日記

日記

『超世間賛』(出世間賛)ナーガールジュナ(龍樹)大師 (マリア・リンチェン氏訳)

1976年11月27日 | 徒然日記・日々の記録
『超世間賛』(出世間賛)ナーガールジュナ(龍樹)大師
(マリア・リンチェン氏訳)

サンスクリット語で『ローカーティータ・スタヴァ』
チベット語で『ジクテン・レ・デーパル・トゥパ』

若き文殊菩薩に礼拝いたします


〔二つの障りを〕離れた〔空の〕智慧に精通し
世間を超越されたあなた(釈尊)に礼拝いたします
あなたは有情を利益するために
慈悲の心で長く苦しんでこられた


「単なる〔五〕蘊と別個に存在する有情はいない」
とあなたは言われるが
有情を救済する行ないにも完全に従事して
偉大な成就者であるあなたはとどまっておられる


賢者であるあなたは
五蘊もまた、幻、蜃気楼、乾闥婆(食香)の都
そして夢のようなものであると
知性ある者たちに正しく説き示された


因から生じたものはみな
それ(因)がなければ存在しないので
映像と同じようなものだと
何故明らかに主張しないのか


〔四大〕要素は目で認識できないのだから
その実体をどうやって目で認識できると言うのか
物質的な存在〔の実体〕をとらえることを完全に否定して
あなたは物質的な存在をこのように説かれた


感じる対象がなければ感覚はないのだから
感覚自体には実体がない
故に、感覚もまた
自性によって存在しているのではない、とあなたは言われている


名前とその意味するものが別のものでないならば
火〔という名前だけ〕で口が焼けてしまうことになる
〔火とその名前が〕別のものならば、〔火を〕認識できなくなってしまう
真実を語るあなたは、このように説かれた


行為者は独立した存在であり、行為もまた〔独立した存在〕であるというのは世俗のレベルにおいてあなたが説かれたことである
〔行為者と行為は〕互いに依存して成立しているだけだと
あなたは説き示されている


行為者は存在せず、主体者も存在しない
功徳も存在せず、これらは縁起によって生じている
「他に依存して生じるが、〔それ自体の力で〕生じたのではない」と
言葉の主であるあなたは言われた

10
意識〔によって認識されること〕がなければ、認識対象ではない
それ(認識対象)がなければ意識もない
故に、意識と認識対象に
固有の実体はない、とあなたは言われた

11
定義と定義対象が別個のものならば
定義対象は、定義を持たないことになる
別個のものでなくても、〔どちらも実体を持って〕存在しているのではないとあなたは明らかに示された

12
定義も定義対象もなく
言葉による表現もないと
あなたは智慧の目によって
有情たちに寂静をもたらされた

13
存在している事物が生じることはない
存在していない〔事物が生じること〕もないし、両方〔が生じること〕もない
それ自体から〔生じるの〕でもなく、他から〔生じるの〕でもない
その両者から〔生じるの〕でもないのだから、どうやって生じると言うのか

14
〔自性によって〕存在しているものがとどまり続けるのは論理にかなっており消滅していくことはない
存在していないものがとどまり続けることはないのも論理にかなっており
消滅していくことはない

15
まず、消滅した因から結果が生じるというのは
論理にかなっていない
また、消滅しない〔因〕から〔結果が生じること〕もないので
生成は夢に似ている、とあなたは説かれた

16
消滅した因や消滅していない因から
結果が生じることは
幻が生じるようなものである
すべてはこのようなものだとあなたは言われた

17
故に、あなたは
これら〔の認識対象〕は完全に概念作用から生じたものなので
すべての認識対象が生じても
生成も消滅もないと言われた

18
永遠なるものに輪廻は存在しない
無常なるものにも輪廻は存在しない
これを知った最勝なるあなたは
輪廻は夢の如きものだと言われた

19
苦しみは、自分が作ったもの
他者が作ったもの、両者が作ったもの
あるいは〔苦しみに〕因はない、と弁論者たちは主張するが
あなたは縁起によって生じたと言われた

20
他に依存して生じたもの
それは空である、とあなたは説かれた
事物には独立した実体はないと
比類なきあなたは獅子の声で〔言われた〕

21
すべての概念作用を滅するために
あなたは甘露のような空を示された
しかし、これ(空)に執われる者を
あなたは強く非難された

22
自力で機能できず、他に依存し、空であり
幻のようで、条件〔に依存して〕生じるものなので
すべての現象には実体がないということを
守護者であるあなたは〔世に〕知らしめられた

