日記

日記

晴れ

2011年01月31日 | 徒然日記・日々の記録
今日は晴れとなりましたが、朝の冷え込みは今冬一番だったようです。このあたりでは、マイナス2~3度といったところであります。しかし、いよいよ厳しい寒さもあと少しの我慢のようですね。春が待ち遠しいです。

終日寺院勤務

寺務・枯れた花抜き・ゴミ収集・ヒバお供え・往生院だよりNo.67発行・往生院メールマガジン発行などして過ごす。

少し風邪気味でしんどい一日でありました。一月ももう終わりであります。

往生院メールマガジン
http://www.mag2.com/m/0000098047.html

バックナンバー(最新号のみ)
http://archive.mag2.com/0000098047/index.html

「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』」を読み進めております。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51965057.html

「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51960156.html

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51957524.html

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』」
 Sonam Gyaltsen Gonta (原著)・ソナム・ギャルツェン ゴンタ (翻訳)・西村 香 (翻訳) 大法輪閣
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版
「中国仏教の批判的研究」伊藤隆寿著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾
http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110

曇り時々晴れ

2011年01月30日 | 徒然日記・日々の記録
今日は曇り時々晴れとなり、非常に寒くなりましたね・・

終日寺院勤務

寺務・法要・清掃・往生院だよりNo.67作成などして過ごす。

往生院だよりも、もうかれこれ10年ほど継続させて頂いております。拙い内容ばかりでございますが、これからもお読み賜れますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

寒い中でありましたが、お参りは結構多かったですね。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・3

「ツォンカパにおける無自性論証と正理 四津谷孝道氏・論著 国際仏教学大学院大学研究紀要第1号 平成10年3月」p103より参照・・

「正理の役割について」

正理による考察に耐えないもの
(=正理によっては得られないもの、正理〔知〕によって成立しないもの) 

1)正理による考察の範囲の内にあり、正理によって損なわれる(=否定される)もの
2)正理による考察の範囲の外にあり、正理による考察が加えられず、従って正理によって損なわれることがないもの

2)

a)《言説有》-「通常の言説知」あるいは「言説の量」即ち迷乱を生じさせる一時的な原因によって汚されていない明晰な感官知によって措定されるもの
b)《言説無》-「一時的な原因によって汚された感官知によって措定されるもの

・・参照ここまで。

次に、「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」・「第3章 正理のはたらき」p57-p98より参照・・

〔正理の理解1〕
正理による考察に耐えるもの・正理によって得られるもの・正理によって成立するもの=勝義的な存在すなわち実体有

〔正理の理解2〕
正理による考察に耐えるとされるものすなわち実体的な存在は、正理によって得られるべきものであり、またそれによって成立すべきものではあるが、中観論者にとってはそうした実体的な存在は正理によって得られることはなく、正理によって成立するものではない。

〔正理の理解3〕
正理によって得られないもの
(1)正理による考察に耐えるもの(=正理によって無いと認定されるもの/正理によって排撃・否定されるもの)例)実体有
(2)正理による考察に耐えないもの(=正理によって無いと認定されないもの/正理によって排撃・否定されないもの)例)言説有/通常の言説知によって虚偽とされる言説無

〔無自性と正理〕
無自性(正確には、言説有としての無自性)
1)正理による考察に耐えない。
2)正理によって得られる(成立する)。

《二諦説の二重構造》

〔広義の二諦説〕
・ことばを超えた世界(真の勝義の世界)
・ことばの世界(世俗の世界)

〔狭義の二諦説:ことばの世界の中の二諦説〕
・正理〔知〕 勝義(暫定的な勝義:世俗的勝義)としてはXは無いことを示す。
・言説〔知〕 言説(世俗)としてはXは有ることを示す。

・・参照ここまで。

以上において、ツォンカパ論師の捉えている「正理」に関しまして、参照としてまとめさせて頂きました。

とにかく、「非有・非無」の中道を理解するためには、「二諦説の二重構造」の理論をしっかりと理解していくことが大切であると考えております。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51963139.html

「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51960156.html

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51957524.html

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』」
 Sonam Gyaltsen Gonta (原著)・ソナム・ギャルツェン ゴンタ (翻訳)・西村 香 (翻訳) 大法輪閣
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版
「中国仏教の批判的研究」伊藤隆寿著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51518341.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾
http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51552614.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/2008-11.html#20081110

晴れ

2011年01月29日 | 徒然日記・日々の記録
今日は晴れとなりました。まだまだ寒い日が続きますね。

終日寺院勤務

寺務・水道管修繕・清掃などして過ごす。

水道管修繕

凍てでやられないようにタオルを巻きました。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・3

「ツォンカパにおける無自性論証と正理 四津谷孝道氏・論著 国際仏教学大学院大学研究紀要第1号 平成10年3月」p103より参照・・

「正理の役割について」

正理による考察に耐えないもの
(=正理によっては得られないもの、正理〔知〕によって成立しないもの) 

1)正理による考察の範囲の内にあり、正理によって損なわれる(=否定される)もの
2)正理による考察の範囲の外にあり、正理による考察が加えられず、従って正理によって損なわれることがないもの

2)

a)《言説有》-「通常の言説知」あるいは「言説の量」即ち迷乱を生じさせる一時的な原因によって汚されていない明晰な感官知によって措定されるもの
b)《言説無》-「一時的な原因によって汚された感官知によって措定されるもの

・・参照ここまで。

次に、「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」・「第3章 正理のはたらき」p57-p98より参照・・

〔正理の理解1〕
正理による考察に耐えるもの・正理によって得られるもの・正理によって成立するもの=勝義的な存在すなわち実体有

〔正理の理解2〕
正理による考察に耐えるとされるものすなわち実体的な存在は、正理によって得られるべきものであり、またそれによって成立すべきものではあるが、中観論者にとってはそうした実体的な存在は正理によって得られることはなく、正理によって成立するものではない。

〔正理の理解3〕
正理によって得られないもの
(1)正理による考察に耐えるもの(=正理によって無いと認定されるもの/正理によって排撃・否定されるもの)例)実体有
(2)正理による考察に耐えないもの(=正理によって無いと認定されないもの/正理によって排撃・否定されないもの)例)言説有/通常の言説知によって虚偽とされる言説無

〔無自性と正理〕
無自性(正確には、言説有としての無自性)
1)正理による考察に耐えない。
2)正理によって得られる(成立する)。

《二諦説の二重構造》

〔広義の二諦説〕
・ことばを超えた世界(真の勝義の世界)
・ことばの世界(世俗の世界)

〔狭義の二諦説:ことばの世界の中の二諦説〕
・正理〔知〕 勝義(暫定的な勝義:世俗的勝義)としてはXは無いことを示す。
・言説〔知〕 言説(世俗)としてはXは有ることを示す。

