問い「阿弥陀如来と釈迦如来、大日如来の関係」
https://hasunoha.jp/questions/64141
一切智者同士、融通無碍の関係
悟りを開かれた仏陀・如来は、境地は同一であり、優劣は特にありません。(法身)
ただ、救済力にはそれぞれの修行過程における菩提心や誓願、功徳行等による違いがあり、色身の能力が異なるところとなります。(報身・応身)
また、仏陀・如来は、一切智者同士で、融通無碍に互いのことを知り得るところとなります。衆生の救済にあたっては協力関係を互いに図ることも可能となります。
一つの三千大千世界は広大なため、如来の力が及ぶ範囲(報身・応身)は限定的となります。いわゆる一仏国土であります。
そのため、法身のみの仏国土や法身も不在となった仏国土では、衆生の教化が進められないこともあります。現在の娑婆世界では、釈尊の最勝応身が入滅されて以降、次に弥勒仏が下生なさられるまでは、仏陀・如来の報身・最勝応身が不在であるため、我々凡夫が直接に仏陀・如来から教えを頂けることができなくなってしまっています。(但し、衆生の側の機根が菩薩の八地以上の境地となれば、見仏も可能にはなります。)
そのため、釈尊は、他の仏国土、他の仏陀・如来も色々とご紹介なさられて、他の仏陀・如来との見仏と授記(仏陀・如来から直接に個別具体的な修行のアドバイスを受ける)を頂けるようにも促されたのでもあります。阿弥陀経などがその一つとなります。
とにかく私たち凡夫が相見えて、質疑応答等もできるなどして、直接に教えを頂けるのは仏陀・如来の最勝応身のみとなります。
もちろん、仏陀・如来の在世である他の仏国土へと赴いて(往生・引導)、仏陀・如来の報身や他の応身からも教えを頂けることがあり得ることにはなりますが、それには衆生の側において、ある程度の最低限の境地、境涯がやはり必要となります。無条件で見仏・授記を頂けるわけではないことは十分に注意が必要となります。
特に葬儀の役割というものは、亡者を仏弟子としてある程度の条件を調えさせた上で、仏国土へと往生・引導させしめて、見仏・授記を頂けるように促すためとなります。また、密教においては、灌頂という方法にて、ある程度の条件を調えさせて凡夫であっても見仏・授記を頂けることができます。
ただ、その「ある程度の条件」が、実際に仏陀・如来(の報身・最勝応身以外の応身)との見仏・授記に適うものであるのかどうかは別に慎重に吟味する必要性があるものと考えております。
合掌
https://hasunoha.jp/questions/64141
一切智者同士、融通無碍の関係
悟りを開かれた仏陀・如来は、境地は同一であり、優劣は特にありません。(法身)
ただ、救済力にはそれぞれの修行過程における菩提心や誓願、功徳行等による違いがあり、色身の能力が異なるところとなります。(報身・応身)
また、仏陀・如来は、一切智者同士で、融通無碍に互いのことを知り得るところとなります。衆生の救済にあたっては協力関係を互いに図ることも可能となります。
一つの三千大千世界は広大なため、如来の力が及ぶ範囲(報身・応身)は限定的となります。いわゆる一仏国土であります。
そのため、法身のみの仏国土や法身も不在となった仏国土では、衆生の教化が進められないこともあります。現在の娑婆世界では、釈尊の最勝応身が入滅されて以降、次に弥勒仏が下生なさられるまでは、仏陀・如来の報身・最勝応身が不在であるため、我々凡夫が直接に仏陀・如来から教えを頂けることができなくなってしまっています。(但し、衆生の側の機根が菩薩の八地以上の境地となれば、見仏も可能にはなります。)
そのため、釈尊は、他の仏国土、他の仏陀・如来も色々とご紹介なさられて、他の仏陀・如来との見仏と授記(仏陀・如来から直接に個別具体的な修行のアドバイスを受ける)を頂けるようにも促されたのでもあります。阿弥陀経などがその一つとなります。
とにかく私たち凡夫が相見えて、質疑応答等もできるなどして、直接に教えを頂けるのは仏陀・如来の最勝応身のみとなります。
もちろん、仏陀・如来の在世である他の仏国土へと赴いて(往生・引導)、仏陀・如来の報身や他の応身からも教えを頂けることがあり得ることにはなりますが、それには衆生の側において、ある程度の最低限の境地、境涯がやはり必要となります。無条件で見仏・授記を頂けるわけではないことは十分に注意が必要となります。
特に葬儀の役割というものは、亡者を仏弟子としてある程度の条件を調えさせた上で、仏国土へと往生・引導させしめて、見仏・授記を頂けるように促すためとなります。また、密教においては、灌頂という方法にて、ある程度の条件を調えさせて凡夫であっても見仏・授記を頂けることができます。
ただ、その「ある程度の条件」が、実際に仏陀・如来(の報身・最勝応身以外の応身)との見仏・授記に適うものであるのかどうかは別に慎重に吟味する必要性があるものと考えております。
合掌