日記

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「私の愚心と弥陀の救いの心(あるいは、慈悲の心)が、一つになるゆえ」ならば・・

2023年05月02日 | ブログ
しかし、問題は、確かに蓮如上人における「仏凡一体論・機法一体論」は、本覚思想に近似してあるとはいえ、よくよく考えれば誰もが全く違うと分かるものであるにも関わらず、「本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心」が、本来的に、生来的に自分の心にあるかのような誤解を生じさせてしまうような表現となる「本来」を採用してしまったのか・・

つまり、「私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ」の「本来」がなければ、まだ、「本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心」と共にある「愚心」の自分について、仏のさとり(救いの心)と私の煩悩が「一つ」になると言えたわけです。

要するに、

「私の愚心と弥陀の救いの心(あるいは、慈悲の心)が、一つになるゆえ」

としていれば、決定的な間違いとは言えなかったわけです。

つまり、「本来」さえなければ、教義的にも黙認できる範囲にはあったのです。

しかし、起草した者は、総局、総長周辺の宗門の要職にある者と考えられますが、そんな基本的なことさえ知らないわけもなく、まさかこんな間違いは当然にありえないわけです。

ましてや、勧学寮のチェックも通るはずもないのであります。

それでもなぜ、消息として発布されて教義の要諦として権威のあるものとして出されてしまったのか。

大きな謎があるわけです。

考えられている有力説は、すでにその著書の内容からも多々検証もされていますが、起草した者の個人的な思想が入ったということです。あるいは、わざと強引に起草した者が「本来」を入れたのかということです。もしくは、間違ってはいるものの、勧学寮や他の要職にある者もわざと「本来」を見逃したのか、ということもあるわけです。

色々と考えられてはいますが、拙生は、起草した者の個人的な思想を強引に入れ込んで、勧学寮の最終チェックもうまくすり抜けさせて、「領解文」としては出さないようにという答申も無視したことなど、成立までの色々な経緯的なことから見ると、やはり「わざと」起草した者の個人的な思想を入れ込んだのではないかと見ています。

では、誰が、何のためにとなりますが、それは今後の推移、顛末を見ていかないと分からないのではないかとは思います。

とにかく、一刻も早く取り下げして、責任の所在を明らかとし、組織体制を根本的に見直さないといけないのは確かでしょう。

・・

「本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心」は、あくまでも阿弥陀如来の側から、衆生の心にやってきた外来のものであり、衆生の側の心に生来するものではないということになります。

もちろん、一体となっているものは、水と火という本来相反するものが、共にあるようなイメージとなります。

一体している状態は、確かに衆生の心であるとは言えますが、もともとは愚心の火だけであり、そこに外からやってきた「本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心」が同居している感じとなりますでしょうか。

例えると、もともと誕生期の地球には、水はなかったのに、太陽系の遥か彼方から外来してきた大きな氷の彗星が大気圏に突入してきてある状態という感じに似ているのではないかと考えます。

大気圏内にあるとなれば、確かに私の心の内にあるとは言えますが、しかし、まだ地表には到達しておらず、溶岩は冷えていないという状態と言えるでしょう。

・・

この阿弥陀如来の救いの水が、信巻における本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心であり、火が、煩悩の火がまだ燃え盛ってある凡夫衆生の愚心と解している。

この水が、火と交わって、火が消えたところで二身を得れるのが、往生後の一如宝海であると考えるのであります。

・・

蓮如上人の仏凡一体論、機法一体論は、近似はしていても確かに本覚思想ではない。

何より如来蔵や仏性を扱わない。

あくまでも阿弥陀如来の回向、本願、方便法身のはたらきにより与えられるものとなるからだ。

例えれば、阿弥陀如来の救いを水とすれば、火のあるところに(こそ)、その水がかけられてくるイメージである。

自分で水を探してもってこよう、水をつくろう、扇いで消そうとする者のところには、その水はやってこない(ウロウロしていて狙いが定まらない)。また、水をかけてはくれないかもという心が、かかってくるはずの水を止めてしまっているような感じである。それがバリアになっているイメージだ。

一体とは、水がかけられてはきたが、まだ火と共にあるという感じである。

かかってはあるが、火は消えてはいない。でも、消えるという安心感は得れてあるそんな状態。

火は、死んでから消えるか、往生してから消えるか、いずれかにはなるが、今世ではその火はまだあるという感じである。

そんな難しくはない論題ということか、、

ならば、新しい領解文の「本来」という言葉は、この二つの論からも明らかに間違いということになる。


「本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心」と「愚心」とのありよう

2023年05月02日 | ブログ
「本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心」は、あくまでも阿弥陀如来の側から、衆生の心にやってきた外来のものであり、衆生の側の心に生来するものではないということになります。

