日記

日記

法炬の円相について

2024年03月31日 | ブログ
最近の葬儀は、(小さな・・など)広くない会場で喪家・会葬者と近い位置で勤めることもあるため、作法をそばで見られることも多くなっています。

松明を投げる(法炬放擲)前に、松明を回して円を描いた後、真ん中で何か書いているようですが、何を書いているのですかと聞かれることも。拙生の場合は、一字梵字を空中に書いています。それは本尊に合わせる種子としています。

阿弥陀如来であれば、「キリーク」、釈迦如来であれば、「バク」となります。あるいは、「ア」(大日如来・胎蔵界)でも良いかとも。

法炬二本となったため、下炬と引導の場合とで種子を分けても良いかもしれませんね。

下炬を「ア」(火天の種子でもある)として、引導を本尊の種子として。


葬儀における散華と法炬について

2024年03月26日 | ブログ
葬儀における散華と法炬について

葬儀における奉請の際に、梵字や仏名の無い華葩を散華し、それとは別に、棺に血脈・引導法語と共にお棺の上にお供え、納棺する華葩には、梵字や仏名を書いたものを調えて(通夜の奉請にて薫じてお供え)、葬儀奉請における散華の華葩は、私や会葬者、スタッフに納棺頂くということとして、たいまつは、一本目を秉炬佛事の下炬(法炬放擲)として、二本目は、引導法語後の引導(法炬放擲)として、一本目は火葬の聖火、二本目を黄檗度母引導故事由来として修めることにしてみようと思います。


お通夜・お葬儀について(新版)(往生院六萬寺)

2024年03月26日 | ブログ
お通夜・お葬儀について(新版)(往生院六萬寺)

往生院六萬寺にお葬儀をご依頼される場合は、下記をご参考になさって下さいませ。

【基本儀軌・作法】
 授戒・引導法式

【通夜・授戒】
 三帰戒・五戒・三聚浄戒・十重禁戒・戒名(法号)授与

【葬儀・引導】
 秉炬佛事 下炬(法炬)
 引導法語 引導(法炬)

【お布施】
 25万円(枕経・通夜法要・葬儀法要・安骨(還骨)法要・初七日忌法要まで)
(約30年以上前から、お布施の額は一定25万円にて変わりございません)
(※任意 お車料・お膳料 2~3万円 ※ 市外の場合、お車代2万円)

※枕経・通夜式・葬儀式への往復をタクシーで伺うこともあります。その場合は、タクシー代相当のお車料を頂戴することがございます。

※戒名料(法名料)は基本的にはお布施に含まれますが、任意ご厚志として別にてお包み頂く分は大変に有り難くに存じます。もちろん任意であり、強制ではありませんので、無くても構いません。(ちなみに8割以上の方はございません)

各式次第 詳しくはこちら

通夜式
https://ameblo.jp/sunya-h/image-12845969228-15417946631.html

葬儀式
https://ameblo.jp/sunya-h/image-12845969228-15417946628.html

一日葬
https://ameblo.jp/sunya-h/image-12845969228-15417946633.html

お葬式の流れについて

式次第とその解説 

枕経 

故人様が臨終に際して、仏の教え(お経)を聞くことにより、死に際しての心の安定を図って頂いて、安心して仏の世界へと入って頂けるように調えるために行われる。

・開経偈・観音経(妙法蓮華経・観世音菩薩普門品第二十五・世尊偈)・大悲咒(千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼)・舎利礼文・四弘誓願(悟りへと向けた決意の誓願)

・普回向「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」

・お打ち合わせ

俗名・行年(歳・数え年)・没年月日・生前戒名の確認・生前のご来歴等のご確認。お葬式に関する諸資料のお渡し、お葬式の流れ、留意事項のご説明等。


お通夜式の次第

・前法話(十分・お通夜とお葬儀の役割とその意義について)

・開経偈(枕経にお伺いができていない場合には、続いて・舎利礼文・普回向)

・剃髪・授戒願文・奉請・懺悔・三帰戒・五戒・三聚浄戒(さんじゅじょうかい)

・十重禁戒・禁網経偈

(剃髪から禁網経偈・・授戒準備。仏の世界へと正式に入るための準備)