・・参照ここまで。

以上において、ツォンカパ論師の捉えている「正理」に関しまして、参照としてまとめさせて頂きました。

とにかく、「非有・非無」の中道を理解するためには、「二諦説の二重構造」の理論をしっかりと理解していくことが大切であると考えております。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・2

「帰謬派の離辺中観解釈 四津谷孝道氏・論著 駒澤大學佛學部論集第33號 平成14年10月」 p64より抜粋・・

・・ツォンカパの離辺中観解釈の特徴は以下の三点に纏められよう。

1)「諦」(=自性)が否定され、「諦無」(=空性、無自性)に執着する(=「諦無」と理解する)知が否定されることは不適当である。

2)「非有・非無」は、「勝義としては有ではなく、世俗としては無ではない」と理解すべきである。

3)分別によって捉えられた対象はすべて、真実を考察する正理によって否定されるべきではない。

・・ここまで。

「勝義としては有ではなく、世俗としては無ではない」・・

「世俗としては無ではない」ということに関しては、通常の世俗(=言説)というところにおいての『「効果的作用の能力」としての「事物」』というものは、もちろん、実在・実体・自性としてある「モノ・コト」というものではなく、属性(一般にあるものに共通して備わっているとされる性質や特徴)として、「言説」によって明確に限定づけられた観念によるものとして認められうるものであると考えられます。

一方で、世俗は世俗でも、「勝義的世俗」・「随順勝義」においては、「無自性」ということをめぐって、実体としての「無自性」は当然に否定されるが、非実体的な「無自性」は有るとして考えていくことが重要であると理解しています。

とにかく、ツォンカパ論師の「正理」に関する理解の整理も必要であります。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・1

「帰謬派の離辺中観解釈 四津谷孝道氏・論著 駒澤大學佛學部論集第33號 平成14年10月」 p67-68より抜粋・・

・・事物には、勝義と世俗(=通常の言説)のいずれにおいても否定される「実体的な事物」と世俗において認められる「効果的作用の能力」としての「事物」が想定される。つまり、事物に関しては勝義としては「実体的な事物」は無いけれども(→勝義として「非有」)、世俗においては「効果的作用の能力」としての「事物」が有る(世俗として「非無」)。一方、「無自性」に関しても実体的な「無自性」(→「諦執」即ち「悪取空見」の対象としての「無自性」)と「勝義的世俗」と理解されるところの「随順勝義」として認められる「無自性」がある。つまり、世俗(=言説)レベルでは、前者は否定されるものであり、後者は否定されないものである。換言すれば、勝義としては「無自性」は成立しないが(→勝義としては非有)、世俗としては成立するのである(世俗としては非無)。
 ここで重要なのは、「事物」が認められる所の世俗は、「通常の世俗(=言説)」(rang dga' ba'i tha snyad)であると考えられ、「無自性」が認められる所の世俗は「勝義的世俗」即ち「随順勝義」であるということである。・・抜粋ここまで。

「無自性」についての実体視の扱い、「効果的作用の能力」としての「事物」の扱いをどのように理解していくかというところが一つの要点であると考えております。

・・

「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51960156.html

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51957524.html

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』」
 Sonam Gyaltsen Gonta (原著)・ソナム・ギャルツェン ゴンタ (翻訳)・西村 香 (翻訳) 大法輪閣
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版
「中国仏教の批判的研究」伊藤隆寿著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

曇り

2011年01月28日 | 徒然日記・日々の記録
今日も曇りがちとなり、誠に寒かったですね。

終日寺院勤務

寺務・岩瀧不動明王様御供養・水道修繕などして過ごす。

合間にやまなみプラザへ。

竹楊書道会・第167回目・書道修練。

岩瀧不動明王様・清掃・御供養


岩瀧


岩肌

亀さんに見えます。

往生院だよりコラム 平成18年8月 お盆特別号より
「岩瀧不動明王様」
http://oujyouin.com/tayori1808.htm

ここ数日の厳しい凍てにより、水道管が破裂し、水漏れが起こってしまっているため、緊急に修繕致しました。





迷いウサギ

なによー

・・

仏教参考書追加

「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』」Sonam Gyaltsen Gonta (原著)・ソナム・ギャルツェン ゴンタ (翻訳)・西村 香 (翻訳) 大法輪閣

ようやくに手に入れることができました。また機会を得て読み進めて参りたいと存じます。

「非有・非無」の中道に関しての補足・2

「帰謬派の離辺中観解釈 四津谷孝道氏・論著 駒澤大學佛學部論集第33號 平成14年10月」 p64より抜粋・・

・・ツォンカパの離辺中観解釈の特徴は以下の三点に纏められよう。

1)「諦」(=自性)が否定され、「諦無」(=空性、無自性)に執着する(=「諦無」と理解する)知が否定されることは不適当である。

2)「非有・非無」は、「勝義としては有ではなく、世俗としては無ではない」と理解すべきである。

3)分別によって捉えられた対象はすべて、真実を考察する正理によって否定されるべきではない。

・・ここまで。

「勝義としては有ではなく、世俗としては無ではない」・・

「世俗としては無ではない」ということに関しては、通常の世俗(=言説)というところにおいての『「効果的作用の能力」としての「事物」』というものは、もちろん、実在・実体・自性としてある「モノ・コト」というものではなく、属性(一般にあるものに共通して備わっているとされる性質や特徴)として、「言説」によって明確に限定づけられた観念によるものとして認められうるものであると考えられます。

一方で、世俗は世俗でも、「勝義的世俗」・「随順勝義」においては、「無自性」ということをめぐって、実体としての「無自性」は当然に否定されるが、非実体的な「無自性」は有るとして考えていくことが重要であると理解しています。

とにかく、ツォンカパ論師の「正理」に関する理解の整理も必要であります。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・1

「帰謬派の離辺中観解釈 四津谷孝道氏・論著 駒澤大學佛學部論集第33號 平成14年10月」 p67-68より抜粋・・

・・事物には、勝義と世俗(=通常の言説)のいずれにおいても否定される「実体的な事物」と世俗において認められる「効果的作用の能力」としての「事物」が想定される。つまり、事物に関しては勝義としては「実体的な事物」は無いけれども(→勝義として「非有」)、世俗においては「効果的作用の能力」としての「事物」が有る(世俗として「非無」)。一方、「無自性」に関しても実体的な「無自性」(→「諦執」即ち「悪取空見」の対象としての「無自性」)と「勝義的世俗」と理解されるところの「随順勝義」として認められる「無自性」がある。つまり、世俗(=言説)レベルでは、前者は否定されるものであり、後者は否定されないものである。換言すれば、勝義としては「無自性」は成立しないが(→勝義としては非有)、世俗としては成立するのである(世俗としては非無)。
 ここで重要なのは、「事物」が認められる所の世俗は、「通常の世俗(=言説)」(rang dga' ba'i tha snyad)であると考えられ、「無自性」が認められる所の世俗は「勝義的世俗」即ち「随順勝義」であるということである。・・抜粋ここまで。