もちろん、一体となっているものは、水と火という本来相反するものが、共にあるようなイメージとなります。

一体している状態は、確かに衆生の心であるとは言えますが、もともとは愚心の火だけであり、そこに外からやってきた「本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心」が同居している感じとなりますでしょうか。

例えると、もともと誕生期の地球には、水はなかったのに、太陽系の遥か彼方から外来してきた大きな氷の彗星が大気圏に突入してきてある状態という感じに似ているのではないかと考えます。

大気圏内にあるとなれば、確かに私の心の内にあるとは言えますが、しかし、まだ地表には到達しておらず、溶岩は冷えていないという状態と言えるでしょう。

・・

この阿弥陀如来の救いの水が、信巻における本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心であり、火が、煩悩の火がまだ燃え盛ってある凡夫衆生の愚心と解している。

この水が、火と交わって、火が消えたところで二身を得れるのが、往生後の一如宝海であると考えるのであります。

・・

蓮如上人の仏凡一体論、機法一体論は、近似はしていても確かに本覚思想ではない。

何より如来蔵や仏性を扱わない。

あくまでも阿弥陀如来の回向、本願、方便法身のはたらきにより与えられるものとなるからだ。

例えれば、阿弥陀如来の救いを水とすれば、火のあるところに(こそ)、その水がかけられてくるイメージである。

自分で水を探してもってこよう、水をつくろう、扇いで消そうとする者のところには、その水はやってこない(ウロウロしていて狙いが定まらない)。また、水をかけてはくれないかもという心が、かかってくるはずの水を止めてしまっているような感じである。それがバリアになっているイメージだ。

一体とは、水がかけられてはきたが、まだ火と共にあるという感じである。

かかってはあるが、火は消えてはいない。でも、消えるという安心感は得れてあるそんな状態。

火は、死んでから消えるか、往生してから消えるか、いずれかにはなるが、今世ではその火はまだあるという感じである。

そんな難しくはない論題ということか、、

ならば、新しい領解文の「本来」という言葉は、この二つの論からも明らかに間違いということになる。


仏凡一体論・機法一体論における本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心について

2023年05月02日 | ブログ
この阿弥陀如来の救いの水が、信巻における本願三心、真実清浄の疑蓋無雑の一心であり、火が、煩悩の火がまだ燃え盛ってある凡夫衆生の愚心と解している。

この水が、火と交わって、火が消えたところで二身を得れるのが、往生後の一如宝海であると考えるのであります。

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近現代の宗学の基礎も蓮如上人の教学を学ばないと理解はできないと。

そこで、蓮如上人の教学といえば最も特徴的なものは、仏凡一体論、機法一体論である。それについてまずは考えてみたい。


蓮如上人の仏凡一体論、機法一体論は、近似はしていても確かに本覚思想ではない。

何より如来蔵や仏性を扱わない。

あくまでも阿弥陀如来の回向、本願、方便法身のはたらきにより与えられるものとなるからだ。

例えれば、阿弥陀如来の救いを水とすれば、火のあるところに(こそ)、その水がかけられてくるイメージである。

自分で水を探してもってこよう、水をつくろう、扇いで消そうとする者のところには、その水はやってこない(ウロウロしていて狙いが定まらない)。また、水をかけてはくれないかもという心が、かかってくるはずの水を止めてしまっているような感じである。それがバリアになっているイメージだ。

一体とは、水がかけられてはきたが、まだ火と共にあるという感じである。

かかってはあるが、火は消えてはいない。でも、消えるという安心感は得れてあるそんな状態。

火は、死んでから消えるか、往生してから消えるか、いずれかにはなるが、今世ではその火はまだあるという感じである。

そんな難しくはない論題ということか、、

ならば、新しい領解文の「本来」という言葉は、この二つの論からも明らかに間違いということになる。

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しかし、その一方では、民間に流布した談義本では、明らかに本覚思想や現世利益、密教的な思想を説いたものとなり、それが教団拡大に大きく寄与したのは事実のようだ。教義の体は守りながら、教化ではそれを黙認していたようである。

新しい領解文までの、「念仏者の生き方」「私たちのちかい」「浄土真宗のみ教え」は、教化のためとして黙認していたものの、教義の体にまでそれを及ぼしたために、これほどの反感をかうことになったのだと思われる。

外部から見たら、確かに数年前から教化のためとして出されてきたものは、今回の新しい領解文と、大して変わらないものであり、なぜ今回になってという疑問もあるが、やはり、教義の体にまで手を出したらあかんよ、という自浄力が働いたということなのであろう。