・禁網経偈・・「衆生、仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位大覚(くらいだいがく)に同じゅうし巳(おわ)る。真に是れ諸仏の子(みこ)なり。」

・戒名授与・大悲咒・亡者授戒回向(仏の正式な弟子となるためのお名前授与)
 「夫(そ)れ新帰元( 戒名 )、法号を授与す。伏して願わくは、今より以後、仏を称して師となし、深く禅定に入って十方の仏に見(まみ)えんことを」

・大悲咒・入龕(にゅうがん)回向 (龕とは、遺体を納める棺のこと)
(棺に入る際における供養・・実際は既に入棺されている)

・観音経(ご焼香)・十仏名・往生咒・四弘誓願(仏の世界へと安心して向かって頂くための供養)

・後法話 十分~十五分
(必要に応じて自作のフリップやカードを用いて、仏教について、供養について、丁寧に分かりやすく、お話しをさせて頂きます。)


お葬式の次第 

・前法話(五分・葬儀の意義内容、下炬・引導について)

・開経偈(法要の始まりに際して読まれるお経)

・奉請・散華

・龕前念誦・十仏名・大悲咒・龕前念誦回向(棺を閉じる際に行う供養)

・大悲咒・鎖龕回向(棺を閉じるために行う供養)

・起龕念誦・十仏名・大悲咒・起龕念誦回向(出棺へ向けて行う供養)

・往生咒(仏の世界へと向けたお見送りのための陀羅尼)

・山頭念誦(いよいよ引導により仏の世界を目指すことを祈願する)

・秉炬佛事(ひんこぶつじ) 下炬(法炬)
・引導法語 引導(法炬)

仏の世界へと導くための引導を行う。下炬(あこ)・秉炬とは、たいまつで火葬のために火をつけること。実際には、その場で火をつけることはしないが、現在ではたいまつに模したものにより、疑似的に行う。下炬法炬(たいまつ)を放擲の後、払子を振り、引導法語を唱える。引導法語は、仏道の精進・成就へ向けた誘(いざな)いのための重要な意味内容(主には仏教の説く真理、また、智慧と功徳について)が表されます。臨済宗の場合、引導法語の最後は、渾身の「一喝」(宗旨により異なる・曹洞宗では露・咦など)により締めくくられることになります。引導法語を唱え終わると、引導法炬(たいまつ)を放擲します。この放擲は、黄檗度母故事に由来します。

・観音経世尊偈(ご焼香)

・四弘誓願(仏の世界へと送り出すための供養・皆様によるご焼香)

・導師退出~お別れ~出棺(引磬先導・往生呪)~お見送り

・斎場荼毘(大悲咒・荼毘回向 火葬・荼毘(だび)に付すための供養)

・収骨後、安骨法要・初七日法要のお勤めと最後に法話

以上の式事を恙無く、ご遺族、会葬者の皆様と共に真摯、厳粛に執り行うことにより、故人様の仏の世界へとお送り頂くためのお手伝いをお勤めさせて頂きたいと存じております。また、各お経、各回向、各供養の更に詳しい内容をお知りになられたい方は、別途、ご説明もさせて頂きますので、お気軽にご質問下さいませ。


お葬式に関することについての確認・補足事項 

この度のお葬式に関しましては、下記の内容も併せてご確認の程をどうか宜しくお願い申し上げます。

お通夜式の流れ概略 
・前法話
・開経偈(枕経にお伺いできていない場合には続いて・舎利礼文・普回向)
・剃髪・授戒願文・奉請・懺悔
・三帰戒・五戒・三聚浄戒・十重禁戒・禁網経偈
・戒名授与・大悲咒・授戒回向・大悲咒・入龕回向
・観音経世尊偈(ご焼香)・十仏名・往生咒・四弘誓願
・後法話

お葬儀式の流れ概略 
・法話
・開経偈
・奉請・散華
・龕前念誦・十仏名・大悲咒・龕前念誦回向
・大悲咒・鎖龕回向
・起龕念誦・十仏名・大悲咒・起龕念誦回向
・往生咒
・山頭念誦
・秉炬佛事 下炬(法炬)
・引導法語 引導(法炬)
・観音経世尊偈(ご焼香)・四弘誓願
・退出~出棺~御送り~斎場(大悲咒・荼毘回向)
・収骨後、安骨法要・初七日法要・法話

