Facebookのコメント欄で書いたことからのメモ・・
「新しい領解文」が間違っていることは明らかながら、これまでの拙考究から、元の領解文も親鸞聖人の信心、領解とは微妙に違いがあるようにやはり思えます。また、「称名報恩」も、微妙ながらやはり違和感があります。
領解文を覚えやすくするなら、もっと簡単なもので、出言もしやすいものとして調え直すのが良いでしょうね・・
例えば・・
「新しい領解文・改」
南無阿弥陀佛
本願勅命
南無阿弥陀佛
称名正業
南無阿弥陀佛
名号功徳
南無阿弥陀佛
信心正因
これぐらいにて本当に十分かと。
もちろん、根拠は、名破満釈・融会合釈から。
・・
親鸞聖人の思想
「阿弥陀如来法性法身・二種回向(教)→阿弥陀如来方便法身のはたらき(行)→信心(信)→二種法身の獲得(証)」
「二種回向(因)→方便(縁)→二種法身(果)」
行信論の要諦は、名破満釈・融会合釈
「しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。」
称名①→本願への志願・疑心
称名(正業)②→志願・疑心
称名(正業)②→念仏(称名③)→南無阿弥陀佛(名号・称名④)→正念(信心決定・信心獲得)
法性法身阿弥陀如来の称名
方便法身阿弥陀如来の称名
諸仏諸菩薩の称名
報身阿弥陀如来の称名
応身釈迦如来の称名
法蔵菩薩の称名
七高僧の称名
親鸞聖人の称名
獲信者・善知識の称名
衆生の称名(信心は問わない)
自分の称名(獲信前)
自分の称名(獲信後)
①〜④と各称名については、まだ整理中です。
称名①〜④は、微妙なりにも阿弥陀如来の方便法身のはたらきに差異があると考えているわけです。
特に、①と➁には大きな違いがあり、①は、衆生に本願を知らしめる役割、②は、本願を得心させる役割があると考えています。
③は、本願を納得させる役割、④は、本願の功徳を得心させる役割となるでしょうか。
まだ思考中です…
「新しい領解文」が間違っていることは明らかながら、これまでの拙考究から、元の領解文も親鸞聖人の信心、領解とは微妙に違いがあるようにやはり思えます。また、「称名報恩」も、微妙ながらやはり違和感があります。
領解文を覚えやすくするなら、もっと簡単なもので、出言もしやすいものとして調え直すのが良いでしょうね・・
例えば・・
「新しい領解文・改」
南無阿弥陀佛
本願勅命
南無阿弥陀佛
称名正業
南無阿弥陀佛
名号功徳
南無阿弥陀佛
信心正因
これぐらいにて本当に十分かと。
もちろん、根拠は、名破満釈・融会合釈から。
・・
親鸞聖人の思想
「阿弥陀如来法性法身・二種回向(教)→阿弥陀如来方便法身のはたらき(行)→信心(信)→二種法身の獲得(証)」
「二種回向(因)→方便(縁)→二種法身(果)」
行信論の要諦は、名破満釈・融会合釈
「しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。」
称名①→本願への志願・疑心
称名(正業)②→志願・疑心
称名(正業)②→念仏(称名③)→南無阿弥陀佛(名号・称名④)→正念(信心決定・信心獲得)
法性法身阿弥陀如来の称名
方便法身阿弥陀如来の称名
諸仏諸菩薩の称名
報身阿弥陀如来の称名
応身釈迦如来の称名
法蔵菩薩の称名
七高僧の称名
親鸞聖人の称名
獲信者・善知識の称名
衆生の称名(信心は問わない)
自分の称名(獲信前)
自分の称名(獲信後)
①〜④と各称名については、まだ整理中です。
称名①〜④は、微妙なりにも阿弥陀如来の方便法身のはたらきに差異があると考えているわけです。
特に、①と➁には大きな違いがあり、①は、衆生に本願を知らしめる役割、②は、本願を得心させる役割があると考えています。
③は、本願を納得させる役割、④は、本願の功徳を得心させる役割となるでしょうか。
まだ思考中です…