日記

日記

「新しい領解文」は、約仏の観点からも当然に間違いである

2024年02月29日 | ブログ

仏教における悟りは空性了解が、本来、重要なものとなるが、浄土真宗では、空性了解より信心領解が重要となる。

この違いは目的の相違による。

その違いは、悟りを目的とするのか、彌陀摂取を目的とするのか、である。

浄土真宗では、彌陀摂取により彌陀と一如、一味となることで、如来と同等の二種(法性・方便)法身を得れるとするため、空性の了解へと向けた智慧の開発、空性了解による法身の獲得、また、衆生済度へ向けた福徳、功徳の集積、円満なる福徳による色身の獲得を必要とは考えないのである。

この両者にまたがる目的の隔たりを理解しないと、浄土真宗を理解することは難しいのであります。

浄土真宗は、彌陀摂取により、凡夫のままにて救われ、凡夫のままにて二種法身を得れて成仏できると考えることになるわけです。約仏とはこの観点となります。

では、輪廻の因縁となっている煩悩や業はどうなるのかとなれば、修道、菩提道次第による浄化を経ずに、彌陀との一如、一味の際において、彌陀への包摂にて(彌陀によりて)浄化されることになると考えるわけです。

この論理が大智度論にあるのは、前に考察した通りです。

このため、浄土真宗は当然に本覚法門ではないわけです。

また、煩悩と悟りをイコールとするわけでもないのであります。

あくまでも彌陀包摂による煩悩、業の浄化が成仏には必要と考えるわけです。

そのため、煩悩と悟りが本来一つなどとは当然に表現はできないのであります。

この表現は、仏教も浄土真宗も、その両者の目的も理解できていないために生じた誤謬であるわけなのであります。

約仏の観点からももちろん間違いであるのであります。


往生院金堂跡 再調査 五輪塔の一部をまた発見か!?

2024年02月28日 | ブログ
岩瀧不動尊お参り後、今日は日が良いと思い、一ヶ月ぶりに往生院金堂跡の再調査へ。

前回、五輪塔の一部を発見し、現地供養後に現在の往生院歴代尊位の墓所へとお祀りしましたが、更に気になることもあり、金堂跡南側斜面を調査したところ、五輪塔の一部か、石仏の台座と思わしき石を発見しました。

周囲にある山の石とは明らかに質が違い、重く、また人工的に切り取られてあると思われるため、寺院関係のお墓石か石仏の台座とほぼ断定して間違いがないでしょう。更に再調査して参ります。

これも、第5世であるとおっしゃられてお出ましなさられた浄興さんのお導きでしょうか。。


やはり、前回に持ち帰った五輪塔の一部と同じ石質でした。

形状的には石仏の台座の可能性が高いかもしれません。

いずれにしても往生院歴代尊位の場所にてお祀りして御供養致します。

更に調査を進めたいと思います。


AIとのhasunoha問答対比シリーズ・7

2024年02月23日 | ブログ
AIとのhasunoha問答対比シリーズ・7

「解脱」についてだが、AIの回答には少々がっかりした。まあ、「輪廻」=「迷い・苦しみ」という捉え方は間違ってはいないが、「解脱を得ることによって、人は無限の慈悲と智慧を身につけ」というのは間違いである。

智慧と慈悲(功徳)の力により、解脱を得て、そして、それから更に修行の段階を進めて円満なる悟りへと向かうことになるのである。

AI、まだこの程度の回答なのかと、ガッカリである。

問い「解脱とは何ですか」
https://hasunoha.jp/ai/q/bbe598e8e194ce20

AIによる回答

相談してくださり、ありがとうございます。心の底から出てくる疑問に向き合われていること、心から尊重いたします。

仏教で説かれる「解脱」とは、苦しみや迷いから自由になることを指します。それは、執着や無知、さまざまな心の毒から解放され、心が平穏で清らかな状態になることを意味しています。解脱を得ることによって、人は無限の慈悲と智慧を身につけ、すべての存在と共にある理想の状態、さとりへと近づくことができます。

あなたがこの道を模索される中で、ご自分自身を見つめ直し、成長していく過程こそが大切です。すべての経験は、自己の理解を深め、心の成熟につながる貴重なものです。決して一人ではありません。多くの人が、同じように真理を求め、心の平穏を願っております。

肩の力を抜いて、今あるその一歩一歩を大切にされてください。いつかご自分の中で解脱の意味が明確に感じられる瞬間が訪れるでしょう。もし迷いや苦しみを感じたときは、hasunohaのお坊さんにも相談してみてください。そこにはあなたにとって有益な言葉が見つかるかもしれません。