「無自性」についての実体視の扱い、「効果的作用の能力」としての「事物」の扱いをどのように理解していくかというところが一つの要点であると考えております。

・・

「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51960156.html

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51957524.html

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』」
 Sonam Gyaltsen Gonta (原著)・ソナム・ギャルツェン ゴンタ (翻訳)・西村 香 (翻訳) 大法輪閣
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版
「中国仏教の批判的研究」伊藤隆寿著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

曇り

2011年01月27日 | 徒然日記・日々の記録
今日は曇りとなり、誠に寒い日が続いております・・

終日寺院勤務

寺務・法要・枯れた花抜き・ゴミ収集・ヒバお供え・節分会護摩焚き供養準備・水道修繕などして過ごす。

ここ数日の厳しい凍てにより、水道管が破裂し、水漏れが起こってしまっているため、緊急に修繕することとなりました・・明日も取り掛かります。

・・

仏教参考書追加

「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』」Sonam Gyaltsen Gonta (原著)・ソナム・ギャルツェン ゴンタ (翻訳)・西村 香 (翻訳) 大法輪閣

ようやくに手に入れることができました。また機会を得て読み進めて参りたいと存じます。

「非有・非無」の中道に関しての補足・2

「帰謬派の離辺中観解釈 四津谷孝道氏・論著 駒澤大學佛學部論集第33號 平成14年10月」 p64より抜粋・・

・・ツォンカパの離辺中観解釈の特徴は以下の三点に纏められよう。

1)「諦」(=自性)が否定され、「諦無」(=空性、無自性)に執着する(=「諦無」と理解する)知が否定されることは不適当である。

2)「非有・非無」は、「勝義としては有ではなく、世俗としては無ではない」と理解すべきである。

3)分別によって捉えられた対象はすべて、真実を考察する正理によって否定されるべきではない。

・・ここまで。

「勝義としては有ではなく、世俗としては無ではない」・・

「世俗としては無ではない」ということに関しては、通常の世俗(=言説)というところにおいての『「効果的作用の能力」としての「事物」』というものは、もちろん、実在・実体・自性としてある「モノ・コト」というものではなく、属性(一般にあるものに共通して備わっているとされる性質や特徴)として、「言説」によって明確に限定づけられた観念によるものとして認められうるものであると考えられます。

一方で、世俗は世俗でも、「勝義的世俗」・「随順勝義」においては、「無自性」ということをめぐって、実体としての「無自性」は当然に否定されるが、非実体的な「無自性」は有るとして考えていくことが重要であると理解しています。

とにかく、ツォンカパ論師の「正理」に関する理解の整理も必要であります。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・1

「帰謬派の離辺中観解釈 四津谷孝道氏・論著 駒澤大學佛學部論集第33號 平成14年10月」 p67-68より抜粋・・

・・事物には、勝義と世俗(=通常の言説)のいずれにおいても否定される「実体的な事物」と世俗において認められる「効果的作用の能力」としての「事物」が想定される。つまり、事物に関しては勝義としては「実体的な事物」は無いけれども(→勝義として「非有」)、世俗においては「効果的作用の能力」としての「事物」が有る(世俗として「非無」)。一方、「無自性」に関しても実体的な「無自性」(→「諦執」即ち「悪取空見」の対象としての「無自性」)と「勝義的世俗」と理解されるところの「随順勝義」として認められる「無自性」がある。つまり、世俗(=言説)レベルでは、前者は否定されるものであり、後者は否定されないものである。換言すれば、勝義としては「無自性」は成立しないが(→勝義としては非有)、世俗としては成立するのである(世俗としては非無)。
 ここで重要なのは、「事物」が認められる所の世俗は、「通常の世俗(=言説)」(rang dga' ba'i tha snyad)であると考えられ、「無自性」が認められる所の世俗は「勝義的世俗」即ち「随順勝義」であるということである。・・抜粋ここまで。

「無自性」についての実体視の扱い、「効果的作用の能力」としての「事物」の扱いをどのように理解していくかというところが一つの要点であると考えております。

・・

「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51960156.html

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51957524.html

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』」
 Sonam Gyaltsen Gonta (原著)・ソナム・ギャルツェン ゴンタ (翻訳)・西村 香 (翻訳) 大法輪閣
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版
「中国仏教の批判的研究」伊藤隆寿著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

晴れのち曇り

2011年01月26日 | 徒然日記・日々の記録
今日は晴れのち曇りとなり、誠に寒い一日となりましたね。

終日お休み

最近は一ヶ月間に二日の定期的な完全お休みの日を入れさせて頂くことができております。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・1

「帰謬派の離辺中観解釈 四津谷孝道氏・論著 駒澤大學佛學部論集第33號 平成14年10月」 p67-68より抜粋・・

・・事物には、勝義と世俗(=通常の言説)のいずれにおいても否定される「実体的な事物」と世俗において認められる「効果的作用の能力」としての「事物」が想定される。つまり、事物に関しては勝義としては「実体的な事物」は無いけれども(→勝義として「非有」)、世俗においては「効果的作用の能力」としての「事物」が有る(世俗として「非無」)。一方、「無自性」に関しても実体的な「無自性」(→「諦執」即ち「悪取空見」の対象としての「無自性」)と「勝義的世俗」と理解されるところの「随順勝義」として認められる「無自性」がある。つまり、世俗(=言説)レベルでは、前者は否定されるものであり、後者は否定されないものである。換言すれば、勝義としては「無自性」は成立しないが(→勝義としては非有)、世俗としては成立するのである(世俗としては非無)。
 ここで重要なのは、「事物」が認められる所の世俗は、「通常の世俗(=言説)」(rang dga' ba'i tha snyad)であると考えられ、「無自性」が認められる所の世俗は「勝義的世俗」即ち「随順勝義」であるということである。・・抜粋ここまで。

「無自性」についての実体視の扱い、「効果的作用の能力」としての「事物」の扱いをどのように理解していくかというところが一つの要点であると考えております。

・・

「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を致しております。

第8章 自立論証批判(1)p282-283より抜粋・・

・・「中観」の「中」とは「非有・非無」すなわち「有」でもなく「無」でもないということを示し、それには少なくとも二つの理解があると考えられる。一つは、「非有・非無」ということをことば通りに捉え観想し、思惟のあらゆる対象を超えて得られる無分別な知の状態のことである。(勝義的離辺中道解釈)。もう一つは、先にも言及したように、「非有・非無」ということを「諸々の事物は、勝義においては無であり(→非有)、世俗としては有である(非無)」と理解し、「中」ということが明確に概念的な内容を伴ったものとして捉えられた分別知の状態のことである(二諦的離辺中道解釈)。
 そして、「中観論者」とは、究極的には、上の二つの「中」の理解のうち、前者に至るために後者の「中」を明らかにすることに努める人々、厳密に言えば、世俗においては有るとされるものを依拠としながら、それが勝義においては無であることを示すことによって、概念的思考を超えることに腐心する人々のことである、と考えられる。したがって、このような形で「ことばによってことばを超えること」、つまり「ことばによってことばを否定すること」に努める人々が、中観論者と考えられるのである。・・抜粋ここまで。

