おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

外国に行かない男

2007年07月21日 12時22分56秒 | Weblog
私は生まれてこの方、外国というものに行ったことがない。国内の旅とて、仕事や選挙でなければ行かないくらいだから行くはずもない。そもそも旅というものは、生きるか死ぬかとの意気込みで、昔は出て行ったのである。チャラチャラ出歩くようになったのは交通が安全になったからであるが、そのために人間は多くのものを失っている。

これまで仕事で中国、韓国、台湾などに行く羽目になったことがあったが、その三回とも様々な理由によりキャンセルになっている。実に見事なる偶発的な事情によって中断されており、これは神が私を外国から遠ざけようとしてるとしか考えられない。

政治見解を考えるにあたり、「絶対に国外から日本をみつめたほうが勉強になるよ」と多くの人から幾度も言われた。果たしてそうだろうか。

我々は戦後、国際協調につとめるのが当然であるとの認識を与えられている。だから湾岸戦争でカネだけ出すというのはなんたることかと反省してPKOもできた。政治家としての素養には、「国際感覚」というものが必要であり、英語が必要であり、そして今では米英に留学して改革ヅラしているような国会議員ばかりになった。彼らが口を開いて言う言葉は、新しく聞こえて古いものばかりである。

海外で学ぶ事は、日本の庶民感覚を忘れるということであり、自然人の感性を失うことでもある。


http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover/e/1c4ed9e37fb964255131564184915337

トラックバックされたこちらの記事を拝読し、ますますそれを思った。

ようするに海外の安いものを輸入する事によって、売る国も買う国も一見豊かになるようだが、これらは自然界の法則に反するのだ。

私は小学生の頃、新宿から自転車に乗って永田町の近くにある池でブラックバスを釣りに行ったが、あんな魚は本来、日本にはいなかったのである。ブラックバスをなんたるものかも知らなかったが、大人になって国会に行くようになってから、あそこで釣りをしたことを思い出した。あんなところにブラックバスがいるはずもないと気づいた。

ほかにも南米にしかいないクモが日本に大量発生して問題になったことがあった。生態系を崩す要因である。どんどん食料は輸入され、食べ物に対してのありがたみは失われた。御飯粒を残して怒る親がもういなくなったのを考えるとかなり事情は変わってきた。このために日本人が持っていた「自然に対する感謝」が失われつつある。

日本人はコメ・魚を食べなくなり、肉・乳製品への比重が増した。日本人はその自然環境から考えて、稲作漁労民なのであって、衣服は和服が最も適している。ここに変化を加えたがゆえに経済にも自然にも大きな影響を与えつづけている。パンしか食べない右翼活動家も知り合いにいるが、この国はグローバルによって全てがおかしくなったのだ。

平和党は自然主義経済で国内の完全自給を説いているが、これは健全なものであることにますます確信を抱くようになった。

世界大戦の要因も、貿易が発端となる。遠くにあるものを売買すること、すなわち貨幣や富を海外に持ち出すことは、いけないことなのである。多少ならばいいとは思うが、現代ではそれが多すぎる。

一国平和主義は良くないとよく言うが、全ての国が一国平和主義であるのならばそれで世界平和は完成じゃないだろうか。無理して国際協調することなど百害あって一利なし。これらは地球上で貧富の差と紛争の要因を作り出すだけだ。ひきこもり国家が最も望ましい。ひきこもるためには内部で経済活動が貫徹されねばならない。

鎖国という時代があったが、それは輸送手段という技術がなかったこともあろうが、別の原因には、日本人が道教を重んじていたことがあるのではないだろうか。

「自らに安んじ、周辺で事足りる為、舟や車を用いて遠国と通商し、旅行する事もない。為に、公害もない。 簡単・便利の発明工夫の為に、今日逆に人は自らの首を絞めてきた。 その機心・作為の心さえ芽生えない。 村村それぞれ自立して、互いに干渉する事もなく往来する事もない。」

「道徳経 郷土を愛しみて、他に移る心なく、人の生を重んじ尊びて、更に争う事はない。その分に安んじ、命に安んじて、在る事を満足し、居る事に満足し、他に求めるものは何もない。」

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/syoukoku_k2.html

地産地消を叫びながら、国際貿易の促進を図るという大いなる矛盾を行っている。

日本には資源がないからと言われて、外貨を稼ぐために一生懸命だ。これが国を滅ぼすことを知らなければならない。
まして中国産のものであっても、安ければよいという感覚は、グローバル化が進めば進むほど感覚が麻痺してくる。なぜ他国から品々を求めようとするのか。

自然通貨によって改革を断行しなければ、こうした悪事はまだまだ続く。

嫌いな人間に対して、嫌いな理由を百万遍言いつづけて何の得があろうか。つきあわないのが平和の方法である。国際平和のために習慣の違う相手方に対して思いやりを持つのは当然の事であるが、毎日毎日一緒に暮らしていたら疲れるだろう。だから喧嘩にもなる。

自衛隊の海外派遣に対して反対するのはこうした理由である。災害救助ならかまわないが、その国の国際紛争の事情からもめているのが国連平和維持活動なわけで、こんなものにはつきあう必要はない。これは欧米が押し付けた「国際協調」という身勝手なものである。

昨月の千葉県議会では、堂本暁子知事が羽田空港の国際化に反対し、成田空港こそが国際空港の拠点となるべきとして、羽田空港は国内に主軸を置くように求めていると発言していた。千葉県での千産千消をなそうという彼女だが、この点に関しては筋が通っていない。自然主義経済が実現されれば、成田空港はゴーストタウンとなるだろう。そんなことよりも成田や銚子の地場産業に注ぐべきである。いくらでも土地が余っており、産出できるものが山ほどあるではないか。成田空港がなければ経済的に成り立たないような町を作るんじゃない。成田から運ばれてくるものよりも、そこで作ることが大事なのである。

そして、国内産のものを有利に運ぶには、減価する通貨制度たる自然主義経済をなせばいいのだ。

「そのまんま東」による宮崎県政も全くナンセンスである。宮崎県の産物がよく売れれば、他の県のものが売れなくなるだけであって、単にしわ寄せをどこかに移動しているだけに過ぎないのである。これが日本全国共通の日本銀行券の役割であり、いくら彼らが頑張っても東京は必ず勝つ仕組みになっているのである。通貨を自然通貨制度にしない限りは、何をやっても意味のないことに政治家は気づいていない。

成田空港の近くに引っ越してはきたが、今後も海外に行くことはないでしょう。総理大臣とか外務大臣になったとき以外は。


p.s.15歳のときから喫っているマルボロをやめてキャビンにしてみたが、やはりマルボロでないとダメなので多少の輸入は必要かも。

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