日記

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お盆施餓鬼法要・法話用フリップ/仏教サロン京都講座用フリップ

2021年07月26日 | 徒然日記
令和3年8月お盆施餓鬼法要・法話用フリップ

『 菩提道次第集義 』ジェ・ツォンカパ大師・令和3年8月お盆施餓鬼法要配布資料
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/86307546.html





















後半・・仏教サロン京都さんでの講義用になります。

仏教サロン京都
https://bukkyosalon.com/















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お盆「おせがき」供養のご案内 ~ 心のワクチン ~ 8/11-8/15
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/86032964.html

○施餓鬼供養の全体の流れにつきまして下記をご参照下さいませ。

春季彼岸と夏お盆での施餓鬼供養の流れについて
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85154095.html

○事前にご用意する施餓鬼供養の塔婆につきましては下記をご参照下さいませ。

施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html

○施餓鬼供養で読むお経の解説につきましては下記をご参照下さいませ。

開甘露門(施餓鬼のお経について)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85151234.html

往生院六萬寺サイト
http://oujyouin.com/

『 菩提道次第集義 』ジェ・ツォンカパ大師・令和3年8月お盆施餓鬼法要配布資料

2021年07月16日 | 徒然日記
令和3年8月 お盆施餓鬼法要 配布資料

『 菩提道次第集義 』ジェ・ツォンカパ大師



1. 卓越した徳ある行ないによって得たおからだ、数限りない有情の願いをかなえるお言葉、すべての知るべきものをあるがままに見抜くお心〔を持つ〕、シャキャ族の主〔である仏陀・釈迦如来〕に礼拝いたします。

2. 無比の師である仏陀の息子の中で、最もすぐれた者であり、勝利者のなすすべての行ないを引き受け、無限の世界にそのお姿を現わす。無敵の文殊菩薩に礼拝いたします。

3.『般若経』に説かれている推し量り難い真意を正しくその通りに解説され、世界の宝飾〔のように尊く〕 三界に広く知れ渡ったナーガールジュナとアサンガの足元に、私は礼拝いたします。

4.偉大なるこの二人の先駆者から正しく継承した、深遠なる見解と広大なる行ないの実践道を、誤りなく完全に極め、重要な点を要約した、宝のような教えの維持者であるアティーシャに礼拝いたします。

5.すべての深遠な教えを見抜く目となり、恵まれた者たちを、解脱の地に導くための最高の門戸であり、慈悲の心に基づくすぐれた方便の行ないによって、すべてを明らかにする精神の導師たちに、敬意を持って礼拝いたします。

6.ナーガールジュナとアサンガは、この世のすべての賢者たちの頭頂の飾りであり、その名は広く知れ渡る輝く旗のようである。そのお二人から正しく伝えられた、悟りに至る修行道の段階、

7.すべての有情たちの願いをみな叶えてくれる尊い教えは、力を与えてくれる王者のようなものであり、すぐれた経典の千の流れを集めたものなので、栄えある善説の海である。

8.〔アティーシャのテキストは、〕 すべての教えは矛盾のないものであることを理解させてくれる。すべての教義は個人的なアドバイスであることを教えてくれる。勝利者仏陀の真意を、容易にわかりやすく見出すことができる。非常に悪い行ないに従事してしまう〔危険な〕崖からも護ってくれる。

9. ゆえに、インドとチベットの賢者たちの中で、多くの恵まれた者たちが説いた最高の教えである。三種類の人たち(下士・中士・上士)のための修行道の段階に心を奪われない者などいるわけがない。

10.ゆえに、すべての教えの心髄を短く要約したこのテキストを一回でも教えたり、聞いたりすることによって得られる利益の集積は、大波を集めたように偉大なことは確実なのだから、その意味をよく考えるべきである。

11.そこで、今世と来世のすべての幸運をもたらす源は、修行道を示してくれる卓越した精神の導師に、思考と行為の両方で正しく頼るよう努力することである。

12. これを知ったなら、たとえ命を賭けても師と離れることなく、お言葉通りに実践することを師への供養として、師を喜ばせるべきである。修行者である私(ジェ・ツォンカパ)も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

13.恵まれた条件が整った人間の生は、如意宝珠よりすばらしいものであり、このような〔恵まれた〕生を得るのは、今この時だけである。それは得難く、空の稲妻のように消えゆくものである。これらのことを考えると、この世のすべての行ないは、

14. もみ殻のように意味のないもの(無常)だと理解して、常に、昼も夜も、意義あることをなすべきである。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