さて、やはりここで問題となるのは、「無分別知」を最高の真理として、勝義的離辺中道解釈、二諦的離辺中道解釈のどちらにしても「無分別知」を目指して、最終的には「戯論寂滅」を志向するのかどうかというところであります。現段階の私の見解では、やはり最終的に「戯論寂滅」を志向することについては懐疑的なところがあります。とにかく、ここのところは課題として考察継続であります。

第3章 正理のはたらき p57より抜粋・・

縁起ということの理解を通して、実体的な有(sat)に対する執着である常見あるいは虚無としての無(asat)に対する執着である断見のいずれにも傾倒することなく、空に徹していくことが、中観思想の特徴の一つである。しかし、そのような中観思想は、自らが克服したはずの常見あるいは断見にすぐさま傾倒してゆく危険性を常に自らの中に潜ませている。もう少し具体的に述べれば、縁起ということの理解を通して得られた諸存在の空性そのものが逆に実体化・絶対化され、あるいは空に徹するあまり、実体的なものだけに止まらず、真理に至る過程において依拠となる言説あるいは世俗の世界までもが否定されてしまうという危険性が中観思想自身に常に潜在しているのである。・・抜粋ここまで。

ツォンカパ論師は、上記の危険性の回避をいかにして図ったのかをしっかりと見極めて理解していくことが重要となります。

・・

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えました。

現代仏教は、果たして真なるお釈迦様の説かれた教えであると言えるかどうかは、95%ほど、違うと言わざるを得ないところがあるのではないかと考えております。特に大乗仏教に関しても、98%、怪しいと考えざるを得ないでしょう・・

現代仏教から、純粋仏教を抽出するとするならば、実在論・実体論、(ウパニシャッド・ヴェーダンタ的)一元論、(ジャイナ教的)二元論・相対主義・不定主義、更には、神秘主義的・反知性主義的不可知論、懐疑論といったものに当該する思想・哲学を現代仏教から排除していかなければなりません。

また、松本史朗氏の「基体説」からの批判的検討を加え、如来蔵思想・仏性思想的要素も完全に排除させなければなりません。もちろん、「基体説」から導き出される仏性内在論・仏性顕在論的要素についても排除させる必要があります。

そして、現代仏教における儀礼祭祀的な形式面にとらわれてしまっての形骸化、現世利益的な祈祷・祈願・呪術の受容拡大などの神秘主義化・雑密化、また、土着信仰との融合や神仏習合などによっての教理の曖昧化といったことに関しても当然に排除対象となります。

上記の排除結果として、純粋に仏教と考えられる思想・哲学を抽出することによって、真なるお釈迦様の教えに関して、再構築をしていくことが大切になると考えております。

・・

「第一章 禅思想の意義」における「無分別知」を巡る議論については、特に刮目して理解する必要があります。

とにかく、「仏教」に関することにおいて、私たちが普段当たり前として何気なくこういうものであると、すっかりと信じて疑わないものとなってしまっていることであっても、しっかりと検証考察、批判的検討を行っていくことが大切であると痛切に感じるところでございます。

ただ、長年続いてきた慣行・慣習・慣例、伝統・習わし・しきたり・ルールだからと、何となくそれで正しいと鵜呑みにして過ごしていくということでは、時に既に危険な誤りに陥ってしまっていることもあります。

仏教史上においても、「無分別知」という概念に関して、それがまるであたかも「真理・悟り」へと至るための錦の御旗であるかのように宣揚され続けてしまってきている弊害について考えを及ぼすとき、その被害の甚大さは、いまだに計り知れないものがあると思われます。

仏教の歴史は、その初期の頃より、実在論・一元論、あるいは二元論、または、神秘主義的・反知性主義的不可知論へと傾斜してゆき、やがて仏教最大の真理要諦である「縁起」を破壊し、非仏教化の道を歩み続けてきてしまったことへの深い反省が必要であると存じております。

チベット仏教哲学の意義
『チベット仏教哲学』松本史朗著(大蔵出版)よりの抜粋の参照・・
http://page.freett.com/mishima/tibetph1.htm

・・

「第六章 深信因果について」p611から抜粋・・

「・・縁起説の解釈を決定的にするのは、縁起説が指示している宗教的時間の時間性を解消する方向に向かうのか、それともそれを死守しようとするのかという一点にあるのである。もしそれをひとが解消したければ、過去と未来は相対的であるとか、因と果は同時で相互に依存している(法界縁起)と説けばよいし、もしそれを守りたければ、因と果は"三世"として、相互に全く隔絶した不可逆のものとして厳然として存在していると論じなければならないのである。つまり、時間性の本質は因と果の隔絶性と不可逆性(一定方向性)にあるのである。すなわち、もし因と果の隔絶性を認めずに両者の連続性が説かれるとすれば、因果は異時なものとして別個にわかれて存在することはできず、同時なものとして一点に収束し、それによって時間は解消されてしまうので、それを防ぐために、因果の隔絶性、異時性が強調されなければならないのである。・・」・・ここまで。

非常に重要な内容であります。

しかし、再読が終わった松本史朗先生の「仏教思想論 上 大蔵出版」に続く「下巻」の刊行が誠に待ち遠しいですね。

・・

仏教論考考察

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版
「中国仏教の批判的研究」伊藤隆寿著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