※現・副住職が導師の場合 
全て、椅子・曲彔無しの立式でお勤めさせて頂くと共に、威儀(法要の際の僧侶の衣や袈裟)に関しまして、袈裟につきましては、故人様へのご敬意から色袈裟を拝着させて頂きますが、袈裟の下に着る私自身の衣は、緋・紫・黄色・青などの色衣(しきえ)ではなくて、墨染衣(黒衣)を着衣させて頂いております。拙寺は、単立寺院であり、僧階なども特に規定もないため、緋・紫・黄色などの色衣を自由にいつでも拝着できるのはできますが、一生、修行の身として、慢心を起こさないための私の現在のポリシーとして、まだ今のところ平素の法要でも葬儀の導師であっても、墨染衣(黒衣)で通させて頂いております。この点、どうかご了承の程を宜しくお願い申し上げます。


   家 お通夜式 式次第

令和  年  月  日   時   分  開式

:00

司会開式の案内
・入場・焼香・三拝(三宝礼)
・前法話 十分 通夜葬儀の概要・授戒・血脈の役割・戒名の説明
・開経偈
・(枕経にお伺いできていない場合は、続いて舎利礼文・普回向が入る)
・剃髪
・授戒願文
・奉請
・懺悔
・三帰戒・五戒・三聚浄戒・十重禁戒・禁網経偈
・戒名授与
・大悲咒
・授戒回向

:25
・大悲咒・入龕回向
※この入龕回向後、焼香の案内へと向けた司会への合図
次のお経である「観音経が始まり次第に司会は焼香の案内を開始
・観音経世尊偈・十仏名・往生咒
※焼香が終わり次第、スタッフは終わりを知らせて下さい。

:40
・四弘誓願
・後法話 十分ほど

:50
・退出



   家  お葬儀式 式次第

令和  年  月  日   時   分  開式

:00

司会開式の案内
・入場・焼香三拝(三宝礼)
・法話(五分ほど・葬儀の意義内容について)
・開経偈
・奉請・散華
・龕前念誦・十仏名・大悲咒・龕前念誦回向
・大悲咒・鎖龕回向
・起龕念誦・十仏名・大悲咒・起龕回向
・往生咒
・山頭念誦

:20
・秉炬佛事 下炬(法炬)
・引導法語 引導(法炬)
※引導を終えてから、司会は電報紹介。
※電報紹介後、次のお経である「観音経世尊偈」が始まり次第に司会は焼香の案内を開始する。
・観音経世尊偈・四弘誓願
※焼香が終わり次第、スタッフは終わりを知らせて下さい。

:40
・退出~お花向け・血脈と引導法語のお手向け~出棺・御送り
・斎場到着・荼毘諷経(大悲咒・荼毘回向)

・・

その他参照・・

お葬儀の準備について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/88124857.html

正しいお通夜とお葬式へ向けて
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/87851117.html

往生院六萬寺
http://oujyouin.com/

葬儀における法炬・松明(たいまつ)について

2024年03月25日 | ブログ
法炬(たいまつ)

前に考察したように、火葬と引導の二本として、今までは一本のみで毎回葬儀社さんに借りていたが、二本まではやはり借りにくい(投げるし)、、これからは自作二本を持参致すことにします。

併せて、剃刀も毎回借りていたのだが、この前に借りたものが、あまりにもお粗末な使い捨てのヒドい剃刀で、これはあかん、、と思い、本堂にあった本物の大きな剃刀を錆を落とし使えるようにして、装飾を施した。



法炬(たいまつ)二本についての前のポストとはこれですね。

・・

昔の葬儀における引導は、火葬場の龕前堂にて行われていたのであろう。

入龕念誦、龕前念誦、鎖龕念誦、起龕念誦、山頭念誦→葬列、龕前堂へと移動→法語、引導(法炬投下)→下炬(火葬)
が、本来の正式な流れであったのだろう。

山頭念誦はまさに別れの表白であるから、出棺の贐となるわけである。「〜茶三点を傾け、香一炉に焚いて、雲程に送り奉りて〜」

現代では、法語の前に法炬、下炬があるということは、もともとは、火葬点火後→引導法語ということであったのかもしれない。

いや、黄檗引導の故事は、引導法語→法炬投下だったであろうか?法炬投下→引導法語だったか?