23
あなたは何も生み出されていないし
否定されたことも何もない
以前から真如を理解されており
これからも同じである

24
聖者たちが示されたような
瞑想に入ることなく
意識を無相の状態に
することなどできようか

25
無相〔の修行〕に入らなければ
解脱はないと〔あなたは〕言われた
故に、あなたは大乗〔経典〕のすべてに
それ(無相)を示されたのである

26
賞賛すべき器であるあなたを讃えることにより
私が積んだすべての功徳によって
すべての有情たちを
相の束縛から解放することができますように

『超世間賛』(世間を超越された〔仏陀への〕賞賛)という聖なる師ナーガールジュナによる著作はここに完結した

インドの僧院長クリシュナ・パンディッタと翻訳官ツルティム・ギャルワが翻訳・校正し、完成させた

Japanese translation completed by Maria Rinchen, Dec. 2011

参照ブログ チベットNOW@ルンタ
http://blog.livedoor.jp/rftibet/
ダラムサラ通信 by中原一博(www.lung-ta.org)

「前行法話最終日/ナーガールジュナ『超世間賛』全文」内より 2012年01月06日
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51723274.html

龍樹(ナーガールジュナ)大師 「出世間讃」抜粋(1.2.13.15.16.20.21.22.24.25.26)

1976年11月26日 | 徒然日記・日々の記録
龍樹(ナーガールジュナ)大師
「出世間讃」抜粋(1.2.13.15.16.20.21.22.24.25.26)

空の智慧に精通し、出世間なさったあなたを礼讃いたします。
衆生に献身なさるため、あなたは慈悲を抱き長きにわたりご苦労された。

単なる五蘊の集まり[という在り方]を超えて
[実体的に存在する]有情はないとあなたは認められたのだ。
世尊よ、それにもかかわらず、あなたは有情に尽くされた。

[実体として]存在するものが生じることはない。
[実体として]存在しないものが生じることもない。
[実体として]存在し、かつ存在しないものが生じることもない。
[実体的なものは]それ自体からも、他からも生じない。
自他ふたつからも生じない。ならば、どのようにして生じるのであろうか。

まず、すでに滅した原因からも結果が生じるということは理にかなわない。
まだ滅していない[原因]から[結果が生じるということ]も[道理にあわない]。
それゆえあなたは、[ものごとは]夢のごとくに生じると理解なさった。

原因が消滅し、あるいは消滅せずに結果が生じる。
生じるということは、まるで幻が現れるごとく[実体性を欠いている]。
あなたは、あらゆるものごとも同様[に実体性はないの]だとお説きになった。

縁起はすなわち空であるとあなたは説かれた。
ものごとに自性はない。
これが比類なきあなたの獅子吼である。

一切の分別を断つためにあなたは空性という甘露のような教えを説かれる。
ともあれ、空性に執着することをあなたはつよく戒められた。

物質は、他に依存し、空性であり、幻のように縁より生じる。
依怙尊よ。
一切のものごとは[究極的には]存在しないということをあなたは繰り返し瞑想なさった。

聖者の方々が示されたような[空性を対象とする]三昧に住さずに
意識はけっして無相に至れないのではなかろうか。

無相の状態に入らずに解脱はないと説かれたゆえに。
それゆえ、あなたは大乗の諸経典にそれを残さず示された。

恭敬の器であるあなたを礼讃し、私もいくばくかの功徳を積んだ。
それにより、衆生が余さず世俗諦への束縛から解き放たれますように。

(参照・「ダライ・ラマ こころの自伝」春秋社・2011 p334-336)

「三十七の菩薩の実践」(ギャルセー・トクメー・サンポ師著)

1976年11月26日 | 徒然日記・日々の記録
 「三十七の菩薩の実践」は、「菩提心」(悟り・智慧を求める強い意志)を発心(ほっしん)して、悟りの境地へと向かうために、私たちが実際に行うべき修行の実践についてまとめられた詩句でございます。是非、この機会にご一読し、ご興味を持って頂いて、その内容の理解を更に深めて頂くことの何かのきっかけとなりましたら、幸いでございます。川口 英俊 合掌

「三十七の菩薩の実践」
〔ギャルセー・トクメー・サンポ師(13世紀・チベット仏教サキャ派の学僧)著〕

ナモー、ローケーシュヴァラーヤ(南無観自在菩薩)

 すぐれた師(ラマ)であり、救世者(くぜしゃ)である観自在〔菩薩〕(かんじざいぼさつ)に、常に三門(身、口、意)で恭しく礼拝いたします。観自在〔菩薩〕は「一切の法(存在)は去ることも、来ることもない」とご覧になりつつ、しかも輪廻(りんね)する衆生のために一心に励んでいらっしゃるのです。
 一時的な幸せと究極的な幸せを生じる源であるもろもろの仏陀は、正しい法を完成することで仏陀となりえました。それは〔法を〕実践することの内容を知り、それを実際におこなったからなのです。これより菩薩の実践について述べることといたします。