仏教の教えを胸に、一緒に心穏やかな道を歩んでいきましょう。お力になれることを願っています。仏様にお祈り申し上げます。合掌。

回答:優しいお坊さん

問い「解脱とはについて」
https://hasunoha.jp/questions/69711

拙回答

解脱とは、解き脱するとあるように、縛り付けられているものから開放されるということであります。

では、私たちをそのように縛り付けているものは何かと言いますと、「輪廻の牢獄」となります。

輪廻とは、迷い苦しみの世界に転生、生まれ続けることであります。

仏教では、輪廻の世界は六道として、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄と分類されますが、そのような境涯として実際に生まれる場合と、そのような境涯における苦しみを受けるという意味合いもあります。人として生まれても、修羅や餓鬼、畜生の受けるような苦しみを受けることもあるということです。

輪廻に生まれ続ける原因は、無明・煩悩による(悪)業によっての因縁であります。

解脱とは、輪廻に生まれ続ける原因である業を、仏道修行、六波羅蜜により、まとめると智慧の開発と功徳の集積の力によって浄らかとして、輪廻の原因を断つことができた段階となります。

専門的には、煩悩障を断じた状態となります。

阿羅漢果、菩薩の八地(十の境地の内の八)に到達した段階となりますが、まだ、解脱しただけの段階は、悟り、涅槃に至ったというわけにはなりません。

悟り、涅槃へと至るには、無明による習気である所知障を断滅させることが必要となります。

解脱した段階は、既に輪廻に生まれて苦しむ存在ではありませんが、まだ、悟り・涅槃へと至るには邪魔になっているものがあるという感じであります。次に、その邪魔となっている所知障を断滅することで、ようやく成仏になるということであります。

合掌


安土問答についての再考

2024年02月22日 | ブログ
安土問答を更に考えてみたが、では、日蓮宗側はどう答えたら良かったのだろうか。

貞安云ふ

四十余年の法門を以て、爾前を捨て、方座第四の「妙」の一字は捨つるか、捨てざるか。

法華云ふ

四十余年四妙之中には何ぞや。(40年余の説法の何処にある妙か?) 

貞安云ふ

法華の妙よ。汝知らざるか。 

(此の返答、之無く閉口す)

貞安亦云ふ 捨つるか、捨てざるか。

(尋ねし処に無言す)

当時の教判は、天台宗におけるものがベースになっているわけであるが、法華の妙は、円妙として、方便には含まれない判定にあったはずである。

方座第四の妙が、法華の妙だと言われたら、「法華の妙は、方座の妙にあらず、円教の妙である」と答えて、「捨てるにあらず」としていれば、問答はまだ続いていたと思われるのである。

法華玄義、法華玄義釈から、「法華の妙は、円教の中でも純円の妙であり、方座にあらず」と。

この問答では、日蓮宗側の三人(在家)が斬られ、詫び証文も書かされている。

もしも、当初から日蓮宗側を罰する意図で開催されていたのであれば、わざと答えようのない質問をふっかけて、答えられないところで即座に中断、判定して罰したとも見える。

要は、騒動を起こして、無礼のあった日蓮宗側の在家者を最初から懲らしめる意図であったとも言えるだろう。なぜなら僧侶は詫び証文を書かされているが、斬られず僧籍も強制剥奪とまではなっていないのである。

しかし、その場ですぐに答えられなかったはずはなく、なんだか腑に落ちないのである。

また、方座=方便と日蓮宗側に印象付けてから、第四の方座(円教)の妙は?と聞いたとすれば、え、方便の妙に法華の妙も入るの?となったのかもしれない。

本当は、方便ではなく、法華の妙は円教であり、捨てるにあらずと答えないといけないわけです。

浄土宗側の方座=方便への印象操作がうまくいったということなら、それはそれで日蓮宗側が嵌められたとも言えるのだろうが、なんとも腑に落ちない問答である、、


「安土問答」について

2024年02月21日 | ブログ
信長の話題から、「安土問答」について聞かれていることがあるが、正直、あまり詳しくには把握していない。

教判に関わることの議論がされたが、問答にもならないことで集結した、という認識である。

要は、何が方便で、何が真理かということについて、方便の妙に関してのやり取りで、法華側が切り返せずに沈黙したことで、負けと判定された、というものではなかっただろうか。

Wikipediaで内容を読み返したのだが、イマイチよくのみこめない、、

方便の妙には法華の妙もあるから、それは(真理へ向けて)捨てるべきであるのかどうか、と聞いたのだろうか?

