平和党http://www.heiwatou.jp
「現実的な政党」とは今までの空想的理念を無視するか、放棄することの意味でと人はこの言葉を使う。野党が政府寄りの見解をすることで「現実的になった」と評価される。現政権のやることに真反対の政策手段を主張する野党は、「政権担当能力がない」と言われる。
つまり、現実的とはその野党が政権をとったとき前政権を継続あるいは調整する能力のことであるらしい。しかし、些細なことで政権交代するくらいならその野党は政権を取る意味をもたない。それなら現与党のままでよい。
今までの世界観を転換するようなことを提唱すれば「あいつは気が狂っている。」「なにかに憑かれたのではないか。」と後ろ指をさされることは必ずある。いつの時代でも、そのようなことはあった。
古くインドの時代に、仏陀が現れるのは宗教家のバラモン階級からだといわれたが、お釈迦様・ゴーダマシッダルタは武士階級から生まれたのでバラモンから反発された。古代イスラエルの時代には、イエス・キリストはユダヤ教の中の異端にすぎなかった。しかし、仏教もキリスト教も世界に広まっている。
アジアとヨーロッパの間に大陸があるなどとは夢にも思わなかった時代もあったがコロンブスはアメリカ大陸を発見した。地球が太陽の周りを回っているなどと言ったら笑われたガリレオ・ガリレイもそうだ。ワットの蒸気機関の発明に始まり、これだけの産業社会が出来ると誰が予想したであろうか。天皇は人間ではなくて、本当に神様だと信じ込んでいた人もいた。しかし、時代の価値観が変わるとき、全てが打ち砕かれる。
そして今、発展途上国や旧社会主義諸国は、英米アングロ=サクソンの推進する資本主義やグローバリズムこそが、世界で正しいことだと信じ込んでいる。今後もその方針で行くのが、今の世界の、そして日本の権力者たちの考えである。しかし、それが正しい方向ではないと気づき始めた人々も多くなってきた。
時代はかつてよりも急速に変進してきている。ようは、どのように変えるかということである。その中身を皆が模索しているのだ。政治家のポスターによく書かれている「改革」「変える」「挑戦」などという、中身のない大嘘につきあうのはもうたくさんだ。
おそらく、新しい世界観をつくる政治家は、いま、国会にはおらず、まったく政治とは関わりのない、権力外の人々が変えていくのではないかと思う。彼らは既存社会の価値観を持たず、今までの世界観の延長線上に立つというものの見方をしないからである。
将来は国会議員になりたいと、政治家を目指す大学生らの意見を聞いていても、何も新しいものを感じない。誰かが唱えた主張を学び、オームのごとく唱えているだけである。野党・民主党の代議士が唱えることは、自民党の老練政治家が若い頃に唱えてきたことと同じであるというのは、過去の資料を調べればよくわかる。彼らに期待しても無駄であろう。一方、権力外の若者の場合は、人生の目的がない。その代わり、面白いことをやろうと思う者が多い。今までにない発想が多い。こうした「わけのわからない」と思われている人間こそ政治に参加すべきである。
わが党は、いま政治や行政に携わったり、経済界の第一線でバリバリ仕事をしている人であったり、現代社会でその地位を認められている人などに理解できないことが多いであろうと思う。
だが、本物を切り拓く創造者は常に冒険家であり、真の挑戦者である。笑われても殺されても、歴史の要請、人類の存続のためにも、成し遂げよう。
開拓時には少数だが、新しい世界観を生み出さんとする人々と、それに抵抗する圧倒的多数人の両方が対立し、出来うる限り短期間のうちに双方が調和していくことこそが、現代に生まれた者の使命であると信じる。
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「現実的な政党」とは今までの空想的理念を無視するか、放棄することの意味でと人はこの言葉を使う。野党が政府寄りの見解をすることで「現実的になった」と評価される。現政権のやることに真反対の政策手段を主張する野党は、「政権担当能力がない」と言われる。
つまり、現実的とはその野党が政権をとったとき前政権を継続あるいは調整する能力のことであるらしい。しかし、些細なことで政権交代するくらいならその野党は政権を取る意味をもたない。それなら現与党のままでよい。
今までの世界観を転換するようなことを提唱すれば「あいつは気が狂っている。」「なにかに憑かれたのではないか。」と後ろ指をさされることは必ずある。いつの時代でも、そのようなことはあった。
古くインドの時代に、仏陀が現れるのは宗教家のバラモン階級からだといわれたが、お釈迦様・ゴーダマシッダルタは武士階級から生まれたのでバラモンから反発された。古代イスラエルの時代には、イエス・キリストはユダヤ教の中の異端にすぎなかった。しかし、仏教もキリスト教も世界に広まっている。
アジアとヨーロッパの間に大陸があるなどとは夢にも思わなかった時代もあったがコロンブスはアメリカ大陸を発見した。地球が太陽の周りを回っているなどと言ったら笑われたガリレオ・ガリレイもそうだ。ワットの蒸気機関の発明に始まり、これだけの産業社会が出来ると誰が予想したであろうか。天皇は人間ではなくて、本当に神様だと信じ込んでいた人もいた。しかし、時代の価値観が変わるとき、全てが打ち砕かれる。
そして今、発展途上国や旧社会主義諸国は、英米アングロ=サクソンの推進する資本主義やグローバリズムこそが、世界で正しいことだと信じ込んでいる。今後もその方針で行くのが、今の世界の、そして日本の権力者たちの考えである。しかし、それが正しい方向ではないと気づき始めた人々も多くなってきた。
時代はかつてよりも急速に変進してきている。ようは、どのように変えるかということである。その中身を皆が模索しているのだ。政治家のポスターによく書かれている「改革」「変える」「挑戦」などという、中身のない大嘘につきあうのはもうたくさんだ。
おそらく、新しい世界観をつくる政治家は、いま、国会にはおらず、まったく政治とは関わりのない、権力外の人々が変えていくのではないかと思う。彼らは既存社会の価値観を持たず、今までの世界観の延長線上に立つというものの見方をしないからである。
将来は国会議員になりたいと、政治家を目指す大学生らの意見を聞いていても、何も新しいものを感じない。誰かが唱えた主張を学び、オームのごとく唱えているだけである。野党・民主党の代議士が唱えることは、自民党の老練政治家が若い頃に唱えてきたことと同じであるというのは、過去の資料を調べればよくわかる。彼らに期待しても無駄であろう。一方、権力外の若者の場合は、人生の目的がない。その代わり、面白いことをやろうと思う者が多い。今までにない発想が多い。こうした「わけのわからない」と思われている人間こそ政治に参加すべきである。
わが党は、いま政治や行政に携わったり、経済界の第一線でバリバリ仕事をしている人であったり、現代社会でその地位を認められている人などに理解できないことが多いであろうと思う。
だが、本物を切り拓く創造者は常に冒険家であり、真の挑戦者である。笑われても殺されても、歴史の要請、人類の存続のためにも、成し遂げよう。
開拓時には少数だが、新しい世界観を生み出さんとする人々と、それに抵抗する圧倒的多数人の両方が対立し、出来うる限り短期間のうちに双方が調和していくことこそが、現代に生まれた者の使命であると信じる。
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