15.死後、三悪趣に生まれ変わらないという保証はない。しかし、三宝がその恐怖から護ってくれるのは確実である。ゆえに、非常に堅固な帰依の心を持ち、教え〔を護る心〕が衰えないようにするべきである。

16. それは、白(善)と黒(悪)の因果の法についてよく考え、なすべき〔行ない〕とやめるべき〔行ない〕を、正しく実践することに依存している。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

17.最勝なる修行道を成就するために、すべての条件が整った〔人間の生という〕土台を得るまでは〔修行道を成就する〕充分な能力を得ることはできないので、それらの条件が欠けることのないような因を作るべきである。さらに、不徳や破戒によって汚れた〔身口意の〕三つの扉を浄化して、

18. 特に、悪い行ないと障りをなくすことが非常に重要であり、常に四つの力(苦諦・集諦・滅諦・道諦)のすべてに依存して、それを大切にするべきである。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

19.苦諦(苦しみが存在するという真理)の過失について考える努力をしなければ、解脱を求める熱意は生じてこない。どのような過程で輪廻に生まれてくるのか、という苦の因(集諦)について考えなければ、輪廻の源を断ち切る方法を知ることはできない。

20. ゆえに、輪廻を厭い、そこから解放されたいと願う出離の心を起こし、何によって輪廻に束縛されているのかを知ることが大切である。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

21. 菩提心を生起することは、大乗の最もすぐれた修行道における主な修行であり、大波のように偉大な行ないの土台であり、支えである。すべてを金に変える錬金薬のように、一切を二つの資糧(智慧と福徳)に変えるものであり、すぐれた善き資糧を集めた功徳の宝である。

22. これらのことを知って、勝利者の息子(菩薩)である勇者たちは、最もすぐれた宝のような〔菩提〕心を主な実践として維持された。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

23.布施〔の修行〕は、有情の願いを叶える如意宝珠のようなものであり、吝嗇(ケチな心)の結び目を断ち切る最もすぐれた武器である。〔布施の修行は、〕落胆することなく、心の勇気を生む菩薩の行ないであり、その名が十方位に知れ渡る土台となるものである。

24. これらのことを知って、からだ、所有物、徳などのすべてを与えるすぐれた布施行の道に、賢者たちは依存した。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

25.持戒の修行は、悪い行ないの汚れを洗い流す水であり、焼けつくような煩悩の熱を冷やしてくれる月の光である。 〔持戒の修行は〕一切有情の中心に聳える須弥山のように、修行者を輝かせるものであり、力で威嚇することなく、すべての有情に敬意を起こさせるものである。

26. これらのことを知って、授かった完全な戒律を、聖者たちは自分の目のように大切に護った。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

27.忍耐の修行は、力ある者たちが持つ最もすばらしい宝飾であり、煩悩に苦しむ者たちの最高の苦行である。〔忍耐の修行は、〕怒り〔という蛇〕の敵となる、空のガルーダ〔のようなもの〕であり、激しい言葉という武器に耐える、硬い鎧である。

28. これらのことを知って、最もすぐれた忍耐の鎧に〔賢者たちは〕様々な方法で心を馴染ませた。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

29.挫けることのない、安定した精進の鎧を着けたなら、経典の教えと体験に基づく理解は、満ちていく月のように増えていく。なすことはすべて意義あるものとなり、何を始めても、その行ないの結果は望みどおりに成就する。

30. これらのことを知って、怠慢な心をすべて排除し、菩薩たちは大波の如き偉大な精進の修行に入られた。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

31.禅定は、思いのままに心を操る王者〔のようなもの〕である。〔禅定に心を〕とどめると、不動なる須弥山のようであり〔禅定に心を〕向けると、心はすべての善き対象に従事する。〔禅定は〕からだと心を柔軟にして、大楽をもたらすものである。

32. これらのことを知って、力ある偉大な成就者たちは、気の散漫という敵を克服する禅定の修行に、常に依存した。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

33. 智慧は、深遠なる究極のありよう(真如)を見るための目であり、輪廻の源を断ち、その根を引き抜くための修行道となる。〔智慧は、〕すべての教えが褒め称えるよき資質の宝であり、無明の闇を晴らす、最もすぐれた灯火として知られている。

34. これらのことを知って、解脱を求める賢者たちは、多くの努力をして修行の道を歩み、智慧を育まれた。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

35.心を一点集中させる禅定だけでは、輪廻の源を断ち切る力を得ることはできない 。「止」の修行道を離れた智慧で、どんなに分析したとしても煩悩を断滅することはできない。

