平和党
夏くらいに、広島県のある政治グループから平和党への参加ないし合併等を持ちかけられ、島津総裁にぜひ会いたいと依頼され、赤坂の喫茶店で談義した。
MSNブログのコメントにもあったが、いまだに、保守であるか左派であるかという色分けの強いこだわり、というか、判別したがる人が多いのでなかなか平和党を解釈しにくいのである。
このような判別をしたがるのは政治のプロやアマの習性といってもよい。一般の人間にはそのような色分けがイヤだからこそ政治に関わりたくないと感じているのではないか。
それよりも私が言いたいことは、みな欧米こそが発展の方向性だといまだに誰もが思っていることである。彼らには「平和党は保守系環境政党であるが、ぜひとも左派系環境政党になってほしい」ということを言われた。まず、保守であるとか左派であるとかの色分けがどうでもいい。日本の左右は、欧州の考える左右とはだいぶ違う。
さらに「日本の環境政党にはヨーロッパのような市民運動の歴史が浅いからダメ」という固定概念がある。なぜヨーロッパのようなものをめざそうとするのか。日本やアジアにはもともと自然と調和するシステムがあったのだ。これが平和党を保守系と見る理由なのかもしれない。
日本の知識人たちは、科学技術についても欧米が率先していると考えている。この自然科学そのものが舶来のものだからであろう。そして日本の技術力のものさしは西洋の科学技術のものさしで測ろうとする。
だが、その自然科学の考え方自体変えていかなければならないのである。
こんなことを言うとまたどうせ平和党はオカルト政党だと言われるかもしれないが、脳から分泌される自然治癒力や腹式呼吸による自然回復医療について、アジアにはもとから存在する医療があり、哲学があるのだ。これは政治にも経済にも応用できる。例えば、西洋科学が認めようが認めまいが、足の裏をマッサージすれば健康になれるという経験的証明があるのだ。
このような東洋式の方法を非科学あるいは、発展途上と考えてきた世界観が資本主義と共に限界なのではないだろうか。西洋式の科学文明は身を滅ぼすことが解ってきたのは事実だ。北欧などで行われる環境行政は、すばらしいとは思うが、西洋科学の延長線上にある。
日本やアジアに古来からあるものを引き出さずに、西洋の真似をしていくことは全く無駄な行動であると考える。
例えば、今クールビズなどと言ってノーネクタイ、ノー上着を推奨しているが、日本人がもともと着ていた和服は、日本の気候にすべて適しているのだ。これが西洋文明一辺倒、欧米文明こそが世界の方向性などと考えるからわざわざ熱いスーツを着なくてはならなくなり、冷房も過熱することとなる。
ちなみに私がスーツを着るのは、和服が高いからである。高い和服を安くするためには、経済構造を変えなくてはならない。
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