1.大きな船のような有暇具足(うかぐそく)をそなえた有意義で得がたい生を享けた今生で 自他ともに輪廻の海から救われるために 昼夜を問わずに怠けずに聞・思・修(もん・し・しゅう)すること それが菩薩の実践である

2.身内に対しては愛情を水のように注ぎ 敵に対しては憎しみを炎のように燃やす 善悪の見境(みさかい)がつかない愚かさは真っ暗な闇(やみ) 故郷を捨てること、それが菩薩の実践である

3.悪い故郷を捨て去れば煩悩(ぼんのう)はしだいに消え去っていく 怠けず励む者の功徳はおのずと増えていく 知性が澄めば教えに信が生ずる 「静謐(せいひつ)な場所」に安らぐ心、それが菩薩の実践である

4.長い間親しくしている友と別れ、努力して得た財産を後に残し 「肉体」という宿を「心」という客が去っていく 今生を捨てること、それが菩薩の実践である

5.交われば三毒(貪・瞋・癡)が増大し 聞・思・修の行が疎かになり 慈悲がなくなりはじめる そのような悪い友を捨てること それが菩薩の実践である

6.〔その人に〕従えば欠点がなくなって 功徳が上弦(じょうげん)の月のように満ちてくる そのような善友(ラマ)を自分自身の身体よりも大切にする それが菩薩の実践である

7.自らも輪廻の牢獄に捕らわれている 世俗の神にいったい誰を救うことができるのか それゆえ、救いを求めても欺く事のない三宝(仏・法・僧)に帰依をする それが菩薩の実践である

8.「極めて耐えがたい悪趣(あくしゅ)の苦しみは 罪業(ざいごう)の結果である」と釈迦は説かれた そのため命を落とそうとも罪業をおこなわない それが菩薩の実践である

9.三界(欲界・色界・無色界)の幸せは草葉の露のごとく 瞬時に消え去るものである いかなるときも変わらずに解脱の最高の境地を目標とする それが菩薩の実践である

10.無始以来より私を愛してくれた母たちが 苦しみもがいているならば、自身の幸せなど何になろうか それゆえ、限りなき衆生を救うために菩提心を生起させる それが菩提の実践である

11.あらゆる苦しみは自らの幸せを追い求めることより生じ 悟りは他者のためを思うことより生ずる それゆえ、自己の幸せと他者の苦しみをまさしく交換する それが菩薩の実践である

12.何者かが大きな欲望で私の財産を すべて奪おうとして盗みに入ったとしても 身体と財産と三世の善の集積のすべてを差し出す それが菩薩の実践である

13.自らの過ちが認められないにもかかわらず 何者かが私を斬首刑(ざんしゅけい)に陥れたとしても いたわりの心でその罪を自ら被る それが菩薩の実践である

14.ある者が私に対してさまざまな非難中傷を 三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)に遍くふれ回ったとしても 慈しみの心で繰り返しその者の功徳を称賛する それが菩薩の実践である

15.大勢の者が集まるなかである者が 私の過失を掘り起こし罵声を浴びせかけても その者を善友(ラマ)と思って敬意を払う それが菩薩の実践である

16.わが子のように大切に育てた者が 私を敵のように見なしたとしても 病気のわが子に接する母のようによりいっそうの愛情を注ぐ それが菩薩の実践である

17.私と同じくらいか、それより劣る者が 慢心を起こして私を軽視したとしても 師(ラマ)のように尊敬し自らの頭頂に戴く それが菩薩の実践である

18.生活に困窮し、常に人より軽蔑され ひどい病苦や悪霊に憑かれても それでも一切衆生の罪業と苦しみを受けて疲れることをしらない それが菩薩の実践である

19.称賛され、大勢の者が頭を垂れ 毘沙門天(びしゃもんてん)の財宝と同じものを手にしても 世間の豊かさには本質がないと見て驕らない それが菩薩の実践である

20.自身の中にある怒りという敵を調伏しないなら 外の敵を倒しても憎しみはますます増大するばかり それゆえ、慈悲という軍隊で自身の心を征服する それが菩薩の実践である

21.欲望の特性というのは塩水を飲めば飲むほど渇くのと似て どんなに満足してもさらに貪りたくなる 欲望が起きた対象はいかなるものでもすぐに捨てる それが菩薩の実践である

22.いかなる現象もそれは自身の心であり 心の本性は本来戯論(けろん)より離れている そのように理解して主客の諸相に気をとらわれてしまわない それが菩薩の実践である

23.意識がとらえる喜びの対象は 夏の盛りの虹の色彩のごとくに 美しい現象であっても実体のないものとして執着(しゅうじゃく)を捨てる それが菩薩の実践である

24.さまざまな苦しみは、夢の中での息子の死のごとく 錯誤を実体あるものととらえることより生じた疲れ それゆえ、たとえ逆境に遭遇したとしても錯誤と見なす それが菩薩の実践である