36. 〔しかし、〕真如を見極める智慧が、揺るがぬ「止」の馬に乗ると、極端論を離れた中道の論理という鋭い武器により、極端論という否定対象の実体を、すべて破壊する。

37. こうして、あるがままに事物を正しく分析する幅広い智慧によって、〔賢者たちは〕真如を理解する智慧を高められた。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

38.一点集中の瞑想に慣れ親しみ、禅定を成就するためには、言葉でそれを述べるだけでなく、あるがまま〔の姿を〕分析するという妙観察智によって、究極のありように揺らぐことなく、非常に堅固にとどまることにより、

39. 禅定が生じることを知って、「止」と「観」の二つを結び合わせる修行を成就するために、精進する者たちは、〔この修行のすばらしさに〕驚く。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

40.〔深い〕瞑想の等引状態における虚空の如き空性と、瞑想から立ち上がった〔日常〕時における幻の如き空性の二つに瞑想し、方便と智慧を結び合わせることによって、菩薩行を完成させ、賞賛される者となる。

41.このように理解して、恵まれた者たちは 〔方便か智慧の〕片方だけの修行道に満足することはない。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

42.このようにして、〔賢者たちは〕最もすぐれた大乗の因と果という二つの修行道に必要な、共通の道を正しく歩み、すぐれた智慧を持つ船長の守護に頼って、タントラ(密教)という大いなる海に漕ぎ出した。

43.そして、個人的なアドバイスとなる完全な教えによって、有暇具足(八つの暇と十の条件)を得て、意義ある〔人生を過ごす〕者となった。修行者である私も、このように修行した。解脱を求めるあなたもまた、同じように修行するべきである。

44.〔これらのことを〕自分の心に馴染ませるために、他の恵まれた者たちをも利益するために、勝利者仏陀を喜ばせる完全なる修行の道を、わかりやすく、言葉で説明した。

45.この功徳によって、すべての有情たちもまた、清らかですばらしい修行の道と決して離れることがないようにと祈願する。修行者である私は、このように祈願した。解脱を求めるあなたもまた、同じように祈願するべきである。

以上で『菩提道次第集義』の教えを終わる。短く要約して説いたのは忘れないように覚えておくためであり、この教えは多聞の比丘ロサン・ダクパ(ジェ・ツォンカパ)が、ガンデン・ナムパル・ギャルウェー・リンにある偉大な山の隠遁所で記したものである。【日本語訳:マリア・リンチェン 2020 年 11 月改訂版】

一部補足訂正追記等・・川口英俊

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お盆「おせがき」供養のご案内 ~ 心のワクチン ~ 8/11-8/15
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/86032964.html


生前葬

2021年07月13日 | 新日記
チベット仏教の関係で知り合った方が亡くなられていた・・

後に知ったのだが、葬儀は生前の故人の遺言により火葬のみであったようで、近親者以外、誰にも知らされなかったらしい。
その理由については、生前におけるやりとりを思い出す。

ダライ・ラマ法王猊下さまから無上瑜伽タントラ(チッタマニターラ尊)の灌頂を頂いているから、葬儀はもうそれで十分に済んでいるということ。後の人生はおまけみたいなものですよ、と。

私も生前葬のつもりで臨み、また、それから有り難くに秘密集会灌頂も拝受することもできました。

仏縁により、きっとまた来世、来来世、また、もっと先のどこかでいずれご縁があるだろうと思うと、寂しさは全くなく、むしろ、またきっと会えるだろうという安心感の方があります。

早ければ、来世にギュメ密教僧院でお会いしたいですが、不肖なる私は無理かもであります。合掌

煩悩障を断滅した聖者は、なぜ輪廻しなくなるのか

2021年07月01日 | 新日記
煩悩障を断滅した聖者は、なぜ輪廻しなくなるのか。

理由は簡単で、輪廻する存在としての根拠がなくなるからです。

有漏の心身は、煩悩による行為、つまり、(悪)業を因縁として生じるもので、煩悩障を断滅すれば、当然に煩悩、煩悩による行為、そして、それによる(悪)業も無くなるため、迷い苦しみある存在としては生じなくなるからであります。

もちろん、転生しないというわけではなく、あくまでも迷い苦しむ負の連続の輪から離れたということであります。

ただ、所知障はまだ残ってあるため、完全に無漏の心身を得られるわけではありません。

ですから、煩悩障を断滅しても、まだ不浄の心身の存在であるということになります。