イカットの島 / バリ島に暮す / 風に吹かれながら

バリ島ウブドの小路は手工芸にあふれています。バリヒンドゥーの信仰に息づく暮らしに触れながら手織りの時を楽しみたい。

王家の葬儀、火葬のセレモニー

2013年11月03日 | BALINESE LIFE

 写真 大きな張り子の牛の御輿を担ぎ、火葬場まで行列は続く

ウブドの王家では一年の間に二回目というめったに無い火葬の葬儀が
11月1日に執り行われました。家一軒が建つという出費だそうです。
葬儀は人生の中でも最大のセレモニーと言われています。
亡くなってから火葬にいたるまでにはたくさんの儀式の過程があり、
多くの人が参加します。ロスメンのオーナーのバルーンさんも
パンジャールの一員として参加しました。
日本の葬儀で行われている湯灌 (仏葬で遺骸を棺におさめる前に
沐浴させること) がバリ島の葬儀でも行われています。王家の人の
遺骸は小ウブドの人びとの手によって清拭されます。
バルーンさんのお話では小ウブド (旧ウブド) には4つのパンジャール
があり各バンジャ―ルのトップが協議する場の上に王家があるそうです。
4つで約1200人の構成だと聞きました。バルーンさんはミドルウブドに
所属していて約300人が属しています。小ウブドは共有の墓地を持ち、
各家の葬儀も王家の葬儀に準ずる過程で執り行います。王家の格式と
同じ儀式が執り行える誇りを感じました。ウブド市の人口が28000人
 (郵便局のデータ―) 近くですからその中で王家周辺の旧住民はわずかです。
ウブド市でも小ウブド以外の地域は別の墓地を持ち、省略した葬儀が
行えます。他国民の私が小ウブドと同じ葬儀を望む時はまずワヤン
さんの家族として登録し、所属するパンジャールの長から王様に申請
します。調整機関の審査により許認可されるそうです。
現在のバリ島の王家は東ジャワ貴族からの末裔といわれ、8つの王国に
分かれました。19世紀にはオランダの統治がはじまり、1908年に最後の
クルンクン王家が全滅してバリ島全域がオランダの支配下に入りました。
王国は無くなりましたが今でも続く4つのカースト (ブラフマナ階層/祭司・シャトリア
階層/王族・ウェシア階層/地方貴族・スードラ階層/平民) と王家の権威は生活に
密着していると思えます。
ロスメンのカディさん (長男のお嫁さん) の祖母が実家のギャナールの村
でガルンガンの日に亡くなりました。その日のうちに墓地に仮埋葬(土葬)
されました。火葬までに至る葬儀の費用が出来るまで仮埋葬のままです。
お父様の時は5年、かかったそうです。王族のシャトリア階層ではすぐに
火葬されるのが普通だそうですが一平民のスードラ階層では葬儀にかかる
費用は日々の現金収入の額からすると膨大な金額のように思われます。
仮埋葬のままですと祖霊として家寺に戻ってこれないのでなるべく早く
火葬の葬儀をするために費用を貯めていくそうです。
いつも利用するタクシーの運転手のマデさんは家族の火葬が出来ない
ために病気になってしまったと聞きました。火葬をして遺灰は海に流し、
霊は家寺に戻るという信仰が生きています。ガルンガンの日に祖霊は
家寺に戻り、10日後のクニンガンの日に帰っていきます。
11月2日、クニンガンは火葬の次の日でした。

   
 棺を乗せる御輿は約15メートルもある塔で作られていて、棺を納めるために階段が作られています。
 御輿の飾り付け 
 葬儀のスケジュール表
   御輿は大勢の人に担がれて勢いよく進む
   遺影は王様の3男の奥様  王宮の前に並ぶ花輪
                                  行列を見守るために早くから場所取りをする人びと 
 普段よりもたくさんの物売りの人たち 
     
 御輿の担ぎ手は各パンジャールから出ている
 パトロールをする軍人
 同じ色のクバヤkebayaを着て行列に参加している女性たち
 


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