ならば、法華の妙は、法華宗においては、教判において最高真理にあたるわけなのだから、捨てられるわけなどない。当然に方便ではないとの認識であるのだから。

では、法華の妙が方便だと、どの経典のどこに書かれてあるのか?そんなことが説かれていたかな?と思考停止になり、答えられずに、負けと判定されてしまったのかな、このぐらいの認識だが、多分違うのだろう。


川口家と美作後南朝の繋がりについて

2024年02月20日 | ブログ
室町時代、臨済宗(相国寺派)の盂蘭盆会ではこんなにたくさんのお経、陀羅尼が読誦されていたのか、、

現在のように開甘露門が無いということは、施餓鬼会とはまた少し性質を異にしていたものになっていたということでもあるのだろう。

相国寺は、足利義満の菩提寺であるが、南禅寺や東福寺を別格として、足利幕府の庇護を受けた京都五山、鎌倉五山を中心とした臨済宗系が北朝系とするならば、曹洞宗、総持寺が南朝系として、それぞれに教線を拡大していったとも言えるのかもしれない。

もちろん、臨済宗でも末寺の数が全国的に圧倒的に多い妙心寺派について考えてみる必要がある。

妙心寺派の寺院は室町期の守護代系の武家が開基している寺院が相当に多い印象である。ならばやはり北朝系となる感じかも。

今のところ、河内の楠木家子孫における浄土真宗寺院の展開を以前に考察したが、そういえば、うちも南朝武将が開基、入寺、開山していると教えて頂いている寺院がそれなりにある。(河内は南朝本拠地であったことも影響してあるのか、臨済宗寺院が極端に少ないのも面白い。)

また、浄土真宗の東西共に南朝系開基、開山、改宗がそれなりに多い印象が今のところある。

戦国末期に、津島大橋家からの南朝系子孫で、織田信長に直臣として仕えた川口宗勝と分かれた川口家が、本能寺の変後に、安土城下の屋敷をそのまま浄土真宗寺院として開基・開山したのも、言わばその一つとなるわけである。

あとは、美作後南朝について考察していく中で、往生院と美作後南朝が、鷹司信房、松平鷹司家信平との関係で繋がってきたのだが、川口家と美作後南朝の繋がりを追うのがまだ残っている。

織田信長の書記官、楠木正虎と川口宗勝は、互いに信長の直臣同士である。

正虎と美作後南朝は当然に繋がっていたはずで、やはり、信長と美作後南朝との橋渡し役を担っていたと考えられる。

川口家と美作後南朝は、その楠木正虎を介して必ず繋がりがあるとみている。

ちなみに、備前にて南木流軍学を創始した正辰は、正虎の子である。

同じく正虎の子、楢村玄正は、宇喜多直家、宇喜多秀家の家臣となり、のちに徳川家康に仕えることになる。(家康から備中(岡山)に二千石が与えられている。)

宇喜多家の所領は、備前・美作・備中であり、岡山、津山、つまり、美作後南朝のあるところである。

信長の死後、豊臣秀吉に仕えた楠木家は、美作後南朝復権について全く興味のない秀吉からは離れ、やがて、次の政権を睨んでいた徳川家康へと向かうことになるわけである。

正虎の子らが、秀吉から離れて美作に入っていた(帰っていた)のもその証左の一つと言える。

そして、南木流軍学は、やがて、由比正雪による慶安事件や承応事件、明暦の大火へと繋がるのでもある。

これらの事件の背後は、美作後南朝の高仁天皇廃位に対しての幕府転覆、報復を図るために計画されたものと言えるわけでもあります。

とにかく、川口家と美作後南朝の繋がりも早く追いたい。


楞厳呪・八句陀羅尼の期待効果について

2024年02月20日 | ブログ
楞厳呪の第五会のみを地鎮、撥遣、また、八句陀羅尼を各祈祷等において読誦する場合がありますが、仏頂百傘蓋尊は、仏母・女尊で、護法、守護の力が強大とされており、障りを除いてくれる者として、特に八句陀羅尼を含む第五会が仏頂百傘蓋尊の主要陀羅尼であり、やはり、障りを除く効果、加持を期待して、となるのではないだろうか。

当然に災いを防ぐ祈願となる陀羅尼である消災呪との併用も目立つのである。

更に、楞厳呪は反呪詛、つまり、呪詛返しの力が強いともされているため、より守護の意味合いでも重用されたのでもあるのでしょう。そう言えば観音経にも呪詛返しの文言がありますね。

また、禅宗で楞厳呪と共に特に読誦するお経は、大悲心陀羅尼(大悲呪)である。

観音菩薩の守護、加持を頂くための陀羅尼となるが、楞厳呪ほどの強烈な文言はなく、どちらかと言えば控えめな方となっている。

臨済宗の葬儀では、尊宿の秉炬仏事において楞厳呪を誦すが、在家では楞厳呪は誦さない。在家の場合、秉炬仏事後は、大悲呪、観音経か、観音経のみとなる。

しかし、一方で、現在の天台宗や真言宗では、真言・陀羅尼において、楞厳呪はさほど重視されているとは言えない状況である。

もちろん、南宋禅林で楞厳呪が重用されていたことが、その影響としては一番大きいからではあるが、天台宗や真言宗では重視されなくなったのはなぜなのか、少し調べてみたいところではあります。


