河内郷土文化誌・わかくす(若楠)86号が発行されました。
今回では、現在、京都国立博物館開催の「法然と極楽浄土」にて展示されていても全くおかしくない「法然聖人・三日月の御影」について書かせて頂いています。
こちらも市文化財課、文化財調査にリストアップしてもらっているのだが、親鸞聖人自作坐像の一回目のみの調査(まだ完結せず)以来、全く進む様子になく残念なままである。
平安時代、藤原隆信か信実による似絵の可能性が極めて高いとして、九條家と法然聖人、往生院との関係性と、その推測される由来についても書かせて頂いております。
詳しくには購読会員に。
次回は、「河内・浄土院」について。
往生院は、平安期の四天王寺との関係から、鎌倉期には興福寺、当麻寺との関係が深くなり、山越の弥陀による来迎会が修されていたことが、浄土院に当麻曼荼羅が本尊としてあった新発見からも、いよいよ明らかとなりました。
九條家と法然聖人、証空上人。
特に、証空上人の活動を全面サポートしたのが、九條道家になります。
往生院が東福寺末寺となるまでは、壮麗なる来迎会が修されていたと推測できます。
山麓に消え、歴史に埋もれたままの河内・浄土院。次回に取り上げます。