談義本の原点は、蓮如上人の時代から始まり、私の手元にある「六字名号探書」までに至って、昭和初期ぐらいまで、500年近く、民間流布させていた可能性は極めて高い。

それには、釋○○が書き写したものとある。

本覚思想、密教思想、現世利益、神仏習合と盛りだくさんである。

教義を何も知らない者にとっては霊験あらたかな有り難いものとなったのだと思われる。門信徒数が群を抜いて多くなったのも頷ける。

そういうことなら、談義本と同じように「念仏者の生き方」「私たちのちかい」「浄土真宗のみ教え」までは意図的には良かったのかもしれない。

しかし、「新しい領解文」は、踏み込んではいけないところに踏み込んでしまったということであろう…

あるいは、わざと踏み込ませたのか…そこまでは拙生も関知しようがないことである。

ただ、「新しい領解文」の見解を聞かれて、本覚思想と雑修、雑行、雑善を敢行推奨するのは教義的にはおかしいのでは、というところから始まったわけです。

そして、その思想的な背景(戦争や差別に繋がりかねない思想)にも気になるところがあるため、それを問題としているのであります。


名破満釈・融会合釈の称名について

2023年05月02日 | ブログ
「七高僧の称名」、「親鸞聖人の称名」も加えました。

・・

親鸞聖人の思想

「阿弥陀如来法性法身・二種回向(教)→阿弥陀如来方便法身のはたらき(行)→信心(信)→二種法身の獲得(証)」

「二種回向(因)→方便(縁)→二種法身(果)」

行信論の要諦は、名破満釈・融会合釈

「しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。」

称名①→本願への志願・疑心
称名(正業)②→志願・疑心
称名(正業)②→念仏(称名③)→南無阿弥陀佛(名号・称名④)→正念(信心決定・信心獲得)

法性法身阿弥陀如来の称名
方便法身阿弥陀如来の称名
諸仏諸菩薩の称名
報身阿弥陀如来の称名
応身釈迦如来の称名
法蔵菩薩の称名
七高僧の称名
親鸞聖人の称名
獲信者の称名
衆生の称名(信心は問わない)
自分の称名(獲信前)
自分の称名(獲信後)

蓮如上人の「仏凡一体論・機法一体論」と「新しい領解文」

2023年05月02日 | ブログ
蓮如上人が、敢えて仏凡一体論、機法一体論を展開された理由は、いくつか考えられるが、一番大きな影響には、既に民衆の間で流行っていた「南無阿弥陀佛」の本覚思想や現世利益、密教思想を説く「談義本」の存在があったのだと思われる。

そのような「談義本」は、三代目・覚如上人が本願寺を成立した頃から流行りだしていたと推測されている。親鸞聖人往生後、50年も経たない浄土真宗の勃興期に当たり、教団化へと向けた正統を巡った争いが激化していた頃である。

やがて色々な弾圧や苦難を受ける中、教団化を進めていくにあたっては、その流行りに教義を近づけることで、民衆を門信徒として取り込みたいとした意図が働いたのものと推測されるのである。

そこで、本覚思想ではないが、近似したものとして仏凡一体論、機法一体論を蓮如上人が著されることになったのだと考えられる。更に、「報恩称名」論も、「念仏」を難しいものから、より簡単なものへ、民衆の側にといった意図があったのだと思われるのである。

今回の「新しい領解文」も、意図としては念仏を民衆の側に、伝わりやすいもの、分かりやすいものとしたことがあったのであろう。

その一番分かりやすいものが「本覚思想」(と似たもの)ということで、例えば、

「念仏で誰もが仏になれる」「念仏で死後誰でも極楽に行って成仏できる」と「念仏」で救われることを簡単に表すことができるからだ。(もちろん、本当はそんな簡単なものではないのだが・・)

「新しい領解文」までの「念仏者の生き方」「私たちのちかい」「浄土真宗のみ教え」の流れからも、そんな意図が見られるわけです。

教義をより世間の側に近づけるということで、蓮如上人と言わば同じ方法を取ったのだと言えるのである。

ところが、「新しい領解文」は大反対の大合唱が巻き起こった。

明らかに教義と異なることを、いよいよ教義として寺院、僧侶、門信徒へと強制、強要していこうとし始めたからである。

「新しい領解文」による教義の思想統制、言論統制も始まったことで、一気に噴出した形となったわけである。

これは明らかに蓮如上人が教えを民衆の側に近づけようとされたわけとは異なっているのであります。教義の一線を越えられていなかったことは、御文章の内容からも理解できるところであります。

但し、蓮如上人の教学が、親鸞聖人の教学と全同ではないため、その微細な相違で、本願寺派教学が成り立っていることを前提として、新参者は、教学論を考えていかなければならないということであるようです。

しかし、改めて調べていくと、本願寺と楠木家の関わりなど色々と今まで知らなかったことも分かり、楠木家と浄土真宗寺院との関わりを考えれば拙寺との接点も色々と。。全く何も縁もゆかりもない話でもないのだと思うのであります。。