25.悟りを得るために、この身さえ犠牲にする必要があるのなら 外側のものなどなおさらに 見返りや成果を期待せず布施を行ずる それが菩薩の実践である

26.戒律を守らずして自利の完成は無い それでいて利他を成し遂げる願いを持っても笑われる それゆえ、世俗の欲を放棄して戒律を遵守(じゅんしゅ)する それが菩薩の実践である

27.善という財を求める諸菩薩を 傷つけてしまう者もまた、尊い宝も同然である それゆえ、あらゆる者に恨みをもたず忍耐を修習(しゅじゅう)する それが菩薩の実践である

28.自利のみを得ようとする声聞(しょうもん)、独覚(どっかく)も 頭に移った火を消そうとするように努力をするのをみるならば すべての衆生のためになる功徳の源泉となる精進に励む それが菩薩の実践である

29.「止」を伴ったすぐれた「観」が 煩悩を克服するのをよく知って 四無色定(しむしきじょう)を超越した禅定(ぜんじょう)を修習する それが菩薩の実践である

30.智慧のない五つの波羅密(はらみつ)だけならば 完全なる悟りを得ることはない それゆえ、波羅密行を伴った三輪無分別智(さんりんむふんべっち)を修習する それが菩薩の実践である

31.自らの錯誤を自らが正さないなら 行者が非法を行うことになりかねない それゆえ、常日頃より過ちを見抜いて捨てる それが菩薩の実践である

32.煩悩にかられて菩薩の方々の 過失を非難するならば、結局自らを衰退させるだけ それゆえ、大乗者の過失をいっさい口にしない それが菩薩の実践である

33.富と名声にかられ争いとなり 聞・思・修の行が疎かになる それゆえ、親友やご支援くださる人々に対しての甘えを捨てること それが菩薩の実践である

34.汚い言葉が他者を動揺させ 菩提行の在り方を弱めることになる それゆえ、他者の心を害するような汚い言葉を捨てること それが菩薩の実践である

35.煩悩に慣れれば制することが難しくなる 念(記憶)〔正念〕と正知(しょうち)という対治の刃を手に取り 欲望などの煩悩が起こるやいなや刈り取ってしまう それが菩薩の実践である

36.要約するなら、どこでもどんなときも何をしようとも 自らの心の在りようがどんな状態であっても 常に念と正知を利用して利他を成し遂げようとする それが菩薩の実践である

37.以上のように精進(努力)して、成し遂げられた諸善を 限りなき衆生の苦しみを取り除くため 三輪無分別智により、悟りを得るために回向(えこう)すること それが菩薩の実践である

 経とタントラと論書に説かれている内容を、諸賢の言葉に従って、菩薩の三十七の実践として、菩薩道を実践したい人のために著しました。浅学非才で諸学者の好む文章が記せないため、経典と賢者の言葉に準拠して、菩薩の実践を誤りなく正確に記そうと思慮しました。けれども、菩薩道は広大であり、私のような知力の劣る者には、その奥底は理解しがたく、矛盾や無関係などの過失の集積になってしまいました。諸賢方よ、お許しください。
 これによって生じた善があるならば、その善によってすべての衆生が勝義と世俗の二つの菩提心を起こし、輪廻と涅槃のどちらにも住することなく、救世者である観自在〔菩薩〕と等しい境地に至ることができますように。

 記した内容は自他のためになる言葉であり、学僧であり比丘であるトクメー・サンポが、グルチュー・リンチェン・プクというところで記したものです。

(藤田省吾氏、 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ師 訳)

和訳引用参照元「ダライ・ラマ 生き方の探究」春秋社 1997年
ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ著、藤田省吾 (翻訳)、ゲシェーソナムギャルツェンゴンタ (翻訳) 

川口英俊プロフィール

1976年11月25日 | 日記
川口英俊 (かわぐちひでとし)

1976年東大阪市生まれ

関西大学(法学部法律学科)卒業

岩瀧山往生院六萬寺・副住職(2001年~)

ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k
フェイスブック
http://www.facebook.com/kawaguchi.hide
ツイッター
http://twitter.com/hide1125

【参画・会員】(※会費納入を平成27年度から全て四月に統一させて頂きます。備忘録として)

○「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/
(僧侶・一般共会員登録・現在無料/僧侶協賛会員・運営支援・年2万5千円)

○NGO「国境なき僧侶団」
https://www.facebook.com/pages/国境なき僧侶団/578961352183094
(僧侶会員・会費・年1口3千円)

○NGO「四方僧伽」
http://catuddisa-sangha.org/
(運営会員・会費・年1口1万円)

