今日は
時々
となり、誠に寒くなりました。
終日寺院勤務
寺務・水子地蔵尊御供養・法要・枯れた花抜き・ゴミ収集・清掃などして過ごす。
風邪を引いてしまい、誠に体がだるくてしんどいですね・・少し疲れが出てしまっています・・
今朝にプチコッコが逝去致しました。
2002年11月27日に生まれた二羽のプチコッコが、縁により2003年2月に当山に参りまして、寺務所横の小屋にて過ごすこととなりました。2004年10月に一羽が逝去し、残った一羽がこの度逝去致しました・・
プチコッコのページ
http://oujyouin.com/puchicoco.htm
在りし日のプチコッコの画像がたくさんあるブログ
http://yaplog.jp/hidetoshi/
http://ameblo.jp/hidetoshi-k
私自身、様々な苦しい時にどれほどに心の支えとなったか分かりません・・また、お参りの方々にも大変に人気があり、みんなに可愛がって頂けました。ありがとうございました。
しかし、諸行無常なる中、この度のプチコッコだけが、特別だという思い、愛執ももちろんありません・・ただ、安らかなる涅槃へと至ってくれることを願い、供養致しました。
「プチコッコ、ありがとう、さようなら」。
一羽目と共に眠る
・・
身近なものたちの逝去、あらゆるものの生滅変化に際して、あらかじめに思慮しておくべきことについて。以下参照。
「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫
(大パリニッバーナ経・大般涅槃経)より・・
お釈迦様の最後の時を察し、号泣しているアーナンダに対して、お釈迦様はこのように言われました。
「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、---すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。アーナンダよ。そのようなことわりは存在しない。アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころの行為によって、向上し来れる人〈=ゴータマ〉に仕えてくれた。アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。」
お釈迦様、臨終の言葉
「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」
これが修行をつづけて来た者の最後のことばであった。
尊師が亡くなられたときに、亡くなられるとともに、神々の主であるサッカ(=帝釈天)が次の詩を詠じた。---
「つくられたものは実に無常であり、生じては滅びるきまりのものである。生じては滅びる。これら(つくられたもの)のやすらいが安楽である。」
お釈迦様がお隠れになられた時、まだ愛執の離れていない修行僧たちは嘆き悲しみ苦しみに打ちひしがれましたが、既に愛執を離れた修行僧たちは、「およそつくられたものは無常である。どうして〈滅びないことが〉あり得ようか?」とよく耐え忍びました。尊者アヌルッダは修行僧らに告げた、---「止めなさい。友よ。悲しむな。嘆くな。尊師はかつてあらかじめ、お説きになったではないですか。---〈すべての愛しき好む者どもとも、生別し、死別し、死後には境界を異にする〉と。友らよ。どうしてこのことがあり得ようか?何でも、生じ、生成し、つくられ、壊滅してしまう性のものが、壊滅しないでいるように、というような、こういう道理はあり得ない。・・」
・・ここまで。
施本「佛の道」・第五章・涅槃寂静 より
http://www.hide.vc/hotokenomichi5.html
「諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽」
私の解釈
「諸行は無常であり、これは生じては滅するという理《ことわり》である。この生滅の理の真実が正しくそのままを理解できずに悩み煩ってしまうことが、私たちの苦しみの原因であり、この苦しみの原因となってしまっている妄想の集まりである煩悩の生滅を滅しおわって、煩悩を完全に寂滅して、ようやくに苦しみから解脱した安楽なる涅槃・悟りの境地へと至ることができるのであります。」
・・ここまで。
「こんにちは、ありがとう、さようなら」であります。
平成20年2月24日 川口 英俊 合掌
・・
梅と雪と南天と。。
少し風雅ですね・・
とにかく粛々とであります。。