日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

アナベルと地図

2018年06月12日 | 日記
久しぶりに関西に住む叔母を訪ねた。

三年前に母と奈良旅行の帰りに寄ったきり。
その時と変わらぬアナベルが綺麗に整えられた庭に咲いている。

叔母の手料理、叔父のおしゃべり、ふかふかのベッド。

もうこの世にはいない母にとても近い叔母に会えて、私の遺伝子が喜ぶ。

翌朝、叔母が書いてくれた地図を持って叔父に駅まで送ってもらって出張先に向かった。

丁寧に作られた裏紙のメモに鉛筆で走り書きされた地図も久しぶり。子どもたちの世代にはおそらく存在しない。気がついた時には失われていくもののひとつだろう。

いろんな懐かしさに甘やかされて送り出された。

見慣れない街

名前も知らぬ鉄道

どこか違う雰囲気の人々

私たちは本当はいつだって旅している。











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怒っている

2018年06月08日 | 日記
マツシタさんは怒っている。

当たり前だ。

私だって怒っている。

人々から大事な仕事を任された、この国の中心に立つ「立派な」大人が、小さなこどもでもしないような浅はかな振舞いをして開き直っている。

「罪を証明されなければ問題ない」
「これは罪ではない」
「ウソではない」
「忘れた」

この人たちはどこでどうやって育ってきたのだろうか?

とても基本的な、人としてどうあるべきかを、一切考えず暮らしてきたとしか思えない。

そして、圧倒的多数の無言。

「上がそういうなら仕方ない」

「どうしようもない」

マツシタさんは怒りながら、どこか不思議に思っているはずだ。

「みんな、どこにいるの?」と。

それは私が何故、マツシタさんを引き合いに出すのかということと、無関係ではない。

この国は、政まつりごとは、私たちのものではない。

なぜなら

私たちには政治を含む

「大切な事柄」を

「語ることば」を

持たないからだ。

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説明できない

2018年06月03日 | 日記
それでその人の哲学はなんなの?と聞かれて

笑っちゃうくらい何も答えられなかった。

私の意識の中でその人は眩しい光みたいになってて

それに私は最近ちっとも言語的じゃなくて

言おうとすればするほど口が回らなくて

「高速で回転する光線の泉みたいな」って、なんだそりゃ

自分で言ってて、笑った。

まあいいか。

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あはれな

2018年06月01日 | 命について
もし波に意識があったら

痛いと泣くだろうか

ぶつかるのが怖いと

落ちていきたくないと

消えたくないと

あるいは神経に自我があったら

痛いと

死にたくないと


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