曇り時々雪

2011年01月25日 | 徒然日記・日々の記録
今日は曇り時々雪となり、寒い一日となりましたね。

終日寺院勤務

寺務・椎茸原木菌植・書道修練などして過ごす。

椎茸原木菌植は、先日に切り揃えた原木にドリルで穴を開けて、そこに椎茸菌のついた種ゴマを金槌で打ち込んでいきます。


約2~3年で椎茸が出て参ります。

書道修練・条幅

「瑞気満梅花」

夕刻から東大阪市・東公民館へ。

東大阪鳩まめ倶楽部・平成22年度・第10回・1月定例事務局会議に出席。

報告・近況・サイトアクセス、掲載状況、情報意見交換、他。

相変わらず鳩まめ倶楽部さんのホームページの情報収集・取材・記事内容の充実ぶりは誠に圧巻であります。

意見交換では、色々と市内に関する情報を多角的視点から得ることができ、諸活動を進めていく上で、地域まちづくり活性化へ向けての参考になります。

東大阪鳩まめ倶楽部ホームページ
http://www.do-natteruno.com/

これまでの活動報告
http://hide-1.jugem.jp/?cid=17

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「非有・非無」の中道に関しての補足・1

「帰謬派の離辺中観解釈 四津谷孝道氏・論著 駒澤大學佛學部論集第33號 平成14年10月」 p67-68より抜粋・・

・・事物には、勝義と世俗(=通常の言説)のいずれにおいても否定される「実体的な事物」と世俗において認められる「効果的作用の能力」としての「事物」が想定される。つまり、事物に関しては勝義としては「実体的な事物」は無いけれども(→勝義として「非有」)、世俗においては「効果的作用の能力」としての「事物」が有る(世俗として「非無」)。一方、「無自性」に関しても実体的な「無自性」(→「諦執」即ち「悪取空見」の対象としての「無自性」)と「勝義的世俗」と理解されるところの「随順勝義」として認められる「無自性」がある。つまり、世俗(=言説)レベルでは、前者は否定されるものであり、後者は否定されないものである。換言すれば、勝義としては「無自性」は成立しないが(→勝義としては非有)、世俗としては成立するのである(世俗としては非無)。
 ここで重要なのは、「事物」が認められる所の世俗は、「通常の世俗(=言説)」(rang dga' ba'i tha snyad)であると考えられ、「無自性」が認められる所の世俗は「勝義的世俗」即ち「随順勝義」であるということである。・・抜粋ここまで。

「無自性」についての実体視の扱い、「効果的作用の能力」としての「事物」の扱いをどのように理解していくかというところが一つの要点であると考えております。

・・

「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を致しております。

第8章 自立論証批判(1)p282-283より抜粋・・

・・「中観」の「中」とは「非有・非無」すなわち「有」でもなく「無」でもないということを示し、それには少なくとも二つの理解があると考えられる。一つは、「非有・非無」ということをことば通りに捉え観想し、思惟のあらゆる対象を超えて得られる無分別な知の状態のことである。(勝義的離辺中道解釈)。もう一つは、先にも言及したように、「非有・非無」ということを「諸々の事物は、勝義においては無であり(→非有)、世俗としては有である(非無)」と理解し、「中」ということが明確に概念的な内容を伴ったものとして捉えられた分別知の状態のことである(二諦的離辺中道解釈)。
 そして、「中観論者」とは、究極的には、上の二つの「中」の理解のうち、前者に至るために後者の「中」を明らかにすることに努める人々、厳密に言えば、世俗においては有るとされるものを依拠としながら、それが勝義においては無であることを示すことによって、概念的思考を超えることに腐心する人々のことである、と考えられる。したがって、このような形で「ことばによってことばを超えること」、つまり「ことばによってことばを否定すること」に努める人々が、中観論者と考えられるのである。・・抜粋ここまで。

さて、やはりここで問題となるのは、「無分別知」を最高の真理として、勝義的離辺中道解釈、二諦的離辺中道解釈のどちらにしても「無分別知」を目指して、最終的には「戯論寂滅」を志向するのかどうかというところであります。現段階の私の見解では、やはり最終的に「戯論寂滅」を志向することについては懐疑的なところがあります。とにかく、ここのところは課題として考察継続であります。

第3章 正理のはたらき p57より抜粋・・

縁起ということの理解を通して、実体的な有(sat)に対する執着である常見あるいは虚無としての無(asat)に対する執着である断見のいずれにも傾倒することなく、空に徹していくことが、中観思想の特徴の一つである。しかし、そのような中観思想は、自らが克服したはずの常見あるいは断見にすぐさま傾倒してゆく危険性を常に自らの中に潜ませている。もう少し具体的に述べれば、縁起ということの理解を通して得られた諸存在の空性そのものが逆に実体化・絶対化され、あるいは空に徹するあまり、実体的なものだけに止まらず、真理に至る過程において依拠となる言説あるいは世俗の世界までもが否定されてしまうという危険性が中観思想自身に常に潜在しているのである。・・抜粋ここまで。

ツォンカパ論師は、上記の危険性の回避をいかにして図ったのかをしっかりと見極めて理解していくことが重要となります。

・・

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えました。

現代仏教は、果たして真なるお釈迦様の説かれた教えであると言えるかどうかは、95%ほど、違うと言わざるを得ないところがあるのではないかと考えております。特に大乗仏教に関しても、98%、怪しいと考えざるを得ないでしょう・・

現代仏教から、純粋仏教を抽出するとするならば、実在論・実体論、(ウパニシャッド・ヴェーダンタ的)一元論、(ジャイナ教的)二元論・相対主義・不定主義、更には、神秘主義的・反知性主義的不可知論、懐疑論といったものに当該する思想・哲学を現代仏教から排除していかなければなりません。

また、松本史朗氏の「基体説」からの批判的検討を加え、如来蔵思想・仏性思想的要素も完全に排除させなければなりません。もちろん、「基体説」から導き出される仏性内在論・仏性顕在論的要素についても排除させる必要があります。

そして、現代仏教における儀礼祭祀的な形式面にとらわれてしまっての形骸化、現世利益的な祈祷・祈願・呪術の受容拡大などの神秘主義化・雑密化、また、土着信仰との融合や神仏習合などによっての教理の曖昧化といったことに関しても当然に排除対象となります。

上記の排除結果として、純粋に仏教と考えられる思想・哲学を抽出することによって、真なるお釈迦様の教えに関して、再構築をしていくことが大切になると考えております。

・・

「第一章 禅思想の意義」における「無分別知」を巡る議論については、特に刮目して理解する必要があります。

とにかく、「仏教」に関することにおいて、私たちが普段当たり前として何気なくこういうものであると、すっかりと信じて疑わないものとなってしまっていることであっても、しっかりと検証考察、批判的検討を行っていくことが大切であると痛切に感じるところでございます。

ただ、長年続いてきた慣行・慣習・慣例、伝統・習わし・しきたり・ルールだからと、何となくそれで正しいと鵜呑みにして過ごしていくということでは、時に既に危険な誤りに陥ってしまっていることもあります。

仏教史上においても、「無分別知」という概念に関して、それがまるであたかも「真理・悟り」へと至るための錦の御旗であるかのように宣揚され続けてしまってきている弊害について考えを及ぼすとき、その被害の甚大さは、いまだに計り知れないものがあると思われます。

仏教の歴史は、その初期の頃より、実在論・一元論、あるいは二元論、または、神秘主義的・反知性主義的不可知論へと傾斜してゆき、やがて仏教最大の真理要諦である「縁起」を破壊し、非仏教化の道を歩み続けてきてしまったことへの深い反省が必要であると存じております。

チベット仏教哲学の意義
『チベット仏教哲学』松本史朗著(大蔵出版)よりの抜粋の参照・・
http://page.freett.com/mishima/tibetph1.htm