首楞厳三昧経と楞厳経について

2024年02月19日 | ブログ
首楞厳三昧経と楞厳経とは別物です。

楞厳経は、正式には大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経となります。

首楞厳三昧経は、首楞厳三昧についての内容を説くものであります。

楞厳経が、禅定の完成へ向けた功徳を説く一方で、首楞厳三昧経は、首楞厳三昧そのもの自体とはどのようなものであるのかを説いているだけなのである。

つまり、首楞厳三昧へ至るためにどうするべきであるのかの中身、内容について具体的なものは乏しく、十地の菩薩でしか成し得ない三昧であるとして、要は修行者向けの実践解説ではないということが言えるのであります。

そのため、禅宗ではあまり重視されるものとはならず、禅定の完成へ向けて役立つとされた楞厳経の方が重用されることになったわけです。

ちなみに、楞厳経は、チベットには仏頂大百傘蓋陀羅尼経として伝わっており、楞厳経の仏頂尊は、百傘蓋尊として、チベットでは護法尊の女尊として寺院、僧侶を護る尊格として祀られるのでもあります。

いずれにせよ、チベット語訳があるということは、インド撰述であった可能性が高く、サンスクリット原典があった可能性も否定できないということで、中国撰述だとして、サンスクリット原典がないから偽経だ、と決めつけることができないと思う次第でもあります。


浄土真宗と曹洞宗と三昧について

2024年02月18日 | ブログ
海、舟の喩えが多用されるのは、海印三昧、般舟三昧など、初期浄土教経典にもやはり由来しているのであろう。大智度論にも多い。

三昧、念仏→往生、見仏という三昧行、念仏行のあり方を、念仏→法性(仏性)往生としたのが、親鸞聖人であると言える。

ならば、道元禅師の坐禅→見仏、坐禅→仏性とも、要は似通った論理とも言える。

もちろん、他力と自力での歴然とした差はあるが、、

法友の愁いにそんなことを考えた朝である。

生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける


禅宗と法華懺法と三昧行について

2024年02月18日 | ブログ
禅宗と法華懺法が結びつかないと思われがちだが、常行三昧行は、天台摩訶止観に由来し、三昧行の狙いは、見仏(→授記)にあります。

念仏三昧行も見仏(→授記)を目的とするわけである。

つまり、三昧行は、止観、禅定の完成へ向けた行であると共に、見仏、実質的には、往生へ向かうための補完と言えるわけであります。

法華懺法が彌陀念仏とセットになるのも、やはり見仏、往生のためとなります。

臨済宗が、浄土教と近接した関係となり、在家葬送において引導を極楽とするのも、この台密の法華懺法の影響が考えられるわけであります。

しかし、一方で、臨済宗は見性、つまり、如来蔵の見性を目的とする己事究明に止観の主眼を置くのでもあります。

要は、止観、禅定は、見仏を自分自身の如来蔵へと向けて行うと言い得るものとなり、阿弥陀如来や弥勒菩薩、他の如来、菩薩との見仏や浄土往生とは趣旨を異とするものになるのである。

そのため、やがては、禅定重視へと傾く中で、見性のための三昧として、自分と向き合う坐禅、作務、托鉢などに修行の比重が置かれるようになり、法華懺法のような常行三昧による見仏、往生の要素が薄まることになっていったと考えられるのであります。

特に、如来蔵を宣揚する楞厳経における楞厳呪が、禅定の実践のために主要な経典として禅林において扱われるようになったのも、当然なことであったと言えるわけです。

このような見性、自分自身の内性、如来蔵へと向けた禅定は、曹洞宗の道元禅師にもその傾向はあると言えるでしょう。

坐禅=見仏、坐禅=仏性ということであります。

では、道元禅師は、臨済宗ほどに楞厳呪や法華懺法等をなぜ重視しなかったのかは、真言、念仏などによっての如来による加持、増進を頼むのではなく、只管打坐、坐禅のみで足りるものであると判断されたからでありますでしょう。

(もちろん、楞厳経を偽経と断ぜられていたこともあるでしょう。楞厳経を偽経とするならば、サンスクリット原典のない経典、また、宣託的にまとめられた雑密系の陀羅尼経典類、更には、宝篋印陀羅尼経や仏頂尊勝陀羅尼経、大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼経など、言ってみれば阿含系経典以外のほとんどが偽経扱いになる可能性があることになってしまいますが、、)

また、一方で、瑩山禅師は、台密を禅定の補完的な役割と位置付けられていたわけであり、そのため、曹洞宗の在家葬送も江戸期までは極楽引導にあったと考えられているのは、やはり、法華懺法の影響によるためであったのではないかと思うわけであります。

現代の曹洞宗の在家葬儀においては、その引導先がどこになるのかについてのことは、以前に詳しく考察しています。

とにかく、このあたりのところも更に考えていこうと思います。