○MMBA 「文殊師利大乗仏教会」 
http://www.mmba.jp/ 
(現在、支援金・寄付金・協賛金の各受付任意)

○「チベットハウス・ジャパン」 
http://www.tibethouse.jp/ 
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(会費・年5千円)

○「スーパーサンガ」(宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会)
http://www.supersamgha.jp/ 
(僧侶会員・会費・年1口5千円)

○「日本テーラワーダ仏教協会」 
http://www.j-theravada.net/ 
(会費・年5千円)

○「フリースタイルな僧侶たち」 
http://www.freemonk.net/ 
(個人サポーター・会費・年1口5千円)

・・

これまでの主な活動歴 (※呼称は全て当時のもの)

(市民)東大阪市民会議 プランニング委員 (2007年5月~2013年3月)
    事務局 東大阪市・協働のまちづくり部・地域コミュニティ支援室

(市民)一般社団法人・瓢箪山地域まちづくり協議会 理事・事務局長 (2009年12月~2013年3月)
    事務局 キューたんステーション 大阪商業大学 瓢箪山中央商店街振興組合・スマイル瓢箪山

(市民)東大阪市生涯学習市民推進会議 委員 (2007年9月~2011年8月)
    東大阪市民会議から出向
    事務局 東大阪市・教育委員会事務局・社会教育部・社会教育課

(市民)東大阪 市民ふれあい祭り 実行委員会 パレード部会 委員 (2003年~2011年)
    事務局 東大阪市・市民生活部・地域振興室

(市民)東大阪市・第2次総合計画・後期基本計画審議会 委員 (2009年7月~2010年2月) 
    事務局 東大阪市経営企画部総合計画策定室

(市民)東大阪市 四条リージョンセンター やまなみプラザ企画運営委員会 (2003年4月~2010年3月) 
    管 轄 東大阪市・市民生活部・まちづくり支援課

(市民)東大阪市・第2次総合計画・後期基本計画の中心となる地域別計画の提言作成を行う地域ワークショップ員
   (2008年8月~11月)やまなみプラザ企画運営委員会から出向
    事務局 東大阪市経営企画部総合計画策定室

(市民)東大阪市 (仮称) 市民活動支援センター 設立準備会 世話人会 世話人 (2007年4月~2008年3月)
    (仮称)市民活動支援センター検討委員会のページ

(行革)東大阪市 市民行革会議 委員 (2005年10月~2007年2月)

(NPO) NPO法人 東大阪国際協力プラットフォーム 設立代表・理事長 (2008年12月~2012年10月・解散)

(福祉)東大阪市こころの健康推進連絡協議会 委員 (2004年7月~2006年7月 任期1年・2期)

(福祉)社会福祉法人 フィリシア後援会 事務局 (2004年12月~2007年)

(福祉)社会福祉法人 フィリシア 評議員(2010年3月~2014年3月)
理事長(2004年3月~2006年3月・任期2年)設立代表(2003年5月~2004年3月)

(市民)東大阪鳩まめ倶楽部 会員 (2010年3月~2012年)

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」

1976年11月25日 | 徒然日記・日々の記録
「縁起賛」ツォンカパ大師

〈縁起を〉見て、〈それを〉説かれたため、〈釈尊は〉無上の智者であり、無上の師である。〈故に、〉縁起を見て、それを説かれた勝利者〈仏陀〉に礼拝いたします。

この世のいかなる堕落も、その源は無明である 。〈縁起を〉見ることにより、それ〈無明〉を滅することができるため、縁起〈の教え〉が説かれた。

故に、知性ある者が、縁起の道こそ、あなた(釈尊)の教えの心髄であることを、どうして理解しないことなどあろうか。

そうであるならば、守護者であるあなたを賞賛するために、縁起を説かれたことよりもすばらしい方法を、いったい誰が見つけられようか。

「条件に依存しているものは、みなその自性は空である」。これよりも驚くべきどんな善き教えがあると言うのか。

凡夫たちはそれ(縁起)にとらわれて、極端論への束縛を堅固にする。賢者にとっては、それ(縁起)が戯論の網をすべて断ち切る門戸となる。

この教えは他に見たことがないので、師と名づけられるのは、あなた〈だけ〉である。キツネを獅子〈と呼ぶ〉ように、非仏教徒たち〈の場合〉もへつらいの言葉〈に過ぎない〉。