・・

「第六章 深信因果について」p611から抜粋・・

「・・縁起説の解釈を決定的にするのは、縁起説が指示している宗教的時間の時間性を解消する方向に向かうのか、それともそれを死守しようとするのかという一点にあるのである。もしそれをひとが解消したければ、過去と未来は相対的であるとか、因と果は同時で相互に依存している(法界縁起)と説けばよいし、もしそれを守りたければ、因と果は"三世"として、相互に全く隔絶した不可逆のものとして厳然として存在していると論じなければならないのである。つまり、時間性の本質は因と果の隔絶性と不可逆性(一定方向性)にあるのである。すなわち、もし因と果の隔絶性を認めずに両者の連続性が説かれるとすれば、因果は異時なものとして別個にわかれて存在することはできず、同時なものとして一点に収束し、それによって時間は解消されてしまうので、それを防ぐために、因果の隔絶性、異時性が強調されなければならないのである。・・」・・ここまで。

非常に重要な内容であります。

しかし、再読が終わった松本史朗先生の「仏教思想論 上 大蔵出版」に続く「下巻」の刊行が誠に待ち遠しいですね。

・・

仏教論考考察

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版
「中国仏教の批判的研究」伊藤隆寿著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

晴れ

2011年01月24日 | 徒然日記・日々の記録
今日も晴れとなり、少し寒さは和らぎましたが、今晩からまた冷え込むらしいですね・・雨が少し恋しいですね。

終日寺院勤務

寺務・水子地蔵尊御供養・枯れた花抜き・ゴミ収集などして過ごす。

民具供養館・社会見学・保育園。

館内




宇宙メダカ

弱って、救出作戦を展開しておりました宇宙メダカは、すっかりと金魚鉢の中で元気に泳いでいます。。

平成16年2月18日に当寺にやって参りました宇宙メダカの子孫たちの子孫は、もう残すところあとこの一匹となってしまっております・・寂しい限りですが、最後まで大切に見守りたいと存じます。

・・

「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を致しております。

第8章 自立論証批判(1)p282-283より抜粋・・

・・「中観」の「中」とは「非有・非無」すなわち「有」でもなく「無」でもないということを示し、それには少なくとも二つの理解があると考えられる。一つは、「非有・非無」ということをことば通りに捉え観想し、思惟のあらゆる対象を超えて得られる無分別な知の状態のことである。(勝義的離辺中道解釈)。もう一つは、先にも言及したように、「非有・非無」ということを「諸々の事物は、勝義においては無であり(→非有)、世俗としては有である(非無)」と理解し、「中」ということが明確に概念的な内容を伴ったものとして捉えられた分別知の状態のことである(二諦的離辺中道解釈)。
 そして、「中観論者」とは、究極的には、上の二つの「中」の理解のうち、前者に至るために後者の「中」を明らかにすることに努める人々、厳密に言えば、世俗においては有るとされるものを依拠としながら、それが勝義においては無であることを示すことによって、概念的思考を超えることに腐心する人々のことである、と考えられる。したがって、このような形で「ことばによってことばを超えること」、つまり「ことばによってことばを否定すること」に努める人々が、中観論者と考えられるのである。・・抜粋ここまで。

さて、やはりここで問題となるのは、「無分別知」を最高の真理として、勝義的離辺中道解釈、二諦的離辺中道解釈のどちらにしても「無分別知」を目指して、最終的には「戯論寂滅」を志向するのかどうかというところであります。現段階の私の見解では、やはり最終的に「戯論寂滅」を志向することについては懐疑的なところがあります。とにかく、ここのところは課題として考察継続であります。

第3章 正理のはたらき p57より抜粋・・

縁起ということの理解を通して、実体的な有(sat)に対する執着である常見あるいは虚無としての無(asat)に対する執着である断見のいずれにも傾倒することなく、空に徹していくことが、中観思想の特徴の一つである。しかし、そのような中観思想は、自らが克服したはずの常見あるいは断見にすぐさま傾倒してゆく危険性を常に自らの中に潜ませている。もう少し具体的に述べれば、縁起ということの理解を通して得られた諸存在の空性そのものが逆に実体化・絶対化され、あるいは空に徹するあまり、実体的なものだけに止まらず、真理に至る過程において依拠となる言説あるいは世俗の世界までもが否定されてしまうという危険性が中観思想自身に常に潜在しているのである。・・抜粋ここまで。

ツォンカパ論師は、上記の危険性の回避をいかにして図ったのかをしっかりと見極めて理解していくことが重要となります。

・・

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えました。

現代仏教は、果たして真なるお釈迦様の説かれた教えであると言えるかどうかは、95%ほど、違うと言わざるを得ないところがあるのではないかと考えております。特に大乗仏教に関しても、98%、怪しいと考えざるを得ないでしょう・・

現代仏教から、純粋仏教を抽出するとするならば、実在論・実体論、(ウパニシャッド・ヴェーダンタ的)一元論、(ジャイナ教的)二元論・相対主義・不定主義、更には、神秘主義的・反知性主義的不可知論、懐疑論といったものに当該する思想・哲学を現代仏教から排除していかなければなりません。

また、松本史朗氏の「基体説」からの批判的検討を加え、如来蔵思想・仏性思想的要素も完全に排除させなければなりません。もちろん、「基体説」から導き出される仏性内在論・仏性顕在論的要素についても排除させる必要があります。

そして、現代仏教における儀礼祭祀的な形式面にとらわれてしまっての形骸化、現世利益的な祈祷・祈願・呪術の受容拡大などの神秘主義化・雑密化、また、土着信仰との融合や神仏習合などによっての教理の曖昧化といったことに関しても当然に排除対象となります。

上記の排除結果として、純粋に仏教と考えられる思想・哲学を抽出することによって、真なるお釈迦様の教えに関して、再構築をしていくことが大切になると考えております。

・・

「第一章 禅思想の意義」における「無分別知」を巡る議論については、特に刮目して理解する必要があります。

とにかく、「仏教」に関することにおいて、私たちが普段当たり前として何気なくこういうものであると、すっかりと信じて疑わないものとなってしまっていることであっても、しっかりと検証考察、批判的検討を行っていくことが大切であると痛切に感じるところでございます。

ただ、長年続いてきた慣行・慣習・慣例、伝統・習わし・しきたり・ルールだからと、何となくそれで正しいと鵜呑みにして過ごしていくということでは、時に既に危険な誤りに陥ってしまっていることもあります。

仏教史上においても、「無分別知」という概念に関して、それがまるであたかも「真理・悟り」へと至るための錦の御旗であるかのように宣揚され続けてしまってきている弊害について考えを及ぼすとき、その被害の甚大さは、いまだに計り知れないものがあると思われます。

仏教の歴史は、その初期の頃より、実在論・一元論、あるいは二元論、または、神秘主義的・反知性主義的不可知論へと傾斜してゆき、やがて仏教最大の真理要諦である「縁起」を破壊し、非仏教化の道を歩み続けてきてしまったことへの深い反省が必要であると存じております。

チベット仏教哲学の意義
『チベット仏教哲学』松本史朗著(大蔵出版)よりの抜粋の参照・・
http://page.freett.com/mishima/tibetph1.htm

