おおさか佳巨 街頭演説のブログ

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日本人的なる介護

2007年05月24日 16時36分03秒 | 厚生労働


http://blog.goo.ne.jp/heiwatou/e/bec1eeec88aeb224975dd9bb5af2da12
で自分の書いた記事を見て、

「しかしながら先に愛がなくては、ものを知る吸収力も育たないし、肉体も鍛えらないし技術も身につきません。そういう元となる原動力というのがあるのだと私は思います。つまり相手に対する肯定力です。」


というのがありました。

愛によって肉体を鍛えるとはいったいどういうものであるかと。それは決して、夜の生活の話ばかりではありません。

ここでは一例をあげたいと思います。

今、NHK教育で介護の番組をやっているのですが、「はぁ、なるほどなぁ」と勉強になると思わされるものがあります。

ようするに高齢者を起き上がらせたりする方法というのは、今まで西洋の物理学の法則ばかりでやってきているので、介護福祉士の腰に相当な負担をかけているのです。あるいは家族の中で介護しているお母さんがたもそうでしょう。

それであまりにも介護福祉に関する職員も含めて、なり手が少ないと。どの介護関係の人も雇用確保に困っているわけです。

私は、介護福祉施設で、介護保険の九割が国・自治体負担の保険料金計算の仕事(ほとんどコンピュータまかせ)もやったり、病院から高齢者を乗せて運転もしたりしてきたので、現場をけっこう見てきましたが、かなりの肉体労働です。


ようするに今までは、プラスAというベクトル方向に対して、マイナスAのベクトル方向を力として加えて、高齢者をベッドに寝かすなり起こすなり、椅子から立たせるなりしてきたわけです。

でもその番組でやっていたことは、頭を足よりも前に置いて、起き上がらせたり、手を下に引張って立たせたりするわけです。なかなか言葉で説明するのは難しいのですが、ようするに古武道なんかで教えているようなものに近いわけです。柔道とかは、相手の力を利用して自分の力にする効率的で安心確実なる方法です。

今までの「物理的力に真っ向から反対する」という、ようするに逆ベクトルに力を加えて無理やりなす方法というのは、疲れるわけです。

ところが東洋式の場合は、どちらかというと、すでにある力を自分の力にしてしまう素晴らしいものが多いんですね。

明治時代以前は「スポーツ」という言葉はありませんでした。だから「体育」という言葉もこの明治時代に作られたそうです。何が西洋と違うかというと、スポーツというのは運動力学で考えます。

明治以前のスポーツに相当するというものは、ほとんど武道しかありません。蹴鞠なんかは遊びでしょう。

柔道・剣道・弓道・乗馬・やりなどなどです。

実用価値のあるものばかりです。それでいずれも腹式呼吸を大事にしたり、礼を大事にしたりします。こういうところに武士道精神がありました。つまりこうしたところに関心があったからこそ江戸時代は平和で安定していたわけです。

今の武士道精神はまるで戦争のためみたいなところがありますね。そしてスポーツ力学が重視されています。

ニュートンが作用・反作用の法則を発見して、西洋のスポーツはAが押して、Bが押して、強い方を勝利とします。

日本では相撲の場合をみてもわかるように、相手の力を利用する場合があります。

介護の場合、介護する人もされる人もどのように楽になれるかという意味で、あの番組での動き方というのが発明されたのだと考えられます。だから美しい愛から生まれた技術でしょう。

必ずしも西洋のものが愛から生まれていないとはいえませんが、運動力学での考え方、武道での考え方は日本にはこうしたものがあるでしょう。

それで日本人というのは、アメリカの真似をすることが進歩する、発展するのだと思い込むようになってから、最近では経済の政策や政治の思想まで真似しようとしています。

しかし、もはやアメリカでは、日本の古きよき文化・伝統を学ぶといった動きがあります。今まではどちらかというと日本の表面的なものばかりをアメリカの人たちは学ぼうとしていましたが、最近は、日本のそういう和の精神、寛容なる精神、多様性を認める文化、相手の力を自分の力に変えていくことなどに対して目が向けられつつあるということです。

でもアメリカ人は、わざわざ日本をみなくても、アジア人と呼べる素晴らしい伝統をもつインディアンがそこにいるのだから、先住民族の文化に習ったほうがよいと私は思います。

日本人はかつての日本の方法や、あるいはアイヌや琉球の生き方に注目してみたらいいと思います。現在政治の世界では似非保守が横行しています。本当の保守とは、新しいものを認める寛容力です。しかしながら、古きよきものも同時に守っていきます。この2つのことを忘れています。温故知新を忘れています。

http://heiwatou.com


 


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (memaido)
2007-05-24 17:46:01
はじめまして、楽しく拝見させていただきました。
またちょくちょく拝見させていただきます。
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Unknown (Unknown)
2007-05-25 16:44:45
戦争を考えるために、小林よしのり著『戦争論』を読んでみてほしい。

ここが考えるスタートだと思う。
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コメントありがとうございます (木村重成)
2007-05-25 16:59:51

すでに読んでいます。

一方の極としての考えとして当然に彼のような考えもあるものでしょう。これは認められるべきです。

ただ、そこから抜け出せてないところに問題があります。右も左も永遠に同じことを言いつづけることになっているからです。
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