法炬投下→引導法語→下炬、

または、引導法語→法炬投下→下炬

が正しいことになるのかもしれない。つまり、松明は二回使わねばならないということなる。

ならば、二つ用意して、一つは投下、もう一つは点火と分けねばならないのかもしれない。

引導法語前に、一本だけで、下炬→投下している今の拙生の作法はいずれにしても見直した方がよさそうである。

引導法語→一本目の松明の投下→二本目の松明で火葬点火

とするべきなのであろう。

https://www.facebook.com/share/p/XmCjejHcFXsyfdMo/



完成。手前の真ん中には、ダライ・ラマ法王猊下灌頂にて賜りし金剛線二本を結び引導用とする。仏縁篤からんことを願うのである。



葬儀における散華について

2024年03月25日 | ブログ
葬儀において、もう一つ気になっていたのが、散華。

奉請の際に、天台宗や真宗では散華がある。真宗では基本、あまりされていない感じでもあるが。。

ただ、いつも授戒願文の次の奉請にて散華してもと考えていた。ご来迎をお迎え致す意味でもである。

しかし、問題は落ちたものが、お別れの際に踏まれないかである。希望は拾ってもらっておいて、納棺して頂くのがベストかもしれないが、スタッフに頼まなければ、私がちゃんとせねばならない。そのあたりがどうしたものかと気になる。

納棺するならば、棺の上にそっと置くのでも良いのかもしれないが、、


令和6年春彼岸法要 法話「法然聖人 親鸞聖人 御影坐像 ご紹介」・「往生について」

2024年03月25日 | ブログ
令和6年春彼岸法要 法話1 冒頭 「法然聖人 親鸞聖人 御影坐像 ご紹介」
https://youtu.be/4biDOLY4xUs?feature=shared

令和6年春彼岸法要 法話2 「往生について」
https://youtu.be/9cv1Aug7-Sk?feature=shared

※フリップの内容はこちらで詳しくご覧頂けます。
https://fb.watch/qZ0I_4X6kL/?

令和6年3月・春彼岸施餓鬼法要 配布資料
「往生・引導・灌頂について」
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/92486211.html

法然聖人三日月の御影について

2024年03月23日 | ブログ
法然聖人の坐像とは別となる三日月の御影については、鎌倉時代の藤原隆信か、藤原信実によるものではないかとして、文化財課による鑑定待ち(いつになるか分からないが)であり、別に厳重保管対象としている。もしかするとオリジナルの三日月の御影かもしれない。

藤原隆信は、歌人、画家で法然聖人の下で出家している。藤原北流であり、もちろん、九条家、九条兼実とも交流は深い。また、その子の信実は、似絵の家元でもある。

隆信か信実によるものを九条兼実か九条道家が、往生院に下賜したものであろうと思われるのである。

伝説の法然上人御影
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/.../MK/0003/MK00034R007.pdf


念仏門の変遷

2024年03月19日 | ブログ
平安時代、安助上人が、晩年、往生院にて修されていたのは日想観、五念門であったことが、拾遺往生伝に記されてありますが、四天王寺在中時代には、観無量寿経に基づいた阿弥陀講、往生講の講師として講式を修されていたことが分かります。

平安期の浄土教は、観想中心の念仏行であったわけですが、法華験記、拾遺往生伝、後拾遺往生伝、二十五三昧会などにおける行法を詳しく見てみると、天台法華、台密、東密による真言行が圧倒的にその中心となっていたことが窺えるのであります。

念仏門は、観想念仏から、密教念仏、そして、称名念仏と多様な変遷を経るわけです。

往生院金堂跡からは、梵字キリークの瓦が出土しており、密教的な浄土教も奉じていた可能性が高いと推測できます。

観想念仏と密教念仏が融合したあり方であったと思われ、どのような勤行、修法が日々営まれていたのかについても、また調べて参りたいものであります。


福徳・功徳の資糧集積のあり方について

2024年03月15日 | ブログ
功徳行、報恩行、助正業として、ボランティアや奉仕活動、慈善事業、寄附事業を勧めるのは、浄土真宗的にも、また、仏教的にも、誰もが平等にできるような実践ではないということもあるのだが、あまり良い功徳行、報恩行、助正業というわけでもないのである。