・・

「第六章 深信因果について」p611から抜粋・・

「・・縁起説の解釈を決定的にするのは、縁起説が指示している宗教的時間の時間性を解消する方向に向かうのか、それともそれを死守しようとするのかという一点にあるのである。もしそれをひとが解消したければ、過去と未来は相対的であるとか、因と果は同時で相互に依存している(法界縁起)と説けばよいし、もしそれを守りたければ、因と果は"三世"として、相互に全く隔絶した不可逆のものとして厳然として存在していると論じなければならないのである。つまり、時間性の本質は因と果の隔絶性と不可逆性(一定方向性)にあるのである。すなわち、もし因と果の隔絶性を認めずに両者の連続性が説かれるとすれば、因果は異時なものとして別個にわかれて存在することはできず、同時なものとして一点に収束し、それによって時間は解消されてしまうので、それを防ぐために、因果の隔絶性、異時性が強調されなければならないのである。・・」・・ここまで。

非常に重要な内容であります。

しかし、再読が終わった松本史朗先生の「仏教思想論 上 大蔵出版」に続く「下巻」の刊行が誠に待ち遠しいですね。

・・

仏教論考考察

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版
「中国仏教の批判的研究」伊藤隆寿著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

晴れ

2011年01月23日 | 徒然日記・日々の記録
今日は晴れとなり、日中は少し暖かさが感じられましたね。

早朝、弔問へ。

その後、終日寺院勤務

寺務・法要・椎茸原木切り出し・清掃などして過ごす。

椎茸原木切り出し


・・

「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を致しております。

第8章 自立論証批判(1)p282-283より抜粋・・

・・「中観」の「中」とは「非有・非無」すなわち「有」でもなく「無」でもないということを示し、それには少なくとも二つの理解があると考えられる。一つは、「非有・非無」ということをことば通りに捉え観想し、思惟のあらゆる対象を超えて得られる無分別な知の状態のことである。(勝義的離辺中道解釈)。もう一つは、先にも言及したように、「非有・非無」ということを「諸々の事物は、勝義においては無であり(→非有)、世俗としては有である(非無)」と理解し、「中」ということが明確に概念的な内容を伴ったものとして捉えられた分別知の状態のことである(二諦的離辺中道解釈)。
 そして、「中観論者」とは、究極的には、上の二つの「中」の理解のうち、前者に至るために後者の「中」を明らかにすることに努める人々、厳密に言えば、世俗においては有るとされるものを依拠としながら、それが勝義においては無であることを示すことによって、概念的思考を超えることに腐心する人々のことである、と考えられる。したがって、このような形で「ことばによってことばを超えること」、つまり「ことばによってことばを否定すること」に努める人々が、中観論者と考えられるのである。・・抜粋ここまで。

さて、やはりここで問題となるのは、「無分別知」を最高の真理として、勝義的離辺中道解釈、二諦的離辺中道解釈のどちらにしても「無分別知」を目指して、最終的には「戯論寂滅」を志向するのかどうかというところであります。現段階の私の見解では、やはり最終的に「戯論寂滅」を志向することについては懐疑的なところがあります。とにかく、ここのところは課題として考察継続であります。

第3章 正理のはたらき p57より抜粋・・

縁起ということの理解を通して、実体的な有(sat)に対する執着である常見あるいは虚無としての無(asat)に対する執着である断見のいずれにも傾倒することなく、空に徹していくことが、中観思想の特徴の一つである。しかし、そのような中観思想は、自らが克服したはずの常見あるいは断見にすぐさま傾倒してゆく危険性を常に自らの中に潜ませている。もう少し具体的に述べれば、縁起ということの理解を通して得られた諸存在の空性そのものが逆に実体化・絶対化され、あるいは空に徹するあまり、実体的なものだけに止まらず、真理に至る過程において依拠となる言説あるいは世俗の世界までもが否定されてしまうという危険性が中観思想自身に常に潜在しているのである。・・抜粋ここまで。

ツォンカパ論師は、上記の危険性の回避をいかにして図ったのかをしっかりと見極めて理解していくことが重要となります。

・・

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えました。

現代仏教は、果たして真なるお釈迦様の説かれた教えであると言えるかどうかは、95%ほど、違うと言わざるを得ないところがあるのではないかと考えております。特に大乗仏教に関しても、98%、怪しいと考えざるを得ないでしょう・・

現代仏教から、純粋仏教を抽出するとするならば、実在論・実体論、(ウパニシャッド・ヴェーダンタ的)一元論、(ジャイナ教的)二元論・相対主義・不定主義、更には、神秘主義的・反知性主義的不可知論、懐疑論といったものに当該する思想・哲学を現代仏教から排除していかなければなりません。

また、松本史朗氏の「基体説」からの批判的検討を加え、如来蔵思想・仏性思想的要素も完全に排除させなければなりません。もちろん、「基体説」から導き出される仏性内在論・仏性顕在論的要素についても排除させる必要があります。

そして、現代仏教における儀礼祭祀的な形式面にとらわれてしまっての形骸化、現世利益的な祈祷・祈願・呪術の受容拡大などの神秘主義化・雑密化、また、土着信仰との融合や神仏習合などによっての教理の曖昧化といったことに関しても当然に排除対象となります。

上記の排除結果として、純粋に仏教と考えられる思想・哲学を抽出することによって、真なるお釈迦様の教えに関して、再構築をしていくことが大切になると考えております。

・・

「第一章 禅思想の意義」における「無分別知」を巡る議論については、特に刮目して理解する必要があります。

とにかく、「仏教」に関することにおいて、私たちが普段当たり前として何気なくこういうものであると、すっかりと信じて疑わないものとなってしまっていることであっても、しっかりと検証考察、批判的検討を行っていくことが大切であると痛切に感じるところでございます。

ただ、長年続いてきた慣行・慣習・慣例、伝統・習わし・しきたり・ルールだからと、何となくそれで正しいと鵜呑みにして過ごしていくということでは、時に既に危険な誤りに陥ってしまっていることもあります。

仏教史上においても、「無分別知」という概念に関して、それがまるであたかも「真理・悟り」へと至るための錦の御旗であるかのように宣揚され続けてしまってきている弊害について考えを及ぼすとき、その被害の甚大さは、いまだに計り知れないものがあると思われます。

仏教の歴史は、その初期の頃より、実在論・一元論、あるいは二元論、または、神秘主義的・反知性主義的不可知論へと傾斜してゆき、やがて仏教最大の真理要諦である「縁起」を破壊し、非仏教化の道を歩み続けてきてしまったことへの深い反省が必要であると存じております。

チベット仏教哲学の意義
『チベット仏教哲学』松本史朗著(大蔵出版)よりの抜粋の参照・・
http://page.freett.com/mishima/tibetph1.htm