すばらしい師よ、すばらしい帰依よ、すばらしい最高の説法者よ、すばらしい守護者よ。縁起を善く説かれた師に、私は礼拝いたします。

救済者であるあなたは、有情を利益するために、教えの心髄である空を確信できる比類なき理由を説かれた。

縁起のありようを、矛盾や不成立と見る人たちは、あなたの体系をいったいどうやって理解できるというのか。

あなたの説では、空が縁起の意味であることを見たならば、自性が空であることと、〈すべてが〉正しく機能することは矛盾しない。

しかし、その逆を見たならば、空には機能が成り立たず、機能を果たすものは空ではないため、危険な崖から落ちる、と言われている。

故にあなたの教えでは、縁起を見ることが讃えられている。それはまた、何もないことでも、その自性から存在することでもない。

〈因と条件に〉依存しないものは、虚空の華のようである。故に、〈因と条件に〉依存しないものは存在しない。その自性によって成立しているならば、 その成立が因と条件に依存することに矛盾する。

「故に、〈他に〉依存して生じたのではない現象は何もないので、自性が空でない現象は何も存在しない」と〈あなたは〉言われた。

「現象に少しでも自性がある限り、自性を否定することはできないので、涅槃〈に至ること〉はできず、戯論を滅することもできない」と、〈あなたは〉言われた。

故に、自性はないと、獅子の声で繰り返し、賢者たちの集まりで善く説かれていることに、いったい誰が対抗できるのか。

自性が何もないことと、これに依存してこれが生じたという、すべての規定は正しい。この二つが矛盾なく集まることは言うに及ばない。

「縁起を理由に、極端論に依存しない」というこの善き教えは、守護者であるあなたが、無上の説法者である理由である。

このすべては自性が空であるということと、これからこの結果が生じた、という二つの確信は、互いに障りなく助け合っている。

これよりも驚くべきもの〈があるだろうか〉、これよりもすばらしいもの〈があるだろうか〉。こうしてあなたを賞賛することは、〈本物の〉賞賛であり、他はそうではない。

無知の奴隷となり、あなたを敵視する者が、自性がないという言葉に耐えられないことは驚くに足りない。

しかし、貴重な宝である、縁起というあなたの教えを受け入れながら、空のとどろきに耐えられないことは、私にとって驚くべきことである。

無自性〈の見解〉に導く扉である、無上の縁起というその名によって、もし自性にとらわれるなら、今その人を、

聖者たちが善く旅した、比類なき門戸であり、あなたを喜ばせるこの善き道にいかなる手段で導けばよいのか。

自性〈があり〉、〈因と条件によって〉作り出されたのではなく、〈部分に〉依存しないものと縁起し、〈部分に〉依存して、〈因と条件によって〉作り出されたもの、この二つが、ひとつの土台において矛盾することなく集まることなどできようか。

故に、〈他に〉依存して生じたものは、みな、無始の時より自性を離れているが、〈自性があるかの如く〉現れる。そこで〈釈尊は〉、これらはすべて幻
のようなものだと言われた。

あなたがこのように説かれたことに対して、反論者たちが論議をしかけても、法に基づいて論破することはできない、と言われたことも、これ (縁起の教え)によって〈私は〉よく理解した。

何故そうなのかと言うと、このように説明することで、見えるもの、見えないものなどの事物について、〈ないものを〉あるととらえたり、〈あるものを〉ないととらえたりすることを遠ざけておられるからである。

あなたの教えが比類なきものである、ということを見た理由は、縁起というこの道であり、〈あなたが〉説かれた他の教えも、正しい認識であるという確信が生じる。

あるがままに見て善く説かれた、あなたに従って修行する者たちに、すべての堕落は遠ざかっていく。すべての過失の源が退けられるからである。

あなたの教えに背を向ける者たちは、たとえ長い間苦労を重ねても、過失を呼び戻しているようである。〈それは〉我見が堅固なためである。

ああ、賢者たちが、この二者の違いを理解したならば、その時〈彼らが〉心の底から、あなたを尊敬しないことなどあろうか。

あなたの多くの教えについては言うまでもなく、その一部の意味だけから 大まかな確信を得る者たちにも、最高の幸せを与える。

ああ、私の心は無知に打ち負かされている。このようなすばらしい資質の集まり〈であるあなた〉に、長い間帰依をしたけれど、その資質の一部さえ得ることはなかった。

しかし、死に向かって近づいていく、命の流れが止まってしまうまでに、あなたへのわずかな確信を得られたなら、それだけでも恵まれたことだと考える。

世に現れた仏陀たちが、〈他の師よりも卓越していた〉ように、師の中でも、縁起を説いた師、智慧の中でも、縁起の智慧、この二つが卓越していることを、あなた〈だけ〉が善く知っておられ、他〈の師たち〉は知らない。