もちろん、社会、国、世界では奨励されていることではあるため、個人の意思で行う分には当然に構わないことではあるが、結局は、人間ご都合主義、人間第一主義のいわゆる優生思想、差別思想を内包してあることがあるため、仏教の全ての衆生を助ける、救うというための平等の慈悲によっての行いにはなりにくく、それどころか、自己満足や欺瞞に陥り、自分では良いことをしたつもりではあるものの、それが功徳にもならずに、逆に業を汚す行いとなり得ることにも注意が必要になるのであります。(例えば、(人間社会の)公共のためにと、国に寄附しても、その僅か0.001%でも、世界公共のため、秩序維持、安定のため、国のためとして、ウクライナやイスラエルへの武器弾薬の支援へと使われてしまい、人殺しへと繋がったならば、間接的にもその業は共業として報いを必ず受けることになるのであります。それは納めた税金でもしかりとなります。)

前にも少し触れたことですが、チベット仏教においての福徳、功徳の資糧の集積に、まず何よりもラマや高僧のお世話やお手伝いをすることが挙げられてあることに、長年、不思議で理解ができなかったのでありました。

しかし、ダライ・ラマ法王猊下やリンポチェ高僧方のお世話をすることの意味を考えた際に、仏や菩薩を供養する意味と同じくに、真なる慈悲の事業を行える者を助けることや、その者たちを礼拝、讃嘆、勧請、供養することは、その慈悲の事業を手伝うことに繋がるため、境地も低く、愚鈍未熟な自分ではとてもできないような仏教における真の福徳となる事業を、ラマやリンポチェ方を通じて間接的ながらにも積むことができるということになるわけであります。

七支供養やタントラ成就法が、福徳資糧の修養となるのも、仏や菩薩が行う事業の推進へと繋がり、一切衆生へと平等に役立つことに繋がるからであります。読経や真言を唱えるのが功徳となるのも、仏や菩薩の事業をお手伝いする、役に立てるという面が少なからずあるからでもあります。

もしも、悟りへと至るための膨大な資糧集積を「信心」一つに集約させるということであるならば、阿弥陀如来への供養にその集積を集約させることは十分にあり得ると考えており、それを浄土真宗、親鸞聖人の思想から、拙生は考究しているのであります。

その「信心」一つへの集約の方向性とは全くの逆になっているのが、つまり、一連の「新しい領解文」へと至る流れでもあるわけです。


親鸞思想の浄土論、往生論、成仏論と仏性論

2024年03月14日 | ブログ
親鸞思想の浄土論、往生論、成仏論が、通仏教とは全く異なる性質、論理であることを理解していないために、助正論や報恩行、功徳行などの必要性についての議論がいつまでも起こるわけであります。

時流や社会、世界の潮流に合わせてとか、色々と理由をグダグダと述べ立てても、それは、理由、根拠には全くならないのであります。

冒涜とまではならなくても、宗祖の思想、教義への疑義を呈していることになるわけであります。

仏性論については、そもそも悟りへと向けた自力的あり方の根拠となる仏性の存在は否定されるものであり、あくまでも成仏は、法性法身阿弥陀如来との一如、一味において成されるものであるため、自分の側における仏性があるのかないのかは、一切関係がないことで、仏性論は、否定的な無記に近い立場となるのであります。

もちろん、輪廻にあり、煩悩、無明に迷い苦しむ現実がある以上は、悟りの状態にあるわけもなく、「煩悩と悟りは本来一つ」などとも言えるわけなど全くないのであります。

百歩譲ったとして、「私の煩悩と業は、仏の力により浄化され、やがて私は仏と一如になるゆえ」ならば、十分に認められる余地はあったと思うのであります。

某論文のように、「議論の余地がない」などと述べるなど、浄土真宗も仏教も全く理解していない証左であるわけなのであります。