「一如宝海」である。

現世、極楽も、阿弥陀如来の方便法身のはたらく世界にはあるが、あくまで最終的に救われるところは、阿弥陀如来の法性法身、一如宝海における二種法身獲得においてとなるのである。

現世報恩行を重視する立場からは、「自然の浄土」を「現世現成」にしたいとの思いは分からなくはないのですが、やはり無理があると考えるのであります。

ただ、現ご門主さまの社会活動重視のお考えを慮られて、「自然の浄土」については敢えてスルーされたのかもしれないですね…

和上方のお優しさの現れでもあると見ています。


【記者会見のお知らせ】「浄土真宗本願寺派 勧学・司教 有志の会」

2023年05月21日 | ブログ
記者会見が開かれるようです。

【記者会見のお知らせ】

 本年の御正忌報恩講において、ご門主さまの「ご消息」のなかで「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」が発布されました。
 しかしながら、総局の「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の拝読・唱和を強く推進する宗務方針によって、みなさまご存じの通り、これまで愛山護法で生きてこられた僧侶・門信徒のあいだには戸惑いと混乱が広がり、またご本山やご門主さまのお立場を憂慮する声が全国各地からあがり続けています。

 われわれ「浄土真宗本願寺派 勧学・司教 有志の会」(代表:深川宣暢)は、その内容の問題と、発表されるまでの経緯の不可解さ、不透明さについて、これまでに声明を発表して指摘をしてまいりました。そして昨日「声明(五)」を発表したことで一つの区切りを迎えました。

そこで、このたび京都東急ホテルにて

《5月23日(火)午後13:30~14:30》

に、記者会見を開くこととなりました。

なお、当日はこちらのチャンネルから、会見の様子を配信する予定です。
https://www.youtube.com/channel/UCDd9lH4BKnRZ5xvtvLJtETg

みなさま、どうぞご覧くださいませ。

浄土真宗本願寺派 勧学・司教 有志の会