・・

「第六章 深信因果について」p611から抜粋・・

「・・縁起説の解釈を決定的にするのは、縁起説が指示している宗教的時間の時間性を解消する方向に向かうのか、それともそれを死守しようとするのかという一点にあるのである。もしそれをひとが解消したければ、過去と未来は相対的であるとか、因と果は同時で相互に依存している(法界縁起)と説けばよいし、もしそれを守りたければ、因と果は"三世"として、相互に全く隔絶した不可逆のものとして厳然として存在していると論じなければならないのである。つまり、時間性の本質は因と果の隔絶性と不可逆性(一定方向性)にあるのである。すなわち、もし因と果の隔絶性を認めずに両者の連続性が説かれるとすれば、因果は異時なものとして別個にわかれて存在することはできず、同時なものとして一点に収束し、それによって時間は解消されてしまうので、それを防ぐために、因果の隔絶性、異時性が強調されなければならないのである。・・」・・ここまで。

非常に重要な内容であります。

しかし、再読が終わった松本史朗先生の「仏教思想論 上 大蔵出版」に続く「下巻」の刊行が誠に待ち遠しいですね。

・・

仏教論考考察

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
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教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版
「中国仏教の批判的研究」伊藤隆寿著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

晴れ時々曇り

2011年01月22日 | 徒然日記・日々の記録
今日も晴れ時々曇りとなり、肌寒い一日でありましたね。

終日寺院勤務

寺務・法要・春彼岸施餓鬼塔婆準備・清掃などして過ごす。

宇宙メダカ

弱って、救出作戦を展開しておりました宇宙メダカは、すっかりと元気となりました。金魚鉢へと引っ越ししました。タニシ君も数匹一緒にです。

平成16年2月18日に当寺にやって参りました宇宙メダカの子孫たちの子孫は、もう残すところあとこの一匹となってしまっております・・寂しい限りですが、最後まで大切に見守りたいと存じます。

梅花

開花しました。

夕刻から弔問へ。「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」。

・・

「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を致しております。

第3章 正理のはたらき p57より抜粋・・

縁起ということの理解を通して、実体的な有(sat)に対する執着である常見あるいは虚無としての無(asat)に対する執着である断見のいずれにも傾倒することなく、空に徹していくことが、中観思想の特徴の一つである。しかし、そのような中観思想は、自らが克服したはずの常見あるいは断見にすぐさま傾倒してゆく危険性を常に自らの中に潜ませている。もう少し具体的に述べれば、縁起ということの理解を通して得られた諸存在の空性そのものが逆に実体化・絶対化され、あるいは空に徹するあまり、実体的なものだけに止まらず、真理に至る過程において依拠となる言説あるいは世俗の世界までもが否定されてしまうという危険性が中観思想自身に常に潜在しているのである。・・抜粋ここまで。

ツォンカパ論師は、上記の危険性の回避をいかにして図ったのかをしっかりと見極めて理解していくことが重要となります。

・・

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えました。

現代仏教は、果たして真なるお釈迦様の説かれた教えであると言えるかどうかは、95%ほど、違うと言わざるを得ないところがあるのではないかと考えております。特に大乗仏教に関しても、98%、怪しいと考えざるを得ないでしょう・・

現代仏教から、純粋仏教を抽出するとするならば、実在論・実体論、(ウパニシャッド・ヴェーダンタ的)一元論、(ジャイナ教的)二元論・相対主義・不定主義、更には、神秘主義的・反知性主義的不可知論、懐疑論といったものに当該する思想・哲学を現代仏教から排除していかなければなりません。

また、松本史朗氏の「基体説」からの批判的検討を加え、如来蔵思想・仏性思想的要素も完全に排除させなければなりません。もちろん、「基体説」から導き出される仏性内在論・仏性顕在論的要素についても排除させる必要があります。

そして、現代仏教における儀礼祭祀的な形式面にとらわれてしまっての形骸化、現世利益的な祈祷・祈願・呪術の受容拡大などの神秘主義化・雑密化、また、土着信仰との融合や神仏習合などによっての教理の曖昧化といったことに関しても当然に排除対象となります。

上記の排除結果として、純粋に仏教と考えられる思想・哲学を抽出することによって、真なるお釈迦様の教えに関して、再構築をしていくことが大切になると考えております。

・・

「第一章 禅思想の意義」における「無分別知」を巡る議論については、特に刮目して理解する必要があります。

とにかく、「仏教」に関することにおいて、私たちが普段当たり前として何気なくこういうものであると、すっかりと信じて疑わないものとなってしまっていることであっても、しっかりと検証考察、批判的検討を行っていくことが大切であると痛切に感じるところでございます。

ただ、長年続いてきた慣行・慣習・慣例、伝統・習わし・しきたり・ルールだからと、何となくそれで正しいと鵜呑みにして過ごしていくということでは、時に既に危険な誤りに陥ってしまっていることもあります。

仏教史上においても、「無分別知」という概念に関して、それがまるであたかも「真理・悟り」へと至るための錦の御旗であるかのように宣揚され続けてしまってきている弊害について考えを及ぼすとき、その被害の甚大さは、いまだに計り知れないものがあると思われます。

仏教の歴史は、その初期の頃より、実在論・一元論、あるいは二元論、または、神秘主義的・反知性主義的不可知論へと傾斜してゆき、やがて仏教最大の真理要諦である「縁起」を破壊し、非仏教化の道を歩み続けてきてしまったことへの深い反省が必要であると存じております。

チベット仏教哲学の意義
『チベット仏教哲学』松本史朗著(大蔵出版)よりの抜粋の参照・・
http://page.freett.com/mishima/tibetph1.htm

・・

「第六章 深信因果について」p611から抜粋・・

「・・縁起説の解釈を決定的にするのは、縁起説が指示している宗教的時間の時間性を解消する方向に向かうのか、それともそれを死守しようとするのかという一点にあるのである。もしそれをひとが解消したければ、過去と未来は相対的であるとか、因と果は同時で相互に依存している(法界縁起)と説けばよいし、もしそれを守りたければ、因と果は"三世"として、相互に全く隔絶した不可逆のものとして厳然として存在していると論じなければならないのである。つまり、時間性の本質は因と果の隔絶性と不可逆性(一定方向性)にあるのである。すなわち、もし因と果の隔絶性を認めずに両者の連続性が説かれるとすれば、因果は異時なものとして別個にわかれて存在することはできず、同時なものとして一点に収束し、それによって時間は解消されてしまうので、それを防ぐために、因果の隔絶性、異時性が強調されなければならないのである。・・」・・ここまで。

非常に重要な内容であります。

しかし、再読が終わった松本史朗先生の「仏教思想論 上 大蔵出版」に続く「下巻」の刊行が誠に待ち遠しいですね。

・・

仏教論考考察

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
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余談「批判的思考の必要性について・1」
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「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
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「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
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ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
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ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
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「非有・非無の中道」について
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「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
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教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
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「苦楽中道説について」
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「苦楽中道説について」補足
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・・

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「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
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「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
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「チベット密教 修行の設計図」
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「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
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『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
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『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
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「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
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施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
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施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
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施本「仏教・空の理解」
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施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
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施本「佛の道」
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