あなたが説かれたすべての教えは、縁起から始めて入るものである。それもまた、涅槃のためであり、〈有情の堕落を〉鎮めない行ないは、あなたにはない。

ああ、あなたの教えは、誰の耳に届いても、すべての人が静寂を得るため、あなたの教えを維持することを光栄に思わない者などあろうか。

すべての反論者たちを克服し、前後に矛盾がなく、有情に二つの目的を与えるこの体系に、わたしの喜びは増していく。

このために、あなたは、ある時はからだを、別の時は命を、そして愛しい者や所有物なども、〈三〉阿僧祗劫にわたって何度も繰り返し与えられた。

その〈教えの〉すぐれた資質を見て、釣り針が魚を〈引きあげる〉ように、〈釈尊の〉お心が〈強く〉引かれて説かれた教えを、あなたから聞けなかったのは残念なことである。

その嘆きの激しさは、母の心が、愛しい子供のこと〈だけ〉を追いかけるように、私の心をとらえて離さない。

この〈嘆き〉もまた、あなたのお言葉を思い出して、「〈三十二〉相〈八十〉種好の栄えある〈仏陀の〉しるしで輝き、光の網に完全に包まれ、師の清らかなお声で、

これをこのように説かれた」と思うと、そのような釈尊のお姿が心に浮かぶだけで、月の光が熱の苦痛〈を癒すように〉〈私の心は〉癒される。

このようなすばらしい善き体系にも、賢くない人たちは、〈もつれた〉つる草のように、どの面からも完全に混乱してしまう。

これを見て、私は多くの努力を積み、賢者たちのあとに従って、あなたの真意を繰り返し求めた。

そのような時、中観派と実在論者たちの多くのテキストを学んだが、再び疑問の網に〈とらわれて〉、私の心は絶え間なく苦しめられた。

有と無の極端を滅した、あなたの無上の乗り物を、あるがままに解説すると予言されたナーガールジュナのテキストは、夜咲く睡蓮の庭のようである。

汚れなき智慧のマンダラは満ち、教えはさえぎられることなく虚空を飛び、極端論者の心の闇を晴らし、誤った説法者たちの星座群より強く輝く。

〈そのような〉チャンドラキールティの善説という、一連の白い光によって明らかにされたことを、ラマの恩によって見た時、私の心は休息を得た。

すべての行ないの中で、お言葉の行ないが最もすぐれたものである。その中でもまた、このお言葉であるため、賢者たちはこれ(縁起の教え)によって仏陀を思い起こすべきである。

その師に従って出家して、勝利者の教えを劣らず学び、ヨガ行に精進する比丘である〈私は〉、その偉大な修行者をこのように尊敬いたします。

無上なる師の教えにこのように出会えたのは、ラマの恩によるものなので、この功徳もまた、すべての有情たちが、聖なる精神の導師によって守られる因となるように廻向いたします。

この救済者の教えが、この世の終わりまで、悪い考えの風で動じることなく教えの本質を理解して、師に対する信頼を得た者たちで、常に満たされますように。

縁起のありようを明らかにされた、釈尊の善き体系を、すべての生を通してからだや命を捧げてでも維持し、一瞬たりとも手放すことがありませんように。

「この最高の指導者が、はかり知れない困難な〈行を実践され〉、精力的な努力によって達成されたこの〈教え〉を、いったいどのような手段によって高めていけるだろうか」と熟考することで、昼も夜も過ごすことができますように。

清らかですぐれた決意により、このように努力しているので、梵天、帝釈天など世俗の守護神や、大黒天などの護法尊もまた、絶え間なく常に助けてくれますように。

・・

「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」ツォンカパ大師

至尊の諸上師に頂礼し奉る。

勝者(仏陀)のあらゆるお言葉の心髄の義、
正しき仏子(菩薩)らが賛嘆する道、
解脱(迷いと苦しみから完全に解放されること)を欲する有縁の者たちが
船出する波止場に喩うべき
それ(「道の三要訣」)を、私ができるだけ説き明かそう。

輪廻(迷いと苦しみの世界)の幸福に執着せず、
有暇具足(仏道修行に適した境遇)を無駄にせぬよう
精進(努力)することによって、
勝者のお喜びになる道を信奉する
有縁の者たちは、清らかな心をもって聴聞せよ。

清浄なる出離がなければ、
輪廻の苦海に幸福の果実を追い続け、
それを鎮める方便(手段)はない。
輪廻に愛着する煩悩で、
有情(あらゆる生き物)らは悉く束縛されているため、
最初に出離を追求すべきだ。

有暇具足は得難く、
しかも一生は瞬く間に過ぎ去ると
心で習熟することにより、
今生の些事への執着はなくなるだろう。

因果が偽らずに応報する輪廻のさまざまな苦しみを
再三にわたって思うならば、
後生(来世)の些事への執着もなくなるだろう。

そのように習熟することで、
輪廻の栄華を願う心など一刹那たりとも起こらず、
昼夜を通じていつも解脱を追求する智慧の生じたそのときこそ、
出離が起きたのである。

その出離も、
清浄な発心(菩提心)で支えなければ、
無上菩提(仏陀の覚り)の円満な楽を得る因とならぬゆえ、
智慧者らは優れた菩提心を発するのだ。

恐るべき四暴流(欲望や無知などの煩悩)に押し流されて、
避け難い業の堅固な束縛に身動きもならず、
我執という鉄の網に囲まれて、
無明(無知)の闇の果てしなき暗黒に覆い尽くされている・・

