日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

鉄道

2017年11月21日 | 日記
新幹線の開発の話を聞いた。

いきさつはともかく、その根底にあるのは

速く

速く

速く

飛ぶように速く

そういうみんなの気持ちじゃないかな。

それが新幹線という形になった気がする。



鉄道マンっていいな、と思った。

駅員さんも技術やさんも仕事をしてる。
空気を読んだり影響を及ぼしたり余計なことはしない。
安全第一。
優先順位にひとつも迷いがない、あの働き方。

そういう人たちが私たちの社会の中心を貫くような路線沿いに働いている意味ってすごくあると思う。

今朝も私たちは駅員さんの
「おはようございます」に送り出される。



博物館の汽車たちは静かにもの思いにふけっているようだった。

少し怪訝に思っている。

なぜこんなにも長い間、発車のベルがならないのかと。








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見ているところ

2017年11月19日 | 命について
私たちの素敵な学校に向かって歩きながら友達と話してた。

息子が髪切ったよ。

あ、うちも。

最近どう?

子どもの成長を話してたんだけどちょっと変わった説明をしたかも。


始めは細い木が静かに少しずつ幹が太くなるようで、目立たないけどそれがとても重要だった

この前の秋からは金魚みたいにチョロチョロ動き始めたから、面白いなあと思って見てた

途中いろんな波がありつつも自分という感覚が強く出てきた

それが自信になって中から強くなってきた


そんな風に見てあげられるのはいいねと友達は言った。

そこを見ないで表面だけ見てると間違うから、と。

なるほど、確かに。












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よろこびだけを道づれに

2017年11月16日 | 命について
「どこで待ち合わせようか」

「ちょっと服を見たい?」

「じゃああの店でね」

かわいいリュックを背負った母はその頃もう病のせいで話せなくなっていたけれど、通路の間から姿を見つけて「ああまだ外で待ち合わせられる」と心の深いところで神さまに感謝した。

何年前のことだっただろうか。

その気持ちは今もそのまま私の中に残っている。

母がいなくなった先の未来である今のこの時間では、深い悲しみと入れ替わるのかと思っていた。

けれど違った。

一緒に過ごした時間は何一つ損なわれることなくひと続きに存在し続ける。

その姿がこの傍になくても。

お洋服の間から母をみつけた喜びは、今も私と共にある。

もしかしたらあの時よりももっと強く。


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アイスクリーム

2017年11月11日 | 日記
アイスクリームが好きみたい。

すごく大好きっていうほどでもないんだけど。

アイス食べようってなるとちょっと心拍数が一瞬上がる、みたいな。

凍ってるのに固くないクリーム状っていうのがいい。

アイスクリームっていう物体も好きだけれど、アイスクリームというただただ楽しいイメージも好きなのかも。

大学の頃、箱根旅行の途中小田原のサーティワンで、せっかくだから季節限定のフレーバーにするよね!と友達に言われてびっくりしました。

私はだいたいジャモカアーモンドファッジかチョコミントの二択だったから。

そうかあアイスクリームの味の選び方にだって人それぞれのやり方があるんだ、って新鮮だった。

大人になった今は2択よりはいろいろ食べるけど、あんまり冒険はしないかな。
なぜかと言えば私にとって美味しいのと美味しくないのの差が大きいから。

アイスクリーム、せっかくだからたまに食べよう。




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子どもをいちばん大切にする学校

2017年11月10日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
子どもたちの学校はちょっと変わっていて、とても素敵な学校です。

例えば明日、地震があるとしましょう。

そして子どもたちの登校日だったとして。
(毎日ではない通学スタイルですから)

私はほとんど自分自身の次くらいに、それぞれの先生方を信頼しているのであまり不安にならないはずです。

確実に命がけで子どもたちを守ってくれるから。

それって、すごくない?

子どもたちが通えなくなった公立の小学校でそんな風に感じることはできませんでした。
子どもたちはみんなずいぶんいろんなものの後回しになっていたから。

私立中高一貫校の見学にもずいぶん行きましたが、学校にとってのメインのお客さんは親たちで、こんな子どもになって欲しいという親の好みに応えるビジネスのようだなと感じました。

ところがこの「子どもをいちばん大切にする学校」に相談に行ったところ、親は二の次なのです。
先生は子どもの方を見ている。
なんなら親が子どもの害になってないかチェックも入る。

先生たちは一人ひとりがごまかしなくきちんと生きていて、子どもたちのためにそこにいる。

それがどんなに有り難いことか。
両方の意味で。

そんな大人に見守られながら育ったならば、困っている人がいたら助けたいと自然に思うようになるでしょう。

そうしたら、後は枝葉末節だと思う。

違いますかね?








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