無辺の輪廻に生まれかわりを繰り返し、
三苦(普通の苦しみ、変化する苦しみ、普遍的苦しみ)に絶え間なく苛まれ、
今なおこのようになっている母〔なる一切衆生(生きとし生けるものすべて)〕の
ありさまを思いやり、
それから最勝心(菩提心)を発し給え。

真理を了解する般若(智慧)を具えなければ、
出離や菩提心に習熟したとて
輪廻の根を断ち切ることはできないので、
そのために縁起(あらゆる存在が他に依存して成立すること)を了解する方便を
尽くすよう努めるべきだ。

輪廻と涅槃(迷いと苦しみから解放された世界)の
諸法(さまざまな存在)一切の因果は常に偽らぬと観じつつ、
縁ずる依処(実体として認識される対象)は何であれすべて滅したとき、
それこそ仏陀がお喜びになる道へ入ったのである。

顕現(現われたこと)の因果に偽りがないことと、
空(あらわる実在に実体がないこと)を認めるという、
これら二つの離れた理解が個別に現われている間は、
未だ牟尼(釈尊)の密意(真意)を了解していない。

いつか交互にではなく同時に、
縁起に偽りのないことを観じるのみで
信念をもって境の執し方(対象を実体として把握する習慣)をすべて滅するなら、そのときこそ見解の伺察(分析)は究竟するのである。

さらに、顕現(に実体がないこと)をもって
有の辺(存在に実体性を認めるという極端論)を排し、
空〔であるものが幻のごとく現われること〕をもって
無の辺(存在が全くの無だという極端論)を排し、
このように空性が因や果として現われる道理を知るならば、
辺執見(極端論に執着する見解)に捕われなくなるだろう。

そのように
「道の三要訣」の諸要点を自ら如実に了解したときは、
寂静処へ身を寄せて精進の力を発揮し、
究極のめざす境地を速やかに成就せよ。

我が子(弟子)へ・・

この教誡は、多聞の比丘ロサン・タクペー・ペル(ツォンカパ大師)が、ツァコ・プンポ・ガワン・タクパに授けたものである。

(和訳 齋藤保高氏 参照「チベット仏教 文殊菩薩の秘訣 ゲシュー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ解説 法蔵館 2004」p5-10)

・・

「四つの捕われから離れる秘訣」サパン大師

聖なる師の御足に礼拝致します。

世間的には有暇具足の身体を得た。宝なる仏陀の教えに出会い、作意ではない心を起こし、今、錯誤のない修行をしなければならない。それにおいては、「四つの捕われ」から離れるための実践をすべきである。

それが何であるかと言えば、「第一に」今生に捕われないこと。「第二は」三界の輪廻に捕われないこと。「第三に」自身の利益に捕われないこと。「第四に」事物や相(現象、あるいは状況)に捕われないこと。

これらについて述べるなら、

今生は水の泡のようなもの
いつ死が訪れないとも限らず
永続するものと捉えてはならない

この三界の輪廻は
毒をもつ果実のようなもの
一時的には美味であるが
将来的には害をもたらす
それに捕われる誰もが誤りを犯す

自身の利益に捕われるのは
敵対者の息子を育てるようなもの
一時的には歓びであっても
究極(将来)的に自身に害をもたらすことが決定している

それゆえ、自身の利益に対して捕われたとしても
一時的に幸せでも、究極(将来)的には三悪趣に墜ちる

事物と相(現象、あるいは状況)に捕われるのは
蜃気楼の水(逃げ水)に捕われたようなもの
それゆえ、一時的には出現するが
口にすることはできない

誤った意識に、この輪廻が現われても
智慧によって分析すれば
実体は一つとしてない

それゆえ、過去には心がなく、未来にも心はない
現在においても、心はないというように理解し
一切法(すべての存在)に対しては分別から離れることを知るべきである

そのようにすれば、今生に対して捕われることがなく
三悪趣に生まれることがない
三界の輪廻に捕われることがなく
輪廻に生まれることがない

自身の利益に捕われることがなく
声聞や縁覚に生まれることがない
事物や相(現象、あるいは状況)に捕われることがなく
素早く確実に正等覚(覚り)を得る。

(和訳 藤田省吾氏 参照「チベット仏教 文殊菩薩の秘訣 ゲシュー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ解説 法蔵館 2004」p153-156)

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「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

ツォンカパ論師「縁起賛」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51729905.html

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/

集中的に再読していく論著集

「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